活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2016.11/15 浅田真央GP第4戦フランス杯の結果

 浅田真央選手が「自信を失った」と涙をこぼした。ショートプログラム(SP)で8位と出遅れていた浅田真央選手は、フリーでもジャンプにことごとく精彩を欠き、100・10点(技術点39・64+演技構成点60・46点)、合計161・39点で9位に終わった。
 
この話題について取り上げるかどうか迷ったが、彼女の試合後のインタビュー記事を読み、感動したことを書くことにした。今季彼女が膝を痛めたらしいことは以前ニュースで報じられた。しかし浅田選手の方から詳しい情報が出されていないという。だから今季の試合を見るまで不確実情報だった。
 
しかし、今季の試合結果を見る限り、スポーツ選手としてやや厳しい状況であることは誰の目にも明らかだった。かつて金妍児選手とトップを争った姿がそこに無かったからだ。にもかかわらず、彼女はインタビューで世界選手権に向けてチャレンジするという。先日ヒラリークリントンの敗者の弁に感動した話を書いたが、負けるかもしれないけれど自分の大切にする価値のためにチャレンジする姿勢は人生で大切である。
 
「自分が何によって覚えられたいのか、それを考えて努力せよ」とは故ドラッカーの言葉である。才能あふれる選手生活のまま、そのスポーツ人生を終われる選手もおれば、才能があっても運悪く怪我でそれを活かすことができず終わる選手もいる。選手には悪いが、スポーツの楽しみ方の一つに「運命」という命題がある。
 
スポーツは勝敗のはっきり出るショーであり、勝つために選手が努力する姿は美しい。どれだけ壮絶で過酷な練習をしていようとも、そこには過重労働という言葉は無い。自己実現努力であるからだ。
 
労働者もこのスポーツ選手のような働き方はできないのだろうか。仕事を人生と切り離す考え方では無理だろう。仕事を自己実現の努力の一環とした時にそれはできるのではないか。知識労働者はその能力として身に着けている知識を仕事に適用して成果を出す働き方が原則にあり、自己実現目標として、知識をどのように仕事へ適用するのか、というノウハウを磨き上げる働き方が理想である。
 
32年間のサラリーマン生活では、故ドラッカーのいうところの知識労働者と言う言葉の意味を考えてきた。その結果、専門領域では無くても共通に存在する知識の働かせ方(注1)、すなわち知識を成果に結び付ける方法について書かれた教科書が無いことに気がついた。知識労働者は、仕事を目の前にした時に専門知識が無いことを成果が出せない理由にしてはいけないのである。そして成果を出したからと言って、あるいは会社に十分貢献しても報われないのは、そのような会社(注2)を選んでしまった運命とあきらめなければいけない。
 
専門外で初めての仕事を担当するのは知識労働者にとって無謀なチャレンジとなるが、知識労働者の本質がその知識を仕事に適用する能力であれば、仕事で成果を出すためにトレーニングし仕事に必要な専門外の知識を獲得すればよいだけである。知識が乏しいことを成果が出せない理由にしてはいけない。浅田選手を見習え!
 
(注1)当方は、大学時代有機合成化学を専門知識として学んだが、工学博士の学位論文の中身は半分以上がセラミックスの知識である。そしてサラリーマン最後に担当した仕事は、初めての押出成形や射出成型であり、それぞれで不足する知識をいわゆる「過重労働」と「休日業務」で補い、知識を補強し成果を出すことができた。豊川への単身赴任は知識労働者としての卒業試験のようなものだった。単身赴任先では部下の課長を定年退職で送別する機会があり、その課長からは知識の補強で助けられたのでお礼のため二人で食事をする機会を設けたが、この席での会話は機会があれば紹介したい。彼は専門家として自己実現されてこられた方だった。そして科学に忠実に仕事をされていた。その結果、成果を十分に出せなかった。科学は哲学の一つであり、技術のコミュニケーションでは唯一の共通言語となるが、必ずしも技術開発に不可欠ではない。科学の無い時代でも技術開発が行われていた事実を示す遺構はたくさんある。
(注2)就職氷河期と言われた時代に、それでも求人が来ないと嘆いておられた中小企業主がおられた。優良中小企業である。求人企業率が1以下でも人材集めに苦労している会社があった。就職氷河期は求職者側にも責任があるのではないかと当時感じていた。起業という選択もあった。

カテゴリー : 一般

pagetop