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2021.12/25 ジャズ演奏

昨日音楽の形式知を学んだ体験の話を書いたが、実際のジャズ演奏と知の関係について少し独断と偏見でJoe  Passの「枯葉」の演奏事例を基に解説してみる。


「枯葉」はジャズのスタンダード曲なのでご存知の方も多いと思う。このギターソロ、Joe Passによる演奏が感動的である。どのジャズ奏者による「枯葉」よりも派手に枯葉が舞い散るので当方は好きだ。


この曲を多くの演奏者はB♭maj.で演奏しているが、彼はGmaj.で演奏する。これはギターソロなのでキーの制約が無かったため変更できたのだろう。さらに、ギター演奏の場合、その楽器構造から移調や転調が容易である(注)。


おもしろいのはキーをGmaj.とすることでやや明るい枯葉のムードになり、しっとり感は少なくなるが、冬に向かう覚悟そしてそこから生まれる緊張感が伝わる「枯葉」となっている。終盤では早引きのアルべジオにより、どの演奏者の枯葉よりも多くの葉っぱが舞い散る。


キーの変更と演奏テクニックだけでも従来聞いたことのない新鮮な枯葉に聞こえるのだが、コードの展開の仕方が音楽理論に従う部分より独創的部分が多いゆえにこの演奏を高度なレベルのオリジナル作品(二次創作)に押し上げている。


例えば、出だしにおいてリハーモニゼーションを理論から外したコード展開とし、聴衆に新鮮な印象を与えている。リハーモニゼーションのテクニック(形式知)については教科書その他を参考にしていただきたいが、「ジョー・パス ギター教本」には、経験知と暗黙知を引き出す種明かしが載っている。


すなわち一般の音楽理論と異なる独自の世界観を伝える練習法がその著書に書かれていたのだ。そこには英文の説明は無く、ただひたすら5線符に書かれたメロディーを運指練習せよとある。すなわち運指練習をしながら独自のリハーモニゼーションテクニックを含めたコードの響きを学ばせる工夫がなされている。


要するにその練習は、彼の経験知と暗黙知を伝える役割を担っている。その他、彼のギターソロによる「枯葉」は、メロディーラインこそ「枯葉」であるが、全く異なるオリジナル曲として楽しむことができる。


すなわち、音楽にも科学同様の形式知が存在するが、実際の演奏では、形式知だけでなく経験知や暗黙知が展開されて独創性が発揮されるとともに音の響きに新しさ、さらには「音使い」にイノベーションを起こしている。


これを芸術の世界の話、と狭い視野でとらえられてしまうと現在の連載の意味がうまく伝わらない。技術にも少なからずこのような側面があるので、弊社では形式知だけでなく当方の経験知と暗黙知の伝承に努力している。


これまで日本では仕事が少なかったので中国ナノポリスに招聘されたチャンスを活用し、当方の考え方をいろいろ試してみたが、当方の経験知や暗黙知は好感を持って受け入れられ、新技術によるコンパウンド工場を3つ建てることができた。どこかの笑い話ではないが、日本では「皆がやってます」と言わないと採用されないジレンマがある。


(注)クラシックギターでは、ハーモニーに対する考え方がジャズギターと少し異なり、拷問と思える指使いも必要になる。カルカッシの教則本では、そのための練習が多いが、ジャズギターでは分散和音を弾くときに合理的な指使いを行っている。また、クラシックギターの名曲「禁じられた遊び」では、標準的な運指方法が教則本に掲載され、多くのプロ演奏者も同じように演奏しているが、ジャズギターのソロの場合には自由度が大きい。

ところで「禁じられた遊び」には、学生時代と窓際になった時と2回挑戦している。窓際になった時にギブソンES335を購入した動機の一つに、松岡良治の手工ギターよりも弾きやすいネックの太さと弦のスケールがあった。エレキギターは数cmほど弦の長さが短いので押さえるポジション間隔がわずかに短くなる。

