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2021.07/23 解任の意味

昨日開会式のディレクターの一人が組織委員会から解任された。小山田圭吾よりも悪い人間がいたのか、と思ったら、数年前からYOU TUBEでコントを無料公開し、その収益を災害復興や障がい者団体に寄付していた小林賢太郎氏である。


いじめ自慢を商業的に展開し、自己の価値を上げていた以上の悪事を働いたのか、と思ったら、過去にこの人は漫才をやっていたらしい。らしい、と書いているのは、この人の漫才を聞いたことが無いからだ。


小山田圭吾のパクリなのかどうかわからないような作品は、NHK教育番組にも流れているからよく耳にする。それがサブカルの作曲法、サンプリング(サンプリングと盗作が異なる、というのは驚きであるが、パロディーのような二次創作と考えれば納得できる。)として知っていたが、今回解任された小林氏については全く知らないので売れていなかったようだ。


その人気が無かった漫才師の時代に「***ごっこ」とか国際標準ではタブーにされている用語を用いたために今回の解任に至ったらしい。小山田圭吾以上の悪人と評価されたわけである(国際的な大問題であると捉えれば、この視点も正しいが。)。


職をやめる言葉には、「辞任」や「退任」、そして今回の「解任」があるが、「辞任」や「解任」は何か不適切なことがあり、職を「辞めさせる」場合に用いる。任期がきたりして、不都合が無く退くときには「退任」である。


辞める側に立った場合に、「辞任」と「解任」とでは少し印象が異なり、前者は自ら反省し職を退く意味があり、後者は、簡単に申せば有無を言わせず「くび」を切ることである。


メディア業界でいじめの商業利用により有名になった小山田圭吾を組織委員会は、引き留めたあげく辞任として最後は世間の常識に従ったのに、人を傷つける笑いはいやだ、と公言し、すなわち過去を謝罪し、災害復興や障がい者支援のための寄付活動までしてきた人物を、なぜ、すぐに解任としたのだろうか。


本日は開会式なので時間が無い、という理由はわかる。しかし、小山田問題が起きてから十分な時間があり、今回解任された人物についてネットにも漫才ネタの情報が出ており、それを調べてゆくと過去の贖罪も十分に反省している事実にであう。なぜこのような人物に対して小山田圭吾のような擁護をしなかったのか不思議である。


小山田圭吾の問題は、過去にいじめをしただけでなく、それを自分の活動に商業利用してきたことだ。そのようなブラック人物を擁護したあげく、うわべの謝罪の機会を与え、最後に辞任という花道を与えた感覚がよくわからない。


国際標準では重大な事件にもなる用語を漫才のフレーズとして用いたが、その後反省し贖罪活動をしてきた小林氏の問題は、解任ではなく辞任とし本人擁護(注)の会見をすべきではなかったか。小林氏の問題は小山田圭吾とは少し異なり、寛容の姿勢を示すべき事例(国際的な理解が得られるような表現は難しいかもしれないが)となったはずだ。


ネットにも記録として残っている公序良俗に反する官僚ノーパンしゃぶしゃぶ事件の過去があっても出世できるが、過去を謝罪し寄付活動まで行っても許されない社会とは、いかなる社会だろうか。また小山田氏と小林氏のケースにおける考え方の違いなども含め、その判断基準について記者会見の席で質問をする記者は現れないだろうか。


(注)「**ごっこ」は、今でもその扱いが重大事件になるナチスドイツの所業であるが、小林氏は過去にその謝罪をしており、活動にもその姿勢を貫いてきた。国際的に重大問題であればこそ、国家の立場で丁寧に説明し、解任ではなく辞任とすべきだったように思う。首相の強い言葉は海外に向けて発せられた言葉であるが、組織委員会の扱いには疑問が残る。小林氏の過去の問題は、今でも関係者の逮捕や裁判がある重大事件であるが、いじめの商業利用は、ナチスドイツの行いと罪の重さに差はない。

