一人平均100ページ前後を1日で理解するために、統計パッケージのどれを使ったらよいのかがわかる程度をゴールとした。一人が「群盲像をなでる」とため息をついた。
そこで「象だとわかっているので、担当分が鼻なのか口なのかけつの穴なのかわかる程度で良いから簡単だ」といったところ、M君が、「そうだ。プログラムがあるから入力の仕方と出てきた答えの解釈の仕方だけ分かればよい」とすでに皆その程度は気づいており、空気を読まない当たり前の不用意な発言をした。
「ならば、M、一人でやれ」と一声でてお決まりの険悪な空気が流れた。日本語の本を読んだ後に分厚い英語のマニュアルとの戦いが、まだ残っているのである。皆グループ研修をまとめられないのでは、と内心心配になってきた。
空気が悪い方向に流れ出したので、指導社員が「できるところまででいい」と新入社員を気遣って言われた。この言葉には、指導社員の本音が現れていたため空気の流れを止めるまでの効果は出たが、ほとんどのメンバーからやる気が抜けた。
指導社員には人海戦術で集められたデータだけが必要で、これらのデータのまとめには興味が無かった。なぜなら軽量化された時の到達重量の予測には、あえてデータを解析しなくとも、経験知から、最も軽いタイヤを参考に改良をすすめて少し軽くなったタイヤの値をその答えとしてもよい。
リバースエンジニアリングを行うだけならば、時間をかけて大量のデータを経験知で解析し、軽量化に必要な知を拾い集めるだけで十分である。実際に指導社員はその作業を行っており、新しい軽量化タイヤの試作依頼まですんでいたことを新入社員に説明していた。
そのような背景があったので、新入社員の険悪な空気の前に、彼は「できるところまででいい」と言うのが精いっぱいだった。新入社員のマネージメントで難しい点は、やる気に火がついたときにその制御が難しくなるところである。
今回は、M君の提案で全員のやる気に一度は火がついたのだが、登ろうとした山が高すぎてどうしようもないと見えてきたところで、登らなくてもよい、というようなものである。それならば努力など必要もない、と考えるのは多くの現代子の思考回路である。
新入社員同士で既にグループ研修の情報交換はできていた。どこの部署も人海戦術が必要なテーマを用意しており、体力勝負のテーマばかりだった。例えば一人3社を担当したタイヤの解剖解析では、指導社員から指導されたようにタイヤを解剖し、細部の構造の指定された寸法や重量、比重などを測るだけの作業だった。
収拾された大量のデータを前に、国内トップクラスの大学で新設されたばかりの情報工学部出身のM君が、データ処理に関して彼のすべての形式知を動員して蘊蓄を語ったことが、多変量解析でデータ処理を行い指導社員の経験知と比較しようという意気込みを生み出した。
タイヤの構造データと言っても、材料に関わる基礎情報である。材料に関わる基礎情報と構造データその他を組み合わせて多変量解析を行い新たなタイヤ軽量化のための知識を取り出す手法は、データ加工にAIこそ使っていないが、マテリアル・インフォマティクスそのものである。
M君の形式知にはこの言葉こそ出てこなかったが、大量のデータがあれば、それを処理することで新たな知を獲得できるという蘊蓄は、メンバーの知に対する欲求を刺激した。ただ、その処理の仕方に関してはそれなりのスキルが求められた。そのスキルを泥縄で獲得しようとしているのだ。
「明日までに、多変量解析のそれぞれの手法がどのような問題解決を目指しているのかだけでもまとめよう」と提案し、その日は、定時よりも早く帰宅し、それぞれが多変量解析について担当分のスキルをまとめる作業をすることになった。
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M君の提案でデータのまとめは多変量解析を使うことになり、指導社員がIBM3033を使用できるように調整してくれたのだが、マニュアルが英語だっただけでなく、多変量解析と言っても10種以上のプログラムが用意されており、どれを使うのかが大問題となった。
さらに、マニュアルは電話帳3冊ほどあった。グループメンバーはそれをM君の前に並べたところ、M君は「これ皆で分担して読もう。皆もちろん入社時の英語試験よくできていたからできるよね。」と言い出したので蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「どのプログラムを使うかだけでもMが選べ」と一言飛び出したのが引き金となり、「そうだ、そうだ」の大合唱。ところがM君の様子がおかしい。完全にフリーズしていたのだ。M君も授業で概略を習っただけなのでどれを使ったらよいのか選ぶレベルまでのスキルが無かった。
