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2014.03/19 iPS細胞とSTAP細胞の類似点

昨日理研は、iPS細胞とSTAP細胞の比較記事について謝罪した。この謝罪で改めてiPS細胞のできる確率が最近は20%程度まで上がっている点をコメントしていた。すでにこの発明の類似点については、非科学的な手段による発明や発見であった点を指摘したが、昨日の謝罪で少し気になった万能細胞ができる確率をコメントした意味について考えてみたい。

 

技術では、開発した技術がうまく機能する場合と、それが機能しない場合の確率についてロバストネス(ロバスト)という言葉が使われている。ロバストを高める設計をロバスト設計と言い、高いロバストの技術を誰でも設計段階からできるようになったのは、タグチメソッドのおかげである。そしてそのタグチメソッドは故田口先生のおことばによれば統計ではない、と言われている。すなわちタグチメソッドは科学的な統計ではなく技術である、と故田口先生はおっしゃていた。

 

科学では真理の追究が重要なので、万能細胞が存在しないか、あるいは存在するのかという命題について真か偽かという議論になり、そのロバストは問題にならない。第三者により再現性が確認されれば良い。仮説から導かれた実験でできなければ、「存在しない」ことになり、少しでもできれば「存在する」ことになる。ゆえにイムレラカトシュが「方法の擁護」で述べたように、科学で容易にできるのは否定証明だ、ということになる。

 

ところで科学で肯定証明を行うためには、「できる」ことを示さなければならないので、「できる」方法、すなわち技術を開発する必要がでてくる。技術開発の哲学については、科学成立以前から存在し、人類の欲望を満たす機能を如何に実現するのか、ということであり、それが科学的でもよいし非科学的手段であっても構わない。さらに忍術や魔法でも再現よくできれば、許される手段である。但しロバストが高くなければ技術として広く普及するまでに至らない。

 

しかし、科学の世界ではロバストが低くても「できる」ことを示せればよい。魔法や忍術は科学倫理で許されないが、その他の方法であれば偶然の発見でも、実験の失敗でも、あるいは山中博士がやられたような仮説から導かれていない、科学の常識からはずれた「めちゃくちゃな実験」でも、「できる」ことを示すことができれば許される。

 

すなわち科学で「できる」ことを証明するためには、非科学的ルートを通るケースがあり、それをどのような覚悟で科学者は通過するのか、という問題が出てくる。科学倫理からすれば、科学以外の方法を持ち込むのはタブーである、とまず考える。ところが、科学倫理に忠実にすべて科学的に説明できるルートとは「当たり前」の結果を導くルートである、ということを忘れてはいけない。

 

理研の中間報告で、小保方さんは「未熟な研究者」として断罪された。一方出身大学の某教授は「理研という組織にいてはいけない人材」とまで言い切った。もしSTAP細胞の存在が科学的に示されたときに、彼らはどのような経緯でSTAP細胞が生まれた、と説明してくれるのだろう。

 

少なくとも「未熟な研究者」が裸の王様の物語のごとく、成熟した研究者の集団において動物細胞ではできない、といわれていたSTAP細胞を偶然ではあるが創り出した可能性があるのである。科学倫理に長けた科学者ではできない技術を用いてSTAP細胞の存在を人類に示した功労者をどのように「大人の」研究者たちが処遇するのか興味深い。

 

当たり前でない新しい成果を生み出すためには科学に頼れないことを今回の騒動は示しているように感じる。あるいは科学という哲学では科学的論理に厳密に導かれる真実のみ評価する、という世界で未熟な研究者が重用された結果、起こるべくして起きた騒動かもしれない。そしてこの騒動でSTAP細胞という新しい科学の芽が出始めているのである。もしこの芽が育ったならば、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、未熟な研究者を重用した理研の研究マネジメント能力は凄い、という評価にならないか?

 

20世紀は科学万能の時代であったが、21世紀は、科学の無い時代にも進歩していた技術哲学を見直し、技術で科学を牽引しなければいけない、と考え花冠大学(www.miragiken.com)のホームページを立ち上げました。

 

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