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2021.07/22 ホリエモンの興味

今回の小山田問題を受けて、ホリエモンこと堀江貴文氏が「一生公の場で何もできなくなった」とコメントしている。どのような意味でこの発言をされたのか関心はあるが、小山田氏(犯罪とも呼べるいじめの加害者)がNHK(日本の公共放送で高い放送倫理が求められる。また、その番組制作の緻密さから調査能力は十分にある)の教育番組にも重用(教育者としてもふさわしいアーティストの代表)されていた事実があり、今の日本社会が強ければ何をやっても許される社会になってしまっていることが今回は問題なのだ。


例えば、先の大相撲で白鵬は全勝優勝をした。横綱のプライドもそっちのけで勝ちにこだわったその姿勢には脱帽するが、千秋楽のかちあげはじめ、奇策で勝利をものにした取り口など彼の横綱になるまでと横綱に昇進してからの取り口は横綱の品位を汚しているといえる技で勝利をものにしている。大相撲とは強ければよい(大関までは許せるが横綱には無形の品格が求められている)、と皆思っていないはずだが、それでも横綱のままである。


小山田問題は、サブカルチャーで発揮されたその才能が彼の弱者を痛めつけて快感を覚えるその感性に根づくことは作品のいくつかを見てみれば理解できる。それをそのまま放置して日本のカルチャーの代表まで持ち上げた社会、とりわけ音楽業界の責任は大きい。


カルチャーとは高い教養に基づく日々の営みがあって始めてなりたつものであり、それに対する文化に似たアンチカルチャーを日本ではサブカルチャーと呼ぶ背景になっている(欧米のサブカルチャーとは成り立ちが異なり、日本ではその意味も広い。大衆文化という意味合いまでサブカルと呼んでいる)。すなわち日本におけるサブカルチャーとはエログロまでも含む裏文化と呼んでも良いようなものだ(漫画家や一部のミュージシャンはファッション感覚で自ら名乗るケースがある。それが日本のサブカルの意味を誤らせている。サブカルには反社会的なカルチャーも含まれていることを知るべきである。)。


サブカルチャーで発揮された能力をカルチャーで生かすことを否定しない。しかし、あくまでもサブカルチャーを創り出す過程において犯罪だけでなく道徳的な視点においても反社会的でないことが前提になる(注1)。


サブカルチャーで麻薬に頼り創造していても許されていたが、カルチャーではそのような手法が許されないのは当たり前である。サブカルチャーの世界で許されてきた反道徳的な行いをどこまで許すのかは、社会の教養のバロメーターとなる(注2)。


 

例えば、問題の一つとなっているインタビューが、もし謝罪の形で終わっており、彼がその才能で得た利益の一部を障がい者はじめ社会的弱者のためにサブカルチャーの世界で寄付活動をしてきたならば、それを誰もが理解したときに、武藤事務総長の発言に拍手を送ったに違いない(レミゼラブルでジャンバルジャンは一切れのパンを盗み犯罪者になっている)。


しかし、彼の行動はそうではなかったのだ。少し調べればわかることを組織委員会はさぼっていただけでなく、社会は、たまたま捕まらず時効となった悪人を認め拍手喝さいを与えてきたのである。そこの問題に気がついたからこそ社会は声をあげ、そして官邸も動いたのである。


都知事は今でもこの件で明確な見解を述べていないが、おそらくどうしたらよいのかわからないのだろう。あるいは、下手な発言をしたら組織委員会に対する怒りのとばっちりが自分のところへ来るのを警戒されているのかもしれない。


都知事の立場であれば、ドラッカーが「何もしない、も一つの問題解決の手段である」と言ったアドバイスが有効であるが、この方の教養のレベルはこの程度であり、カイロ大学卒が問題とされた意味を理解できる。


小山田問題はまだ終わっていない。ホリエモンが刑務所に入りながらも社会復帰しまじめに仕事をされているように、今回の機会をチャンスとして自分の行動を本当に改め謝罪し、社会復帰していただきたい(注2)。人生100年時代のまだ折り返し点である。ただ、過去を改心した結果、才能まで無くなった小山田圭吾では、盗作すれすれの駄作以外にも少なからずうなりたくなる作品(但し演歌ではない)もあるだけにもったいない。