泥縄状態で暗礁に乗りかけたのだが、新宿紀伊国屋書店に電話をかけて多変量解析の書籍を尋ねたところ、日本語の専門書が何冊かあるとのことがわかり、当方はすぐに新宿まで出かけてポケットマネーで買ってきた。初任給が10万円の時代に、上下巻2冊12,000円の本だった。
専門書としては高額なレベルだった。ちなみに当時技術情報協会はじめ調査セミナー会社が販売していた企業向けの専門誌は2-3万円だったことから、多変量解析という専門分野の位置づけを想像していただきたい。
余談だが当方の昨年上梓した混練ハンドブック4500円は、その内容から大変コストパフォーマンスが高い本である。おまけに可能な限り数式を排除したので、40年近く前12000円した多変量解析の本よりも読みやすい。
また、データ駆動の材料開発手法の事例も載せている。マテリアルインフォマティクスに挑戦しようと思われている方には是非読んでいただきたい本で、弊社に申し込み頂ければ、送料サービスその他の特典がございます。お問い合わせください。
この日本語の本を人数分揃えようと思ったが取り寄せに1か月かかるというので1冊コピーし、それを皆で分担して読み、翌日にそれぞれが理解したことを発表することにした。
日本語ではあったが、大量のワラビや軍配が書かれており、さらに行列式まで出てくるので1日で理解できるかどうか不明だったが、一人が「1年かけても無理だ」と言った一言がきっかけで、「1日でわかるところまででよい」と決めて作業に取り掛かった。
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AIやビッグデータを活用し、データマイニングする手法により材料研究を行うことがブームになっている。昨年高分子学会誌でも特集があり、そこで物理学の先生が「データ科学には物理学が無い」と言われて嘆いた話が書かれていた。
その通りなので、嘆く必要は無いのである。当方にしてみればこのようなデータ科学的手法を用いた材料研究を行うことが新しい、と考えておられる先生が遅れていると思う。企業ではすでにそのような取り組みが40年以上前から行われてきた。
当方も新入社員グループ研修でタイヤの軽量化テーマを担当したときに、市販されていた他社のタイヤの解剖を行って集められたデータを用いてマテリアル・インフォマティクスにより、当時の技術を集積して最も軽量化されたタイヤを製造したならば、それはどのような重量となるか、求めている。
この時用いたのは、IBM3033という大型コンピューターで、そのコンピューターに用意されていた統計パッケージの中の多変量解析を使用している。
当時多変量解析は普及が始まったデータ科学の手法であるが、誰も大学で学んでいなかった。ひどいのは指導社員も多変量解析のことはご存じなく、大量のデータから単相関グラフを大量に書いて、それらを見較べて結論を出そうと考えていた。
ただ集められたデータ群の複雑さから、単相関のグラフを書く前に軸をどのように選ぶのかが議論となった。その時統計学を専攻してきたM君が、このような場合には多変量解析というのが使えるよ、と軽く発言した。但し、その後この発言で彼は袋叩きにあいそうになった。
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金属材料からセラミックス、高分子までうまく複合材料の配合設計ができれば靭性を改善できることが技術的に理解されている。ここで科学的に、と書いていないのは、靭性というファクターが科学的に完全な理解がされていないからである。
それではいい加減なことを本欄は書いているのか、と言われそうだが、まじめに書いているから技術的にと表現し、わざわざ靭性は科学的なパラメーターとして認められていない、と断っている。
科学的に証明が難しい理由として、同じ配合でも靭性が大きく異なる材料ができる場合があるからだ。このような現象について科学的に証明しようとするとすぐに否定証明に走る研究者が多い。例えば「ゴムからの抽出物で電気粘性流体の増粘する現象を界面活性剤で解決できない」などという科学的真理を導いてしまう。
この問題の場合に完璧に解決することは難しくても、界面活性剤の添加により実用レベルで使用可能にできる。すると問題解決方法は、「増粘の程度を最小限にできる界面活性剤」の探索となる。これが正しい問題となる。
実は靭性の問題にしろ、人生の問題にしろ、正しい問題を見出して解決する習慣を身につけておかないと、否定的に物事を考える習慣が身についてしまう。研究開発の下手な人は皆この習慣を身に着けており、何かアイデアを語ると、すぐにそれを否定する事例を持ち出す。このような人たちの心の靭性は、恐らく脆いと思っている。
