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2015.11/09 日本の技術開発の方向

日本は、そのシェアーを落としたといっても太陽電池パネルや液晶TVの最先端技術領域の市場では、いまだに強いといわれている。しかし、その分野に今後も経営資源を投入し技術開発を進めてもよいのだろうか。これまで実用化された製品には科学のような形式知で組み立てられた技術と形式知だけでなく実践知や暗黙知で創りこまれた技術が活用されてきた。
 
液晶テレビのようなデジタル家電は、レゴのようなパーツの組み立て技術である。また、太陽電池パネルは高性能化技術とグローバルニーズがうまくかみ合っていない。液晶テレビは今後技術開発を続けても中国や韓国にすぐに追いつかれるような気がするが、太陽電池は高性能でなければ使えない市場を新たに開発できれば、まだまだ戦えるような気がしている。
 
前者と後者を同じ土俵で扱い、技術のコモディティー化の事例でとらえられたりするが、後者は、まだ工夫と高性能化が必要であり、高性能化でCDの可能性が残されているので、日本の技術が復権する可能性があるような気がしている。すなわち前者と後者ではその将来性評価において問題点が異なる。
 
両者で大切なことは、シェアーが落ち中国や韓国による技術の追い上げが激しい状況で、今何をするかであろう。特に太陽電池については開発戦略を見直し、ロードマップを新たに作成したほうがよいような気がしている。遅々として進まない脱原発の問題ともかかわっているからだ。
 
しかし考え直さなければいけないのは、未だに科学技術立国日本、と唱える人がいることだ。科学はもう形式知として常識の時代である。科学を常識という前提で、実践知や暗黙知の領域に目を向け、技術立国日本という方向が良いのではないか。
 
長い人類の歴史において科学という形式知をもとに技術開発を進めたのはつい最近のことで、長い間人類は実践知や暗黙知で技術開発を続けてきた。この約250年間、科学という便利な哲学で人類は大変な楽をしたのである。
 
ところが、科学で生まれるのは形式知であり、今やその情報はインターネットで世界中で容易に共有化されてしまう。すなわち、科学で解明された情報を基にした技術であれば必ずコモディティー化する、ということだ。だから、そのような技術開発をしていたならば中国や韓国に日本は容易に追いつかれる。
 
もし実践知や暗黙知が形式知に付加されたならば、人材流出があったとしても完全なリベールは難しくなる。ゆえにこれからの日本に必要な技術開発の方向は、科学に基礎を置きながらも科学で未解明の現象を積極的に活用した技術開発の方向になるのではないかと思っている。
 
実践知や暗黙知を活用するといっても、1000年以上前の科学の芽も無いような時代の方法で技術開発を行うわけではない。科学的に洗練された開発プロセスはすでに戦後の技術開発で経験済みである。ここへヒューマンプロセスを付加し、開発効率を維持しつつリベールの難しい技術開発を行うのである。詳細はご相談ください。

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