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2019.01/09 働く意味を伝える難しさ

働く意味は貢献と自己実現にあると信じている。しかし、最近の働き方に関する議論を聞いていると、この働く意味も間違っているかのような錯覚に陥る。素直に与えられた仕事を自分のためと社会のためになるようにかたずけるという発想が無い。

 

学業を終え一定の年齢になれば、働かなくてはならない。今この前提を否定することを考えないならば、対価がもらえる仕事が必要である。このとき対価をお金だけと考えるのか、お金以外の対価を期待するのかによって、労働に対する考え方が変わるのではないか。

 

最近の働き方改革で出てくる意見を聞いていると、仕事の対価をお金だけと捉えているように聞こえてくる。実はどのような仕事でも、その仕事を行う人の心がけ一つでお金以外の対価が生み出されることを言いにくい時代でもある。

 

例えば東大本田由紀教授が唱えた概念だそうだが、経営者が社員に対して、「夢」や「やりがい」を強く意識させることで労働力を不当に利用する「やりがい搾取」という言葉がある。

 

当方の過去の活動報告を読んでいただけばわかるが、この言葉に従えば、当方はゴム会社の経営者に「やりがい搾取」にあって、高純度SiC半導体治工具事業を立ち上げたことになる。

 

本田由紀教授がどのような方か存じ上げないが、「やりがい搾取」は、働き手の仕事に対する視点を極めて歪めた概念である。確かにゴム会社の役員は当方のモラールを上げるように動かれた。一方で管理職の一部の方からは、理由は不明だが冷や水をかけられた。

 

当方は高純度SiC半導体治工具の事業を担当しながら、事業の立ち上げ方を勉強させていただいた。またそれを学ぶつもりで一生懸命過重労働にサービス残業、およそブラック企業で働いているような状態で仕事をしていたのである。おかげで、会社の組織の長所や弊害はじめ組織社会で豹変する人間の姿など、学びたくないことまで学ぶことになった。

 

だからFD事件を隠蔽化する動きに対して転職の決意をしたのだ。当方が転職を言い出した時、周囲の方々は信じられない顔をされていた。これ以上はここで書かないが、仕事に対する働き手の視点が異なると、転職理由さえも理解できなくなる。

 

どのような「仕事」にも、働き手の視点でお金では表せない大きな対価があることを働き方改革の議論でも取り上げる必要があるように思っている。「やりがい搾取」は、実務経験のない人が考えた視野の狭い概念である。

 

仕事を片付けることを労働と表現するならば、その労働をお金だけで捉えていては、前時代的なマルクス主義的価値観からぬけだすことができない。昨年さっそうと登場したスーパーボランティアの幼児救出劇を本田由紀教授ならばどのような解説をするのだろうか。

カテゴリー : 一般

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