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2015.12/18 アカデミアが考えてほしいこと

科学の発展のために日本のアカデミアはよく頑張ってきた。高純度SiCの開発では実際に技術開発のご指導を受け、そのポテンシャルの高さのおかげで、まったく技術基盤のないゴム会社でありながら先端技術を容易にキャッチアップできた。これは形式知の良いところである。
 
今後もアカデミアにおいて、形式知における真理の探究という仕事は残るだろう。しかし、今新たな問題が技術の世界で起きている。すなわちこれと実践知や暗黙知との整合性の無さである。本来これらは整合性が無くてもよかった。また無いことで技術の独自性を可能とし参入障壁とすることができた。
 
一方で品質評価技術の標準化はグローバル経済の中で必須の業務となっている。これに関してはニーズが明確なため、各種標準が生まれているが、ニーズが不明確な領域の技術については整合性がないまま放置されている。ニーズが無いからそのままでよい、というのは近視眼的であり、日本の技術開発の効率を考えると正しくない意見である。
 
また、標準化された途端にコモディティー化が進むので、と心配する技術者もいるかもしれない。しかし、標準化された結果新しい発見が生まれるメリットもある。さらに形式知や暗黙知の標準化を進めても、形式知との関係が不明確な部分が必ず残るものである。形式知や暗黙知の標準化を進めても、一気にコモディティー化に進むとは思えない。
 
また独自の実践知や暗黙知であるがゆえに利益を享受できているので、それを標準化されては迷惑だという職人集団もいるかもしれない。しかし、その職人集団には後継者不足で困っているところもあるのだ。
 
技術に隠されている実践知や暗黙知の標準化という作業は、新たなアカデミアの研究テーマではないだろうか。これらは形式知にできないために、すなわち科学で解明できないために、そのまま残っているのである。今の時代に科学で解明できないことを科学で解明しようとするのは膨大なエネルギーが必要でコストもかかる。しかし、標準化であれば形式知にするよりは易しいのではないか。
 
具体的な例を出すと、酸化スズゾルの技術がある。この技術で問題になるのは、非晶質という状態の記述である。これは科学的に解明し形式知化するのは極めて難しい問題である。しかし、非晶質の程度というものを定義づけ標準化することは可能だろう。科学的にはやや怪しいが、新たに定義づけられた尺度により新たな技術がこの分野で生まれるかもしれない。このようなテーマがほかにも存在する。それをアカデミアに考えていただきたい、と思っている。
 

 

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