早期退職後断捨離のためES335を16万円で売り払ったが、コロナ禍における友人の決意を聞いて購入した7万円のアイバニーズのギターは、ES335よりも弾きやすい指板形状だった。ES335は価格が高いにも関わらず、個体間の品質ばらつきが大きい。ローズウッドの指板はエボニーで作られたそれよりもメンテが容易であるが、当方の購入したES335のそれは木目の粗さが気になった。ところが安いアイバニーズブランドのギター指板は同様のローズウッド指板であるにもかかわらず、緻密な杢目で高級感を放っていた。また胴のメイプル材も安価なギターの方が、いわゆる「トラメ」がきれいであり、2台並べるとどちらが高級なのかわからない。ストラティバリウスは同じものを作ることができないので高価になっているが、エレキギターは後発メーカーほど改良してよいものを出してくる。ピックアップもES335のそれよりもSN比が高くきれいな音質である。ES335はその独特の音色が存在するが、そこに価値を見出せる人は良いかもしれないが、ブランド名を聞かずその音を聞くと安っぽい。エフェクターが必要になる。

さて、昨年の夏改めて「禁じられた遊び」に挑戦し、ようやく村治佳織の演奏に合わせて弾けるようになった。苦節40年、良い道具を手に入れて努力は報われた。

カテゴリー : 一般

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2021.12/24 創造に科学は必要か(2)

バッハは平均律を発明している。ちょうど科学が誕生する直前である。ドレミファソラシドから和音が創られる過程において周波数解析を利用できる環境ではなかった。しかし、美しいハーモニーの曲がその時に創造されている。


今では、音楽理論が体系化され、周波数解析や心理学などが動員されて、気持ちよい音楽を科学的に創造することができるようになった。例えばコンピュータで作曲されたα波を出す曲集というCDも販売されている。


ただしそれを聞いても本当にα波は出ているのか不明だが、何故か味気ない。お気に入りの渡辺貞夫のCDをかけた方が気持ちよく仕事に集中できるし、リー・リトナーのスリリングな響きはCD一枚聞けば心地よい疲労感からよく眠れる。


また、MIDIが発明されてW95が登場しデスクトップミュージック(DTM)なるジャンルが生まれ、多くの人に作曲の機会が普及しているが、それでもヒット曲のすべてがDTMの成果となるような時代になっていない。


コロナ禍となり、仕事が減ったので音楽理論を真剣に勉強してみた。それで作曲ができるようになっても、作ってみた曲がヒットするとは思えない。すなわち、音楽理論を用いて、体裁の整った曲を作ることはできるが、その結果生まれた曲は、どこかで聞いたような曲である。


形式知を活用して、とりあえず何か作り出すことができても、形式知に従い出来上がった創造物は当たり前のつまらないものになるのかもしれない。また、創造物とは呼べないような作品になる可能性がある。ひどい場合には明らかな盗作を作り出す恐れがある。


最近購入したジャズの教則本には形式知に基づく説明が詳細に記述されている。そこには、これにとらわれる必要は無い、という著者の注釈がよく出てくる。例えばテンションという技法があるが、ルールにとらわれず自分で良い響きと思ったらそれを使え、と書いてある。


すなわち、形式知に従って演奏していてもつまらない、と行間に書かれているようなものだ。音楽と技術は異なる、と言われると当方の1年以上の努力が無駄だったような気分になる。当方が音楽理論に取り組んだ背景は、経験知や暗黙知が乏しい分野における形式知による創造とは何かを考えてみたかったのである。


ちなみに、当方は自信をもって音楽の才は無い、と胸を張れる。その実力レベルを理解しているので、国内のカラオケにおいて人前で歌った経験は無い。このように音楽の才能が無くても、形式知を身につければ、とりあえず作曲ができるようになる。


本に書かれているコード進行のルールに従いコードを配置し、リズムに合わせておたまじゃくしを並べてゆくと一応それなりの曲ができる。ゆえにそのためのプログラムが搭載されたコンピュータによる自動作曲が可能となっているわけだが、出来上がった曲のどこかで聞いたような味気無さをどうしたらよいのか。


この経験から、形式知があれば、とりあえずやりたいことを実現できる便利な知であることを理解できた。ただし、形式知から生み出された曲は、どこかで聞いたような不満が残る。

カテゴリー : 一般 電気/電子材料 高分子

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2021.12/23 創造に科学は必要か(1)

