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2013.07/26 科学と技術(5)

科学の存在しない世界で技術が生まれる可能性があるのだろうか。

 

16世紀以前に科学は存在しなかったが、技術の進歩はあった。例えば木造船はかなり古い時代から使用されていたらしいが、腐りやすい材料のためいつの時代から使用されていたか不明と言われている。しかし移動手段として川に木を浮かべそれを利用して川を渡ることを覚えた人間がその後船を発明した、と想像するのは間違いではないだろう。

 

陸で重い荷物をコロで運ぶ方法を覚えた人類は、車輪という技術を発明し、いつの時代からか不明だが、台車を動物に牽引させて荷物を運ぶようになった。物を運ぶ移動手段としての道具の発明は、明らかに技術開発であり、科学が存在しなくても技術開発が行われていた証拠は多くの遺跡から見つかっている。

 

人間に不足する能力を補う大型の技術開発とは異なり、生活を便利にする工夫の技術開発はもっと早くから行われていたようだ。例えば、石を単に削って道具としていた時代から焼き固めた土器の発明は材料技術の革新と見ることができる。この土器という材料技術発明後、デザインの開発が中心に行われ、ダイナミックな形状の土器が開発されてゆく。このあたりは、イノベーションを起こした技術を活用して様々な商品開発が行われる現代の様子と似ている。

 

その後、土器の世界は、よりよい材料の技術へと発展する。例えば日本の縄文式土器と弥生式土器を比べればデザインが異なるだけで無く土器を焼く温度も高くなり、材料まで変化している。同じ時代に中国では青磁まで登場している。人類が火の使い方を覚え、その火をコントロールし、セラミックスの技術を進歩させていたのだ。

 

進歩のスピードは現代と比較して比べものにはならないが、科学が存在しなくとも技術開発を行う事は可能なのである。このような技術開発の歴史を見ると、科学と技術は車の両輪である、と言う言葉は、少し不適切な感じがする。但し、昔技術という台車を人間が押していたところへ科学という動輪をつけた、とこの言葉を解釈するとこの言葉の含蓄の深さに感心する。

 

すなわち、自動車にはFFとFRの形式があり、科学が先導して技術開発が進められればFFであり、技術が若干先導し、それを加速度的に後押しするのをFRという形式に当てはめると、科学と技術は車の両輪という言葉は深い意味を持ってくる。すなわち科学の進歩に頼る技術開発だけでなく、科学に先行する技術開発という考え方も重要だと、この言葉は教えている。

 

さらに車にはAW(四輪駆動)という方式も有り、恐らくこの方式は人類が行う技術開発として究極の方法だろう。車の両輪、という考え方から21世紀はAWによる技術開発という考え方へ変わるべきで、その変革に弊社の問題解決法が重要な役目をする。

 

カテゴリー : 一般

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