(注1)デジタル化の波は、銀塩フィルム事業を過去の遺物としたが、文化の面でも変革を起こしている。例えば芦原温泉にあった芦原ミュージックホールはいつの間にか無くなっていた。調べてみると温泉街のミュージックホールは壊滅状態である。母校の近くにあった銀映は、岡崎銀映閉館後ライブシアター銀映となって続いていたが、そこもいつの間にか無くなっていた。生活指導の先生が指導のためによく出入りされていたことが思い出としてあるが、このような場所でも警察沙汰の事件が起きるのだ。ライブシアターであり、いかがわしい場所でもないのだが演目によりそれが反社会的となる。サブカルチャーの危うさである。日本のサブカルチャーについても教養を深めていないと現代はその境界が曖昧なために危険と隣り合わせとなっている。科学と技術の境界も曖昧であり、時代とともに変化し、アカデミアではマテリアルインフォマティクスという科学の視点ではいかがわしい研究が盛んになっている。これをどこまで科学とみなすかは、これまでの科学の歴史を知る必要がある。学ばなければいけない事柄は情報化社会では山のようにあり、「40にして惑わず」と言っていたのでは時代遅れとなる。現代は「80にして惑わず」と言うべきかもしれない。あと20年弱なので忙しい。

(注2)寛容な社会も大切であるが、悪人に対する寛容さの前提となるのは過去をどのように清算したのかである。武藤事務総長はインターネットを調べるとノーパンしゃぶしゃぶ事件(官民接待が社会問題となる引き金となった事件。反社会的なストリップとしゃぶしゃぶのコラボ企画。)でも名前が挙がった方だそうだ。そのような人物でも日本の社会は、財務省事務次官、日銀副総裁、オリンピック組織委員会事務総長などの要職を与える様な寛容さがある(ノーパンしゃぶしゃぶとミュージック劇場の反社会的な演目との差異が当方には不明である。また今回の事件の経緯からわかるように彼のような人材が日本のリーダーとして重用される日本社会に若い人は幻滅しないでいただきたい。血のにじむような努力をした若者の舞台オリンピックをこのコロナ禍でも必死で守っている年寄りもいるのだ。)。当方はここまでの寛容さが日本をダメにしているように思うが、一方で犯罪者を時効も含めてそのまま許して社会に受け入れることまでも寛容としてはいけない。日本は一応法治国家である。会社の中で隠蔽化されても、犯罪は犯罪として罪の償いは必要である。それを行わないと、犯罪の連鎖が起きる。当方が被害者となり転職した結果曖昧となったFD事件でも同様にその連鎖は起きている。犯罪を放置した時の一番の問題はその社会の倫理観までもおかしくすることだ。FD事件後には、当方の仕事を自分の成果として学会賞に出してきた人物がおり、たまたま当方がその審査をすることになった。今回の小山田問題も含め、因果応報について「どこかで神様が見ているよ」と子供に教えたりするが、悪事をすればどこかで天罰を受ける。小山田問題が起きたときにおかしな芸能人が「その時代の背景も考慮しなければ」と発言して炎上していたが、この人物の頭には必殺仕置人が思い出されたのかもしれない。当時この番組のヒットした背景として、悪人が放置され栄華を楽しんでいるようなバブル社会がある。ただこの時でも悪は悪としてみなしていたのである。戦後犯罪者を社会が許した時代など無い。

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2021.07/21 民主主義の非効率性

今回の東京オリンピックは、世界中に日本の民主主義の状況を発信したのではないか。小山田問題における19日朝の政府見解は民意を受けたものである。一方主催都市の首長である小池氏は型通りの見解を述べただけである。「東京」オリンピックと言う看板がどういうものかご理解されていないようだ。


東京オリンピックの騒動について民主主義の非効率性を指摘した人がいる。しかし、これは民主主義が衆愚政治となるから非効率なのだ。もし、すべての国民が賢く代表を選んでおれば、もう少し効率があがる。日本の民主主義では国民が見せかけのパフォーマンスに惑わされて一票を投じているから現在の状態である。


例えば小池氏の政治手法は、首長としてどうしたらよいのかわからない時にはだんまりを決め込み、都民の指示が得られそうなパフォーマンスでお茶を濁しているように見えなくもない。


