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2016.06/19 麻生氏の高齢者発言

麻生氏の「90過ぎて、老後が心配と、お前いつまで生きるつもりだ」という発言が問題になっているそうだ。老人の蓄財をいさめたのが真意らしいが、父親の寿命だった100歳まで生きようと考えている身には、少し考えさせられた。
 
この発言が問題だと言う意味ではない。100歳までと言う目標を90歳までに変更する必要があるのかもしれない、という心配である。これまで会う人に事業を始めた行動について聞かれると、100歳まで生きるつもりで、と答えてきたが、不愉快に思っている人もいるのかもしれないと考えさせられた。
 
寿命を意識するようになってから日本人の平均寿命は10歳以上伸びた。金さん銀さんの双子がTV番組で取り上げられたときは、100歳がまだ珍しい時代だったが、今はその辺に100歳の人を見かけるぐらい一般的になった。
 
それで100歳まで生きるつもりで、と思うようになったのだが、まだ90歳までという感覚の方が良いかもしれない、と麻生氏の発言から感じた。
 
サラリーマンの定年については会社で決まっているので、自分でその目標を決定できるのは早期退職ぐらいである。父親の定年と同じ55歳と目標設定してみても、テーマの都合で当方は2年長く会社に勤めることになった。その結果東日本大震災の日が最後の出勤日となる不幸に見舞われた。
 
この時には55歳で辞めておけばと一瞬思ったが、1年間すごした事務所で帰宅難民として徹夜して、まだ会社に貢献できたので定年まで勤めていた方が良かったかもしれない、と思うようになった。
 
人間の寿命ではこうはいかないだろう。人生最後のお迎えが来たなら、後悔などしておれないないからだ。この意味で、麻生氏の発言は、まっとうな発言なのである。90過ぎて自分の老後を心配しているようではいけないのである。
 
残った人生の心配など忘れ楽しく生きなければいけない。それこそ寿命もお金も使い果たすぐらいに本当に死ぬ気で一生懸命生きないといけないのである。もし90以上の老人が蓄財をやめ、消費に一生懸命になったら日本経済は活性化するかもしれない、その意味で麻生氏は発言したのである。
 
「「老後が心配」といつまで思うのか」は、なかなかいい問いである。90過ぎたら本当に死ぬ気で一生懸命生きる必要がある、麻生氏の言葉はそのように聞こえた。80までは生きるつもりで働き、90までは最後の準備を行い、90過ぎたら死ぬ気で一生懸命生きる、それが長寿となった人生の幸せな姿の一つかもしれない。
 
亡父は当方がゴム会社から転職したころ、80歳から、もう来年はダメかもしれない、と言いつつ100歳まで生きた。今から思えば、高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVという形で立ち上げ成功したにもかかわらず、当方のFDへいたずらされた事件に対して、被害者でありながら「転職」という、当方の決断に満足していたのかもしれない。ドラッカーが愛読書だった亡父の口癖は「誠実と真摯」だった。
 

カテゴリー : 一般

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