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2026.05/14 実験データは企業資産(7)

ゴム会社新入社員時代のわずか3カ月間だったが、混練の神様のような指導社員は歴史に耐える技術指導を当方にしてくださったのかもしれない。


「研究報告書を課長から依頼されるまで書く必要はない」と、当方に言われた。また、週報は可能な限り、後日読んでも分かるように書け、実験生データは研究職をしている間は、大切に自分で管理し保存せよ、とも指導された。


この指導は、当時の研究所の書類管理の指針からは逆の方針に感じていたが、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作に成功した時に始末書を命じられ、その深い意味を理解した。


課長に命じられて1週間図書室に籠って始末書を何度も書きなおしていた。しかし、納得できないのは、納期を指示され休日まで返上し工場試作用のホスファゼン合成を一人で行っている。それにも関わらず、量産試作を成功させた報告書ではなく、始末書を命じられたのである。


また、それをどのような内容で書くべきなのかも説明されず、毎朝「書けたのか、書けたのか」、と責められた。最初に指示された時に始末書ではなく研究報告書を提出したら、「そんなものは後でもよいから、図書室で始末書を書いてこい」と言われている。


アメリカのオールコックや梶原鳴雪が研究論文を競っていた時代に、世界初のホスファゼン変性ポリウレタンフォームの量産試作に成功したのである。新入社員として配属された時に、本部長から当方に言われたミッションに対して短期間に成果をだした大切な研究報告書だったはずである。


しかし、本部長から急かされている、と毎朝課長に脅されて始末書を書きながら、世界で初めて工場試作に成功した研究報告書よりも大切な始末書とは何だろう、と頭が混乱した。


研究段階で低発煙の難燃剤として注目され始めた技術について世界初の成功をまとめた研究報告書よりも重要な始末書をどのような内容で書いたら良いのか、課長はその方針すら説明できず、「書けたのか」、と毎朝責めるだけである。


指導社員に質問しても、課長補佐格の方に相談しても、課長以外答えられない内容だという。人事部の同期に相談したら、新入社員時代は査定に影響しないから命じられたのではないか、という。


始末書の回議先に人事部も入っていたので、始末書の扱いがどうなったのか知らせてほしい、と同期にお願いしている。


後日談として、企画書を添付した始末書が人事部に回議された時には、企画書は無く、表紙だけが回議されていたそうだ。今ならば組織的なハラスメントである。


ただ、図書室に籠り始めた時に、美人の受付嬢がお茶を出してくれたり、図書室の隣のコンピューター部の女性スタッフが噂を聞き、最先端のコンピューター情報を知ることができる雑誌を紹介してくれたり、と始末書の噂がきっかけとなり幸運な出来事が続き、激しいハラスメントもそれほどの精神的負担にならなかった。


そもそも新入社員の2年間は査定も残業代もつかないので、力いっぱい仕事をするようにと、研修期間中人事部が言っていたことが嘘だったことをその後知ることになる。


この始末書騒動では、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの難燃挙動のふるまいをもとにして、論文で初めて知ったオブジェクト指向の練習を行いながら(注)企画したホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの企画書を新入社員テーマとして提出し、課長に承認を受けて終結している。


しかし、今でも始末書を書かなければいけなかった理由や、なぜ当方が書かなければいけなかったのかという理由を理解できていないだけでなく、その課長は3年前に他界したので永遠の謎になった。


1週間仕事を止められて、図書室に籠って内容不明の始末書を書かされるような処分は、サラリーマンとして将来が危ぶまれる危機なのだが、無機材研に留学した年に受験した昇進試験で落とされるまで研究所という組織とそれを管理する本部長の恐怖をあまり深く考えなかった。


この時の本部長がまっとうな本部長に交代したときに、ホスファゼン変性ポリウレタンホームについて学会誌への投稿を命じられているが、この時に神様のような指導社員が言っていた「実験生データを自分で管理する」重要さに気がついた。


本来は企業資産となるべき実験生データは、当時の研究所ではゴミ扱いだった。週報や月報、研究報告書のように保管期限の設定は無かった。実験ノートの習慣もなかった。


神様のような指導社員は、3か月間毎日午前中をゴム技術に関する座学として当方を指導してくださったが、その時教材となっていたのは、指導社員の実験ノートとして使用されていた材料メーカーからサービスとして年末にもらっていた手帳のコピーだった。


実験の生データと、専門であるレオロジーのシミュレーション結果との対応を丁寧に解説してくださって、ゴムのクリープを説明できないダッシュポットとバネのモデルではあるが、ゴム技術者として身に着けておくべき重要な経験知として指導してくださった。


すなわち、実験の生データには、その実験を行った人の思想やスキルが詰まっている。これは知識労働者の時代では重要な企業資産であることをこの時知った。しかし、その重要な企業資産を個人で管理するという、今の情報管理の視点からお粗末な状態だった。


一方で、神様のような指導社員が無駄な書類の筆頭に挙げた研究報告書は、人事評価にも活用される重要書類だった。そして図書室の奥のスペースに大切に管理されていたが、誰も利用していないのでホコリを被っていた。


お茶を出してくれた美人の受付嬢に研究所の報告書について尋ねたところ、期末に研究報告書の件数をまとめる以上の指示を受けたことが無いという。


さらに、図書室の奥に保管していて誰も利用していないので、年末の大掃除で古いものを廃棄しようとしたら、永久保存書類と注意されたとのこと。


今、これがどのような管理状態か知らないが、転職して、研究報告書と生データの管理について企業で考え方が異なることを知った。


(注)課長にオブジェクト指向について書かれた英語論文の該当箇所を示しながら、始末書の説明をしていたが、かなり無理なこじつけである。しかし、それを熱心に聞いていたので、毎朝異なる英語論文片手に始末書の相談をしている。課長は始末書の内容について具体的に指示してくれないので、当方はオブジェクト指向で始末書のふるまいについて説明していた。そのふるまいの説明が課長の始末書に抱いているイメージと異なると書き直しとなる。書き直すときに、どのようなプロパティーと機能を始末書に持たせたらよいのか質問すると、それを考えるために図書室で調べろと課長は命じるだけである。今思い出すと、アンジャッシュの漫才のように思い出され、滑稽な光景であるが、当時は真剣だった。おそらく、課長は当方の説明を理解などしていなかったのだろうが、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの企画が不思議にもまとまった。そして、それを新入社員テーマとしてまとめたい、という反省文を書いている。なぜ、これが始末書として承認され人事部まで回覧されたのか未だに謎である。

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