いわゆる狸の政治手法である。このような人をリーダーに選んでいるのも東京都民である。菅首相の支持率が危険水域に至ったという。しかし、この首相の執行結果を見ていると国民の意に添うように懸命にかじ取りをしている様子もわずかながら垣間見えてくる。


小池氏と菅氏との比較でどちらが好ましいかは自明である。ただ頼りないのは、周囲のスタッフに問題のある人が多いのだろう。ワクチン接種で河野大臣が自分を押さえ懸命に説明されている姿を見ると、官邸内の葛藤が見えてくる。


ただし東京都のコロナ対策室よりもまともである。都政の問題はそのような葛藤が見えてこないのだ。緑のイメージのフリップだけはきれいであるが。


政治は、その結果で判断されるという厳しい意見がある。ただし、いかなる時の結果であるかが難しい。小泉政権下で派遣法が導入され日本の中産階級の姿は大きく変わった。さらにバブル崩壊後のGDPの停滞で、日本人の経済状態は中国以下になる可能性が出てきた。


中国は7階層に分かれている、とどこかの講演で聴いた。その時3階層までは日本の経済水準以上の生活だが、大半を占める4階層以下は年収50万円の生活とのことだった。今4階層の年収は300万円前後まで上昇しているので中国の経済状態は日本に近くなったとみてよい。


日本は生活保護があるので一世帯年収200万円以上の生活が保障されているが、中国の6階層7階層はまだ年収50万円の生活である。しかし、数年でこの階層も日本の生活保護世帯まで到達すると言われている。日本はもっと頑張らなくてはいけない。民主主義の非効率性だけで経済が停滞しているわけでもないのだ。

 

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2021.07/20 色々なことが理解されていない五輪

昨日今回の東京五輪・パラリンピックで最高位のトップスポンサーを務めるトヨタ自動車は、五輪に関するテレビCMを国内では放送しない方針を明らかにした。


その理由は表題であり、具体的には述べられていないが、昨日というタイミングを考慮すれば、武藤事務総長の知らなかったから続投する発言が引き金になったのではないかと当方は推測する。


知らなかった、などという言い訳謝罪は通用しないのに、さらに下された判断が続投である。もうすぐ開幕するが、昨日書いたように今回の五輪の関係者は、武藤事務総長以下日本国民の心を理解されていない人ばかりである。


さらに、月曜日に加藤内閣官房長官は武藤事務総長の判断に疑問を持っていると明確に表現したが、東京オリンピックでありながら東京の首長は未だ黙認したままである。


開催も目前だが、五輪関係者に今一度五輪憲章の理解と日本国民の総意をくみ取ることをアドバイスしたい。五輪はいわゆるオリンピック貴族と呼ばれる一部の人間のためだけではないのだ。


 

トヨタ自動車の社長はパワハラ騒動が起きたときにすぐに遺族に謝罪したばかりか、判決が出た後も改めて遺族に謝罪している。異例の2回も謝罪したのである。企業のトップとはこのような心のある姿勢を示すべきで、そのトヨタが今回の声明を出した意味は重大である。


今回の五輪のような状態の仕事を引き受けたときに責任者はどのように判断をすればよいのか理解していない人が多い。この時、何もしないのも一つの方策、というドラッカーのアドバイスがあるが、今回の問題ではそれでダメなのだ。


当方が半導体無端ベルトの開発を製品化まであと半年という状況で、コンパウンド工場を自前で立ち上げた理由は、周囲にできて当たり前の状態でありながら、科学的に状況を判断すると絶対に失敗することを当方だけが理解できたからだ(通常1年以上かかるコンパウンド工場を半年で立ち上げる、といっても理解されないばかりか、他の方策を考えろと言われるのが関の山だ)。


ゆえに当方は自分の業務をコンパウンド改良に焦点を絞り、プロジェクトのマネジメントを部下の課長に任せ、10%以下の歩留まりを100%にできるコンパウンド開発と工場立ち上げに土日を返上して専念したのである。その結果、無事製品化に間に合ったが、当方の仕事は、事前に覚悟をしていたように評価されない隠れた仕事に終わった。


