2018.03/14 ドラッカーの遺言(11)
9日、佐川宣寿国税庁長官が辞任した。森友問題に関連した国会対応に丁寧さを欠き審議の混乱を招いた点や、行政文書の管理状況について様々な指摘、さらには今回取りざたされている文書の提出時の担当局長だったことの3つの責任を感じて辞職を申し出たという。
さて、この問題は、森友側へ破格の安値で土地売却を行ったことから始まっている。その後「忖度の連鎖」で、最後はこの改ざんという不正、担当者の自殺まで起きた。
現在のところ、まだわからないことが多いが、ドラッカーの組織論の観点で、これまでニュースで報じられた事実をもとに、財務省という組織を眺めると、腐った組織と言わざるを得ない。
まず、「組織の優劣は、平凡な人間をして非凡なことをなさしめるか否かにある」、とドラッカーは述べている。
しかし、財務省には高偏差値の優秀な人材が集まっているにもかかわらず、森友問題では、「安倍」を「安部」と書類に書いていたりする凡ミスをはじめとして、常識では考えられない業務状況である。
また、「組織の目的は、均衡と調和ではなく、人のエネルギーの解放と動員にある」とドラッカーの著書には書かれているが、エネルギーの解放どころか、「忖度」という束縛が働く内向きの高エネルギー状態で、とても国民のために成果の出る仕事をしているとは思えない。
はたして、財務省は現在のままの組織でよいのだろうか。そのマネジメントも含め、国民は森友問題の推移を見ながら検証しなければいけないと思う。
佐川長官の辞任がやや早すぎるのではないか。もし彼が本当に責任を感じているならば、自らの処遇を国民にゆだねるべきだろう。公務員のリーダーとはそのような覚悟があってこそ高給が保証されているのだ。
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