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2019.01/18 恫喝

今ならば役員による恫喝はパワーハラスメントである。新入社員実習の時、当方のグループ発表に対して「大馬鹿モン」と一喝され、しばらく感情的な説教が続いた。

 

これは、明らかなパワーハラスメントである。この役員に回答した当方はじめメンバーは張り付け状態になった。グループメンバーではなかったが、実習発表を聞く立場のU君は、この出来事はじめ社風が合わないと言って配属が決まるや否や退職している。

 

きっかけは、当方のグループの発表内容について、タイヤ設計技術の基本が理解されていないということで、「君たちにとって、発表内容のタイヤとは何か」という哲学的な質問だった。この質問に対して、当方は多変量解析を用いたデータ解析をグループメンバーに提案した責任から、コンピューター解析手法により解明された設計パラメーターで設計されたタイヤと言うような意味を答えている。

 

当時はZ80が発表されたばかりの時代で、コンピューターと言えばIBMの大型コンピューターであり、それを初体験でも使いこなした自負があった(コンピューターの大きさや価格、OSの難解さを考慮すると初対面で自由に操作できた自信が一人前の技術者になったような錯覚になる存在だった)。

 

当時ゴム会社にはこの大型コンピューターが2台あり、その一台IBM3033というコンピューターを使って解析を進めたので、得意げに成果を説明している。この態度が余計にこの役員を刺激したのかもしれない。

 

当方は一瞬メンバー同様シャキッと(不思議なことにこのような音が聞こえた)凍り付いた。しかし、この役員の説教の内容には新鮮な響きがあり、妙に感謝の気持ちが湧いてきた。当方はマゾではないが、役員は科学と技術は異なり、科学で開発をやってはいけない、と説教しており、反発を感じつつもその言葉のパワーが大きいためにその考えを受け入れる以外に道は無く、なぜか気持ちよくなってきた。

 

洗脳とはこのような状態をいうのかもしれないが、発表会がすべて終わり解放されたあとの夜、U君から退職の話を打ち明けられ、その呪縛は解かれている。U君は科学技術こそ技術の理想としており、経験知を重視したような技術で開発を進める様な会社は肌に合わないというのである。

 

その夜、U君と技術談義となったのだが、夜が明けるころには何故か恋愛談議に代わり、技術開発が生活の営みの一部であることを実感している。この出来事で、当方は科学技術という言葉に疑問を持つようになった。学生時代にTDKの役員による講演、科学と技術は車の両輪であるという話を聞いていたことも影響している。

 

新入社員発表会における役員の説教は、発表内容を頭ごなしに全否定し、自分の考えを押し付け、従うように命じていたので、第三者から見ればパワーハラスメントになるのかもしれない。しかし、これがきっかけで技術というものと科学との関係を真剣に考えるようになったことを思うとパワハラと思えないのだ(女子体操選手の気持ちを理解できるが、今の時代はこれでは間違っている,といわれてしまう)。

 

科学こそすべてという現代の教育が間違っているとは言わないが、経験知も重要な発展の動力となっている技術を少なくとも大学課程だけでも教育カリキュラムに入れる必要を感じている。今、経験知をふんだんにフィーチャーした技術本を書いている。

 

経験知の難しいところは、科学的ではない、という点と、ぼーっとしていてはそれを身に着けることができない点である。科学で未解明な現象ならば、試行錯誤の繰り返しでそれを確認しながら経験知を蓄積することになるが、今の時代ならば、科学で既知の現象理解ができない場合には、科学的論理との類似性から導かれる想像で経験知を見つけ出す努力を要求される。

カテゴリー : 一般

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