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2018.03/13 カオス混合装置の発明(7)(昨日の続き)

非相溶系の高分子の組み合わせを相溶させる方法はリアクティブブレンドしかない、すごい研究だと当方の学会発表を聞かれて称賛されたのはT大のO先生である。T大で学位を授与するから熱分析のデータを見せてくれ、といわれたので、U本部長に承認を得たのち生データを渡したら勝手に学術論文として発表されてしまった。

 

学位を早く取りたいといわれたので書いた、というのがO先生の言い分だが、企画から実験まで全然携わっていないのに、ご自分を第一著者として論文を書いてしまう厚かましさに呆れた。

 

高純度SiCの前駆体が均一にできているということは画期的であり、ノーベル賞級とおだてられても腹の虫がおさまらないほど腹が立ったが、学位を出すから、と言われたのでいわゆる大人の対応として我慢した。

 

その後写真会社へ転職したら、同じくT大のH先生が今回学位の審査をO先生と担当するから写真会社からも奨学寄付金を入れてください、と言われた。ゴム会社では本部長決済でそれなりの金額の奨学寄付金を納めていたはずだが、これまた厚かましい申し出である。

 

自分の企画した研究を勝手に論文発表されたうえに奨学寄附金の請求もあったりで、気分は真っ暗なブラックホールというよりも、何か悲しく自己実現のゴールがこのような状態となり惨めな気持ちも生まれカオス状態となった。

 

当方の貯金を奨学寄付金として支払い学位を取得するのがよいか、このようなアカデミアの対応に三行半をたたきつけて学位をあきらめるのか迷ったが、学位の意味やその人生における価値を再度沈思熟考し、結局後者を選んだ。

 

その後日本化学会の懇親会でK先生から当方の学位取得を問われ、一部始終顛末をお話したら後日中部大学W先生をご紹介くださった。W先生はSiCのご専門ではなかったので、学位論文のまとめ方を変えて内容が審査できる状態ならば審査しましょう、ということになった。

 

それで、修士の時に発表した3件の学術論文と業界紙や学会研究会の雑誌に掲載された論文などかき集め、まさにカオス状態のこまごました研究テーマを混ぜ合わせた学位論文としてまとめ上げた。

 

新入社員時代の指導社員から「混合」というプロセシングはすべての分野で問題となるので、これをよく勉強するのは重要と教えられたが、まさか学位論文をまとめ上げるのにも役立つとは思わなかった。

 

プロトン導電体から高分子の難燃化技術、さらにはセラミックスとまさに様々な分野の研究成果をカオス混合して当方の学位論文は出来上がった(注)。

 

学位論文の表題の手直しや、一部構成の手直し、その他細々とした体裁など懇切丁寧にご指導いただき、審査料8万円ポッキリで中部大学から学位を頂いた。この金額と比較するとT大に支払われた奨学寄付金の額はボッタクリバーよりも悪徳なレベルである。しかも学位論文のまとめ方について満足な指導も無かった。

 

その内容を読むと研究する価値があるのかどうか不明な、乱雑で手書きされた、およそ手本となりそうもない審査の完了した学位論文を見本として、O先生は貸してくださっただけであり、あたかもこの程度でも学位が取れる、と言いたげだった。

 

まとめ始めていた学位論文の主要部分を扱っている研究論文が第二著者となった論文で大丈夫かと質問して不安になっていた小生を安心させるためだったのかもしれない。どの世界でもネオンの様なきらびやかな看板には誠実さではなく偽りがあるということだろう。

 

スタップ細胞の騒動では、これまたきらびやかな看板のW大におけるコピペの学位論文審査が問題となったが、当方の経験からすれば、審査の先生はもちろん問題だが学位論文の著者にも責任があるように見える。

 

コピペだからという理由で学位を授与後取り消しても問題解決とはならない。一番の問題は、大学の学位審査がどのような指導あるいは運営で行われて来たのか、という点である。その指導が不誠実であれば、教え子も不誠実を学ぶことになる。いつの時代でも師の偉大さはその弟子を見よと言われている。

 

中部大学では、20年以上前から英文で書かかれた論文をすべて日本文で書き直す(当方は、すでに英文で発表した論文をそのまま使用できるので英文の方が便利だったが、日本語に訳すのは英語論文のコピペ防止策と言われた)ような厳しい指導と語学試験など、審査料が赤字になるような懇切丁寧な指導がフルコースで行われていた。

 

だからT大のような、仮に研究論文にそれなりの価値があったとしても、お金を持ってくればすぐに出します、というユルイ審査の姿勢には疑問を持ってしまう。

 

アカデミアの先生には、聖人君主のような方から他人の研究は何でも自分の成果と誤解しているようなとんでもない先生までさまざまである。

 

ただ、いつの時代も社会はアカデミアの知に期待していることを忘れないで欲しい。学位の社会的価値が下がってきているが、当方は中部大学から授与された学位が、自己実現の一つのゴールとして人生の支えになっている。

 

中部大学の先生方の審査料を顧みない誠実真摯な指導と、自分の書いた英文を訳しながら自己嫌悪になったり、ドイツ語の試験も行うといわれてくじけそうになっただけに、苦労して取得した学位の価値は身に染みている。

 

(注)学位論文のタイトルは、「ホウ素、リン、ケイ素化合物によるケミカルプロセシングとその評価」であり、材料創成のプロセシングに視点を置き、まとめている。この作業で電子材料から構造材料までのプロセシングについて考え直す機会となった。これが現在の飯のタネになっているからSiCを中心にまとめ、安直に仕上げた英文の学位論文でかまわないといわれたT大の学位審査を辞退したのは良い判断だったのだろう。亡父から人生に迷ったら苦しい道を選べと教えられたが、これまでの人生では、この言葉に従いすべて良い方に転がっている。例えば、学位論文を読まれた方から、「機能材料」への投稿を勧められ、当方の学位論文の要約が2号にわたり掲載された。ゴム会社ではゴムの混練からセラミックスの焼結まで担当させていただいたが、材料を形にして機能を出すまでの過程にもそれなりの哲学が必要である。本来は科学の対象として研究されるべき分野のはずだが、アカデミアでは研究分野として成功していない。かつて化学工学という講座があったが機械工学との相違が明確でなかった。おそらく経験知や暗黙知の占める割合が多い分野なのでアカデミアで扱いにくいのかもしれないが、それゆえに形式知として研究する必要があると思っている。もしプロセス分野についてそれなりの形式知が出来上がっていたなら、STAP細胞の騒動ももう少しまともな方向に収束していたのではないか。STAP細胞はプロセスがその機能を決めているように夢想している。

 

カテゴリー : 高分子

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