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2020.12/16 仕事に対する誇り

「働く」とは「貢献」と「自己実現」である。このように定義したのは、小生の記憶が正しければ、ドラッカーである。ドラッカーの書で初めて「働く」意味を知った。

 

昨日の文春オンラインに霞が関の働き方改革について山口真由氏が自己の「クリスマス事件」を引き合いに書いている。これは、当方のFD事件の体験に較べれば、幸福な体験談である。

 

しかし、この文章を読み、ただ年寄りの繰り言を述べていても仕方がないことに気がついた。これは早期退職を決意した時、あるいはそれ以前から悶々としていたことだが。

 

亡父は、自己の職業に満足していたし、その後の死ぬまでの人生に不満を述べたこともない。それが本音であったことは、死後の荷物整理でわかったことだが、幸福とはこのことだろうと、感じた。

 

亡父の人生は、当方の人生に較べて裕福だったわけでもなく、学歴も無く社会を生きてきた。高校時代に東大国語入試過去問題で亡父に圧倒的な差をつけられて学歴を超えた知性の存在を知り、日記からその深さを学んだ。

 

死後読まれるかもしれない日記を意識したかもしれないが、それを割り引いても考え方や価値観にはドラッカーの影響があった。ドラッカーよりも亡父の方が年上ではあったが。

 

職業選択の自由が保障された日本では、自分で誇れる職業を選びたい。それが難しい時代であるゆえに次の世代が誇れる仕事なり職場を生み出してゆくのは、今の世代に課せられた「つまらない」仕事かもしれない。

 

「つまらない」仕事かもしれないから、形式的に片づけていい、というものではない。仕事や職業の価値が時間単価で決まる、という価値観をどのように越えるのか、という難しい命題が存在する。

 

今の時代、社会システムは一応賃金0でも命をつないで生きてゆけるまで達した。それだからこそ「22時完全閉庁」のような形式的な改革は無意味であるし、むしろ問題を複雑化する可能性すらある。

 

今本当に求められているのは精神的改革という、どのように取り組んだらよいのか皆で知性を高め知恵を出し合わなければできない改革である。

 

ただ、このように書くと、「具体的な方策はなんだ!」というステレオタイプ的反論が来る。ゆえに先の山口氏は「クリスマス事件」と書いたのであろう。

 

今求められている働き方改革は、ある職場の時間制限をして解決がつく問題ではないだろうと30年のサラリーマン生活から感覚的に思っている。

 

戦後レジームからの脱却などというつもりはないが、それこそ日本全体が憲法の見直しから始めて日本人の精神構造を見つめなおす作業が必要なのかもしれない。

 

どのような職業でも職場でも活き活きと夢を持って働ける社会を作りたいものである。労働は人生の一部であり、しかも長い人生の一番良い期間にそれが位置している。定年を過ぎても働く活力はここから生まれている。

 

カテゴリー : 一般

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