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2020.04/11 何のために働くか

ある老夫婦で起きた新型コロナウィルス感染による配偶者との別れをNHK-TVで放映していた。当方はその老夫婦と年齢は離れていても思わず涙が出てきた。

 

今、人生を改めて考えるのによい機会かもしれない。特に人生において労働期間は重要である。しかし、必ずしもその期間に皆が幸福であるとは限らないのはニュースで自殺者を報じている現実が示している。

 

コロナ禍はおそらく地球上の人類史に残る事件だろうけれども、今労働者として最も脂ののった年齢の方々にとっては、大変不幸な出来事だろう。

 

あるいは、老後を楽しもうとしていたところコロナウィルスで命が奪われるといった不幸を思う時、せめて働いていた時には最も幸せであった、と思える様な人生は一つの理想に思えてくる。

 

人生の幸福に対する考え方は人様々であるが、労働期間を幸福に過ごすことができる方法があったら知りたい、と内心思われている方は多いのではないか。

 

当方はゴム会社に入社し、新入社員研修を経て研究所に配属され、社長方針に則り高純度SiCの事業化を推進した。

 

しかし、住友金属工業とのJVが立ち上がったところで、FDを壊される妨害を受けた。その事件を隠蔽化する研究所の方針に納得がゆかず転職している。

 

この転職については、高校時代から読み続けてきたドラッカーの哲学に従ったわけであるが、FD事件はトラウマとして今でも残っている。

 

それにもかかわらず、高純度SiCの事業を基盤技術0のゴム会社で立ち上げた経験や、当時の役員の方々との交流の思い出は幸せな思い出として残っている。

 

高純度SiCの事業は30年ゴム会社で続き、今は愛知県の企業に事業譲渡されたが、自己の強みで新事業を生み出した満足感は、たとえそれが報われていなくてもドラッカーが述べるところの貢献による人生の幸福につながっている。

 

FD事件を起こした犯人やそれを隠蔽化しようとしたI本部長はどのように考えておられるのかヒアリングをしたい気持ちも少しはあるが、退職後彼らの悪い評判を聞くと今更会いたいと思う気持ちも失せる。

 

人の数だけ人生模様はあるが、他人を不幸にしてまでも手に入れた幸福は本当の幸福かどうか。

 

霞を食べて生きてゆけないけれど、日本ではセーフティーネットがそれなりに存在するので、強みを磨きそれで社会に貢献して生きた人生は一つの幸福の姿かもしれない。ゆえにスーパーボランティアが話題になったりするのだろう。

 

死は誰にでも訪れるが、死ぬ時の幸不幸は神のみぞ知る。せめて生きているときの幸福、とくに働いている時の幸福感は最大にしたい。

 

 

 

カテゴリー : 一般

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