心の靭性を高めるためにまず大切なことは、現象を見るときに否定的に見ないことである。たとえ多くの他人が否定しても、どこか肯定的にみられる「何か」を見出すことはできる。どう見ても肯定的に見られないなら、それは全くダメなことが最初からわかる簡単な現象と捉えることができる。
全くダメと納得できたなら、諦めればよいだけである。また、全くダメなものを何とかしようとしても良くはならない。今回の都議選では、都民ファーストの会がボロ負けし自民党が大勝する、と1か月以上前の予想では言われた。
この4年間の小池都政やコロナの状況をみれば、このような予想は当方でも立てることは可能だ。すると突然小池知事は過労で入院、と言い出した。
そして自民党幹部A氏は、「最初からダメと分かっている組織を作ったのは小池さんでしょう。国とのパイプがないから全部自分でやらなければならない。だから疲れたのは自業自得」と余計なことをいったものだから、世論は都民ファーストへ応援するように動いた。
投票率が低かったので共産党や公明党に有利に働き、公明党も議席を減らす予想が出ていたにもかかわらず、現状維持、共産党と共闘した立憲民主が少し伸びたが、今回の投票率ならばもう少し善戦できたはずだ。
政治評論をするつもりはないのでこれ以上書かないが、結果は議席を減らしてはいるが都民ファーストの会は善戦し、自民党とほぼ同数の勢力となった。小池チュルドレンと呼ばれる人で無所属当選した議員を加えると自民党を越える。逆に1か月以上前は大勝すると言われていた自民党の今回の当選者数に、おそらくA氏は危機感をもっているだろう。
選挙で何もしなかった小池都知事の圧勝である。小池都知事の心の靭性は極めてタフであり、おそらく乙女心のように壊れることはないのかもしれない。ただ、何もしない、という決断には勇気がいる。心の靭性を高めるには、いつでも物事を良い方向へ導けるよう決断できる勇気を養うことが大切である。
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繊維補強により靭性が向上し、同時に繊維の高い弾性率の効果が生かされるので、うまく設計できれば複合材料は高強度材料となり、構造部材に最適である。
写真会社で超迅速現像処理を可能とする高靭性ゼラチンバインダーを開発している。今はほとんど目にすることのない銀塩写真フィルムでは現像処理が必要で、これを短時間で行うためには、高速搬送と急速乾燥プロセスに耐えうるゼラチンでなければならい。
こんにゃくゼリーを喉に詰まらせる老人が問題となり、こんにゃくゼリーが割れにくいと思われているが、これは多糖類と水との複合材料で高靭性の材料である。写真用ゼラチンは、動物の骨に含まれるコラーゲンから抽出されたアミノ酸の直鎖状ポリマーで疎水部分もあり、そのゲルは脆い。すなわち、靭性が低い。
このゼラチンの脆さを改善するためにラテックスを添加してゲル化させる技術が開発された。しかし、ラテックスを添加するとゲルが柔らかくなり、傷がつきやすくなるので、これを硬くするためにシリカゾルを併用する技術が古くから使われていた。
ところが、ゼラチンへシリカゾルを添加した時に、その一部の凝集体ができることが避けられない(シリカゾル表面の界面二重層が不安定となる)。この結果生成した凝集体が破壊の起点となって靭性を低下させる。ゆえにせっかくラテックスを添加し靭性を向上させても、硬度を上げるために添加したシリカゾルの影響で思うように靭性を上げることができず、割れにくく傷がつきにくいゼラチンバインダーを製造するために現場のノウハウが大きく影響した。
そこで、シリカゾルの超微粒子をコアにしてラテックスを重合するコアシェルラテックス技術が開発され、この技術のおかげで、従来よりも脆くなく傷がつきにくいゼラチンバインダーを開発できた。
しかし、この新技術で開発されたゼラチンバインダーの力学物性を計測してみると、靭性は上がったが、硬度は添加されたシリカゾルの量に相当する値がえられていない。
そこで、シリカゾルをミセルとして用いたラテックス重合技術を開発して、それをゼラチンに添加したところ、このゼラチンよりもさらに硬く脆くないゼラチン薄膜を開発できた。その結果、コアシェルラテックスを添加したゼラチンバインダーを用いた写真フィルムよりも現像処理時間を短くすることが可能となった。
このゼラチン薄膜の話は、以前この欄で紹介しているが、超微粒子との複合化で高分子の靭性が改善された事例である。このゼラチン薄膜について電子顕微鏡でシリカゾルの凝集体を探しても、それが全く含まれていない驚くべき結果だった。
また、この結果と過去の技術によるゼラチンとの比較を行い、どの程度の凝集粒子がゼラチンの靭性を低下させているのかも明らかとなった。なお、この技術は写真学会ゼラチン賞を受賞している。
