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2021.08/18 大阪なおみの記者会見

 

テニスの4大大会、全米オープン(OP、30日開幕・米ニューヨーク)の前哨戦、ウェスタン・アンド・サザンOP(米シンシナティ)に出場する女子テニス世界ランキング2位大坂なおみ(日清食品)が16日、大会前の公式オンライン記者会見に出席した。質疑の途中で泣き出して約4分間中断したという。(スポーツ報知8・17抜粋)



この会見で大阪なおみは、「自分のためにしか話せない」と答えたという。正直な回答である。これまで、多くのスポーツ選手が「公」を意識した理想的な会見をこなしてきたが、大阪なおみは、自分は一テニス選手であって、それ以上の期待をしてもらっては困る、というのだ。



これは組織で働く人間も本音はこうではないのか。ただサラリーマンが出世するためには組織に滅私奉公しなければならない。給与を増やすためには出世が必要で、そのため反道徳的なことでも上司に忖度しなければいけない。



あるいは、当方がゴム会社で被害に遭い転職したように他人の業務妨害をしてでも自分の立場を守らなければいけないという犯罪まで平然としてしまうサラリーマンの存在、はたしてこれが健全な社会だろうか。



大阪なおみは、テニス選手として頑張っている姿を見てもらうだけで良い、と言っているのだ。あるいは、その程度の貢献で許してほしい、と正直に記者会見で応えている。



彼女はプロのスポーツ選手だが、それゆえ記者会見で社会に有益なアドバイスをしなければいけない、という一般の期待は、彼女のパフォーマンスを落とす問題が明らかになった。



サラリーマンの過剰な滅私奉公や大阪なおみの記者会見の問題は、貢献の仕方を問うているようだ。成果主義の現代における貢献について、成果だけでは許されないのだろうか。



かつて1970年代のフォークソングブームでは、あえてマスコミに姿を見せず、そのカリスマ性でファンを獲得する手法が使われた。良いパフォーマンスの成果だけを提供するだけでも十分な貢献とみなしても良いのではないか。



思い出されるのは、ローラボーである。プロのゴルフ選手として大した成績も残さず、その美貌とコミュニケーション能力でゴルフ界の大スターとなった。プロのスポーツ選手としてどのような選手を私たちは期待しているのだろうか。



ローラボーの対極に大阪なおみを位置づけたなら理解しやすい。少なくともプロスポーツの世界では、何か尖がったものがあればスターになれるのだ。記者会見の義務化は辞めた方が良いのでは?

 

カテゴリー : 一般

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2021.08/17 ブリードアウト

高分子製品で比較的品質問題が多いのはブリードアウトと呼ばれる現象である。高分子材料には、成形性を改善したり、難燃性を付与したり、耐久性を上げたりする必要から必ず何か添加剤が数%以上添加されている。


その添加剤が表面に染み出してきて(ブリードアウトして)品質問題を起こす。このブリードアウトと言う現象は、高分子材料では必ず発生している。すなわちブリードアウトが生じても品質問題となっていない場合がある。


実は高分子製品を設計するときに、ブリードアウトを100%防止しようとすると製品設計などできない。ブリードアウトしてもそれが品質問題とならないような設計ならば可能である。


また、積極的に高分子のブリードアウトを利用している分野もある。例えばタイヤは、常にワックスが表面にブリードアウトしている状態になっており、その黒く美しい(?)外観を保っている。外観の美しさだけでなく紫外線によるゴムの劣化防止にも役立っている。


50年以上前のタイヤでは、時々粉を吹いているようなタイヤが存在した。ワックスが表面にブリードアウトして結晶化したために白い粉を吹いたような状態になっていた。


これは、品質問題となり、その改良が求められたが、その時ブリードアウトしない目標を設定できなかった。なぜなら、全くブリードアウトしないタイヤでは、ゴムの劣化が早まったからである。


 

カテゴリー : 一般 高分子

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2021.08/16 オーディオ業界に学ぶ(6)

