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2021.06/13 若い人へ(2)

大学4年の時に所属した講座は、今ならばモーレツなアカハラ、パワハラ講座と言われかねないような講座だった。しかし、それを承知で集まっていた学生ばかりだったので、だれも文句を言わなかっただけでなく、マゾ集団と錯覚するような明るさがあった。

当方は大学院に行く予定をしていなかったので第二外国語を教養部で選択していなかった。また、同級生の希望が少なく、じゃんけんをする必要が無いという理由でその講座で卒業研究をスタートしている。しばらくして企業の奨学金を用意するので大学院を受験せよと教授から言われた。

大学院の試験日と教員採用試験が近いこと、第二外国語を受講していなかったことを伝えると、毎朝8時から1時間ドイツ語を指導するから大丈夫だと至れり尽くせりだった。ただ、これを進学の押しつけ、と捉える人もいるかもしれないが、当方は素直に受け入れた。

さらに、卒業研究をまとめてアメリカの学会誌に載せることなど、当時の能力から想像のできないゴールを提示されて、学生生活最後の楽しいはずの1年間が、睡眠時間4時間を切る地獄の1年となった。但し当方には徹マンで鍛えた体力と判断力があった。

毎日先生に叱られない日が無かった1年だったが、明らかに研究者としての力量はうなぎのぼりに上がっている実感があった。例えば、研究データをまとめた卒業論文を提出したら、締め切り前日にも関わらず50報の英語論文を渡され、これで研究の背景をまとめよと言われた。この時、一瞬目の前が真っ暗になったが、徹夜で作業して翌朝に30ページほどにまとめることができていた自分の能力に驚いた。

さらに、これを卒業論文に加えて、翌日朝提出したところ、卒論の要約を1週間で英文にまとめよという課題として予定されていなかった宿題を卒論受理の交換条件として出されたのである。

不思議にもこれを3日でまとめることができたのだが、1年前に比較して自分では想像できないレベルまで学力が上がっていたことを自覚できた。大学院も無事合格し、さらに授業料無料の特典と育英会および企業との2か所の奨学金というご褒美もついた。

(注)学生と言う立場では先生の指導に従う以外に仕方がなかった時代である。厳しい講座であることを噂で聞いていた。なぜかその講座の学生は大学院入試の成績が良く、さらに前年度びりの学生が大学院の受験を一度諦めたが、思い直してこの講座の指導を受けて東大大学院に合格した話が噂になっていた。本当にびりだったかどうかは知らないが、とにかく勉強のできない学生が皆優秀になって卒業してゆくといううわさは、麻雀とパチンコに明け暮れた学生にとって異次元世界であり魅力的だった。そして、その講座で学んでみて噂ではなく能力が確実にアップする講座であることを体感できた。そのようなカリスマ講座が当方の学年を最後に教授の定年を理由に突然閉鎖された。

 当方は大学院の進学先が無くなったわけだが、教務課からどこでも大丈夫と言われたので、SiCウィスカーで著名だった定員いっぱいの講座を希望した。その結果、学部1年間は有機合成を研究したにもかかわらず大学院では無機材料合成を研究することになった。研究者を目指していたわけではなかったので、専門へのこだわりは無かった。

 さて、大学院の2年間は、4年生の時に出来上がった習慣で研究論文4報分の研究をまとめることができた。PVAの難燃化を1報としてまとめて投稿した以外に、簡単なノート程度の論文を3つ大学院時代に発表している。就職後卒業してから行った2週間の実験結果も加えて3報の論文を書いている。博士課程まで進学しておれば必要な論文数を満たしていたので学位をとれたが、ゴム会社へ就職している。

 大学へ進学した時にオイルショックで就職氷河期だったので教師になる予定でいたが、教育熱心な先生方の指導で技術者としての人生を歩むことになった。今から思い出すと、あの1年間は第三者が見るとアカハラパワハラとみなせるような状態だったのだろう。しかし、当事者である当方は能力開発をしていただいて感謝をしており、ハラスメントという実感はない。

 半世紀近い人生で、あれほど厳しい1年間の生活は記憶にないが、受験勉強とは異なる能力が向上する楽しさを味わった1年でもあった。30年ほど前からコーチングが流行しており、このようなスパルタ教育はもう流行らないし、社会的に許されない時代になった。ただ、指導する側の熱意をあの一年間ほど感じた体験は無い。

 おそらく今の企業であの一年間のような人材育成を行ったら、確実にアウトだろう。優しくコーチングによる人材育成が求められているのだが、このコーチングでも熱くなったらハラスメントまがいの問題が生じる。企業においてどのように人材育成したらよいのか難しい時代であるが、何かございましたら弊社にご相談ください。

 人を育てることは難しい。育てられる側の心の準備も必要である。この準備ができておれば、第三者が見てハラスメントでもハラスメントと感じることはない。ただし、今は第三者が見てハラスメントならばアウトの時代なので、育成される側が、育成者の熱意をどのように受け止めることができるかがハラスメントの分かれ道になっている。人材育成が難しい時代である。しかし、企業では戦力となる人材を育成しなければならない。

 トヨタ自動車で問題となったパワハラがどのようなものだったか知らない。指導する側と指導される側との間に良好な人間関係ができていなかった可能性がある。また、指導する側が今の時代に合わない熱意を発揮したのかもしれない。「巨人の星」に出てくる星一徹とその子星飛雄馬は最後に抱擁のシーンで終わるが、ちゃぶ台返しとげんこつは今の時代にはDVとして警察の手を煩わせることになる。当方の大学4年時の1年間は、さすがに実験台をひっくり返すような事態は起きていなかったが、実験を行う研究者として身につけなければいけない厳しい躾や質問に答えられない時に自分で答えを導き出さなければいけない厳しい指導があった。さらに学部の異なる鬼軍曹と呼ばれた教授の指導まで受講できた。科学の研究者を目指す若者ならば極楽のような一年だった。

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