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2017.05/30 幕張メッセで高分子学会年会やってます

昨日から3日間の予定で幕張メッセで高分子学会年会が開催されている。退職してから仕事の都合で高分子学会の年会には出られなかったが、今年は日本化学会の年会に忙しくて出られなかったので、高分子学会の年会に出てみた。

 

学会の年会にポスターセッションがつきものだが、口頭発表よりもじっくり研究内容を見ることができるので楽しい。研究内容には何に役立つのかわからないようなものがあり、面白いのは発表者が教えてください、といってくる向学心旺盛な方もいる。

 

昔は企業に属していたのでこのような質問から逃げていたが、今は答えるようにしている。学会の発表は科学であればよいので、何に役立つかわからない研究でも新しい真理さえ明らかになっておればよい、と思っている。

 

だいたい企業で研究発表の許可が早く出るケースはたいていが役に立たなかった開発成果だから、アカデミアの方も何に役立つかわからない研究を堂々と発表すればよい。ただし、何か一つ新しい真理が述べられていることが重要だ(注)。

 

真理については科学的論理で証明されておればわかりやすいが、そうでなくても、それが不動の真理であれば、年会で発表すべきである。その場合には、「こうしたらこうなった」的な発表になるが、これでも価値があると思っている。

 

昔、高純度SiCの前駆体について日本化学会で発表しとんでもない体験をしたことをこの欄で紹介したが、今でもこの体験は、大学の先生がおかしいと思っている。なぜなら科学の一つの方法に「発見」があるからだ。「発見」については真理の迅速な発表こそ必要である。

 

そして科学的に論じない代わりに繰り返し再現性を語ることになる。STAP細胞も自殺した世界的に著名な研究者が現象を見たのだから少しは再現性があり、特許を撤回する愚行までしなくてもよかったと思っている。「新発見」は、科学的な準備ができていなくても年会でどんどん発表すべきだろう。

 

真理や発見と同様に大切なのは体系なり研究のコンセプトである。何に役立つかわからない研究でも、一つの真理が明確にされており、そこに向かうコンセプトなりあるいは体系が見えるならば、それは科学の研究として価値がある。

 

さらにこのような研究は、仮にその研究が何に役立つかわからなくても、技術者に道具の提供をしているという貢献の価値がある。

 

最近は目的を明確にした研究が求められており、年会の発表でも訳のわからない研究が少なくなってきた。しかしその結果このような体系あるいはコンセプトを新たに提案している研究が少なくなっているのは残念である。

(注)昔故小竹先生が「研究とは何か新しいことを見つけることだ」と言われた。この言葉を述べられたときに科学とことわられていなかったことが印象的である。科学にも技術にも研究が必要というお考えだった。科学技術とみそくそ一緒にされるケースが多いが科学と技術は研究の方法も異なる。

カテゴリー : 学会講習会情報

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