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2016.12/21 専門とは、研究とは(8)

「もう一度、輝きを取り戻せ!日本ハムの斎藤佑樹投手(28)が来季、背番号を「18」から「1」に変更することが19日、分かった。」と、昨日のWEBニュース、スポニチアネックスに掲載されていた。

 

「ちょうど10年前だった06年夏の甲子園。斎藤は誰よりも輝いていた。早実のエースで「ハンカチ王子」としてブレークし、田中(現ヤンキース)擁する駒大苫小牧を決勝で破って優勝。引き分け再試合の末に頂点を極め、全国に名前を売った。その際に背負っていた背番号が1。通算30勝&300奪三振を達成した早大時代も2、3年時に同番号をつけていた。」

 

と彼にとって背番号1の価値を説明し、「6年間背負った18から、陽岱鋼(ヨウダイカン)の巨人移籍により空いた1への変更は「アマチュア時代のような輝きを取り戻してほしい」という球団の強い思いが込められている。」と、球団側の思いが解説されていた。

 

この話題は組織と個人の関係において、組織が果たさなければいけない人材育成の事例を示している。だめな組織は、人材を使い捨てにするが如くチャンスまでも奪ってゆく。ダメな烙印を押されても組織に捨てられないためには、専門性を高め自己の組織における価値を上げるしかない。

 

50を過ぎて左遷された(年俸が下がれば左遷である)ときにそれまで倉庫であった部屋を与えられて毎日を過ごした。高分子の専門家ではなかった当方が転職し、開発リーダーに就任しなければ成功しなかった商品に搭載されたフィルム技術で多くの成果を出し、まだ役職定年まで10年近くあるというのに左遷である。厳しい時代だが、だめな組織で仕事をしなければいけなかった運命を嘆くことなく、自ら豊川への単身赴任を願い出た。

 

グループリーダーとしてPPS・6ナイロンの中間転写ベルト押出成形を1年以内に立ち上げる難しい仕事だった。斎藤の背番号ほどの価値があるかどうか不明だが、組織リーダーとして何を成すべきか真摯に考えた。その結果、部下のマネージャーに自分の役割を与え、高分子の専門技術者として活動する道を選んだ(注)。

 

その結果、技術開発が成功し生産も安定化したが、その後はまたスタッフマネージャーへ逆戻りだった。給与は左遷前の水準に戻ったが役割は変わらなかった。

 

もし斎藤投手がこの活動報告を読んでいたなら、球団側の思いの偉大さと貴兄に対する期待を十分に理解し、ポルシェにうつつを抜かすのではなく練習に之まで以上情熱を傾けて欲しい。厳しい時代にありえない処遇がなされたのである。さらにファンも期待しているのである。これで結果を出せなかったら、君は引退しかないのである。ちなみに当方は結果を出してもサラリーマンを早期引退した。

 

(注)管理者として、部下のマネージャーに成果を出させるマネジメントが正しい道である。しかし、これは開発資源に余裕があるときで、外部メーカーにコンパウンド開発を依存する方針で進められているテーマで、その方針変更は難しい(部下のマネージャーには猛反対された)が、半年以内にコンパウンド工場を外部に新設しなければ成功しないと自分にだけ道筋が見えている状況では、そのようなマネジメントは難しい。そもそもコンパウンド工場を建設するためには数億円必要で簡単に決済がおりる案件ではない(ここでセンター長の決済範囲である投資8000万円未満で成功させる目標設定をしている)。日々意思決定が必要な多くの問題発生が予測され成功の可能性が、専門スキルが低い管理者に見えないテーマなら、テーマ中止を決定するのが最も妥当なマネジメントである。しかし、成功の可能性が少しでも見えるならば、残りの期間で失敗の責任をとることを覚悟して仕事を進める選択が、専門家として重要である。大きなイノベーションは専門家としての力量の高さだけでは難しく、必ず成功に導く責任ある意思決定もできなければ実現出来ない。

 

 

 

 

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