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2022.04/03 化学という学問

科学誕生以前から化学という学問が存在していた。化学に限らず物理学も数学も科学誕生以前から存在していた。この当たり前の事実に気がついていない人が多い。


このようなことをあえて指摘する理由は、科学的方法以外の考え方が存在すること、そしてその方法が現象の理解や問題解決に科学的方法と同じように役立つことに気づいてほしいからである。


学校では科学的方法が唯一の方法のように教えられている。それが戦後長らく続いてきたが、最近はプログラミング教育が導入されたのでそれを通して非科学的方法を学べる環境ができてきた。


実はプログラミング教育以外でも科学によらない考え方を教える機会があっても教育指導要領の制約から教えられてこなかった。


高校生の時に、数学でユークリッド幾何学を学んだ。教科書は教師の手作りによるところが新鮮だった。物理でもニュートン力学として学んでいる。ところが化学はまるで暗記課目のような授業だった。


「水兵リーベーー」から「ふっくらーー」などただひたすらお経のように唱えながら周期律表を記憶している。本当はもう少し面白い教え方があったはずである。生徒として不満だった。


第二次オイルショックもあり、就職先の心配があったので教職の単位も学生時代取得している。高校で教育実習を行ったとき、2週間教科書を離れた教材の授業が許された。


しかし、結局化学の何たるかを今ほど考えていなかったので、生徒に迷惑をかけた授業になった、と反省している。化学で重要なことは、現象の変化をよく観察して、そこに機能している物質の変化(これが化学である)を見出すことだと大学院を修了する頃より考えるようになった。


大学4年の時にシクラメンの香りの合成経路について開発でき、アメリカ化学会誌に紹介されているが、それができて化学という学問について科学的でない側面に気がつき、大学4年から考えるようになっていたのかもしれない。


科学的には物理的変化と分類されても化学変化としてとらえた方がアイデアを発展できる現象がある。例えば吸着では、物理吸着と化学吸着がある。


物理吸着だけを扱っていては面白い製品開発が難しいが、化学吸着まで広げてアイデアを展開するという事例を説明すれば申し上げたいことが伝わるだろうか。


大学4年時に有機金属錯体の研究をしており、その時当時の触媒化学が前時代的学問のように感じられた。学会で議論を聞いていても有機金属化学における議論よりもレベルが低かったように思われた。


今はどうか知らないが、そんなこともあり、研究室がつぶされたときに大学院進学が決まっていたので思い切って無機化学の勉強をしようとSiCウィスカーを研究している講座へ進学している。


ただ、SiCウィスカーというものを本当に理解できたのは無機材質研究所に留学した時であり、ここでも学問の進化を実体験することになった。40年近く前は、同じ化学という領域内でも研究者によるレベル差が存在し、そこから学問の進歩を感じることができた時代である。


今も学会の発表を聞くと研究者による研究のレベル差が存在するが、それが学問の進歩ではなく不勉強によるものだと感じるのは年を取ったせいだろうか。

カテゴリー : 一般

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