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2017.03/21 地下鉄サリン事件と生きる意味

昨日「彼はどのようにして地下鉄サリンの実行犯になったか」という江川氏の記事を読んだ。そこに、サリン事件の犯人の若者たちは、生きる意味を求めてオウム真理教に入信した、との説明があった。

 

入念な取材に基づく記事であり、これを読み驚いた。いつの時代でも若者は恋愛同様に生きる意味について一時期、病気のように悩むものだ。しかし生きる意味について悩んでみても一つの真理など見つかるわけではない。

 

さらに、科学の真理でも怪しいものがあるのに、他人の語る真理を素直に信じるところは子供だ。高分子科学の世界でさえ、自分の出したデータ以外信じないという元東大教授もいるのに、自分の人生の真理について他人を頼るのは危ない。

 

働く意味でもドラッカーが「貢献と自己実現にある」と明確に示してから、それがようやく社会に定着したのである。この意味さえいまだに否定する人がいるが、ドラッカーを読むと「貢献と自己実現」に働く意味を求めない限り、世の中はよくなってゆかないことがわかる。

 

すなわちこれは人が生きてゆく世の中をよくするための働く意味なのだ。この意味で働いていない人が偉くなった結果が東芝やオリンパスの事例だろう。社長の犯罪は、その会社で働く従業員に大きく悪影響が出る。やはり、ドラッカーが言うように社長は誠実で真摯な人が務める職業だ。

 

人間は死ぬまで生きているのだから、生きる意味をそもそも深く考える意味があるのだろうか、という見解をどこかで聞いたことがあるが、亡父はもっと説得力のある言葉を残している。

 

死ぬまで生きていると同じような意味かもしれないが、「今生きている以上必死で生きなきゃしょうがない」と生きる意味など考えている暇はない、と言いながら100歳まで生きた。

 

元警察官だったので十分な年金がありのんびり過ごしてもよさそうだったのだが、必死で読書をしていた。生きるために読書をするという姿をずっと見てきたが、死後の蔵書処理が大変だった。

 

当方は必死で生きるためには働かなきゃいけない、と思っても、既存の会社では60歳になれば追い出される。65歳まであるいは70歳までおいてくれる会社もあるようだが、定年がある以上居心地は悪いだろう。

 

当方は写真会社で十分な貢献をしたにもかかわらず50歳を過ぎて居心地が悪くなったので55歳で早期退職制度を利用する予定だったが、その決心をして会社への最後の貢献(注)のため2011年3月11日を最終出勤日と決めて57歳まで勤務した。

 

最後まで十分に貢献したつもりだったが、とんでもないことが起きて出勤最後の日は帰宅難民となった。誰もいない事務所で一人考えたことは、生きる意味ではなく、これから起業する定年の無い会社を死ぬまでにどれだけ大きくできるのだろうか、という夢だった。

 

(注)カオス混合の発明により、前任者が決めたPPS/6ナイロン/カーボンの配合系のままで中間転写ベルトを実用化している。この仕事以外にリサイクルPETボトルを用いた環境対応樹脂の開発も成功させた。家族と離れた単身赴任を初めて体験してみて料理という老後の備えとなる特技が身についた。

カテゴリー : 一般

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