シリカゾルをミセルに用いたラテックス重合技術は世界初であり、商品化されて5年後にゾルをミセルにするアイデアの論文が科学雑誌に紹介されるような先端技術であったにもかかわらず、高分子学会技術賞に落選している。
この時審査員としておられたアカデミアの先生は新しい技術ではない、と否定されていたが、とんでもないことである。発言の重みを考えていただきたい。面白いのは学会賞の審査基準を読むと選考において間違いがあっても間違いではないという言い訳が書いてある。
アカデミアの先生は何が真実であるかを正しく見極めるの仕事だ、と昨日書いた背景でもある。STAP細胞の騒動で一流大学の学位審査の状況が明るみに出たが、大学はまず知の砦である信用を社会から取り戻さなければいけない。
大学の批判は、当方の学会賞や学位の事例以外に子供が人質になる可能性があり、なかなか社会が声を上げられないが、現在のアカデミアの状況は学術会議も含め社会感覚からのずれが大きいことを指摘しておく。
工業製品で欠陥品を社会に送り出すと品質問題として社会から批判を浴びる。未熟な科学者を博士として社会へ送りだしても品質問題として取り上げない状況に胡坐を書いてはいけない。
博士課程まで出ると就職口が少なくなると言われるが、この原因が品質問題であることに気がつかれていない。これはそれを指摘することがタブー視されているからだ。
修士卒、学部卒、高専卒、高卒、中卒と学歴があり、初年度の給与は、この順に低くなるが、5年以上勤務すると民間会社ではすでに給与における学歴差が小さいか無くなっている。ちなみに亡父は明治生まれの小卒だが仏壇には内閣府から頂いた、当方がどれだけ今後努力しても届かない位記が備えられている。
高卒で10年企業で実務を経験した人材と博士卒と比較した時に、どちらが企業で歓迎されるかは、あえて書かないが、これは社会と大学の齟齬ではない。情報化社会ではどこでも誰でも知を入手できる時代である。すなわち、企業における形式知と経験知の蓄積の結果である。この問題に関心のあるかたはお問い合わせください。
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日本化学会会報「科学と工業」7月号に表題の記事があった。まず結論から書くが、記事に書かれたいくつかの齟齬との指摘について、それらは齟齬ではない。科学と技術の本質から由来するものなので、その宿命をアカデミアの方たちは悟るべきである。
当方はゴム会社の新入社員時代にアカデミアよりもアカデミックな研究所に配属されて、科学の研究と技術開発の両方(注)を一人努力し成果を出すことを求められた。挙句の果ては同僚から会議の前日にFDを壊されるようないじめをされた。そして組織がそれを隠蔽化したので、大変悩んだ。
悩んだあげく、死を選択するのではなく、高純度SiC半導体治工具事業を住友金属工業とのJVとして立ち上げたにもかかわらず転職している。ここに至った原因は組織との齟齬などという範疇ではなく、犯人の言葉から伺われたのだが、技術に対する嫉妬の類と理解している。
それをその組織は認めたのである(研究が趣味のI本部長へ交代してからFD事件は起きている)。ゆえに組織の嫉妬として小生は捉えた。ただし、「ファインセラミックス、メカトロニクス、電池を3本の柱とする」という社長方針が出ており、この方針に基づき、当方は業務を実行していただけである。
ちなみにその会社には社内に2つの風土が存在した。研究所はアカデミックな風土であり、研究所以外では、他の企業で職人と呼ばれかねない技術者が活き活きと仕事をしているような風土である。
当方は研究所に配属されたので、例えば新入社員時代からホスファゼン変性ポリウレタン発泡体について英語の論文を書かされたり、高分子学会「崩壊と安定化研究会」で発表させられたり、高純度SiCの業務では、日本化学会の年会発表をせかされたり、と科学の研究者として育成していただいた。
他方で企業内の研究所として当然な技術のアウトプットが求められた。ゆえに技術開発と科学の研究の両者をおこなわなければいけない過重労働で業務をこなしていた。そして住友金属工業との半導体治工具事業のJVを立ち上げたその時、技術開発が行われていなかった電気粘性流体のお手伝いを言われ引き受けて推進していた最中に起きた業務妨害である。
過去にアカデミアと呼べる組織で起きたSTAP細胞騒動では著名な研究者が自死を選んでいる。この業務妨害された体験から、当方は少なからず彼の気持ちを理解できる。科学者と技術者の違いはあれど、組織の中で一人針のむしろに座らされて卵をぶつけられたなら、さらに人間の尊厳まで否定された時、どのような気持ちになるのか、彼の一部公開された遺書から想像していただきたい。