新技術を生み出したり、イノベーションを引き起こしたりするのに科学が必須と誤解している人が多い。これは産業革命が科学の成立とともに引き起こされたイノベーションとして理解されているために生じている誤解である。


産業革命における科学の役割は大きかったが、それゆえイノベーションが科学の進歩だけで引き起こされる、という考え方では、今日起きているイノベーションに追従さえできない(バブル崩壊後30年日本のGDPが上がらない原因かもしれない)。


ここで、今起きているイノベーションとは、「第三の波」(アルビントフラーが名付けた情報革命)で始まったデジタルトランスフォーメーション(DX)で進行しているイノベーションである。


このイノベーションの30年の過程を振り返っていただきたい。従来の科学の方法とは異なる方法により、新しい技術が生み出されている。しかし、その方法の正体について日本では誰も声高に言わない。言わないのではなく、言えないのかもしれない。


科学の方法以外を信じることができない技術者が日本では多い。このような技術者にはアジャイル開発など理解ができない許しがたい方法となる。実際にそのような見識の人物に、アジャイル開発により新素材を生み出した時、当方はFDを壊されるなど嫌がらせを受けている。


新しいことを生み出すために科学の方法が唯一の方法であるのか今一度考えなおしていただきたい。演繹論理により仮説を設定し、それを証明するために実験を行い、帰納法的に仕事を進める。このような手法で完璧さを求めた場合に、仮説を否定する実験結果が得られた時に否定証明となるイムレラカトシュが指摘した問題に気がついていない。


また、科学の進歩は、古い技術開発手法に影響を与え、心ある技術者はその手法を改良してきた。タグチメソッドはその一つの成果である。ただしタグチメソッドでは基本機能について技術者の責任としている。すなわち新しい基本機能を見つけ出すのは技術者の責任なのだ。


新しい基本機能を見つけ出すために科学の成果を活用できるが、知識労働者が多くなった現代では誰でもそれを行うので世の中に科学的に当たり前の製品が溢れてくる。しかし、今求められているのは新たな科学を生み出す新技術である。


(注)30年前に実用化された電気粘性流体の開発過程では、当時科学的に未知の現象を引き起こした3種の粒子がその開発を促進している。また劣化問題では、今話題となっているデータサイエンスを応用した手法で発見された界面科学の未知の領域で技術が誕生している。また、高純度SiCの製造技術では、高分子科学で否定される現象を活用したセラミックス前駆体が使われている。この開発にはラテン方格を用いた試行錯誤法が寄与しているが、これもデータサイエンスと呼べる方法である。データサイエンスというと科学的に聞こえるが大量のデータから新機能を見出す、ある意味「なんちゃって」技術である。今これを科学的に研究しようという学部の新設ラッシュである。当方はマイコンの登場した時代に計算機科学の未来を信じ、いわゆるデータサイエンスの手法を科学的手法と併用して材料開発を進めてきた。来年それらを事例として用いたセミナーを企画しています。

カテゴリー : 一般 連載 電気/電子材料 高分子

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2021.12/22 日本の没落を忘れるな

バブル崩壊後30年ほどたち、最近日本の没落を伝える記事が多い。かつてJAPAN as No.1と言われた日本の国際的地位がバブル崩壊後下がり続けている。


また、この20年日本を代表する大企業の内紛や不祥事が多く伝えられただけでなく、倒産や分社化で騒がれたかつての大企業も存在する。


経営の問題だけでなく、半導体事業のように技術とは何かを忘れ、あっと言う間に没落した産業も存在する。かつて半導体事業に関わっていたサラリーマン経営者が、今、国が数兆円の規模の投資をすれば復活できる、と語っている記事を読んだが、当方は思わず笑ってしまった。


従来のやり方をそのままに復活しようと考えていることが間違いであることに気がついていない。1970年代に日本は空前の研究所ブームだった。そしてその研究所から成果の出た企業も幾つかあったようだ。


ゴム会社も研究所の開発成果で合成ゴム会社を設立して、その成功体験を足場に研究所はますますアカデミックな姿へ変貌した。困った経営陣はそのような研究所とは異なる研究所、タイヤ基礎研究所を設立し、従来からの研究所をそのまま放置した。


