極限酸素指数(LOI)法とは、窒素と酸素の混合雰囲気で燃焼性を調べる方法である。そして酸素の濃度を指数化して、難燃性の優劣を決める。
空気には酸素がおよそ21%含まれているので、LOIは21と表現できる。すなわち、あるサンプルに火をつけてLOI測定装置で21以下と計測されたなら、空気よりも酸素濃度が低い雰囲気で燃焼したことを意味している。
だからLOIが21未満と評価された材料に着火したなら空気中で燃え続け、自ら火が消えることはない。一方、21以上の材料では、緩やかな燃焼条件であれば空気中で着火しても燃焼を継続できず火が消える。これを自己消火性という。
LOIは温度に影響を受ける。例えば、温度が高くなれば、LOIは低く評価され、室温でLOIが21以上と評価されても、空気中で激しい燃焼状態であれば自己消火できず燃え尽きる材料も出てくる。
ゆえにLOI測定装置では、ろうそくの様な炎で燃えるように気流の速度や温度条件など、測定条件について細かい規定がある。
異動した職場に設置されていた酸素指数測定装置は、自動化されており当時の最新鋭の装置だった。
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樹脂補強ゴムのテーマを終了し、新年早々人事異動となり、報告書を指導社員に提出するとともに新しい職場へ挨拶に行った。異動した職場は高分子合成研究室という看板の研究所で、リーダーは、ダンフレームという難燃性ポリウレタン天井材を商品化された方だった。
このダンフレームという商品の説明をこのリーダーから聴いたときに欠陥商品だと直感で感じたので、異動したばかりの職場にあった極限酸素指数測定装置(LOI)でその難燃性を評価してみた。
このLOIについては、訳アリ設備のようで、新しい設備のようだが、ホコリをかぶっていた。設備管理者はリーダーだったので、使用許可を申し出たら、研究室の設備は自由に使ってよいから成果をどんどん出してくれ、とはっぱをかけられた。
そこで、すぐに測定したのだが、国の難燃基準に合格しているというのに21よりも小さい19という値が得られてびっくりした。当時の難燃2級という建築材料の規格に合格するためには自己消火性の材料でなければいけない、と聴いていたからだが、それにしてもLOIが19という値は不思議だった。
当方の修士論文の研究の一節に、ホスホリルトリアミドのホルマリン付加体を応用した難燃性PVAという研究がある。これは色材協会誌に投稿した論文である。この研究開発経験からLOIについて熟知していた。ゆえにLOIを測定したのだが、19という測定値が出たので当方の勘が当たっていたことになる。
しかし、この当方の行動と知識が問題をひき起こした。そもそも当方が使用したLOI測定装置では、発泡体の評価ができないと結論づけられていて、実験室の隅に放置されていた。しかし、異動したばかりの当方はそのことを知らなかった。
使えないような装置で評価した値だから信用できない、とか、命じられないことを勝手にやったとか、いろいろ職場の同僚から批判された。さらに、業務終了後に実験をしたことで叱責された。
樹脂補強ゴムの開発で無茶な仕事のやり方をやっている新入社員がいる、と評判になっていたので、この業務終了後の実験の習慣は、新しい指導社員からすぐに禁止令が出た。仕事が終わったらすぐに帰宅することが、その日から義務となった。
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全社方針は社長が決めなければいけないが、その方針が各部門にブレークダウンされて、細かいテーマが企画されてゆく。
技術に関する企画は、商品化計画あるいは新製品のロードマップ、事業シナリオ等から決められる場合が多いだろう。
この技術企画について、どのように決めたら成功率が高くなるのかは投資の問題も関わり、どこの企業も頭を悩ませる問題である。
特にイノベーションを起こしうるような技術企画は失敗のリスクもそれなりに高い。ただし、指導社員の技術企画立案の手法は堅実であった。
研究所には一応企画部門が存在したが、当時の研究員は軽視していたように思う。少なくとも周囲のうわさ話からあまり信頼されていなかったように記憶している。
指導社員は、技術企画をするにあたり、まず本当にできるかどうかが重要だ、と言われていた。一個あるいは一回でもできることを確認してから企画すべきで、机上の理論だけで企画するから失敗する、とぼやいていた。
防振ゴム用樹脂補強ゴムは、指導社員が企画されたテーマだが、バネとダッシュポットによるシミュレーションがその企画書には書かれていた。