STAP細胞の騒動は自死した研究者一人だけの責任ではない。それに関わった組織の責任であって、一人の研究者が自死でそれを償うように追い込むのは間違った考え方である。彼はSTAP現象の存在を世界に発信した立役者であり、それを組織は認めている。組織が認めた仕事は、組織で責任を負うのが原則であり、それを特定個人に異常な負荷をかけ追い込むのは間違ったマネジメントである。
一つは技術の世界の事件であり、片や科学の世界の事件である。共通しているのは組織目標を取り違えている点である。企業では、技術成果を出すことが目標であり、アカデミアでは一朝一夕に見いだせない真理を見出すのが目標である。企業の研究所でJVを立ち上げても、一晩で電気粘性流体を実用化できる技術を創り出してもおかしくないのだ。アカデミアで、せっかちな目標追求は適さない。
まず、研究開発を社会の中で担う組織では正しく活動しているかどうかを反省する必要がある。当方のFDを壊した犯人も含め「研究者」と呼ばれる人には、組織活動を正しく理解せず活動しているケースがある、という内側の問題が解決されなくてはならない。社会との齟齬を言う前に、正しい目標を理解し実行しているかどうか自問自答したい。
当たり前のことを書くが、科学とは真理を追究する哲学であって、知の砦であるある大学は、まずこれを真摯に追及する活動をするのが基本である。一方で技術とは、日々の営みの中で人間の生活をより豊かにするために生み出されるべきオブジェクトである。特殊な企業を除き、技術を目標に企業では研究を進めなければいけない。
換言すれば科学者とは真理の追究者であって、技術者とはそのオブジェクトの具現化に努力する人である。技術者は科学の成果を鎧として身に着けることにより、あるいは武器としてそれを活用することにより、成果を出すスピードを加速度的に上げることができる。
科学の誕生により産業革命が起きて、今日までその技術革新が驚異的なスピードで進んだのは、科学の成果が技術者にうまく活用されたからだ。この時、技術者の中には科学者を兼務できる人間が現れて、科学者になった人もいたが、仮に科学者を兼務できても技術者として活動している人がいた。
後者は現代の技術者であり、現代は科学者を兼務できないならば、科学誕生以前の技術者と同じ力量を持って活動していても企業の中で職人として扱われる時代である。昔ながらの優秀な技術者であっても科学者を兼務できないとみなされたならば、企業内で科学も技術も理解できていない人間に職人として乱暴に利用される社会である。
ゆえに企業では、科学を身に着けている証として技術者といえども学会活動が求められ、学位を取得することが望ましいとされる。それをしていなければ職人として扱われるからである。企業から学会参加者が減り続けている状況は、企業内の職人が増えていることを表している。企業では、技術者が減少しても職人がいればモノができるので困らないのだ。いざとなればアカデミアに頼ればよいと安直に考えている。
企業における技術者の処遇はこのようであるが、アカデミアの科学者の中に技術者を兼務しようと努力をされている方はどれだけいるだろうか。無知な企業の中には、技術アイデアを知の代わりとしてもとめてアカデミアの門を叩く場合がある。追及された真理をそこに提示しても、アカデミアの門を叩く企業の職人には意味不明のこととなる。これは齟齬ではなく、科学と技術に対する相互理解の無さゆえである。
当方は、旧7帝大の某先生に学位を授与するから、と言われて、高純度SiC開発の傍ら超高温熱天秤を自作しそれを研究に用いてまとめた反応速度論データをお渡ししたところ勝手にそれを論文として出されてしまった(真理を吸い上げることをアカデミアは得意とする事例である。)。それだけではない。奨学金を支払えという。すでにゴム会社から当方のために奨学金が支払われていても、である。ゆえにその大学の学位審査を辞退している。
この一部の事実は、他大学で取得した当方の学位論文を見ていただければご理解いただける。ただしこの事例をもって、アカデミアはだめだ、と言っているのではない。このようなことを平気で行う姿勢をアカデミアとしてどのように考えておられるのか、当方はまだこの答えを勝手に論文を書いた先生からさえも聞いたことが無い。その後、その先生と学会でお会いした時の態度から想像すると、おそらくそれらの行為を当然のことと思っているように受け取れた。
他の奇妙な事例として、STAP細胞の騒動があり、その時一度学位を授与された博士が事件後学位を剥奪されている。社会に明らかになったこの経緯は極めて奇妙であり、その大学は未だに両者が納得する見解を公表していない。
少なくとも大学は真理を追究することが使命としてあり、社会は今でもそのような組織体として大学を見ている。ただし、その真理がどのような形で技術になるのかを社会に示す責任が現代のすべての研究者には求められている。一方で企業の技術者は、大学で見出された真理を活用して現象から新しい機能を取り出し、オブジェクトとして完成させる責任がある。
