2014.02/07 佐村河内氏の問題
現代のベートーベンと呼ばれた佐村河内氏にゴーストライターがいた問題は、いかにも現代という時代を象徴した事件である。すなわち分かりやすい付加価値をつけなければ物を高く売れない難しい時代の事件である。音楽などの感性で判断される商品まで音楽本来の価値以外で勝負しようとしてサギに近い形でアーティストを売り出した。いや、耳が聞こえるかもしれないからサギかもしれない、という意見も出てきた。
サギかどうか当方の判断する役目ではないし、佐村河内氏についてはNHKなどで紹介されて名前まで知っていたが、CDまで購入して聞くほどの音楽ではない(自分の好みではない)と評価していたので自分が騙されたわけでもない。現代のベートーベンという彼に与えられた称号も以前から胡散臭いと感じていた。
べートーベン作曲のCDやレコードは、特にクラシックファンではないが10枚以上持っている。寺内タケシ演奏の「運命」までもCDを持っている。音楽については自分が評価しない限り、レコードやCDを購入しない主義だ。高校生の時、お小遣いが月1000円の時代に1枚2000円のLPレコードの価値を考えたら、音楽という商品はそのくらい真剣に評価する対象だった。
1年間に数枚購入できるかどうかの商品で、それがいつの間にか諸物価が上昇し、消耗品の感覚の商品になった(注)が、それでも自分の感性に合わない商品は買わない。寺内タケシの「運命」も「メローフィーリング」というLPが気に入り購入したついでにベートーベンの「運命」が好きで一緒に買った。そしてエレキギター用に編曲された「運命」という曲そのものよりも寺内タケシの演奏テクニックに驚き感動した。
「エレキの神様」どころかあのトレモロ奏法は神業を越えていると感じた。神業を越えた演奏を目で確かめたくてコンサートまででかけた。そして目の前で見えないくらい速い動きの指をみて驚愕した。本当は舞台から遠い席だったので指の動きまで見えなかったのだが凄さは伝わってきた。
佐村河内氏の音楽については、世間で騒がれていてもCDを購入するほどの音楽ではない、と感じていた。高橋大介選手がソチでプログラムの曲として採用すると聞いても「?」という評価だった。マスコミの評価で現代のベートーベンという称号(商号?)を誇大広告とも感じていた。
当方は、科学教育が蔓延した日本で、「本物の技術」の重要性を訴えたい動機もあり、事業を始めた。21世紀は、技術が科学を牽引しなければならない時代になった、と思っている。しかし、科学と技術が混同され、本当の技術が冷遇すらされる体験もしている。またiPS細胞の名前のように科学ですらその名前の付け方に工夫しなければ注目されない時代である。この事件、どのように終息するのか興味深い。
(注)卵のように物価が上昇してもそれに連動してCD1枚の価格は上がっていない。1時間の曲が入ったCDが500円の雑誌の付録についているものすごい時代である。
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