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2019.10/29 ホリエモンのツイート

日本の安月給を嘆き、「日本は終わっている」とネットで主張した書き込みに対して、ホリエモンが「お前が終わっているんだよ」と辛辣に批判したことがちょっとした話題となっている。

 

日本のGDPはバブル崩壊後ほとんど上がらず、そのため一人当たりのGDPは、バブル期よりも感覚的にかなり下がったことになる(注)。

 

さらに、この20年間に大半の企業は従来の年功序列型給与カーブから能力重視の給与体系に変えたので、長年勤務しても新入社員時代よりもほとんど昇給していない人もいるだろう。

 

バブル崩壊前、当方がゴム会社にいた時代に、28歳の年間給与は、新入社員時代の2倍となっていた。当時サービス残業が当たり前で残業申請をほとんどしていなくても苦にならないくらいの昇給である。

 

もちろん残業代を毎月20時間以上申請しておれば3倍に上がっていたかもしれない。さらにアメリカ出張が業務になっていた同期の友人は5倍近くあがり、同期から出張成金ともいわれていた。

 

もっとも当方の新入社員時代の年収は、2年目で200万円前後だった(トヨタカローラが100万円で買えた時代である。セリカは180万円、スカイラインは200万円からだった。)。

 

大卒なら入社2年間は残業代がつかないルールだったので200万円を超えなかった。ただし、家族手当が高く、結婚すればこれが300万円前後になるような給与の仕組みだった。給与増やすには嫁をとれ、とも言われた。

 

当時の給与明細書が残っていたので写真会社を退職時に整理した。その時に、ゴム会社と写真会社の社会保険に対する取り組みが異なっていることに気がついた。すなわち、転職時給与は上がったが、社会保険の積立額は2ランク下がっていたのだ。

 

ところで、30歳前後で無機材質研究所に留学していた時には、諸手当や残業代は0となり、独身だったので悲惨だった。今から思い出すとどのように生活していたのか不思議である。

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年収の総額は400万円前後だったが、定額の社内預金や持ち株制度などを満額で給与天引きされていたので、税金や社会保険を差し引くと月給は手元に2万円も残らなかった。住居と通勤費は会社から出ていたので、この2万円はほとんど食費に消えた。

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留学時、無機材研に勤務されていた女性から月給の手取り額を聞かれ2万円と応えた記憶がある。給与明細書の手取り額欄を見た女性は絶句していた。日産自動車からも留学生が来ていたので、自動車会社と部品会社の給与の差が研究所で話題になっていた。

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(注)10年以上毎年中国へいっているので、中国との比較において10年前より貧乏になったような感覚になる。最近、台湾にも行き始めたが、台湾経済は日本と変わらない感覚である。台湾は2000年に比較しGDPは2倍近く伸び、一人当たりのGDPは日本の7割程度だ。しかし、ハンバーグ1個の値段は日本と変わらない。かつて、台北の電気街を歩いたときにはその価格の安さに驚いたが、今や日本の秋葉原の感覚である。

ところで、40年前の日本では、毎月100時間以上の残業を多くのホワイトカラーが平気で実践していた時代である。ゴム会社の研究所は20時間以上の残業をつけてはいけない、と言われていた。例えば、当方は上司から趣味で会社に残っている人間に残業代を支払えない、と言われた。今なら問題となる発言である。しかし、当時はパワハラ、セクハラ何でもありで、当方などたまに実験装置がイタズラされたりして、職場に危険が存在していた。また、危険物の調査に消防署が来たときには、ワゴン車に危険物をヤマズミして会社の構内を周回していた。運転はいつも当方だった。さらに上司が午前中の会議で風邪をひいたということで、午後当方が上司の車を運転して家まで送らされた。帰りは作業着のままバスで会社に戻れと言われた。それでも問題とならなかった時代だ。とても昔は良かった、と話す気になれない。

話は変わるが、若者の車離れが言われているが、カローラが200万円を超え、入社後10年経っても給与が増えなかったら、車など買えないのである。昔は入社後3年以上経てば、昇給分でカローラ一台買えた時代である。また、車を購入するために会社はお金を出してくれなかったが、結婚すれば100万円近く家族手当が年間ついたので、給与を増やすために早く結婚した人もいた。最近独身が増えた、と言われるが、給与体系の影響もあるのかもしれない。

給与面は良かったかもしれないが、それは日本国中で平社員がサービス残業でも文句を言わない、あるいは言えない時代だったからである。30年前でも職場の不正など口にできない時代で、当方はそのために転職している。今は、SNSで晒すことができて、企業のトップが頭を下げなくてはいけない時代になった。はるかに昔より日本は良くなったのである。職場環境が良くなってもGDPは上がらない。良い職場環境を維持しつつGDPを上げるにはどうしたらよいかを考えなくてはいけない時代である。日本社会は良い方向に進んでいる。知識労働者の生産性を上げるために弊社は頑張っている。

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