もし、大学の研究者がこのそれぞれの使命に気づかず、職人に話をしたり、科学も技術も理解していないような実務家に話をしていても通じないが、これは齟齬ではない。
学会誌に書かれていたような事例は、科学と技術の無理解による当然の結果と当方は思っている。これを是正するためには、科学者と技術者とがうまく連携するのか、あるいは科学者が自ら技術者となるのか、それぞれがさらなる努力をしなければいけない。技術者教育が必要であれば弊社にご相談ください。
(注)12年間のゴム会社研究所における技術成果として、1.樹脂補強ゴム(エンジンマウント用防振ゴムに採用された)、2.ホスファゼン変性ポリウレタンフォーム研究(J.Mater.Sci.,24,2761(1969),特開昭57-133111)、3.燃焼時にガラスを生成し高分子を難燃化する技術(電気製品用難燃性ポリウレタンフォーム、特開昭58-136615)、4.M社向けフェノール樹脂発泡体天井材パネル、5.高純度SiC合成技術(無機材史研究所で出願した基本特許はじめ多数)、6.高純度SiCを用いた半導体治工具(住友金属工業との共同出願特許多数)、7.電気粘性流体技術(耐久性向上技術や傾斜機能粉体合成技術、微粒子分散型微粒子、コンデンサー分散型微粒子等に関する多数の特許出願)、8.電子機器に用いるホスファゼン難燃剤技術(ホスファゼン難燃製油として複数出願)、その他、C-SiC無機繊維の開発、繊維補強アルミニウム、高靭性SiCチップ(切削工具)など。高純度SiC合成技術は、住友金属工業とJV(途中でゴム会社へ移管)として立ち上げた半導体治工具事業としてスタートしてから30年近くゴム会社で事業が行われ、その後当方の故郷にあるセラミックス会社へ移管された、思い出深い仕事である。科学の成果としては、前駆体法による高純度SiC合成法の反応速度論的解析を中心にした学位論文で工学博士の学位を取得している。
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コロナ後遺症に関して研究が進んでいないらしい。もっとも流行し始めてまだ2年経っていないのでしかたがないだろう。コロナ患者が日本で初めて見つかった時に、「単なる風邪だ、正しく恐れましょう」などと言っていた医者がいた。
TVによく出ていたあの人である。名前を出すと問題になるので、1年前までTVによく出ていたのに、最近見かけなくなったあの医者、としておく。実はこの手のいい加減な医者は彼以外にも多くいて、それが政府の中枢で1年以上頑張っていた可能性がある。
少なくとも最近の政府の対応を見ていると、1年前と異なる。2019年末中国ですでに単なる風邪ではないウィルスが流行り始めたらしい、といううわさが流れていた。なのに1年ほどして患者や症例も多くなっているのに、単なる風邪説をTVで言っていた医者は、免許を停止すべきだ。専門家として罪は大きいと思う。
さて、本日最新ニュースで、子供のコロナ患者の後遺症についてアメリカで問題になっているとの記事が出ていた。日本ではまだこのようなことは騒がれていないが、読んでみると、日本の医者たちの慎重さあるいは鈍感さ、どちらか知らないが見えてくる。
日本の大半の医者は慎重さからまだ調査中である、と信じたいが、記事を読む限り、警鐘だけは鳴らすべきである。感染時に無症状であっても感染履歴があると、1年以上たってからコロナ感染時と同様の症状が出てきて、長期続く子供がいるという。
これは、患者が子供なのでわかりにくいのかもしれないが、大人の患者の後遺症と子供の患者の後遺症が異なる可能性が出てくることぐらい、当方でも想像できる。だいたいワクチン接種の副反応が、老人と若者で異なるのである。
ある医者が、今回のワクチンについて、ウィルスに遺伝子情報を書き換えられるのを座して待つのか、ワクチンでウィルスにかからないように遺伝子情報を書き換えるのか、という選択である、と説明していたが、大変わかりやすい説明である。
少なくとも今わかっているワクチンの副反応とワクチンの効果とを比較すると、これを打たない選択はありえないのである。病気その他の事情で打てない人は仕方が無いが、打てる人はウィルスに遺伝子を書き換えられる前に打つべきである。
日本化学会の会報「化学と工業」7月号には、「新型コロナウィルスの分子構造とその変異」が記事として扱われていた。連日報じられているウィルスの活動を見ていると完全に精密に制御された化学反応そのものである。
ウィルスに人間と同じような意思があるのではない。とんでもない化学物質なのだ。ウィルスに感染して後遺症が長く続く人が現れても仕方がない。今回のウィルスは単なる風邪ではないのだ。