今回の五輪は、無観客と決まった時点で満足な運営は難しくなった。満足な運営は難しくなったが、五輪憲章の追求は、まだ100%の実現が可能な唯一の仕事である。武藤事務総長は先日この決断をすべきだった。


また、高谷スポークスマン(注)は、昨日続投を改めて強調していたが、おそらくこの人の頭には開会式を盛大にやることしかないのだろう。彼も日本の状況を理解できていない人物であり、今一番大切なことは理想を追求することなのだ。いざとなったら開会式は行進だけでもよいはずである。当方ならそのような決断を下す。


不完全な開会式となっても理想を追求する姿勢を示すべきだと思っていたら、夜遅く小山田圭吾辞任のニュースが報.じられた。時間が無くて何もできない状態でも、リーダーは何かできるのである。それがうまく機能したのだろう。.


最後の砦、組織委員会名誉会長は元キャノン社長御手洗氏である。良い仕事をされたと思う。ダメな組織委員会の重しになっていた。


(注)組織委員会のメンバーがどのような思いで仕事をされているかは、この人物の発言から垣間見える。オリンピック貴族の一員と疑われるような発言が多い。例えば今回のCM打ち切りに対応した発言では、本来組織委員会としてまずスポンサー企業に謝罪しなければいけないところを、スポンサーのご苦労と表現している。さらに自分たちは支援していただいている、という表現まで飛び出している。ここでは、感謝は当たり前であり、組織委員会の運営のまずさについて謝罪の心をまず表現に出すべきである。毎度の発言がオリンピックは組織委員会はじめオリンピック貴族のためであり、スポンサーはそれに協力すべき、という姿勢になっている。どれだけの税金が投入されているのか、組織委員会の方々には改めて投じられた金額を見直していただきたい。

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2021.07/19 東京オリンピックどうなる?

まもなく東京オリンピックが開幕となるが、小山田氏の問題が解決していない。ネットには様々な見解が出ているが、そもそもいかなる理由で彼が採用されたのか不思議である。


武藤事務総長は知らなかったから続投発言をしているが、おそらく今回の東京オリンピックに関わっている人たちは、この程度のいい加減な人たちと考えておいた方がよさそうだ。


5年前になるが新国立競技場の総工費が当初の1625億円から2520億円に膨らんでいた問題。これは著名な建築家が隈氏に交代し、総工費が1569億円となった。担当者はどのような考え方で業務を進めていたのか。つい最近6月7日には経理担当者が鉄道事故に遭っている(自殺かどうか不明。山下会長もお答えできないとしている。闇のまま。)。


その後オリンピックロゴに関し、元電通社員のデザインがデキレースで採用された結果盗作問題が起きた。誰が見ても盗作とわかるデザインだったが、本人は知らないの一点張り。


当然知っていたなんて口が裂けても言えないから答えは決まっている。このようなわかりきった展開でも権威ある審査員は盗作ロゴで押し通そうとしていた。このあたりの仕事の進め方は極めて見苦しかった。国民を舐めている、と言っても良いかもしれない。


コロナ禍が無ければ直前となった2019年には桜田五輪パラリンピック担当相が、「五輪憲章など読んでいない」などと発言したものだから辞任に追い込まれている。正直もここまでくると**である。


2020年には延期が決まり、組織委の森会長の女性蔑視発言である。五輪憲章とも関わる小山田氏の問題に比べれば年寄りのボケ発言にもとれそうだが辞任に追い込まれている。


さて小山田氏の問題だが、一番の問題は彼を採用したことにある。過去に何度も問題を起こしていた。インターネットにはその信ぴょう性を疑いたくなるような情報が多数出ている。今回彼はその大半をあっさりと認めたのである。


今回の東京オリンピックを呪われたオリンピックという人がいるが、問題の内容を見る限り、当事者あるいは担当者が無責任である。しかし、「五輪憲章なんて知らなかった」と、堂々と言ってしまった人は、国政を担当する議員に選ばれた責任の意味も分からない**だから、それを選んでいる有権者の責任である。


結局国民の責任に戻ってくる。今という時代は、誠実真摯に仕事をしていてもそれが報われないだけでなく、要領の良い人間や犯罪すれすれの手段を使ってうまく世渡りできるところにある。


