2025.06/26 Pythonのスキルが何故必要か?
義務教育でもプログラミング教育が始まった。理由は、これにつきる。それでも理解できない人はコンピューターサイエンスを感覚的に理解できない。
実はコンピューターサイエンスは、フィーリングで理解すべき知であり、老人には難しい。幸か不幸か、当方は入社2年目の時にベストセラーとなった花王のコンピュータ部門が執筆した本のおかげで80万円のローンをゴム会社から命じられ、コンピューター一式を買わされた。
ホウ酸エステルポリウレタンフォームは、始末書の問題で上司からハラスメントを受け、開発に成功したが、当方のコンピューターサイエンスのスキルは、40年以上前に職場のOA委員長にこの上司が任命され、コンピューターを買うか、買わないか、でもめた結果育成された。
初任給10万円の時代に80万円のローンを組まされたのである。毎日の生活は、コンピューター以外楽しみは無くなった。コンピューターを無理やり好きになった、と表現した方が良いかもしれない。
1年間遊ぶことなど夢物語だった。幸い会社へは作業着で通勤できたので、下着も含め衣料品を買わなくて済んだ。ある日実家に帰った時に、あまりにも黄変した下着を着ていたので、母親が下着を10着ほど土産代わりに持たせてくれた思い出が残っている。
恐らく、親はゴム会社の研究所に勤めていた息子を哀れに思っていたかもしれない。東京など行かずトヨタにでも勤めればよかったのに、というのが母親の口癖だった。
ゴム会社に勤めたのには理由があった。学生の時、ホスファゼンに興味を持ったが、ファイアーストーン社がPNF200というホスファゼンゴムを実用化したというニュースがあり、国内のゴム会社がファイヤーストーンに訪問し云々という記事があったからである。
ところが、ゴム会社に入社してもホスファゼンに詳しい研究者など誰もいなかった。ただ、PNF200については知っていた研究者が数人いた。それゆえ研究所へ配属されて、たった3カ月で高分子合成研究室へ異動となった。しかし、始末書である。
始末書の次は、80万円のローンであり、社会人をスタートしても災難続きだった。しかし、これらの災難のおかげで、高純度SiCのような身に余る発明や今でもAIで遊ぶことができ、認知症の心配がない生活ができている。
若い時の苦労は金で買ってでもせよ、とは学生時代に親から言われた言葉だが、社会人になっても貧乏暮らしをしている当方を見て、親はこの言葉を言わなくなった。
遊ぶ金もない生活で、楽しみはコンピューターだけ、と無理やり自らを定義し、一年頑張った結果、コンピューターというものをハードウェアーからソフトウェアーまで理解できた。また、ちょうどオブジェクト指向という考え方が生まれた頃でもあり、いい時代に勉強できた。
コンピューターが仕事以外の生活、という暮らしを1年間してみるとコンピューターサイエンスというものをフィーリングで感じることができる。科学の思考と明らかに異なる思考方法になるのだ。
プログラムは、論理的に厳格に動く。しかし、そのバグ取りは、フィーリングでできるぐらいにならないとプログラミングのスピードアップなどできない。Pythonはバグのない優秀なモジュールを無料で活用でき、スクリプト言語のように簡単にプログラミングできる。
早い話が、やりたいことをコンピューターですぐにできる時代になったのである。今、Pythonを知らない、使えない、というのは、人生の楽しみの半分失っているようなものである。
ノートパソコンが1台あれば、あとは無料で楽しめる。ものすごい時代になった。20年前のパソコンでもLINUXを入れれば、サクサク動く。80万円のローンなど不要である。
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