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2021.12/22 日本の没落を忘れるな

バブル崩壊後30年ほどたち、最近日本の没落を伝える記事が多い。かつてJAPAN as No.1と言われた日本の国際的地位がバブル崩壊後下がり続けている。


また、この20年日本を代表する大企業の内紛や不祥事が多く伝えられただけでなく、倒産や分社化で騒がれたかつての大企業も存在する。


経営の問題だけでなく、半導体事業のように技術とは何かを忘れ、あっと言う間に没落した産業も存在する。かつて半導体事業に関わっていたサラリーマン経営者が、今、国が数兆円の規模の投資をすれば復活できる、と語っている記事を読んだが、当方は思わず笑ってしまった。


従来のやり方をそのままに復活しようと考えていることが間違いであることに気がついていない。1970年代に日本は空前の研究所ブームだった。そしてその研究所から成果の出た企業も幾つかあったようだ。


ゴム会社も研究所の開発成果で合成ゴム会社を設立して、その成功体験を足場に研究所はますますアカデミックな姿へ変貌した。困った経営陣はそのような研究所とは異なる研究所、タイヤ基礎研究所を設立し、従来からの研究所をそのまま放置した。


その結果、この昔からの研究所はますますアカデミックな傾向を強くし、事業から離れていった。そんな時に入社した当方は、そこへ配属されて高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVとして立ち上げたのだが、アカデミックな研究所の組織でその開発業務を継続することは地獄と同じだった。


さらに事業が立ち上がるとFDを壊されるなど実害が目立ち始めたので、もう誰に任せても事業が続くと判断し写真会社へ転職しているが、科学こそ事業成功のための重要な哲学と今でも信じている人は多い。


しかし、人間の世とは、科学とは異なる次元の技術で進歩している分野もあるのだ(注1)。例えばDXで起きているイノベーションでは、科学の進歩に忖度せず新たな技術を生み出している(注2)。


科学は、形式知として技術の伝承に重要であるが、新しいモノを生み出すためには時間がかかる哲学であることに気がつくべきである。それに対して、技術とはヒューリスティックな解でもあみだくじでもなんでも許容し進歩し続ける人間の営みである。


科学では、研究目標に対して管理を行うことにより効率を上げられる側面を持ち、科学的に当たり前の開発目標に対してある程度のスピードアップを見込めるが、技術では、とりあえず目標を作り上げるアジャイル開発により未知の科学を取り込んだ開発が可能である。


来年、科学と技術について、データサイエンスを題材にしたセミナーを予定している。ご興味のある方は問い合わせていただきたい。


(注1)哲学者イムレラカトシュは、その著「科学の方法」において、科学で完璧に証明できるのは否定証明だけと述べている。すなわち科学に忠実になればなるほど新しいモノを生み出せないというようなパラドックスが存在する。

(注2)これを科学の進歩があるので可能なのだ、という古い価値観の人がいる。技術が技術基盤の上に構築されていくことをご存知ない。これは、わずかな形式知の中で、バッハ以来連綿と進歩した音楽を考えていただくとよいかもしれない。黒人がブルースを生みだし、その上に白人がロックとジャズを発展させ、その後クロスオーバーが生まれた流れを思い出してほしい。今起きているDXは技術のクロスオーバーを引き起こしているようなものだ。科学は重要であるが、重要であることとそれが技術開発において最優先されるべきかは異なる考え方である。科学的でなくてもそれが再現よく機能すれば受け入れる柔軟さが求められている。新たな技術が生まれてから科学でそれを証明するという出来事を人類の歴史で見ることができる。

 

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