これを変革するためには、少しでも尻尾を出した「より良い社会にふさわしくない人物」を有権者が選ばないようにしなければいけない。裏で反社会的な活動をしていた人間を日本の代表のような職につけてはいけない。

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2021.07/18 環境問題と脱プラスチック(3)

小学6年生の夏休みの自由研究で空き缶ゴミを取り上げている。当時アルミニウムの精錬が先端技術として注目を集めていた時代である。鉄缶をアルミ缶に置き換えると空き缶ゴミを解決できる、という提案をして、何か賞を頂いた記憶がある。


仕掛けは簡単である。ボーキサイトからアルミを取り出すには膨大な電気エネルギーがかかり、2円の鉄缶と同じアルミ缶は3倍弱の5円となる。しかし、アルミ缶をリサイクルすれば、鉄缶より安くなる、という論理である。


小学生の頭だったので回収費用など見込んでいない。5円もする高いアルミ缶だから、皆拾うだろう、という子供の発想である。有名メーカーのアンパンが15円程度の時代である。子供の1日の小遣いは10円だった。これで、卵や牛乳の入っていないパンケーキにアンコを挟んだ無印のどら焼きを1個買えた。


大人が回収しなくても、どこかアルミ缶買い取りセンターでも設置すれば子供が小遣い稼ぎにアルミ缶を拾うアイデアも自由研究には書いている。5缶を拾うのは大変だが、2缶程度なら50m歩けば拾える時代だった。そのくらい空き缶がゴミとして道に落ちていた。


缶蹴りで遊ぶときや、空き缶でおもちゃを作る時に苦労しない時代だった。この2円の鉄缶でも一生懸命集めているおじいさんがいたのも記憶している。それでも街の空き缶が目についた時代である。プラスチックはこの鉄缶よりも安いゴミとなるところが問題である。ダイヤモンドぐらい高ければ皆拾うのである。

 

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2021.07/17 小山田圭吾問題

日本には反社会的行為でも被害者が訴えなければ犯罪とならないルールがある。当方の会社内でFDを壊され業務妨害された事件もそうであるが、被害者が訴えない理由を考えなければならない。また、このルールゆえに隠蔽化される可能性が高い時に、被害者はしばしば自死を選び、その死でもって事件の事実を社会に訴えたりする。


例えば、財務省の問題や、STAP細胞における研究所建物内の自死、電通の新入社員の自死、トヨタ自動車におけるパワハラの自死、そして6月にはJOC経理部長の不審死など最近の事例だけでも多い。しかし、これらの自死まで至る事件でも遺族が訴えなければ、事件にならないのである。


STAP細胞における研究者の自死では、他の研究者の著書から研究所内で何が起きていたかが書かれており、書かれた内容が事実であれば、明らかな犯罪行為も存在している。著書の内容から証拠を裁判所に提出できそうな事件もあるが、著者ならびに配偶者がそれをしないのもその気持ちを考慮すると当方は同類の被害者としてうなずくことができる。


当方も当方の残した住友金属工業とのJVの仕事を発展させて30年も事業を継続された方々の存在を考えるとこれを裁判所まで訴えるという気持ちには至らなかった。ただし、当方が退職してから始められた仕事、とか当方ではない人物が「私が発明した研究です」と名乗り出られたなら、当方の転職理由を公にしないわけにはいかなくなった。


すなわち、今の日本は、それを信じたくないと思っても、黙って我慢していては悪がのさばる世界のようである。当方の研究をあたかも当方が転職してからなされたようなことを学会賞に提出した証拠や、当方の研究に全く携わっていなかったのにトップネームで自分の研究のように書かれた論文が存在し、これらの醜い行為の証明をすることが可能である。


そもそも人間社会の欲望の醜さについて芥川龍之介はじめ多くの小説家がフィクションとして表現しているが、小山田圭吾の犯した罪は、たとえそれが訴えられていないあるいは学生時代と言えども謝罪だけで許されるような行為ではない。さらにそれを社会人になってから自慢するに至っては、正気ではない。