その結果、この昔からの研究所はますますアカデミックな傾向を強くし、事業から離れていった。そんな時に入社した当方は、そこへ配属されて高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVとして立ち上げたのだが、アカデミックな研究所の組織でその開発業務を継続することは地獄と同じだった。


さらに事業が立ち上がるとFDを壊されるなど実害が目立ち始めたので、もう誰に任せても事業が続くと判断し写真会社へ転職しているが、科学こそ事業成功のための重要な哲学と今でも信じている人は多い。


しかし、人間の世とは、科学とは異なる次元の技術で進歩している分野もあるのだ(注1)。例えばDXで起きているイノベーションでは、科学の進歩に忖度せず新たな技術を生み出している(注2)。


科学は、形式知として技術の伝承に重要であるが、新しいモノを生み出すためには時間がかかる哲学であることに気がつくべきである。それに対して、技術とはヒューリスティックな解でもあみだくじでもなんでも許容し進歩し続ける人間の営みである。


科学では、研究目標に対して管理を行うことにより効率を上げられる側面を持ち、科学的に当たり前の開発目標に対してある程度のスピードアップを見込めるが、技術では、とりあえず目標を作り上げるアジャイル開発により未知の科学を取り込んだ開発が可能である。


来年、科学と技術について、データサイエンスを題材にしたセミナーを予定している。ご興味のある方は問い合わせていただきたい。


(注1)哲学者イムレラカトシュは、その著「科学の方法」において、科学で完璧に証明できるのは否定証明だけと述べている。すなわち科学に忠実になればなるほど新しいモノを生み出せないというようなパラドックスが存在する。

(注2)これを科学の進歩があるので可能なのだ、という古い価値観の人がいる。技術が技術基盤の上に構築されていくことをご存知ない。これは、わずかな形式知の中で、バッハ以来連綿と進歩した音楽を考えていただくとよいかもしれない。黒人がブルースを生みだし、その上に白人がロックとジャズを発展させ、その後クロスオーバーが生まれた流れを思い出してほしい。今起きているDXは技術のクロスオーバーを引き起こしているようなものだ。科学は重要であるが、重要であることとそれが技術開発において最優先されるべきかは異なる考え方である。科学的でなくてもそれが再現よく機能すれば受け入れる柔軟さが求められている。新たな技術が生まれてから科学でそれを証明するという出来事を人類の歴史で見ることができる。

 

カテゴリー : 一般

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2021.12/21 マテリアルインフォマティクス

1980年代に日本で始まったセラミックスフィーバーは瞬く間に世界に広がり、驚いたクリントン政権はナノテクノロジーを国策に打ち出した。さらにバイオテクノロジーまでも始めている。


これが、ポリ乳酸などのバイオポリマーが普及し始めたきっかけだが、普及まで20年以上かかっている。すなわち材料技術が社会に普及し一般化するためには、長時間かかる。


80年代に起きたセラミックスフィーバーは2度目のフィーバーであり、この二十年前にはペロブスカイトを中心にしたプチセラミックスフィーバーが起きている。当方が小学生の頃だったので村田製作所の名前を基に記憶している。


今世間では表題の怪しげなブームが起きている。また、大学ではデータサイエンスに関わる学部の新設ラッシュらしい。すなわちマテリアルインフォマティクスとは世間にあふれている大量のデータについてAIを使ったデータマイニングにより新しい現象なり機能なりを探ろうというものだ。


これは科学と言うよりも技術である。当方はAIを使用していないが、データマイニングにより電気粘性流体の実用化を成功させ、その結果担当者からFDを壊されるなどの嫌がらせを受けて転職している。


電気粘性流体について科学的な情報が無く、研究開発競争が行われていたところで、データマイニングでモノを作り上げてしまったのである。真面目にコツコツ数年間アカデミア以上の研究所で研究をしてきた連中が腹を立てたのは理解できる。


このデータマイニングと言う手法は、早い話が、たくさんデータを出してからそれらのデータを俯瞰して考えましょう、というような手法と捉えることもできる。もっと下賤な言い方をすれば、とりあえず実験をやってみてから考えましょう、という体育会系のノリである。