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複合材料について、1980年代のセラミックスフィーバーの時に研究が進んだ。理由は、金属の繊維補強材料として、セラミックス繊維が多数開発されたからだ。当方も傾斜組成のC-SiC繊維で補強されたアルミニウムを瞬間芸で開発している。
この時に形式知として繊維補強により靭性が向上することが明らかになった。その形式知は繊維補強セラミックスとして応用され、さらに繊維だけでなく、超微粒子でも靭性の向上する事例が見つかっている。
部分安定化ジルコニアは、結晶転移により破壊エネルギーを緩和させて靭性を向上させているが、学生の時に面白い授業を聞いたおかげで、この部分安定化ジルコニアの靭性向上メカニズムを早くから知っていた。
その授業では、部分安定化ジルコニアで製造された湯呑茶碗を床に落としても割れないことを実演していた。ところが、当方が受講した年に教授が10数年間の授業と同じように湯呑茶碗を床に落としたところ粉々に割れたのだ。
教授の説明では長年落とし続けて、結晶がすべて転移したために、割れたとのこと。部分安定化ジルコニアではこのようにすべての結晶が転移してしまうと靭性は低下する。
複合材料による靭性向上手段も同様の現象を示す可能性があるが、微小亀裂を修復するアイデアも出てきているので、部分安定化ジルコニアよりも信頼性が高く、メンテナンスを行えば高靭性を保てる高強度材料ができると思う。
例えば自己修復ポリマーが研究されているが、この分野へ応用すると面白い成果が出ると期待している。例えば炭素繊維複合樹脂では、低融点樹脂を分散したマトリックスの複合材料とすることで、亀裂が入った時に外からコてをあてて修復する発明が開示されている。
これも自己修復と呼べるが、学会で報告されている自己修復性は、分子の一次構造が修復するポリマーで、より微細な構造の修復も可能と思われる。
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弾性率と靭性の関係について、昨日経験知を説明したが、硬くて靭性も大きな材料が欲しければ複合材料で創り出す以外に手段はない。以前硬くて振動吸収の良い材料を創り出すために樹脂補強ゴムが考え出された話をこの欄に書いた。
このような材料は、物性が二律背反の材料であり、科学的に考えるのは難しい。経験知に基づく技術で初めて創り出せる。技術で作り出された二律背反材料について科学的に解析し、新しい形式知を見出すことは容易だが、科学で不明確なものを創り出すには、人間の創造力に頼る以外に方法はない。
創造性は誰にも備わっているはずだが、自己啓発でもしなければ衰えてしまう。但しどのような分野で創造性が発揮されるかどうかは、日々の営みの中でその人間の能力がどのように発揮されているかによるのだろう。
絵を描くことを強く希望せず、日々の営みの中で仕方なく絵を書いていても創造性は発揮されない。これが才能によるのかどうかという議論があるが、脳みその重量にそれほど差はないので、やはり自己実現意欲の強い方向に才能は磨かれると思う。
絵を描くことは難しいが、カメラを被写体に向けてシャッターを押すことは誰でもできる。写真の良いところは、経験知がうまくまとめられており、カメラの性能が著しく人間の能力を超えてしまったので、ニコンカメラを使って経験知に従えば誰でも創造性豊かな写真を撮ることができる。
ただし、その写真が万人に支持される創造性の賜物かどうかは、フォトコンテストで確認してみなければわからないが、自己満足できる、そこそこの写真が撮れるのが最先端のデジカメである。
当方は、ペンタックスカメラで幾つかフォトコンテストで入賞している。世界的な大会では一等をとり、それを最後にフォトコンテストを卒業した。当方はニコンとペンタックスを使い続けてきたが、なぜかニコンカメラでの入賞は1度だけで、それもキャノンが後援だったフォトコンテストの二位である。このコンテストでペンタックスを使っていたら何位だったのだろうか。
おそらくペンタックスカメラには写真を撮る意欲を掻き立てる無形の性能があるのではないか、と思っている。ただ、ピント性能などはニコン製のカメラより劣る。ピント性能は、雑誌のテスト結果を見ても未だにニコンの最先端デジカメがトップである。
それでもペンタックスファンがペンタックスを使い続ける理由は、写真を撮る文化を追求し続けている姿勢をカメラから感じるからだろう。ただ、ニコンカメラが高いから、と言う理由ではないことをペンタックスからニコンに乗り換えようとして、結局両方を使うことになった経験から理解している。ペンタックスでしか撮れない写真が確かにある。
