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2019.06/07 カネカ「育休問題」

詳細な経緯を知らないが、カネカから育休問題に関するコメントが昨日公開されていた。

そのコメントを読むと大筋の経緯が見えてくるのだが、育休を終えて会社に出てきたら転勤になった人がおり、それについて不満をSNSに書いたことが発端らしい。

長いサラリーマン経験を踏まえてアドバイスをするならば、会社の人事異動等に異を唱えるぐらいならさっさと会社を辞めたほうがよい、ということだ。

今回の育休の人は結局辞めたようだが、それならそれで問題解決のはずで、もし何か問題があるとするならば、育休の件と結びつけないことだ。

まず自分の責任でやめたことを明確にすることである。すると不満にはならないはずで、前向きのコメントに必ずなる。

一方、もしその会社に勤めたいのなら、いつでも誠実に前向きに努めるべきで、理不尽な人事でも前向きに受け入れて一生懸命自己実現を図るべきだ。

そしてその組織にいるのが嫌ならば、さっさと円満退社する。小生は昔、3枚もFDを壊され、その事件に対して会社の対応に不満があったので、せっかく死の谷を6年歩いて立ち上げた事業でも他の人に成果を渡して会社を辞めている。

セラミックスの専門家として自己実現に努め学位までとったが、それは転職先の仕事には活かせず、あらためて高分子について勉強しなおすことになった。

写真会社はゴム会社とまったく異なる風土で、これもまた不満が無いわけではなかったが、一応55歳の早期退職制度が使える年齢まで勤めようとした。

ありがたいことに、退職前にもう半年仕事をやってほしい、と言われ仕方がないので退職日を一年延ばして2011年3月11日に設定して退職している。

結局その日は会社に帰宅難民として泊まることになり、やることがないからいろいろ考えた。目の前にはその日の退職祝賀パーティーでどなたかかわいい女性からもらえるはずだった大きな花束が置かれていた。

不満があったとしても、自分がその組織にいたいと思うならば、不満を解消できるように一生懸命働くことが一番である。それが嫌ならば会社をやめる、これが一番精神衛生上健康的である。

カネカは1社員のために丁寧な声明を出しており、人を大切にしている会社に見える。本当かどうか知らないが(説)、それを信じて働かない限り、良い仕事などできない。働くのは給与のためだけではないのだ。

社会に良い人と悪い人がいるように、会社も一つの社会であり大なり小なり悪い人が必ずいるのだ。その影響が不満の原因であり、組織とこの悪人とは無関係である。悪人には因果応報でかならず天罰が下る。

小生はせっかくの退職記念パーティーと3時からの最終講演が地震でつぶれた。なぜこのような天罰を受けねばならないのか真摯に考えた。

まったく仕事を行わず会社に来て本だけ読んでいる社員に対してガミガミと怒っていた過去がある。今から思えばモーレツなパワハラである。しかし周囲もその人に怒りたかったようなので、また本人も働かないことで叱られていることを納得していたのでパワハラとはならなかった。

ある日その方は自分が働かないのはあなたのせいじゃない、過去の処遇に対する不満だからほっといてほしい、と言われ、当方が叱ることもなくなったが、本来は、人事に相談するのではなく、当方がその方の心の闇について真摯に向き合うべきだったろう(注)。

管理職としてそれができなかったのだから、気がつかなかったが悪人の一人かもしれない。しかし、それ以外は誠実真摯に親身に部下と対応してきたつもりである。

誠実真摯に努力しておれば、かならず感動するようなことが起きる。最後の仕事は自分が評価されるような仕事ではなかったが、一応やり遂げ退職している。

その後社長賞をその仕事が取り、元部下がその時の記念品を10本も段ボール箱で送ってきてくれたのには感動した。サラリーマン人生とはこうした感動の積み重ねでありたい。

(注)人事に異動を申請していた怠惰な社員が異動になるのではなく、当方が窓際に異動になった。恐らくパワハラが問題になるのを会社は恐れたのかもしれない。しかし、不思議なことにこの怠惰な人は当方のことを人事に悪く報告していなかったそうである。この怠惰な人との交流は不思議な体験であり、未だにどう対応すべきだったのか悩むことがある。管理者としての立場と個人の思いの乖離は悩ましい問題である。ただ、窓際となり会社を辞めるのかどうするか悩み、豊川への単身赴任を選んだ。その結果カオス混合と言う大発明が生まれている。これはゴム会社で事業化した高純度SiCと同じくらいの成果である。本日セミナーで混練におけるイノベーションとしてこの技術について説明する。

(説)会社と言う組織は人類が自ら社会的動物と自覚して考え出した組織で、今の自由主義経済の国では、会社と言う組織は、国家の仕組みおよび社会の仕組みの中でうまく調和するように運営されている。だから会社ぐるみの不正に対して厳しい罰が与えられたり、社会から組織そのものが排除されたりする。今コンプライアンスを重視した経営を行うのは当たり前のことである。この組織の中で皆働いているのだが、そこで一つの社会ができたときにある一定量の悪人が生まれてしまうのは自然のことで、不満はおもにその悪人が活動するために生まれる。企業の中には警察は存在しないので悪人は国家の法律に反しない限り罰せられることはない。このような悪人の存在を認めたうえで、どこまで我慢してその組織で働くのか、と考えるのか、悪人を吹っ飛ばすぐらいの成果を出そうと頑張るのかは考え方ひとつである。忘れてはいけないのは誠実真摯に努力しているつもりでも組織にとって気がついたら悪人になってた、ということも起こりうるのである。ドラッカーを読むと彼の企業感は今でも先進的な考え方であることがわかる。誠実真摯に努力して働くことが重要である。企業という組織を正しく理解しよう。学校教育でも本当は現代の企業と言うものについて教えるべきだろう。

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