もともと体を動かしたくない頭でっかちな研究者は、仮説を立案し、その仮説が正しいか必要最小限の実験をコツコツ行いながら考えてモノを開発しようとする。この科学の方法を完璧に行うと否定証明を行うことになる危険性を哲学者イムレラカトシュは指摘している。


実際に電気粘性流体を数年研究開発してきたスタッフは否定証明でモノができないことを証明していた。当方はそれを一晩300個ほどの実験を体力に任せ行い多変量解析してモノを作り上げただけである。30年前の出来事だ。


当方は自分の手を動かしてデータを集めたが、今のマテリアルインフォマティクスは頭を動かしているだけらしい。それも自分の頭を動かし過ぎると疲れるのでAIに大半を任せて椅子に座って研究している。


これで良い研究成果が出たならやはり立腹する人が世間に出てくるだろう。しかし、当方は拍手を送りたい。なぜなら、材料開発について温故知新をAIにやらせ、もう人間は体力勝負の新素材開発業務から解放されるからである。


当方の材料開発成果はすべて過重労働の成果である。今の時代、過重労働を隠蔽化していると社会問題となる。昔は、何もかも隠蔽化されても許された時代のように感じている。ゆえに転職以外に身を守る手段が無かった。


肉体派のデータサイエンスには暗い思い出しかないが、それでもこの手法を30数年のサラリーマン時代使い続けてきたのは、コンピューターの進歩に未来を感じていたからである。


高純度SiC製造プロセス開発は、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂をひたすら朝から晩まで混合し続けた成果であるが、この時はラテン方格を用いて効率をあげている。


成功すると信じることができたのは体力に自信があったからである。わずかな知力と鍛えられた体力でマテリアルインフォマティクスを推進すると必ず成果が出る、と確信している。


新素材開発は、やってみなければわからない世界である。これを科学的に行うと否定証明を行うような愚行となる場合もある。だからマテリアルインフォマティクスが重要となってくる。


ただし、それは新しい視点により集められたデータに対して使われた時に新しい材料の未来が見えてくる。過去のデータを使うならば温故知新である。この時不易流行の精神を理解できる経験知が重要となってくる。

 

カテゴリー : 一般 高分子

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2021.12/20 学ぶ

50年前を思い出すと勉強のスタイルが大きく変ったことに気がつく。当時は受験に必要な知識を何も考えず頭に押し込んでいた。当方だけでなく大学受験を目指した同年代の若者はみな受験勉強をそのようにしていた。


今は、少なくとも形式知についてさえも懐疑的になっている。特に経験知と大きく異なる形式知については注意深く取り組む。そして経験知の違いに関する問題について考える。


さらに、学び方が体系を中心にしていることに気がついた。音楽を真剣に勉強しているが、学校で習った体系と異なり面白い。面白いが、年齢が障害となり進歩は遅い。受験勉強では面白いかどうか感じることもなく頭に詰め込んだが、今は詰め込もうとするとどこからかこぼれだす。


そして翌朝には詰めたものが無くなっていることに気がつく。しかし、興味深いのはフレームワークは残っているのだ。体系を意識して学んでいるからだ。


このようなスタイルで半導体無端ベルトの担当をしたときに混練技術について勉強した。1冊8-10万円した書籍を数冊買い込んで読んでみてびっくりした。ゴム会社で学んだ体系と全く異なるのだ。


分配混合と分散混合が混練の体系となっているのが現在の形式知のようだ。しかし、この形式知では混練プロセスが高分子の変性プロセスであるという側面が見えてこない。少なくとも材料のプロセシングに関する形式知は、それにより材料がどのように変性されるのかが重要なはずだ。


数十万円かけて書籍を買い込んだが無駄になった。そこでゴム会社で学んだ混練技術について自分で学びなおした。その結果をゴムタイムズ社から「高分子の混練り活用ハンドブック」として発表している。


弊社へご注文いただけば、送料と消費税をサービスします。お問い合わせください。

カテゴリー : 一般

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2021.12/19 理想的な就活

学歴フィルターの話題が目につくが、就活生は冷静に考えていただきたい。就活の基本は、自分を採用してくれる企業に就職するのが理想と考えている。学歴フィルターをかけていて自分が採用されないと予想できたならエントリーシートを出さないことである。