その内容が公開された時に当方はあまりにもおぞましいいゆえに信ぴょう性について記事を疑ったが、先日本人はそれらすべてを認め謝罪したのである(注)。


オリンピックが1週間後ということもあり、関係者がみそぎのために謝罪させたのだろうと思われるが、その内容が謝罪だけで許される問題と考えている組織委員会もおかしい。


また、当方は知らなかったが、WEBで調べると過去にも同じ問題で小山田氏は訴えられており、事前に問題を関係者は知っていた可能性が高く、過去の問題だからと甘く考えていたようだ。


オリンピックとは、例え完璧な遂行が難しいとはいえ人間の理想を追求して開催された時に、始めて誰もが納得する感動的ですばらしい大会になるのだ。


最近JOC会長の過去の行動が記事として取り上げられ、「世界の山下」の評判がガタ落ちだが、ここは国民栄誉賞に恥じない勇気を示してほしい。


もし、このまま何ごとも無かったように東京オリンピックで彼の作品が使われるようであれば、単に国民不在のオリンピックと言うだけでなく、それこそオリンピック貴族を満足させるための開催だった、という汚点を歴史に残すことになる。


プログラムが完璧に遂行されたオリンピックと最後まで理想を追求しようと努力した痕跡の残る不完全なオリンピックとどちらが感動を歴史に刻むのだろうか。東京の感染者がこのまま増え続けた場合の判断も同様である。


これは、国民の多くが反対しているにもかかわらず遂行する日本政府にも責任の一端があり、あくまでも開催する大義を求めるならば、理想を追求してこそ日本国家の政府である。



 

(注)武藤事務総長の無責任な「知らなかった発言」が昨日なされたが、2019年にも大問題となっていた男である。誰にも知られなければ、あるいは被害者が声を上げなければ犯罪ではない、という論理を武藤事務総長は公言したのである。作曲者として決まった時に、WEBで氏名をいれて確認すれば、何が問題か分かったことである。世界から「およそオリンピックにふさわしくない人間であると知ってて採用した」、と言われても仕方がない状況である。但し、五輪関係者はじめ政府の方々が小山田圭吾と同様の悪である、すなわち同じ穴のムジナであれば、今回の武藤事務総長の発言を理解できる。サブカルチャーの世界を十分に理解していないととんでもない恥をかく。時間が無くても対応すべき問題である。おそらくさらなる爆弾ニュースがオリンピック開催までに爆発する可能性がある。

*本件、19日夕方に小山田氏の辞任が発表された。

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2021.07/16 環境問題と脱プラスチック(2)

今日本では不倫が社会現象として取り上げられ、何となく50年ほど前のアメリカ映画に描かれた退廃さがあり、意外にも脱プラスチック社会を受け入れるかもしれない。多少の不便があっても緩んだ精神のインモラルな社会では,日常がどうでもよく感じるものである。


しかし、プラスチックに置き換わることでその材料特性を前提として技術革新が進んだ分野では、脱プラスチック時代に戻れない。プラスチックに代わる新素材開発をすべき、と主張される方は、単純ではあるが難しい「軽量化」という技術革新のアイデアを出してほしい。このような簡単な問題でさえも脱プラスチックのコンセプトは行き詰まるのである。


環境問題において脱プラスチック=プラスチックを使わないこと、と考えてしまうと、問題解決が難しくなる。NHKスペシャルでは、包装容器を使わない昔の計り売りと同様の風景(外国の風景)を紹介して脱プラスチックのお手本としていたが、これは問題解決を難しくする提案である。


醤油や味噌は、「いだてん」でも出てきたが前回の東京オリンピックの時でも一部計り売りが残っていた。岡崎に行けば、今でも計り売りで味噌を売っている風景を見ることができる。ゆえに海外の計り売りよりも八丁味噌の計り売りをNスペで取り上げるべきだった。


この八丁味噌の計り売りは、脱プラスチックのために行われているわけではないのだ。得体のしれない店頭に並んだ八丁味噌ではなく、正真正銘の岡崎産出来立ての八丁味噌というプレミアをつけるための計り売りである。


環境問題の解決を迅速に進めるためには、それが付加価値を生み新たな事業のチャンスとなる事例をどんどんTVは紹介すべきである。「脱プラスチック=プラスチックを使わないこと」という誤ったメッセージを大手メディアは発信しないでいただきたい。