企画書では、シミュレーション通りの樹脂補強ゴムが出来上がるのは半年後で、そこに至る実験計画も説明されていたが、すでにシミュレーションに適合したゴムが企画段階で出来上がっていることなど書かれていなかった。
しかし、指導社員はKKDでそのゴム配合の一例を企画書を提出するときには見出していた。それについては、他のテーマを担当していた時に作ったゴムだと言われていた。そして、当方を指導しながら、新たな技術企画を立案のための実験をされていた。
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今シーズンから競技時間やジャンプに制限がかかり、GOEの幅が広がるようにルールが改正され、4回転の競演よりも演技全体の芸術性、作品性が見直される流れに変わった全日本フィギュアスケート選手権2018が終わった。
採点方式が変わったということで、今回は下位の選手の演技も金曜日から楽しんだ。フィギュアスケートというスポーツは、渡部絵美選手が1979年の世界選手権で3位になったときから興味深く観戦している。
名古屋出身の伊藤みどり選手の登場は、競技の評価ルールが変わったことにより世界のトップ選手になった思い出として残っている。今ゲームチェンジしトップになることが戦略の一手法として指摘されているが、彼女のジュニア時代から見てきた当方は、ゴム会社で高純度SiCの事業を提案し、続ける勇気を彼女から得ている。
当方が観戦するようになって以来フィギュアスケートというスポーツは、競技方法やその採点形式などが定期的に見直されて現在のような姿になっている。伊藤みどり選手は、演技内容や評価方法の大幅変更の結果トップスケーターになれた、とご自身のインタビューで答えている。
なぜなら、変更前の演技内容は規定とフリーで競う競技で、規定とは規則正しい円や動きをすることを競っていた。伊藤みどり選手はこの規定が苦手だったという。この規定が現在のようなSP形式になって彼女はトリプルアクセルを武器にして世界のトップスケーターとなっている。
その後も採点方法が少しずつ見直されていたが、男子の4回転時代になり難易度が上がってくると、難易度の高い演技でミスをした場合と難易度の低いクリーンな演技との評価の矛盾が出てきた。浅田選手とキム選手の対決における評価やザギトワ選手がジャンプを後半にすべて行い高得点を狙うと言った具体的な問題が出てきて、今シーズンの新たな評価方法への変更となった。
新たな評価方法では、難易度の高い演技を無理に組み込むよりもクリーンな演技をすることが求められ、フィギュアスケート本来の美しさが求められるようになった。そしてこの評価方法の変更がきっかけになったかどうか不明だが、32歳の高橋選手が全日本選手権に参戦し、昨日見事銀メダルを獲得した。
彼はフリーで果敢に4回転に挑戦したが、失敗し二回転になってしまった。しかしこれはご愛敬、迫力ある演技で、途中で手をつくなど細かいミスがあっても会場を十分に沸かせた。そして二位になった。本人は試合後のインタビューで全日本の最後のグループで滑ることを目標にしてきたので、と応え、今後のことを語らなかった。
ところで、このフィギュアスケートと言うスポーツの面白いところは、自己の目標とする得点をとれるようにあらかじめ演技構成を考えなければいけないところにある。すなわち、自分の実力と目標を考え、演技構成を決める必要がある。昨日の高橋選手のプログラムは、宇野選手に挑戦することを意図していたかのように思わせる内容であり、明らかに試合後のインタビューは謙遜だった。
残念ながら世界選手権を辞退したが、「辞めるつもりはない。きょうの演技だと悔しくてすっきり終われない感じ。もうちょっとできるはずだという気持ちが出てきている」と現役続行の意思を見せた。恐らく年齢から予想されるレベルでは今後世界選手権のチャンスは巡ってこないかもしれないが、本人はそれも覚悟しているとのこと。自己実現とは何か、を改めて考えさせられた大会だった。
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防振ゴム用樹脂補強ゴムの特許は、指導社員が全体をまとめている。当方は実施例を指導社員の指示で書いた。当方も今では時間の許す限り、自分で特許の明細書を書くが、この時の指導社員ほどのスキルは無い、と日々今でも反省し努力している。
この特許にはダッシュポットとバネのモデルを常微分方程式で解いた話も出てくる。今この特許を読むとダッシュポットとバネのモデルによる解析手法は高分子技術の一つと感じさせる内容である。
