2015.06/05 私のドラッカー(4)
ゴム会社の創業者のご子息は、経営を使用人のリーダーに任せた。新入社員の研修で会社の歴史とともに、企業が公器であること、そして創業家もそのような意志決定をしたことを学んだ。すばらしい会社を選択し入社できた、と誇りに思った。そのとき、会社に選んでいただいたことを忘れていた。
これは自分のサラリーマン生活で大きな間違いだった、と気がついたが、遅かった。高純度SiCの事業を立ち上げ、慢心していたことは周囲からみて明らかだったのだろう。被害者ではあったが、仕事を妨害した加害者の気持ちを考えた。
いろいろな思いが去来したが、誠実に自己責任の原則に則り、転職する道を選んだ。バブルがはじけた後、就職氷河期が長く続いたので、今、会社でばりばり仕事をしている30歳前後のサラリーマンは、「会社に選んでいただいた感」を忘れていないと思うが、その気持ちは大切だと思うので持ち続けてもらいたい。
当方の時も二回のオイルショックがあり、一応就職難だったが、それでも就職率は100%に近かった。日本の経済状態が良かったという過去の経緯もあり、当時の学生には「就職してやる」的傲慢な考え方があったように思う。知識労働者は組織が無ければ成果を出せないことが分かっていても、社会的風潮は今と異なっていた。
就職難は学生にとって不幸な状態かもしれないけれど、知識労働者というものを理解するには良い時代だと思う。自分の希望した職種に就職できなければ自分で起業してもよいと思っている。むしろ今の日本はそうすべき時代かもしれない。既存の組織はそこに必要な人材以外は不要なのである。しかし、一方で今の社会は新しい組織を求めている。そして若い知識労働者が新たな組織を立ち上げ日本を活性化してゆく体制が、政府の補助金などで整いつつある。
組織からはじき出されたときに否定的な考えになる必要はなく(注)、起業も含め新しい組織へチャレンジできる時代であるし、組織というものをそのようにとらえるのが健全な考え方である。騒動が起きたときに、転職を引き留めてくださった方が多く感謝しているが、住友金属工業とのJVが立ち上がって顧客も明確になり、後はマネジメントさえ誤らなければ成果がでる状態になっていた。
高純度SiCのニーズが市場に無ければ、テーマはつぶれていて、騒動の加害者の感情を損ねること無く転職するような事態にはならなかった。しかし、高純度SiCの市場が立ち上がり細々と続けてきた開発を重点的に進めた結果、仕事の妨害は起きてしまったのである。
ここで6年間の苦労を成果として結実できるかどうかは、問題を素早く収集してせっかく出口が見えたチャンスをつぶさないことである。皮肉にも問題解決の答えに転職以外見いだすことができなかった。しかし、この時の意志決定は間違っていなかったのだろう。高純度SiCの事業は30年後の今もゴム会社で続いている。
「断絶の時代」(1968)P.F.ドラッカー(上田惇生訳)より
「企業といえども従業員のために存在するのではない。成果は組織の外にあり、従業員の同意、納得、態度に影響されるだけである。」
(注)勝ち組、負け組などと言う言葉があったが、健全な組織に勝ちも負けも無い。騒動の被害者になったときに、つくずくそう思った。健全な組織では、所属メンバーに必ず役割があるはずで、それは勝ち負けから来るものではない。勝ち負けが組織の価値になったとき、問題が起きる。さらに数年後世間を騒がす騒動が起きたが、残念なことである。今は入社時の風土に戻った、と聞いた。12年間貢献できたことを誇りに思える会社である。
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