プラスチックすなわち高分子材料は、金属やセラミックスと並ぶ人類の技術を支える基本素材である。この材料の存在を認めたうえで環境問題を考えなければ、その解決は難しい。例えば鼻にストローのウミガメを救うには同じ高分子材料のカテゴリーとなる紙製のストローとすればよいのだ。

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2021.07/15 環境問題と脱プラスチック(1)

鼻血を流し、そこにストローの突き刺さった海亀の映像は、世界中に海洋汚染の衝撃を伝えた。2015年のこの映像は、NHKスペシャルでも紹介されたので、バブルがはじけたときの「鼻から牛乳」よりも多くの人に深刻なメッセージを伝えたかもしれない。


ところで、50年ほど前の日本人は、朝を告げる鶏の頭に斧が突き刺さり血を流しているのを見て笑い飛ばしている。この時「アサー」という流行語も同時に生まれている。高度経済成長の始まりであり、もはや戦後ではない、と言われた時代である。


この戦後ではなくなった時より少し前に射出成型技術が普及し、プラスチックが世界にあふれ出したのだ。1960年代に作られた映画「卒業」には、富裕層の家庭の息子に叔父が「プラスチックは伸びる、プラスチック事業をやれ」と告げるシーンが描かれ、その時代のアメリカ風俗とともにプラスチックが主役になる時代の始まりを知ることができる。


この時、日本の若者はヘルメットをかぶり角材を振り回していたが、アメリカの若者はガールフレンドの母親と情事にふけっていたのである。日米の意識格差を知ったのもこの映画からである。アメリカではすでに若者のモラトリアムが問題となっていた。


ゆえに脱プラスチックを実現した社会をイメージするには、このような1960年ごろまでの時代を頭に浮かべると、脱プラスチックで環境問題が克服された時の世界を想像できるのかもしれない。


しかし、である。当時は近所に豆腐屋があり、早起きした子供が鍋持ってそれを買いに行くことができたが、今豆腐は、工場生産の時代である。そして、それが網の目のように普及した高速道路を経由して全国へ迅速に配達されている。

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豆腐に限らず、あらゆるもののサプライチェーンが50年前と変わったのである。買い物かごをモダンな籐編みにすることぐらいはファッションとして普及するかもしれないが、豆腐をプラケース以外で包装し価格を維持することは不可能だ。サプライチェーンまで50年前に戻すことはできない。


(PR)今年の下期に環境問題と脱プラスチックについてセミナーを計画しています。10年前までの環境対策と今日の環境対策では環境問題に対する考え方を変える必要があります。DXと結び付けて環境対策を新事業とするアイデア例も説明します。

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2021.07/14 製鉄コンビナート

我が国の製鉄業は瀕死の状態であり、日本製鉄による東京製綱の敵対的公開買い付けが話題になった。しかし、カーボンニュートラルが叫ばれる時代に華々しい研究開発の噂を聞かない。


製鉄業はよく知られているように大量のCO2を放出する産業である。ゆえに今水素で製鉄する研究が活発に行われているが、この大量に放出されるCO2に着目したニュースを聞かない。


製鉄するために水素を使うよりも発生するCO2と水素あるいは水を反応させてメタノールあるいはホルマリン等のC1化合物を合成し、ここから石油コンビナートで現在合成されている化合物群を合成する新たな化学工業を起こす発想が出てこないのが不思議だ。


製鉄所から発生するCO2はわざわざ集めなくても製鉄プロセスをクローズドにすればよいだけである。これが経済的に成立するかどうかは、不明だから考えない、という姿勢ではだめで、そこから生まれる新たな事業に着目する必要がある。


石油コンビナートではクラッキングにより低分子量化し、様々な化学製品を合成しているのだが、製鉄コンビナートでは最初からC1化合物が合成されるので、医薬品を製造するプロセスを併設すれば、製鉄の付加価値が上がる。


二酸化炭素からC1化合物を合成する技術については、もう権利期限が切れた平成1年の工業技術院長の出願がある。それ以外にCO2からメタノール合成を行う技術特許はいくつか出願されている。製鉄業に関係している技術者はこのような発想をしないのだろうか。

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