オーディオ業界の衰退が起きたからと言って、音楽を楽しむユーザーがいなくなったわけではない。なぜなら音楽配信事業やユーチューブは盛況だからである。


音楽の視聴スタイルが変わった、と評論する人がいるが、それならばオーディオ業界もマーケットを調査し様々な商品を出してきたことをうまく説明できない。


例えばソニーのウオークマンのヒットは、ユーザーのスタイルに合わせた商品だったのでヒットしたのである。残念ながらウオークマンは携帯電話の一機能で代用できる時代になったので、不要の商品となった。


当方はオーディオ業界の衰退は、音楽を配布するための媒体とそれを再生する装置の変遷が激しく、オーディオ業界がその時代に真にユーザーが望む商品を提供してこなかったため起きたのではないかと思っている。


携帯電話で多くの若者が音楽を楽しんでいる姿を見るにつけ、そのように考えてしまう。もし、今の時代にオーディオ製品を企画するとしたならば、携帯電話を接続可能な3万円前後の卓上ステレオだろう。


ところが、3万円前後の卓上ステレオと言う企画商品をまとめるのが結構むつかしい。なぜならハイファイオーディオを目指した時のスピーカーの品質をこの価格で実現できないからだ。


そこそこの品質のスピーカーをパーツで購入し自作しても、パーツ代だけで2万円前後する。すなわち、良い音を空間で再生しようとしたときに、その再生装置を安価に設計できないのだ。


この原因は、「良いスピーカー」の標準規格が存在しないことが大きな原因と思っている。例えばギターアンプのキャビネットは、良いものを購入しようとすると10万円以上するが、そのような商品で日本の住宅環境に合ったものは無い。


そこで自作してみたのだが、スピーカー部分は9千円ほどで20万円相当のものができた。これを駆動するアンプについては中古部品を1000円で調達し、20万円相当のギターアンプ(クリーン)の音が出そうなキャビネットができた。


この実験結果で重要なポイントは、ホームオーディオ用のスピーカーが高すぎるという点である。ギター用の10インチのフルレンジスピーカーは3000-5000円で部品を購入可能だが、ホームオーディオ用では8000円以上する。ステレオだからこれが2セット必要だ。


ギター用の良質なスピーカーが安い原因は1960年代から造り続けてきたスピーカー、いわゆるビンテージスピーカーだからだ。これが商品として店頭に並ぶと20万円となっている。面白いのは無印のスピーカーを用いたエレキギター用キャビネットの最も安価なものは5000円前後で購入可能だ(但し音を我慢する必要がある。ロックのように歪ませるだけならオーバードライブにするとそれなりの音が出るが—)。


すなわち、オーディオ業界の衰退の原因は再生装置のキモとなるスピーカーのコストダウン努力を怠ってきたところではないかと思う。スピーカーの技術は1960年代から大きく変わっていないのに、である。


今やSN比の高いデジタルアンプは10Wステレオ出力の場合に1万円以下で購入可能である。10Wあればデスクトップで楽しむには十分な出力だ。当方は片チャンネル60Wのアンプを用いて音楽をかけ流しで生活しているが、この時のアンプ出力はせいぜい2Wから3Wである。耳の悪くなった年寄りでさえこの程度である。


現在生き残っているオーディオメーカーが真剣にスピーカーのコストダウンを実現し、3万円前後でインターネットとも接続可能な魅力ある卓上ステレオを販売したならば、必ずヒットする。

カテゴリー : 一般

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2021.08/15 日本の思考停止

昨日の日刊ゲンダイデジタルに三枝成彰氏の「東京五輪の”学芸会”開閉会式は日本のダサさと思考停止ぶりを世界に知らしめた」と言う記事には同感である。


今回の東京五輪の開閉会式の出し物について開催前にすったもんだしたあげく、お金をかけた三流のショーになっていたのは誰の目にも明らかだった。


松健サンバ待望論もツイッターで出ていたが、お金をかけずサンバでも踊っていたほうが言い訳ができただろうと思う。サンバ一色ではどこの国かわからないので阿波踊りや東村山音頭などを総動員すれば費用も安く日本を表現できたのではないか。


冗談はさておき、三枝氏の指摘は東京オリンピックに限ったことではなく、バブル崩壊後の日本企業にも当てはまる。何かコンプライアンス違反でも起きようものならすぐに謝罪する。本質的な解決は後回しにまず世間に良い顔をしてごまかそうとする姿勢が見えている。