ところで、この年齢でギターを弾き始めたが、写真撮影のようにうまくならない。しかし、才能が無いとは思っていない。才能に責任転嫁するのは神様に責任を押し付けるようなもので、自己責任が叫ばれている現代の視点では加齢に見合う努力をしていないことが原因と考えなければいけない。ただし、加齢に見合う努力をしたときに寿命を縮めるのではないかという恐怖もある。
ギターの腕は上がらないが、新しいメロディーを創造することはできる。カラオケでは常に新しいメロディーを創造しているのだが、これはただ音程を外しているだけではないかと言われてしまう。しかし、正しくチューニングされたギターから新しいメロディーが出てくれば、音程が外れた、と指摘されないだろう。
リズムとコードの組み合わせについてはほぼ無限である。聞きなれたメロディーでもリズムを少し変えてやると異なる雰囲気となる。練習をしながら新しい発見があると上達速度が遅くても飽きない。粘り強く、まさに靭性豊かな練習である。
ただ、これもリズムを外した結果の発見、と考えると少し情けなくなる。積極的に新しいリズムを作りながら(弾きやすいテンポで練習しているだけだが)練習していると考えると、意欲は上がる。レゲエだってそのように生まれたのかもしれない。
研究開発で隘路に陥った時にどれだけ気持ちを強く持てるか、と言われたりするが、心の強さを上げるのに意思の力を上げることは難しいが、粘りっ気あるいはテキトー、柔軟さを持たせることは心の視点を変えるだけで良い。心の靭性は材料の靭性を上げるよりも容易である。今日からでも失敗しない技術開発を実践できるノウハウを書いてみた。
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金属材料からセラミックス、ゴム、樹脂などすべての材料を扱った経験から、もし材料を高分子からダイヤモンドまで一つの平面で並べるとしたならばどのような象限で材料をまとめればよいのか、という問いに対して、硬さあるいは弾性率を縦軸にして、横軸に靭性値としたグラフを書けばよいと思っている。
この点が既に怪しいのだ。縦軸に弾性率をとってみても、横軸は形式知ではない靭性値を当てはめようとしている。アカデミアの先生は絶対にこのような見方をしないが、実務家はこのような材料の見方をしている。
モノリシックな材料は、この象限では反比例のグラフのように並ぶ。すなわち、単結晶では弾性率が決まると靭性値が固有の値となる、という怪しいことを述べている。感覚的にはご理解いただけるかもしれない。
すなわち材料物性を改良しようとしたときに、例えば硬くてあるいは弾性率が高くても割れない材料を創りたかったら、複合材料しかないのである。
昔、芯が炭素で表面に近くなるとSiCになっている、傾斜組成の複合炭素繊維を開発している。これは傾斜材料であるが、この長所は炭素と反応しやすい金属の繊維補強材料として使える点である。例えばアルミニウムを炭素繊維で補強し複合材料を製造しても、界面にアルミと炭素の脆い化合物ができて十分な補強効果が得られない。
しかし、この繊維を用いると界面は、アルミと炭化ケイ素との複合材料となり、界面の靭性が上がり補強効果が出る。実際に炭素繊維補強アルミとの比較を行ってみると、引張強度に差が出る。C-SiC繊維で補強したアルミニウムは弾性率が高くなっても割れにくいので、とんでもない引張強度を示すようになる。
この結果は当時東京工業試験所の先生とデータを採取したが、学会発表はしていない。コスト計算をしたときに現実味がないのでボツとなったテーマ企画である。とにかくモノ持ってこい、と指導されていたので、とにかく傾斜組成のC-SiC繊維を瞬間芸で開発し、東京工業試験所でアルミニウムとの複合化を行い、物性試験を行っている。
ゴム会社のU本部長は今でいうところのアジャイル開発を指向していた。分厚い企画書などいらない、まず開発したいモノを持ってこい、というのである。
これは研究所ですこぶる評判が悪かったが、このような開発習慣で身についたスピード感は、写真会社へ転職しても役立った。例えば、中間転写ベルトの開発では中古機を集めて3か月でカオス混合プラントを建設している。
カオス混合については、高分子学会技術賞や日本化学会技術賞に推薦されたがボツになっている。そこで退職してから研究を進め、ゴムタイムズ社から混練書籍として上梓している。
日本化学会技術賞その他を受賞している高純度SiCの合成法と並ぶくらいの革新的技術であることが退職後のデータで示された。材料物性も含め評価能力が無ければ良い材料や技術を見落とすことになる。
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