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2024.10/17 科学が当たり前の時代

当方が学生時代に流行ったものとして、フォークソングにギターがある。街を歩くと若者の二人に一人がギターを持って歩いていた。当方の10年上の世代はフォークダンスの時代だった。


当方の学生時代にオリンピック競技にもなったブレークダンスが生まれ、サタディーナイトフィーバーが大ヒットした。社交ダンスがちょっとしたブームで、どこかの集会場でダンスパーティーが開かれていた。


オーディオもブームで、DENONやONKYO以外にトリオ、ケンウッド、オーレックス、オットー、ローディー、パナソニック、ビクターなど多数のオーディオ総合メーカーが誕生し、街にはショールームが溢れた。


音が先端技術の具現化された姿として街に溢れ、科学を大衆が意識し始めた時代で、科学論に関する本も溢れていた。皆科学がバラ色の未来を約束するような論調だったが、アメリカでは、雑誌サイエンスに、「サイエンスとトランスサイエンス」が発表され、イムレラカトシュなどにより科学に批判的な、それでいて擁護している難解な論文が出ている。


しかし、日本では以外にも無視された。そしてセレンディピティーという楽観的な言葉だけが輸入され、本来のトランスサイエンスという言葉は黙殺された。


学生時代にパチンコをやりながら今一つそれに没入できなかったのは、日米の科学観の相違であり、日本では、頭の中がお花畑の科学評論家が雨後の竹の子のごとく生まれていることに違和感を感じていた。


その中にはTVアイドルとして活躍したり、男性誌のグラビアにも登場したりした薄っぺらな女性評論家もいた。そして、科学がファッションのようにバブルがはじけるまで普及していった。


消しゴム収集が趣味の女性科学評論家は司会者としても活躍していたが、今はどうしているのか不明である。バブルがはじけて、失われた10年などと言われてもGDPは回復せず、いまやそれが失われた30年といわれている。これを選挙カーから訴えている候補がいたからびっくりした。


もう何が失われたのかも忘れられているが、それでも科学という言葉が未だに魔法の言葉のように使われている。もうあえて科学などという必要はないのではないか。科学は技術を発展させる一つの手法であり、他の手法にも目を向けるべきではないか。


そもそも科学をもう当たり前の時代としなければ、新しいことを生み出せないことに気がつくべきである。来年ゴム協会のシンポジウムに招待講演者として依頼された時に、2時間ならば引き受ける、と回答したら2時間枠を用意してくださった。


気合を入れて科学が常識の時代の技術開発法を講演するので是非聞きに来てください。50年近く前のトランスサイエンスを説明するとともに科学で解けない問題を解く方法について講演します。

カテゴリー : 一般

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