2016.10/19 京大の留年生に対する呼びかけ
京都大学では留年と退学含めて2割程度で、他の大学と同じだそうだ。そして最近留年や退学をしそうな学生に対して大学側が発した優しい呼びかけが話題になっている。そこでは、例によって大学を中退した偉人を引合いに出して留年や退学は人生の失敗ではない、と訴えている。ここまで大学が学生にサービスをする時代であれば、偉人の紹介よりも大学がしたほうがよいことは他にもある。
若いころ、留年や退学は本人の責任と思っていたが、人生の最終段階を迎えてみて、このような個人の努力が100%の失敗でも一概に本人の責任だけではない、と思うようになった。すなわち留年や退学も含め多くの人生の失敗は、本人の責任がもちろん大きいけれど、本人のどうにもならない要素、例えば運のようなものも少しは影響していると感じるようになった。これを悟ると人生の問題を考えるときに、かなりの部分が楽になる。
悟ることができないなら、人生の失敗を体験した時に何人かの友人に相談してみることだ。中には傷口に塩をすり込むような有益なアドバイス(良薬は口に苦し)をしてくれるありがたい友人もいるが、一人ぐらいは毒にも薬にもならない優しいアドバイスをしてくれるはずだ。またそうした優しいアドバイスをしてくれる友人を一人は確保しておくことは重要だ。当方の友人は前者のような厳しい人が多かったので必死で優しい人を求めた。
優しいアドバイスを言ってくれる友人がいつも支えになるとは限らないが、仮に自分の責任が100%であるような失敗であっても、自分の責任を棚上げして考えてみることも時には必要である。都庁のお役人のように毎度責任を棚上げしていても世の中なんとか回っている。回っているだけではない。1000万円を越える年収を無責任人生で手にしている人もいるのだ。ただしそれが都民の税金であることも忘れている図々しい人たちだ。
人生や仕事において自己責任の考え方は重要である。しかし、人生の一大事において自己責任ばかりで考えていると、周囲に迷惑をかけることもある。時には運の存在(注)を認め、気楽に状況を捉える努力も必要だ。留年は社会に出るタイミングが遅れるだけでなく、学費も含めた経済的問題も大きいので、とても気楽になれないかもしれない。しかし、焦っても留年が取り消しになるわけでもない。ならば一年余分に勉強できるチャンスができたと考えられるようにしたい。
優しい友人のアドバイスは、とりあえず冷静に考える機会を与えてくれる。それが役立つかどうかはともかく、責任だけで熱くなって見えないところを優しい一言で気がつくことができる。これが大切である。だから友人に一人ぐらいは優しい人を確保しておくことが大切で、それが恋人や配偶者なら最高である。いつでもチャレンジの勇気がわき出てくるし、苦労も楽に見えてくる。
学生時代に友人が一人もいない状態は、絶対に避けるべきである。もし、今一人もいない状態なら、誰かに声をかけて友人になってもらう努力ぐらいは自分でしなければいけない。社会人になると学生時代よりも友人というものを作りにくくなる。学生時代の友人は案外長くその関係が続く、と言われているし、実際にそう思う。学生時代は勉強よりも友人を作る努力のほうが重要だ。
友人が多くて留年したなら幸せかもしれない。学生時代に地下鉄の駅から大学までの道の途中には雀荘が多く、窓から手を振る友人がいた。おかげでドイツ語の単位を落として慌てたが、その結果大学院受験の時に教授からマンツーマンの指導を受ける機会ができた。世の中塞翁が馬であるが、友人だけは大切にしたい。大学はそのサポートをしなければいけない時代かもしれない。
(注)半導体用高純度SiC新合成法の技術についてその最初の成功は、無機材質研究所の納入されたばかりの電気炉で確認されたことは、以前この欄で紹介した。その時原因不明の電気炉の暴走が起きている。科学的に考えてもありえない出来事で未だに原因不明であるが、その時の温度パターンを実現できるようにパイロットプラントや実際の生産では電気炉が作られている。まさに神の存在をうかがわせる出来事だ。また、日本化学会化学技術賞の審査では、当方が審査員を務めているときに間違った内容で書かれた最初の推薦書がゴム会社から出ている。さらに1年前に決めたサラリーマン最後の日は東日本大震災であり、運というものを考えなければこのような現象を説明できない。よい運悪い運として分けて考えたりするが、人生の分岐点が自分の考えていた方向ではなくなっただけ、というように気楽に考えることが重要である。特に人為的な現象でない時には、深刻に考えないことである。
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