日本には新卒募集を出していなくても新卒を求めている企業が存在する。中小企業の中には新卒募集を出していても志願者がいないため募集をやめている企業もあり、このような企業も含めれば新卒者は全員就職できるはずだ。


新卒を募集していなくても転職者を募集している企業をネットで見つけることが可能であり、当方がもし新卒者であればそのような企業の門戸を叩いてみる努力をする。


あるいは何か事業アイデアがあれば、それで事業を始めるのも理想的な就活の一つである。今の時代、楽な就職先など無い、と考えておいた方がよい。


ネットには学歴フィルターをかけている企業への批判がいろいろ書かれているが、批判する必要はなく、そのような企業に希望を出さなければよいのだ。エントリーシートがはじかれて時間の無駄を憤っている就活生の声があるが、それを見抜けない愚かさに気がついていない。


就活は、自分を採用してくれそうな会社を探す活動が基本であることを理解してほしい。無駄なチャレンジはしないことだ。入社したいと思って入社してもとんでもない会社だった、という例は多い。


当方はその風土を気に入り、大学で学んだ専門外のゴム会社に入社したが、会社全体の風土とはまったく異なる風土の研究所に配属され、FDを壊されるなどの嫌がらせを受けて、ヘッドハンティングの会社の紹介で転職している。


セラミックスがキャリアとなっていたのに高分子技術の部門へ乞われて転職したにもかかわらず、バブルがはじけて転職した部門が無くなった。サラリーマン人生でも平坦ではないのだ。


しかし、ゴム会社の研究所のような嫌がらせを受けることはなかった。窓際となっても一部屋頂けたので、窓際に座らず部屋の真ん中に座っていたら、豊川へ単身赴任できた。


そうした経験をすると行きたい会社よりも、自分を採用してくれる会社の方が少しは良いことに気がつく。エントリーシートを受け付けてくれる会社を見極める目は、社会人になっても役に立つ。就職では、雇用する側も良い人材を採りたいと必死なのだ。

カテゴリー : 未分類

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2021.12/18 セルジオ越後氏の発言

サッカーには野球ほどの関心は無いが、ここのところセルジオ越後氏の発言でネットがくすぶっている。大きな炎上にはなっていないが、年寄りの関わる問題だから若い人は特に関心が薄いのだろう。


セルジオ越後氏も十分なお歳だ。さて、問題となっているのは横浜FCが50歳を過ぎた三浦知良選手をクラブ選手として雇っていることについて、「貢献しない選手は首にしないと」といった発言をしていること。


そのほかに、いろいろとセルジオ氏の発言には問題があったようだが、本欄では「貢献しない選手は首にしないと」といった発言について述べてみたい。


おそらく、この発言だけを切り取ったならば、プロの世界では当たり前の発言になるだろう。20代の選手が主力のスポーツにおいて50を過ぎた選手が大きな貢献をできるとは思えない。


ただし、横浜FCは貢献を認めているので彼を雇っているのだ。おそらくセルジオ氏はサッカーのプレーだけを貢献と思っているらしいが、サッカーに無関心な当方さえその名前を知っている三浦選手と契約しているのは十分な貢献だと思う。


例えば、当方は横浜FCと名古屋グランパス以外のサッカーチームを知らない。横浜FCについては三浦選手が所属しているチームという情報だけしか知らない。これだけでもものすごい貢献ではないだろうか。


三浦選手の契約金がいくらなのか知らないが、三浦選手は雇ってくれるところがあれば金額を問わないと発言しているので高くはないだろう。広告塔と考えたならば彼を雇用する価値は十分にあると思う。


さて、日本は高齢の労働者を雇用するのが下手である。亡父は、一人で歩ける間は郵便局でボランティアをしていた。垂れ幕書きがその仕事だったが、交通費程度の収入でも生きがいの一つとしてその仕事を引き受けていた。


三浦選手もプロ選手としてプレーすることが大きな生きがいなのだろうと思うし、その気持ちは彼よりも高齢であるという理由で当方はよく理解できる。


セルジオ氏は彼が最近シュートを決めていないだけでなく試合にも出ていない点をあげ、首にすべきだ、と述べているが、当方は、コロナ禍となる前まで中国ナノポリスで現役技術者として何本もシュートを決めている。


コロナ禍となって中国に行けなくなり、引き受けたペルチェ素子を応用した空調服ではシュートを打ったにもかかわらず、コロナ倒産ではないが依頼してきた会社の経営状態が悪くなり、シュートが無駄になった状態だ。


この空調服の仕事では、コンサル料はお客様のご希望金額で引き受けており赤字である。ゆえにせっかく技術が出来上がった空調服について事業を展開される方を募集している。詳細は問い合わせていただきたい。.