例えばくい打ち不正で問題となったハウスメーカーでは子会社社長が謝罪し、真摯に再発防止に努める、と言っていたが、その後この会社に我が家の定期的な外壁修繕をお願いしたら、多数の壁の装飾を壊してその上から塗装し、見栄えの悪い工事をされた。


クレームをつけても音沙汰なしで半年ほったらかしにされたので、本社のホームページに実態を投稿したら、本社の課長が謝罪しながら実態を点検確認し、無償で修理すると言ってきた。当たり前である。


ヘーベル板は建築後20年でガタガタになるような材料ではない、と宣伝しているのだ。またそうならないためにユーザーもハウスメーカーに言われるままメンテナンスをしている。


ついでに工事の際に養生を忘れて玄関扉を汚した話をした。そうしたら、担当者が工事前の汚れていない写真を見せて、そのようなことは無いと否定してきた。


当方は工事終了後に汚れた状態の写真を撮っていたので、遠山金四郎が刺青を見せるように、その写真を見せたら課長も含め写真の前にひれ伏した。当方はそのようなことを望んでいたのではなく、誠実な対応を希望していただけである。


東京五輪に限らず、日本中が安直な思考で商業主義的にただ儲かればよいという考え方で企業活動が行われているように思われる。品質問題は高度経済成長期でもあったが、もっと対応が誠実だった。東京五輪の失敗を事例として企業活動も見直してみてはいかがか。

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2021.08/14 オーディオ業界に学ぶ(5)

1970年代から1980年代にかけてオーディオ業界は活況を呈していた。卓上のコンパクトステレオから超高級品までそれぞれのセグメントごとに王者が存在した。


ローエンドはブランドよりもコストであり、ハイエンドはコストよりもブランドと言う状態だった。ミッドレンジはブランドとコストのせめぎあいであり、ブランド力の無い家電業界のステレオは次第にこのレンジで淘汰されていった。その結果ローエンド製品も消えるという運命をたどった。


アカイやナカミチといった高級録音機に特化したメーカーも存在した。しかし、時代の流れとともに一般向けの製品は作られなくなり、プロ向け、いわゆるBtoBのビジネスに転業したり倒産したりした。


面白いのは、音響機器でありながら、音楽演奏者用の機器は独自のマーケットを形成していったのである。ギターアンプは今でも健在である。またコンピューターの普及でDTM商材も時代に応じて新製品が開発されている。


この分野を観察すると面白いのは、必ずしも価格と性能が相関していないのだ。オーディオ業界で真空管アンプと言えば20万円を越える価格帯の製品だが、ギターアンプでは2万円台から存在する。


ギターアンプの分野で真空管アンプと言えばマーシャルだが、VOXも十分に頑張っておりビートルズ伝説を活かして真空管アンプの新製品を2年前上市している。ホームオーディオ市場でアンプは死滅状態だが、楽器分野では今でも新技術新製品が登場している。この10年のトレンドはモデリングアンプである。

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2021.08/13 オーディオ業界に学ぶ(4)

現在のハイファイオーディオの市場は、それを趣味とする人たちの間に今でも存在するが、それも次第にシュリンクしており、生き残った高級オーディオメーカーも将来の事業について模索をはじめている。


当方のリビングルームにはボーズとオンキョーのスピーカーがあり、ローテル社の最高級プリメインアンプにつながれている。CDプレイヤーやダイレクトドライブのレコードプレイヤーも健在で、たまに昔のレコードを楽しんだりしている。


2種のスピーカーがつながれているのは、音場調製用である。当方のリビングルームは専用のオーディオルームではないのでどうしても音場が不正確となる。そのため、どこで聴いてもステレオ感を楽しめるように2種のスピーカーが使われている。


体験からハイファイオーディオ製品には今でもその性能が差別化されていることを理解できるが、それでも市場が無くなった現実をどのように理解すればよいのか考えてきた。


その結果明らかに家電のマーケットとは異なる市場の特徴に気がつくとともに、現在それなりの市場を形成している製品でもハイファイオーディオと同様の運命となる可能性のある製品群に興味が出てきた。


