2015.05/17 問題解決(14)
(金曜日からの続き)日産自動車は、海外工場の建設を過剰に進めて経営危機になり外資に買収された。その後新社長になり、経営の効率を最優先にして技術開発を置き去りにした。外に現れる商品開発の流れから内部の技術開発システムがうまく機能していないように見える。少なくともメーカーでありながら魅力的な技術が無くなってしまった(注)。
最近「技術の日産」というコピーも聞かなくなった。電気自動車に注力している、といっても独創の技術が見えてこない。燃料電池を用いる水素自動車ではトヨタとホンダが先鞭をつけた。本来ならば日産自動車が最初に商品化すべき車ではなかったのか。それもスカイラインで。今やスカイラインは心臓部を輸入品でお茶を濁す本当に箱だけの箱スカになってしまった。
製造業が農業のように廃れ、労働集約的なサービス産業へ人材が流れてゆくのは、ドラッカーも自然の流れとして指摘しているが、製造業が無くなるわけではないのである。日本の農業が絶えることのない品種の改良の努力で生き残ってきたように、製造業が生き残るためには、やはり市場でイノベーションを引き起こす新技術の開発努力が必要である。
新技術の開発といっても、1970年代の研究所ブームのように一社ですべてをまかなう基礎研究所を建設する時代ではなくなった。外部に依存できる技術は、積極的に外部から導入し、効率を上げる時代である。連携と補完は製造業のマネジメントで重要なキーワードの一つである。トヨタもスバルやマツダと積極的に提携を行い商品開発の効率を上げている。
しかしトヨタと日産を比較すると、その昔+100ccの魅力でカローラが登場したときよりも大きな差が生まれている。当時から80点主義と言われ続けているが、HV自動車や水素自動車にその技術開発の成果が見られるように、トップの自動車会社として生き残るためのマネジメントが機能している。日産は将来マツダやスバルに負けてしまいそうな雰囲気でもある。すでにホンダの後塵に甘んじる企業になりつつある。
かつて選択と集中が叫ばれたが、選択と集中は、意志決定により選択が行われ、それが全体システムの集中という行動となって現れる表現である。選択がシステムの効率化だけならば、教科書通りに行えばよいので誰でも意志決定できるのである。
システムに付加価値をつけられる社長が本当に優れた社長である。社長の給与が自動車業界で一番高い会社が、何も付加価値を社会に生み出していないのは恥ずかしい。挽回するためにヒューマンプロセスが必要で、それが無ければ独自性を作り出すこともイノベーションも起こせない。
ペンタックスは、ホヤに買収された後リコーに切り売りされるような運命になっても、K3-Ⅱに搭載された高精細化技術のような昔ながらの独創を発揮している。技術者の思いが商品に宿っているようだ。企業の技術陣は、社会にその貢献が見えるように活動しなければ技術のブランドを残すことができない。いつまでペンタックスやスカイラインのブランドが残っていくのか注目したい。
フィルムカメラではペンタックスを使い、デジカメではニコンのD2Hを購入度、D3へとニコンに切り替えようとしたが、独創のペンタックスの商品につられ、今ではニコンとペンタックスを使っている始末である。お客様に商品を買わせる技術開発が重要である。ベンツ社のエンジンのスカイラインなど誰も買わないのではないか。いつの間にかスカイラインよりもマークXのほうが売り上げが多くなっている。
(注)1990年頃の日産には、二段階の基礎研究所があったようだ。電気粘性流体の開発を担当していたときに、基礎研究所の最も基礎を研究する部署と共同開発を行っていた。おそらく今はそのような部署はなくなっているだろう。バブルがはじけた後、外人社長によって進められた壮絶なリストラで、多くの優秀な技術者を日産は失った。リストラをやり過ぎて、あとから退職した社員に戻ってこい、という案内を出したほどである。友人の技術者からその話を聞いた。昔のような基礎研究所の時代ではなくなったが、メーカーのコアコンピタンスとなる技術のマネジメントについてどのように行うのか難しい時代ではある。技術者が考え、貢献と自己実現の目的で提案をしなければいけない。
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