ペルチェ素子を用いた空調服は、世界で初めての実用化となる。それはペルチェ素子だけでは冷却効果が得られず、もう一つ技術が必要だったからだ。この技術は科学的に見出される技術ではない。


しかし、製品として出来上がった空調服について冷却機構を科学的に説明することが可能である。やってみなければ生まれない技術があり、その技術が生まれて初めて新たな科学が誕生するような仕事のやり方を若いころから続けている。


例えば、フェノール樹脂とポリエチルシリケートから高純度SiCを製造する技術は、高分子からセラミックスを製造する技術として世界初の実用化であり、日本化学会科学技術賞を受賞している。その他に、ガラスを生成してポリマーを難燃化する技術、転職の原因になった電気粘性流体実用化のための粒子設計はじめいくつかの技術などは当時科学では導き出せないアイデアだった。また写真会社退職直前のカオス混合装置に至っては創ってみて初めてそれがカオス混合装置として適した構造だということがわかった、ある意味不思議な発明である。その他に大小の成果があるが、やってみなければわからないことは多い。科学の推論だけがアイデアを出す唯一の方法ではないのだ。弊社はそのアイデアを出す方法もセミナーとして開催している。科学ではないアイデアを出す方法は、怪しい方法ではなくiPS細胞の発明でも使われている。iPS細胞の発明もやってみなければわからない、あるいはできなかった発明であることがあまり知られていない。そろそろなんでも科学の成果と信じる過ちから目覚めていただきたい。

 

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2021.12/17 ニューイヤー駅伝優勝旗紛失

富士通が優勝旗を返還準備中に紛失していたことに気がついたという。これは「常識的な感覚から」全く信じられない出来事だ。優勝杯は残っているという。これも不思議なことだ。優勝旗と優勝杯を別々に保管していたことに驚いた(適当に扱っていた状況証拠でもある。普通の企業は名誉として皆の目のつくところに飾るので紛失や盗難にはすぐに気がつく。)。


ニュース記事を読むと廃棄した可能性もあるという。スポーツにおける優勝者の自覚と責任を発揮できないこのようなチームはニューイヤー駅伝から排除すべきだろう(厳しい表現だが、このような事件に対して社会全体が甘くなっている。実際には排除などできないので、富士通の責任者が誠実な対応として来年の出場を辞退するとか、今後の出場そのものをやめるとか言うべきだろう。)。


2m近くある棒に大きな旗がついた荷姿である。どこに置いてあっても目立つはずで、紛失の経緯を詳細に発表とあるが、どう説明しても誠実さの見えない出来事である。


記事にはさらに言い訳がいろいろ書いてあったが、このような事態は言い訳ですむ話ではない。優勝旗には初回からの歴代優勝企業の歴史が刻まれていた。


なぜこのような事件を本欄で取り上げたのか。それは現在問題になっている日大理事長の事件と共通する部分があるからだ。どちらも当事者の社会における役割とそこから生じる責任、義務を忘れてしまっているところに驚くのだ。


世の中には、なんでも謝罪で問題がかたずくと考えている組織人がいる。そのような人は組織の謝罪だけではかたずかない問題について配慮しない。優勝旗にただならぬ思いを寄せている個人もいるはずである(一方で、当方が憤りを感じ、本来ここで論じるような問題ではないので複雑ではあるが)。


