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2015.11/03 小保方氏の学位問題

小保方氏の博士の学位を早稲田大学は取り消したという。それに対して、小保方氏は弁護士を通じて早稲田大学に失望したという声明を出した。事件直後新聞にも書かれていたように、コピペの学位論文に博士の学位を出すような大学に、彼女は何を期待していたのだろうか。
 
そもそも学位の審査は大学ごとに異なる。また、偏差値の高い有名大学の学位の価値が高く、地方の無名大学のそれは低い、という社会的な評価などなく、博士の学位は、その学位論文の中身で価値が決まるのである。また、それゆえに博士の学位は、一人前の研究者としてスタート地点、出発点に位置づけられるのである。
 
当方は、かつて旧七帝大に属す大学で学位を取得したいと努力していたが、たまたま転職する事態になった。事情を3年間お世話になったその大学にお話ししたところ、審査の主査となられた教授に、転職先から奨学金を出すように言われた。このときゴム会社が当方の学位授与でお世話になっているという理由で、多額の奨学寄付金を払っていてくださったことを知り涙が出たのだが、転職先からも持ってこい、という一言で出かかった涙も引っ込んでしまった。
 
学位も取得したかったが、奨学寄付金の話が障害となった。写真会社における役職及び立場で判断すると、新しい職場の業務とは関係ない高純度SiCの研究が半分以上占める学位のために奨学金を出すわけにいかなかった。退職金があったので、それを使うことも考えたのだが、学位とはそのようなものではないという結論に至り、英文の学位論文はまとまっていたがその審査を辞退した。
 
まとめていた学位論文の中身については、その大学の過去の学位論文と比較して十分なレベルとの自信(注1)があったので、一応製本して人生の記念とした。見本にしようと図書室で読んだ学位論文には、研究テーマとしてひどいものがあった(注2)。一応論理展開が科学的に行われているので、学位としての体裁がとれてはいるが、技術者である当方の目で見て新規性や進歩性の観点で明らかに0点の論文もあった。だから自信をもって辞退する決断をすることができた。
 
この話を学生時代にお世話になった恩師にした所、中部大学に無機高分子の研究者がいるので、そこで審査してもらったらどうだ、という情報をくださった。恩師はまだ教授ではなかったので主査になれないという理由で、中部大学の研究者を紹介してくださったのだ。
 
恩師が紹介してくださった中部大学に製本した論文を提出したところ、半年ほどして赤ペンが多数入って返却されてきた。そして、すべて日本語に修正するようにとのコメントもつけられていた。旧七帝大の先生と共著で書いた論文に赤ペンが入っていたので感動するとともに、自分の中にわずかに残っていたわだかまりもすっかりなくなった。なお、すべて日本語に書き直す目的は、コピペ防止のためでもあった。
 
その後、主査の先生の指示に忠実に従い論文を作成しなおし、学位審査料8万円を支払い、試験も受けて、無事工学博士の学位を中部大学から頂いた。9月末の学位授与式は小生一人しかいなかったが、学長から学監、大学理事長など総勢10名ほどご列席の中で壮大に行われた。
 
ところが、授与式の前日は業務出張で福井県にいた。そして台風が接近していたので名古屋へ新幹線で向かっている途中で車中泊となり、そのため授与式には着替える間もなくヨレヨレの姿で出席することとなった。授与式の会場で主査の先生は角帽とマントを当方に着せてくださり、登壇するように背中をたたいてくださった。転職したストレスと戦いつつ、苦労の中で多くの人に支えられての学位取得は人生の良い思い出となっている。
 

(注1)ゴム会社はこの研究を元に事業を開始し、学位論文に書かれた高純度SiCの合成手法で日本化学会から化学技術賞を受賞している。
(注2)傲慢に見えるかもしれないが、実際に公開されている学位論文を見ていただきたい。最近はワープロが高性能になったので見た目やできばえは良くなっているが、20年以上前は、手書きの論文も存在し、怪しいグラフが書かれている論文を見つけることも可能である。研究の中には、自明のことを一生懸命分析して、写真をいっぱい載せ、という内容の論文もある。研究者としてスタート地点に立つ、という趣旨ではいいかもしれないが---。
 
 
 
 

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