当時の防振ゴムは、カーボン量と加硫密度を調整し、すり合わせ技術でその物性が設計されていた。但し、ゴムを硬くするためにカーボン量や加硫密度を上げると損失係数が変化する。
カーボン量を増量すると、損失係数はわずかに上がるが、ゴム硬度が硬くなり、75Hz付近の防振性能が低下する。加硫密度を上げると、硬度が高くなり、損失係数も低下し、15Hz付近の防振性能が低下する。
高速道路を走行中のエンジンから発生する振動とアイドリング時にエンジンが発生する振動の周波数は異なり、この両者の防振性能を得るためには、カーボン量や加硫密度の調整だけでは難しいことが分かっていた。
当時は仕方がないので自動車ごとにエンジンマウントの配合を調整し、うまく両者の妥協点を見つけて製品としていたのだが、車の高性能化の前に新たな技術開発が望まれていた。そして、オイル封入エンジンマウントやエアーダンパー形式のエンジンマウントなどが登場していた。
それをゴム配合で問題解決しようとしたテーマが樹脂補強ゴムで、ゴム硬度を上げる手段が従来はカーボンの増量や加硫密度の向上以外になかったところへ、第3の技術として提供された。詳しくは特開昭56-122846をご覧ください。
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樹脂やゴムを研究開発段階で混練するときに簡便なニーダーを利用できる。指導社員は、ニーダーを使用した配合研究のやり方は実用化との距離を長くすると教えてくれた。
すなわち、実用化された時のプロセスと同等の混練プロセスで配合研究を行うべきだと指導された。例えば、防振ゴムは、バンバリーとロール混練でコンパウンドが製造されているので、実験室でもそのプロセスで検討すべきだと、と言われた。
実は、ゴム会社のコンパウンドの大半はこのプロセスだが、研究所ではバンバリーの稼働が大変という理由で、ゴムの配合研究をニーダーを使って研究する人がほとんどだった。
バンバリーを稼働させるためには、最低でも10kg以上でゴム配合を検討する必要があり、混練後の掃除も大変だった。一バッチの稼働時間は5分以下だが、半日10バッチ以上も混練すると全身がうっすらとカーボンで汚れる。
無意識に作業中に顔をこするとひげが生える。バンバリーを運転した後は風呂に入る必要があり、パイロットプラントとはいえ大変な作業だった。ゆえにバンバリーは嫌われ、研究所の研究員は皆ニーダーを用いて配合研究を行っていた。
しかし、指導社員は評価に使用するゴム量が100g程度でもバンバリーで混練するように言っていた。そして余った10kg以上のゴムは惜しまず、すぐに廃棄するように指導された。すぐに廃棄するのは、サンプル置き場が狭かったからである。ゆえに、必要量混練すると台車でゴムを廃棄するという習慣になった。
ところでニーダーではゴムが液状になるまで温度を上げることができたので、樹脂を溶解することもでき、サンプル作成は容易だった。ロール混練のように樹脂が溶解する混練条件を探す必要は無かった。
しかしこれは見かけの容易さだった。ニーダーでうまく混練できたかのように見えるコンパウンドでも加硫ゴムにして物性評価するとロール混練の最適条件で混練されたコンパウンドを加硫したゴム試料がよい物性になった。
当時は不思議で気味の悪い仕事に見えたが、セラミックスもプロセス依存性のある材料であり、慣れてた。40年あまり様々な材料開発を行ってみると大学では教えないプロセシングの重要性を感じ、その技術伝承のためコンサルティングを事業の一部として行っている。
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樹脂補強ゴムの開発を担当して自動車用防振ゴムに使用可能な配合を見出した。それが後工程ですぐに製品展開されたが、新入社員の2年間は査定が付かないだけでなく残業代も無い、というルールで深夜残業代も頂けなかっただけでなく成果に対する評価も0だった。
それでもこの3か月の間に指導社員が座学で指導してくださった先端の高分子科学の知識は千金に値するような内容だったので、このテーマと指導社員に感謝している。
さて、当時の高分子科学の状況は高分子合成が中心であり、大学の授業でも重合反応に関する内容ばかりだった。一部工業分析の科目で高分子のNMRや熱分析の話が取り上げられていた。
1973年に「高分子物性と分子構造」という化学増刊シリーズの1冊が化学同人から発売されているが、著者が通学していた大学の教官であったにもかかわらず、不思議なことに授業ではその内容が反映されていなかった。
