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2016.04/15 「天才」を読んで

45万部を突破したと聞いたので石原慎太郎の「天才」を読んでみた。内容は石原慎太郎が田中角栄に成り代わって書いたモノローグであり、2月頃書店で一度手にしたときに決算が迫っている多忙を理由で購入を取りやめた本である。
 
2ケ月ほど前に立ち読みしたときには、それほど面白い本とは思わなかった。内容の大半はかつての「私の履歴書」や「ロッキード裁判とその時代」、さらには週刊誌や東スポなどで仕入れた情報の焼き直しに思える本だった。
 
書店で立ち読みすれば30分で読み終えるような内容とタカをくくっていたが、さすが石原慎太郎である。確かにその本に書かれた情報に新しいコトは無かったが、その長い後書きを除けば、立派な小説(失礼!)であり、単なる情報の焼き直しではなかった。
 
20分ほど立ち読みしていたが、結局半分以上読んだその本を昨日購入してしまった。涙をこらえきれなくなったからだ。久しぶりに泣けた本である。あえてどこがどうだ、と言うことは読んでいない人のために書かないが、情報化時代の今日において、文章などの表現の持つ力の大きさを感じたおもしろい本だ。
 
モノローグとして書いているところにすべての仕掛けがあるが、日本人は誰もが一度この本を読む必要があるのではないか。特にバブルを享受した団塊の世代である先輩諸氏には読んでいただきたい。また若い人には日本に田中角栄のような「日本という故郷のために」多大な貢献をした政治家がいた、ということを知っていただくために読むべき、と伝えたい。
 
田中角栄は金権主義の権化かもしれないが、一方で戦後の高度な繁栄をプロデュ-スした重要人物であり、その業績は業績として正しく評価されなければいけない。今の時代は、まず法的遵守が重要視され、これは正しいことだが、その結果そこからはずれた事柄をすべて排除する風潮がある。しかし恩人にも値するような業績をあげた人物については、その功績に報いる姿勢が必要ではないか。
 
物事には裏表があり、善悪も視点により変わる。田中角栄は確かに法を犯した。しかし、その罪とは無関係にアメリカ人をして「JAPAN as No.1」と言わしめた日本の高度成長の立役者でもある。恐らく著者はその功に報いる意味で本書を出版したに違いない。罪は、確かに罰せられるべきである。しかしその償いが済んだ人物について、いつまでも罪人扱いする社会はどうかと思う。貢献を正しく評価できる社会こそ健全な社会である。

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