今日のスポーツにおいて優勝者は優勝者の自覚を持つ暗黙の義務が大衆から求められている。少なくともスポーツにおける優勝者は戦いを盛り上げてくれた敗者に対して尊敬の気持ちを忘れてはいけない(そのような勝者を見たときにスポーツの感動を覚える。強者が率先して弱者を支える社会は、一つの理想の社会でもある。逆に強者がその力を自分のためにだけ発揮している社会はどのような社会であるかは説明の必要が無いだろう。そのために法律など明文化された規則が存在するが、暗黙の義務を強者が遂行できなかった時に社会は不安になる。優勝旗の紛失は単なるうっかり事件ではない。)。優勝旗にもそのような気持ちを持って管理してほしかった。


(注)本事件で心を痛めている人がいるはずであるが、ニュース記事の扱いでさえそのような人の存在が忘れられている。すなわちニュースの取り上げ方も問題なので本欄で事件の意味を書いている。例えば大会を主催する日本実業団陸上競技連合は紛失してもまた作り直すだけで特にペナルティーを与えない、という甘い回答を伝えていたニュースもある。当方は駅伝の選手でもなく、ニューイヤー駅伝とは無関係であるが、会社に飾られた優勝旗を見た経験があり、それを思い出しながら選手の気持ちを考えてみた。決して作り直せば済む話ではない(しかし、この事件の場合どのように問題を解決するのだろう。優勝旗はお飾りだからどうでもよい、という気持ちがニュースの報じ方から伝わってくるが、ニューイヤー駅伝はその程度の大会なのか。一年のスタートとしてそれにふさわしい大会と信じていたが関係者の発言や姿勢から、どうでもよいいい加減な大会であることを知った。過去に在職した会社も最近は頑張っていないようなのでそういう大会に変化したのかもしれない。新年の楽しみが一つ減った。観戦者の連れていた犬が飛び出して選手がこけそうになった事件があったが、それを負けた原因にしなかった素晴らしい企業のドラマが過去にあったが優勝旗を紛失しても役員が謝罪すればそれで済むという程度の大会に変わったとしたならば、残念である。大会の意味を社会に伝えるために、ここは富士通が自主的に参加を辞退すべきところかもしれない。そのくらいの大会と信じてきたが、またそのくらいの厳しさを発揮できる役員ならば半導体事業の復活も期待できるが期待しても無駄なのかもしれない。しかし、新年ぐらい引き締まった番組を見たいので富士通の今後の姿勢に期待したい。)。


(補足)ドラッカーは企業の盛衰に関わる因子の一つとして、誠実さと真摯さという抽象的な因子をあげていた。この事件は、まさに企業全体がその欠如を表現しているような出来事である。最近半導体事業の盛衰が話題になっているが、東芝の凋落を引き合いに出すまでもなく、経営陣の誠実さと真摯さの問題について取り上げなければいけないように感じている。ニューイヤー駅伝の優勝について経営陣が選手たちをねぎらい、会社としてその成果を誠実真摯にたたえていたならば、起きなかった事件でもある。GDPが上がらない原因がこのようなところにも表れているかもしれないと思い、本欄で取り上げた理由である。

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2021.12/16 環境問題と高分子材料

英国グラスゴーで10月31日に始まった国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)が11月23日に終了した。今から2030年までの10年間の取り組みが重要と言う意味で「決定的な10年間」、その最初のCOPということで大変注目された。


ところで、 2016年に開かれた通称「ダボス会議」(世界経済フォーラム年次総会)では,「2050年には海の中のプラスチックの重量が魚の重量を越える」という衝撃の予測が提示され,プラスチックスとゴムの廃材で起きている環境問題が世界中でクローズアップされた。


最近では,3RにRefuseを加えた4Rが合言葉となった脱プラスチック運動が世界で起きている。国連が示したSDGsでも廃棄物の発生防止と削減が重点となっており,特に高分子材料についてこれまでの環境対策の見直しが急務である。


明日12月17日金曜日技術情報協会で開催されるWEBセミナーでは,これまでの環境問題の変遷についてわかりやすく解説するとともに,今求められている環境対応技術について,高分子材料に焦点を当てて解説する。


脱プラスチックスが世界の合言葉として叫ばれているが,この潮流の中でどのように環境問題解決に貢献し持続的な企業活動を実現したらよいのか事例とともに提案する。詳細は弊社へお問い合わせください。弊社へお申し込み頂けば割引もございます。

カテゴリー : 学会講習会情報

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