高分子のレオロジーに至っては、授業で2時間程度出てきただけである。化学系の学科でこのありさまなので当時の大学の授業で満足な高分子物性の授業が行われていなかったと思う。
しかし、高分子を製品として実用化するときには、高分子の合成に関する知識よりもレオロジーや物性に関する知識のほうが重要である。高分子合成の知識が不要というわけではなく、高分子合成の知識もレオロジーや物性から構築すべきで、大学の授業で行われていたような反応中心の知識は実務で役立たない。
指導社員の座学はそのように感じさせる十分な迫力があった。松岡先生の「高分子の緩和現象」という名著が1995年に発売されているが、そこでもレオロジーを学ぶのにバネとダッシュポットを忘れろ、とある。それを指導社員は、著書が発売される15年前の1979年に当方に教えてくださったのだ。
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新入社員時代担当した樹脂補強ゴムの指導社員は、部下の立場から見て理想的な上司だった。また、いまこそコーチングが部下の指導スキルとして注目されているが、彼の指導スタイルはティーチングとコーチングをほどよくミックスされたスタイルであり、専門技術を要求される部門では、技術の伝承も要求されるという意味で理想的なリーダーだった。
写真会社に転職してびっくりしたのは、現場で「チーチーパッパはやめろ」と言われた役員と出会ったことだ。確かに転職した会社では十分な技術伝承が行われているとはいいがたい事態と多数遭遇している。
例えば、昭和35年に出願された世界初の重要な技術が全く伝承されず、周辺の評価技術も含め0に近い状態になっていた。不思議に思い、その歴史を調べたらいくつかメーカーとして問題点が見つかった。言い過ぎかもしれないが、技術伝承のDNAを排除するような経営が行われていた。
ゴム会社は、技術伝承に全社として取り組んでいる会社であるが、技術に無理解な中間管理職もいるのでそれが癌のように突然増殖するような状況が生まれたりする。しかし、新入社員研修で経験する現場実習のおかげと思うが、異業種交流の場で出会うこの会社の技術者は技術伝承に理解を示す。
写真会社でよく耳にした意見に「勉強は自分でする」という自己実現の考え方がある。それに対して、ゴム会社は知識の獲得も含め、社員の自己実現努力に対して好意的であり,会社による積極的支援が充実している。また、社員の留学支援体制も創業者の著書にも書かれているように強固である。
恐らく、会社の方針と言うよりも社風として社員の自己実現をどのように位置づけて考えてゆくか、という視点が受け継がれているからだろう。ゴム会社は厳しい会社、と言われるが、この意味で実際には社員に優しい風土だと思っている。これは異なる会社風土に接してみないとわからない。
樹脂補強ゴムのテーマを実行中に座学が毎日行われていたが、このようなことを許容する風土のおかげで指導社員の指導方法を批判される人はいなかった。
指導社員はたまに冗談で「私は指導され社員」と同僚に語っておられたが、おそらくこの言葉は新入社員の指導を行うときの姿勢として要求される、重要なノウハウを意味している。
セラミックスの研究室で2年間過ごし、ゴムのことなどさっぱりわからなかった新入社員から能力を引き出し、新規配合を開発できただけでなく、特許草案や報告書を指導開始の3ケ月後には書けるようになっていたのである。
そして、その時の経験知から、30年後カオス混合装置を開発し、中間転写ベルトに用いるPPSコンパウンド工場を3ケ月で0から立ち上げる仕事を成功させている。この指導社員の指導力の賜物である。
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およそ研修期間中に習った内容や、ドラッカーのマネジメントに書かれた理想とは程遠い状態のように思われたが、マネジメントの意味が人を成し成果を出させることならば、指導社員のマネジメントや主任研究員のマネジメント姿勢はそれなりに成功していたのだろう。
樹脂補強ゴムのテーマは、特許出願され、そして1年後には化工品部隊により防振ゴムとして製品化された。研究部門として十分な成果が出たのである。しかし、この研究テーマでは研究部門の誰も評価されなかった、といううわさ話を聞いた。
その原因が当方にあった、というのだから忌々しき噂である。3ケ月でできるような簡単なテーマを1年の計画で計上していた、という噂も聞こえてきた。そこには当方の過重労働の頑張りの情報は無く、3ケ月間、他部署が研究部門を応援していた姿を誉める話が尾ひれとしてついていた。
