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2017.03/25 プログラミング(2)

今のオフィスには一人に一台のPCが机にあるのが当たり前だが、ゴム会社から写真会社へ転職したときの1990年前後の状況は、16ビットPCから32ビットPCへの移行期で、Window3.0も登場していた。やがてこれが3.1にバージョンアップされ普及し始めるのだが、それでもPCはまだ個人に一台の時代ではなく、Windows95の普及で一気にPCが一人一台の時代になった。

 

PCのハードウェアーはすでに32ビットCPUが一般的であったが、このWindows95は16ビットで動作するOSだった。だからMS-DOS時代から使っていたLatticeCを使うこともできた。また、Windows95用のライブラリーも多数販売されていた。さらにWindows95上で動作する本格的プログラミング環境も登場した。ただしそれらは皆ハードウェアーと同様の価格であり、大変高価だったのでLatticeCをWindows2000の時代まで使い続けた。

 

ゴム会社の研究所は世間のOA化よりもスピードが速く、IBM社が16ビットパソコン(いわゆるAXパソコン)を販売しだしたころからスタッフに一人一台のPCが当たり前になっていた。当方はそのころ一人で3台使用していた。3台使用していたのは主に使用していた実験室や居室が3ケ所に分かれていたからだ。

 

ちょうど高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVという形式で立ち上げ始めたころで、過重労働当たり前の大変忙しい頃だった。JV立ち上げさえ忙しいのに電気粘性流体の仕事も、電気粘性流体用の高性能オイルや粉体、また耐久性を上げる添加剤などを発明したのでプロジェクトから外してもらえず大変だった。

 

ゆえに自分が主に使用している部屋にPCを自分専用に1セットおいていただいた。ただ当時はLANなど気の利いた環境ではなく、データをFDで持ち歩いて作業をしなければならなかった。

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