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2015.05/03 ブリヂストン美術館

ブリヂストン館美術館がビル建て直しのため5月18日より閉館になるので、現在開催中の「BEST of the BEST」を見に行ってきた。やはり本物はすごい迫力である。写真や印刷物ではわかりにくい陰影や、絵の具の輝きがよくわかる。

 

パステルの絵ではそのタッチが200年過ぎても残っている。作者の気持ちが伝わってくるようだ。本物の絵画を見ていると、明らかに写真との違いが見えてくる。写真では写しきれない世界がそこには描かれているからだ。写実性が高いと言っても科学的に光の位置を探してみると、レンブラント以外は光源が複数存在したりする。そしてそれが絵画の一つの表現だったりもしている。

 

写真が芸術として劣っているのか、というとそうではない。絵画は古くから存在したが、写真は銀塩を乾板にぬり、画像を残す技術が開発されてからの芸術である。まだ芸術としての歴史は科学同様に浅い。

 

写真は真実を写すとか写さないとか言う議論があったりするが、その原理は三次元の世界を二次元平面へレンズを通過した光で表現するので、この議論の答えは自明である。すなわちオブジェクトはレンズにより必ず歪むことになるので真実をそのまま写す、という説明は間違っている。わかりやすく言えば、美しくなくても美しくとることが可能なのだ。そして、それが写真家の腕でもある。

 

ただ写真は事件の証拠として、筆記された絵よりも重視される。あたかも科学と技術の関係のような世界がそこには存在する。どんなに写実性の優れた絵画でも正確さでは写真に及ばない。逆に写真では描ききれない作者の心が絵画では容易に表現できる。同じオブジェクトを前にしても、写真と絵画では描いているものが異なるのだ。

 

これは、新しい自然現象を前にしたときに、科学では素直にその真実を追究するのだが、技術では、そこに潜む機能を人類に役立てようと心眼で眺め、無地のキャンパスに機能を実現した装置を書き上げる。あたかも写真は科学のようで、絵画は技術と同様に人間の自然な営みの中で生まれてきた作業の結果のようだ。

 

このように見ると、写真表現は今日の科学のような厳しい議論に、まださらされていないのでその技法に開発の余地が残っており、デジタル技術が新たな写真表現を生み出すかもしれない。すでにそのような取り組みをしている写真家もいるが、残念ながら今ひとつ盛り上がりを見せていない。

 

真実を写すのが写真だから、それを加工したらもはや写真ではない、という意見がある。しかしこのような無限の可能性に制限を加えるような批判は、どのような分野でもその進歩を阻害する。弊社では、写真の可能性についても研究しているので機会があったら展示会を行いたいと考えている。ご期待ください。

 

カテゴリー : 一般

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