ハイファイオーディオの市場がシュリンクしたと言っても、音楽市場全体はシュリンクしていない。むしろインターネットの世界を中心に広がりを見せている。ゆえにその再生装置の市場もそれなりに存在している。


一般に若者の音楽を聴くスタイルが変化したのでハイファイオーディオ装置市場がシュリンクしたと説明されるが、それは現象を説明しているにすぎず、そこから市場開拓のアイデアは出てこない。


ハイファイオーディオ市場の衰退について考察を進めた結果、当方はオーディオメーカーの市場戦略と新製品開発の失敗が現在の状態を招いたのではないかという結論に至った。

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2021.08/12 オーディオ業界に学ぶ(3)

オーディオ業界は、およそこの50年間に誕生から衰亡までを経験した業界である。今この業界は、車載用オーディオ製品がメインとなり、BtoBのビジネスが展開されている。


そこではブランド価値が付加価値となっており、単なるOEMビジネスでは利益があがらないので一部のメーカーだけ事業として成り立っている。車載用マーケットには、昔から自動車部品としてのオーディオメーカーが存在していたからである。


ローディーやOTTOなど家電メーカーのブランドで車載用オーディオ製品を目にすることが無く、ボーズやJBLといった海外高級オーディオブランドで特にスピーカー分野で有名なメーカーが、高級自動車のオプションとして採用されるに至った。


中国の安価な家電に押されて衰退した家電業界とオーディオ業界の相違点は、前者では市場はそのまま残っているが、後者ではかつてのセパレートステレオやコンポーネントステレオが商品として販売されていたホームオーディオ市場そのものが無くなっていることである。


さらにその末期は高級オーディオ分野がバブル前に活況を呈していていたが、それさえもしぼんでオタク市場となり国内は風前の灯火となっている。さらにこの分野を支えているのは往年のオーディオマニアたちであり、皆高齢化している。


加齢とともに耳が悪くなることはよく知られており、その耳の悪くなった老人たちによるオーディオ談義は、ある意味滑稽である。昔の印象で語られるその内容は、ぼけ老人の回想以外の何物でもない。


しかし、彼らの語りの中には真実も存在し、TVの音がいくら良くなったと言っても、さらにSN比の高い専用のオーディオシステムの音にはかなわず、また音場再生能力については悪くなった耳でも聴き分けることは可能である。


 

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2021.08/11 オーディオ業界に学ぶ(2)

家電業界も参入して1970年代にオーディオ業界はピークを迎えた。日立はローディー、東芝はオーレックス、松下はテクニクス、三洋はオットー、三菱はダイヤトーン、シャープはオプトニカ、NECはジャンゴと独自ブランドが創設されて販売競争が展開された。


パイオニアやトリオ(海外ブランドはケンウッド)、ビクター、オンキョー、サンスイ、コロンビア(海外ブランドデノン)、ヤマハ、ローテル、フォステクス、ソニーなど国内オーディオ専業メーカーはこの時急成長している。また、高級オーディオ分野にはマランツなどの海外ブランドが参入し、高級オーディオ市場が形成されていった。


しかし、バブルがはじけた1990年代以降、オーディオ業界は激しい淘汰の荒波にもまれ、これら国内オーディオメーカーでそのまま残っているのは、ソニー、テクニクスとヤマハ、オンキョー、フォステクス、ローテルだけでオンキョーは最近上場廃止された。


現在のオーディオ市場について、家電のショールームを覗けば百聞は一見に如かずで、オーディオ製品コーナーは隅っこに追いやられている。また、オーディオコーナーを設けていない店もある。オーディオコーナーがあっても海外スピーカーだけを並べているところもあったり、と昔のオーディオ市場を知っている人はびっくりする。


これは、若者の音楽を聴くスタイルが変化しただけでなく、オーディオ製品の必要性を感じなくなった人が増えた結果である。いわゆる電気製品のデジタル化で一気にテレビの音質が向上し、高性能な再生装置が必要なくなったためである。


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2021.08/10 オーディオ業界に学ぶ(1)

