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2018.05/26 カオス混合装置の発明(9)

20日の(8)でカオス混合装置の仕組みを説明したが、このような簡単な仕組みならば特許にならないだろうと思ったら、公知ではなかった。

 

もっとも当方も指導社員の宿題を30年以上考えて思いついたのだから、特許が出ていなくても不思議ではない。

 

当方がどのようにして思いついたのかは30日のセミナーでお話しするが、偶然の出来事である。誰でも注意しておれば気がつくような単純な内容だが、やはりアイデアというものは、どこか頭の隅に種(暗黙知)が無いと思いつかないものである。

 

指導社員に教えられ、いろいろ実験を行い、沈思熟考を繰り返し、そしてある時偶然思いつく。良いアイデアとは努力の積み重ねから生まれる。

 

アイデアマンというと気楽な呼称に聞こえるが、実はアイデアを出すための日々の仕込みが重要である。よく何でも興味を持って眺めるように、という人がいるが、今時そのような行動を街中でとると職務質問されたりする。

 

実際におまわりさんの職質を受けてみると落ち込む。怪しい人間ではないつもりでもお巡りさんから怪しく見えたのだからその行動を反省しなくてはいけない。

 

それからというもの、秋葉原以外ではきょろきょろしないことにしている。秋葉原では、挙動不審以外に風貌の怪しい人などいっぱいいるから安心である。

 

年をとっても不思議なことにこのような仕込みで頭に入れた記憶は失われない。昨日妻に頼まれた買い物はまれに忘れる話を書いたが自分の興味のある内容については忘れるどころか情報がどんどん取り込まれそれが自然に整理され、取り込んだ情報よりも多くなって蓄積されることもある。

 

一を聞いて10を知るとはこのことかもしれないが、情報が知識に加工される過程をこの言葉は表現したのかもしれない。若い時にもこのような瞬間を味わった経験があるが、年を取ってからはそれが多くなったような気がする。おそらく暗黙知が外部刺激により経験知に代わっているのだろう。

 

大学4年の時に故石井先生の博学ぶりにびっくりしたことがあるが、それは年のなせる業かもしれない。また先生の言われた知識が形式知と思っていたら教科書には書かれておらず、改めて相談して経験知であることを教えられアカデミアの先生でも経験知を大切にされていることを知った。

 

この先生のもとで技官をやっておられた福井先生から石井先生の40過ぎに自ら留学を決意された話を伺い、40にして惑わず、と言った孔子より凄いと感じた。本来なら劣っていると感じるところかもしれないが、知というものを追求するのに年の上限は無い、とその話を理解したためだろう。

 

亡父も死の間際まで勉強をしていた。今認知の問題が話題になっている。年を取れば老化があるから認知の衰えも仕方のないことかもしれない。しかし亡父は無くなるまで当方を叱り続けていた。亡父の指摘は時には誤解も多かったが転職してからありがたいと感じるようになった。その当方の年は孔子が惑わなくなった年齢である。

 

40にして惑わず、とは、孔子が学を大成した年齢とされるが、当方の人生観からするとこれは間違っているような気がしている。当方の存じ上げている多数のアカデミアの先生は皆老人になられているが、とても「惑わず」とは思われない先生も多数いらっしゃる。また情報化時代の今日にあって40で惑わない状態は時代についていけない状態となることを意味する。

 

今AIが話題で、人間の仕事が奪われる暗い未来が描かれたりするが、暗黙知をAIに搭載することは難しいし、AIが暗黙知を持つようになるとは思えない。なぜならもしこれをAIに搭載することに成功したとしても暗黙知の制御技術を搭載することなどできないから、AIの暴走を恐れ実用化しないだろうと考えられる。ターミネーターを容易に作ろうと考えてしまう未来など想像したくない。

カテゴリー : 高分子

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