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2022.02/04 コーチング

研究開発部門でハラスメントを防止したいならば、役員以下皆コーチングスキルを身に着ける必要がある。しかし、当方のサラリーマン生活でもコーチングスキルの優れた役員を見たことが無いので、難しい願望だろう。


学生の時に今でいうところのアカハラとうわさのあった研究室を希望して研究生活をスタートしている。確かに厳しい研究室だったが、おかげで大学院に進学予定でもなかったのに進学でき、奨学金ももらえるほどの成績で、さらに教授推薦で授業料も免除されて幸運な3年間を送った。


3年生までパチンコ麻雀に明け暮れた生活が、勉学一色の生活となったがこれはこれで楽しかった。このときご指導くださった3人の先生は、今から思えばコーチングの名手だったのかもしれない。


ドイツ語を選択せず、英語だけの単位で進級してきた当方に対して、教授は毎朝1時間ドイツ語の指導をしてくださったが、ドイツ語の授業ではなく、毎日ドイツ語の専門書1ページ読むのが目標という指導だった。


ドイツ語の文法など全く分からない当方に、辞書の引き方を毎日丁寧に指導してくださった。不思議なことに1週間でドイツ語文法が身についた。1年間のカリキュラムで使用するドイツ語文法書を1週間で読み終えたのである。


無言の圧力が毎晩の復習のモティベーションとなって学習が加速度的に進んだのかもしれないが、これもコーチングと呼べる指導かもしれない。教授から決して褒めてはいただけなかったが、「今日はここまでか」とため息交じりに言われると不思議に明日こそ頑張ろうという意欲が沸いた。


4年の時に指導してくださった助手は、当方の名前を呼ぶだけだったが、その意味は声のトーンで理解できた。1年間名前しか呼ばれた記憶がなく、唯一明確な指示だったのは卒論を提出した時で、明日までにこれをまとめて序文としてつけるように指示された。その「明日」とは提出締め切り日だったのだが、50報もの英語で書かれた論文を渡された。


できるかどうか迷っている時間はなかった。すぐに家に帰り徹夜して論文を読み卒論を書き直した。翌日卒論を提出したところ、すぐに英文に直すように言われた。卒論を受理されたのだが、すぐにアメリカ化学会誌へ投稿する論文を書く宿題が出たのだ。


青色吐息で卒業証書を頂けたが、ショートコミュニケーションではあったが学会誌に載った体験は大学院で半年ごとに研究成果について論文をまとめる習慣となった。


有機合成の講座から大学院では無機合成の講座へ移った。この2年間ご指導してくださった先生は、毎日もうそのテーマは面白くないだろう、というのが口癖だった。


教授から出されたテーマだったが、毎年教授が出されたテーマを最後までやり通した学生はいなくて、皆が助手の方が企画した研究テーマに変更していた。


理由は、二週間ほど調査して理解できた。すでに研究成果が出ているテーマで研究するところが無いようなテーマだった。当方はホスフォリルトリアミドの重合によりポリマーを合成するのが課題だったが、すでにその重合機構や反応について研究論文が存在していた。


耐熱高分子から高分子の難燃化が興味を持たれる時代で、たまたまPVAの難燃化を某塗料メーカーの研究者が相談に来られた。そこてPVAの難燃化を研究したところ、アイデアが当たってすぐに良い結果が出た。そこで教授から出されたテーマを拡大解釈し、応用研究を2年間することにした。


研究の方向を自ら決めてショートコミュニケーション含め2年間6報の論文を書ける成果を出せたのだが、これだけ成果を出せた背景には、図書室にケミカルアブストラクトを調べに行くと、表紙に鉛筆で丸と二重丸の落書きがされ、紙片が挟まっている不思議な現象のおかげだった。


すなわち、誰かがホスフォリルトリアミドや、その他の高分子難燃化技術、あるいは無機高分子など当方の研究に必要な論文を先回りして読んでおり、重要度別にマークをつけておいてくれたのだ。


ゆえにある日から当方は、紙片と落書きを目標にケミカルアブストラクトを読むようになり、調査の効率が上がるとともに、研究アイデアも自然と浮かんだ。


2年間を終了し、図書室でケミカルアブストラクトに落書きしている犯人を図書担当の女性に尋ねてみたら、指導してくださった先生だった。くだらないテーマを辞めよと言いながら、研究の方向を当方よりも先に調べていたのだ。そしてそれを落書きとして残していた。


古いケミカルアブストラクトも調べたところ、教授の出された過去のテーマについて皆落書きのマークがついていた。当方以外の学生は、おそらくこのマークに気がつかなかった可能性がある。

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