1950年代後半から白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器として宣伝された。1956年の経済白書には「もはや戦後ではない」と書かれたりしたが、当方の近所には名古屋大空襲の爆撃により壊れた工場の跡地がまだそのままだった。


1964年に開催された東京オリンピックではカラー放送が行われるということで、「オリンピックをカラーで見よう」と、三種の神器は3C(カラーテレビ、クーラー、カー)に変わった。


その後1960年代にステレオ再生装置が発売され、高度経済成長の真っただ中1970年代中ごろにはセパレートステレオがブームとなる。ただ、3Cのような大衆のあこがれではなく、3Cを揃えた家庭の次の目標として販売された。すなわち贅沢品としてである。


中産階級は、音楽が趣味でない人までこのセパレートステレオを購入したので、オーディオ業界はさらに高級品を開発する競争にはいった。セパレートステレオよりも性能の良いオーディオ製品がどんどん開発され、ステレオセットはコンポーネントステレオと呼ばれる時代にはいった。


すなわち、それまでチューナー、アンプ、スピーカー、レコードプレーヤーがワンセットとなっていたセパレートステレオとは異なり、これらをばらばらにあたかも部品のように販売したのだ。


こうすることにより、消費者はより性能の良いステレオセットが欲しければ、財布と相談の上性能を上げたい部品を購入することができた。当初周辺装置はレコードプレーヤーだけで、38cm2トラックテープデッキは一部マニアの商品だった。


カセットテープが発明されると、マニア以外もテープデッキを購入するようになった。アンプは真空管ではなくトランジスターアンプが主流となり、真空管アンプは一部マニア向けになり、価格が跳ね上がっていった。


すなわち、オーディオアンプは5-10万円の価格帯商品と20万円以上の天井知らずの価格帯商品とに分かれたのである。同様にスピーカーやレコードプレーヤ、テープデッキ、チューナーも普及品とマニア向け高級品とに分かれていった。


 

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2021.08/09 リサイクル

小学生か中学生の頃にアルミ缶のリサイクルについて夏休みの自由研究で取り上げた。まだ、鉄缶が主流で、アルミは電気代の塊と言われていた時代である。


アルミの地金はボーキサイトから取り出すときに大量の電気を消費するので、鉄の2-3倍の価格だった。ただ比重が軽いという理由で、軽薄短小(高度経済成長の時代の市場ニーズを表す合言葉)ブームのけん引役だった。


主に自動車エンジンに使われて自動車を軽量化するのに役立っていた。カンズメについても鉄缶をアルミ缶とすることで軽量化できるので、一部の鉄缶がアルミ缶に置き換わりつつある時代だった。


ただコストが高い材料なので、鉄缶の置き換えには疑問符がついていた。そこで当方はリサイクルの視点でアルミ缶置き換えの優位性を夏休みの宿題として取り上げた。


小学校にあがる前、まだ近所に戦争で壊れた建築物が残っていて、そこに住み着いていたおじいさんは鉄缶を拾い集めて生活をしていた。この記憶は鮮烈で今でも思い出され、戦後10年以上経っても名古屋大空襲から完全な復興ができていなかったことを示している。


この時子供は街にあふれた鉄缶を遊び道具にしていた。今の時代のように残飯がついて捨てられていた鉄缶は無かった。ごみの鉄缶でもきれいだった。食料が大切にされた時代である。


もし、この鉄缶がアルミ缶だったなら、子供たちは遊び道具ではなくお小遣いの足しにするために拾っていたただろうと思う。鉄缶はごみとして拾っても1円にもならなかったが、当時アルミ缶は一缶2円-5円前後で売買されていた。


重量ではなかったのだ。そのため、鉄缶はごみとして転がっていたが、アルミ缶は落ちていたら皆が拾ったので普及量も少ないこともあり、ごみとして見かけたことが無かった。そこで夏休みの自由研究として思いついたのだ。


リサイクルは、東京オリンピック頃まで生活の一部だったように思う。古新聞や古雑誌は高値で売買されていた。古くなった金属製品も廃品回収業者が集めに来た。業者の中に金属をかじって材質を確認している光景もあったが、よく見かける金メダルをかじったりする行為も本物かどうか確かめるその名残かもしれない。

カテゴリー : 一般 高分子

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