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2025.03/09 1年後はどこで何を–

高分子学会の会報に「アメリカでフラフラしています」と題した記事が載っていた。マサチューセッツ大学で研究をされているこの筆者は、いろいろと面白いことや愚痴を高分子学会の会報に投稿したのだ。


当方もこの欄で時々ゴム会社で受けた各種ハラスメントや80万円のローンの話などを書いたりしているが、他人の愚痴を読んでみると、学びがあった。


基本的に、愚痴も含めマイナスイメージの内容は多くの支持が得られない。それどころか、今の時代ならば炎上することもあるので書くときには注意が必要である。


それが分かっていても書くのは、同じく愚痴を言いたくなるような境遇の人に何か気づきを得てほしいからである。


この筆者の愚痴は、「楽しい」だけを考えて生きている人がいる、ということを言いたいために書いているようだが、幸せな人である。


「何かキツイと感じているのなら、そこは自分のいるべき場所なのか考える良い機会なのかもしれない。」この一言は、今の時代金言である。当方は人生でこのような考え方になったことは無く、また時代も社会にガンバリズムが溢れていた。


そして、頑張ればやがてキツさから解放され、その場所に明るい未来が見えてくる成功体験を何度もしてきたのである。80万円のローンを抱えた時にも、ローンを支払い終えたら、データサイエンスのスキルが身についていた。


少なくとも当時情報工学科の助手よりも高いレベルのコンピュータースキルやデータサイエンスに対するスキルの伴った知識は、80万円の負担で遊ぶ金が無くなり、しかたなく必死で身につけたものである。


その他、自分がキツイと感じる多数の問題をガンバリズムで跳ね返してきたのだが、それで周囲に歪がたまっていることに気がつかず、FDを壊されたりする嫌がらせが起き、部下の新入社員が転職したり、期待していたセラミックスの専門家が当方の環境を見るに見かねて転職を相談してきた。


それで当方も転職を決断しているのだが、それまで12年間無理をしたことによる多くのトラウマを抱えることになった。


1年後どこで何をしているのかわからないような人生には賛成しかねるが、無理をしない生き方は、12年間我慢して身につけたスキル以外自分には何も報われなかった貢献だけだったことを思うと、賛成せざるを得ない。


いくらドラッカーが、働く意味を「貢献」と「自己実現」にある、として定義していても、少しぐらいは報いがあってもいいだろう、と凡人ゆえに嘆きたい。


但し、無理をしなければ、ゴム会社で高純度SiCの半導体治工具事業など立ち上げることができなかったことや、実用的な電気粘性流体ができなかったことを思う時、会報の筆者に少しは無理をしてみてはどうか、ただし、それは未来に明るい幻が見えるとき、というアドバイスをしたい。


日本には努力の成果を奪ってゆく人がいる。しかし、努力の結果身についた知識やスキルまで奪ってゆくことはできない。知識はどこでも身につけることができるが、無理をしなければ身につかないスキルもある。知識だけでは、研究者や技術者として生きてゆくことは難しい。



(注)スキルとは何か。経験知と暗黙知である。形式知や一部の経験知は本から学ぶことができるが、例えばプログラミングのスキルは、場数を踏まないと身につかない。バグ取りなどはノウハウが公開されているが、そもそもバグを含まないようなコーディングをするコツなどどこにも書かれていない。Pythonは言語の中でもバグを含みにくい。各種成形技術やコンパウンディング技術など、金属やセラミックス、高分子まで全ての材料を処理した体験から見えてくるものがある。ミキシングプロセスなど高分子だけでは理解できない部分があると思う。80万円のローンを押し付けた(会社の業務を処理するパソコンを部下に購入させるのは問題ではないか。初任給10万円の時代である。)上司は、社外から依頼される新規難燃剤の評価をすべてやらせてくださった(今は感謝である)。サービス残業でそれらは処理されたが、おかげで上司の代わりに難燃化技術のセミナー講師を数回引き受けている。このセミナー講師の仕事では、講師料を頂いてないのでひどい話(やりがい詐欺どころか本当の詐欺ではないかと思っている)だと転職してわかった。パワハラやセクハラ、やりがい詐欺などありとあらゆるものをゴム会社で体験しているので転職した写真会社は天国に見えた。FDを壊されたり、ナイフが机の上に置かれたりする嫌がらせは、ローンを押し付けたり、セミナー講師料を頂けなかったりした問題とは異質である。同僚も犯罪だと感じたように異常な出来事だった。異常な出来事は転職後も続き、例えば無機材研の協力があり当方一人で住友金属工業とのJVを立ち上げたのだが、転職後、当方がいなくなってからゴム会社で高純度SiCの開発が始まった、と書かれた学会賞の推薦書が出てきた。そこには住友化学の担当者の名前も無ければ、脳梗塞となった転職時に業務を引き継がれた部長の名前も無い。さらには無機材質研究所の名前も入っておらず、当方がいる時全く何もしていなかった人物が筆頭だった。そしてその人物が開発したなどと推薦書には書かれていた。偶然審査員としてこの推薦書を見てびっくりしたが、真実の開発の経緯と携わった人物の名前を添えて、学会賞に値する、とコメントを書いている。結局無機材研を筆頭にした推薦書が出しなおされて学会賞を受賞している。苦労し脳梗塞にもなられた部長の名前や住友金属工業の担当者も書かないというのは、いくら自分の成果にしたいと言ってもひどい話である。まだここでは高純度SiCの誕生した実話のすべてを公開していないが、今となっては喜劇でもある技術の誕生は、決して楽しい環境ではなかった。どちらかというと地獄の中で観音様に助けられながら、地獄から這い上がったような体験である。観音様は、PPS中間転写ベルト開発を担当しようか迷っている窓際の時に激励の手紙をくださったので、びっくりした。観音様は死なないものだと思っていたが、昨年訃報が届いた。

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