活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2021.07/25 日本文化の危うさ

今回の小山田圭吾氏の一件でサブカルチャーへの関心が高まっているが、まず日本におけるサブカルチャーを正しく理解されていない方が多い。


当方は文化論者ではないが、1960年代に入学するや否や校長室封鎖事件が勃発するようなとんでもない高校へ入学し、カルチャーに目覚めた、というよりもカルチャーショックを受けた。さらに友人と見に行った映画「卒業」ではR指定ではないにもかかわらず鼻血まで出そうな内容だった(50年前の日本の風俗水準はそうだった)。


その後、この映画の主人公の気持ちを理解するために再演された時に5回ほど見に行っている。名古屋では「ジェレミー」という初恋物語との二本立てだったが、それがさらに「卒業」に描かれた恋愛の複雑さを際立たせた。


アメリカではこの映画の製作された時代にカウンターカルチャーと呼ばれる文化が教養人の文化に対抗して生まれている。このカウンターカルチャーの衰退とともに欧米ではサブカルチャーが商業主義と結びついてゆくのだが、日本では、バブルがはじける前後に一部の人種がサブカルチャーを名乗って活動し始めた。


それ以前に高田渡や岡林信康といったカウンターカルチャーと呼べそうなムーブメントを創り出したアーティストもいたが、彼らはそれを名乗っていないし、彼らの活動は必ずしも反体制の歌ばかりではなかった。日本では松任谷由実とか井上陽水などを生み出す流れの一つだととらえている。


すなわち、日本のサブカルチャーの流れは、漫画も含め1980年代からそれを名乗るアーティストたちにより形作られた文化であり、その中身は玉石混交どころかAVのように危ない世界も多い。当然見えないところでは、今回話題となったいじめやドラッグ、麻薬の温床にもなっている。


本来文化とは高い教養に裏付けられて発展してゆくものだが、そうでないものをすなわち教養も分別もいらない文化を日本ではサブカルチャーとしているところがある。


少し乱暴な表現だが、このようなサブカルも含め日本の文化は表に見える部分は健全そうであるが、一歩闇に足を踏み込むとここでは書きにくい世界が広がっている。


漫画の世界だけをサブカルチャーと誤解していると、今回のオリンピックのような問題が起きる。その他の例として、その方面の先進国アメリカから今や世界の先進国は日本だと言われている映像文化がある。


文化に関しては、今や日本はアメリカを抜き世界一自由な国になったのかもしれない。文化を楽しむためには、やはり教養を身につけなければいけない。

カテゴリー : 一般

pagetop