指導社員はその後課長まで昇進され定年退職されたが、その知識の豊富さは、在職した12年間、その右に出る人を見たことがない。ゴム会社では能力やその成果を十分に評価されず退職される方が多いとも言われていたが、おそらくピラミッド組織で運営される日本の会社ではこのような事例が多いのだろう。
この時の主任研究員とは3ケ月の間、ほとんど会話をする機会が無かった。テーマについては指導社員がすべて報告していたからだが、当方が専門外の新入社員ということであまり期待されていなかったからとも他の人から聞かされた。
この話を信じるきっかけになったのは、この3年後当方が高純度SiCの開発に成功した時である。無機材質研究所に留学し人事部所属だったが、途中からこの主任研究員の方が上司になったと、筑波までご挨拶に来られ、その後当方の私生活も含め、いろいろ心配されたり、食事に誘われたりしたからである。
その姿勢が大変正直な方であきれたが、ある日新入社員時代の話をしたところ、専門外の新入社員を配属されたので指導社員に任せきりにされた本心を話され後に、謝罪された。この姿勢には誠実さを感じた。樹脂補強ゴムのテーマを終えて、とんでもない主任研究員が上司になるが、やはり管理職には誠実さが要求される。
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1週間に一度課内会議があり、そこで指導社員が当方のデータをまとめ報告されていた。しかし、その報告内容は、当方がその週に行った実験ではなく立案された計画に基づいた進捗に合わせていたので、すぐに報告と当方が行っている実験との乖離が生まれた。
指導社員は、この点について気にすることは無い、と言われ、その乖離について話さないように口止めされた。そのため、課長である主任研究員から過重労働の注意を受けたときには、実験が下手で失敗していますと適当に答えていた。
主任研究員は、樹脂補強ゴムの混練は難しいから十分に健康に注意しスキル向上に務めてください、と激励してくださったが、残業代が出ないことについては触れなかった。
半年間の研修で会社の規定や規則、労働法規などについて習っていたので自分の業務姿勢を多少は心配していたが、楽しさが優先され過重労働について疑問に思わなくなった。また、タイヤ開発を担当している同期から深夜残業や過重労働なんて日本の会社で常識だという声もあり、それが当たり前の習慣になっていった。
ところで、テーマを担当して2ケ月ほど経過した時に、指導社員の週報の報告が大きく変わった。急に1年後のゴールに近い内容になっていった。おそらくこの時に当方の異動の話が出ていたのだろう。
12月中旬に職場異動を通達され、当方はややショックを受けたがすでに目標の配合処方が見つかっていたので、異動までに仕事を完成させ報告書を提出します、と回答したところ、主任研究員からそこまでやらなくてよいとの、なんとも気の抜ける激励を受けた。
主任研究員は、3ケ月後職場異動するまで一度も小生の仕事ぶりを実験室に見に来なかった。恐らく不器用で肉体労働が好きで口も達者な体育会系新入社員に見えたのかもしれない。
その後無機材質研究所留学中に高純度SiCの発明を行ったとき、真っ先に研究所の受け皿になると申し出られたのはこの主任研究員で、その時には複雑な思いで部下になった。
サラリーマンは、上司の立場で部下を選ぶ権利はあるが、部下の立場では上司を円満に代える手段はない。職場における人間関係は円満が重要だが、上司との関係はゴマをするぐらいの気持ちがちょうどよい、とサラリーマンを終えて思うようになった。
若い時には、なかなかそこまでの気持ちにはなれないものだが、ゴマをすられて悪い気持ちになる人は少ない。上司が人事権を持っている組織では、業務成果をいくら上げても上司との関係が悪ければよい評価にはならないことを早いうちに理解することが大切である。
また、円満な組織風土の場合に管理者は単純に喜んではいけない。実際はゴマすりの横行しているとんでもない組織の場合もあるからだ。管理者はたとえごますりがあったとしても厳しく成果で部下を評価すべきである。
これは実践から、必ず成果を出せる風土をつくる方法の一つだと実感している。成果を出していないような人の昇進が早い組織はやがては成果が出なくなる。本来は成果の出る組織なのにそれが無い場合にはこのあたりを疑う必要がある。
当時のゴム会社の研究所は社内で成果の出ない雲の上の組織とうわさされていた。このような噂は、新入社員であれば酒の肴として尾ひれをつけて話すものである。
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