コロナ禍となって年寄りは蟄居を強いられることになった。1年以上前にはその正体が見えないゆえに単なる風邪ではない、と直感的に判断し家に引きこもった。
高校時代の友人の何人かがそのように判断したが、かわいそうなのは医者だった友人である。引きこもりたくても引きこもれない。かわいそうだが、こちらは引きこもったまま激励するしかないと、たわいもないメール交換が始まった。
若い時ならば心ときめく異性でなければメール交換は長続きしないが、年を重ねてくるとその内容には異性と異なる色気と味わいが出てくる。
初恋により人は己に気がつく、という名言に若い時にはうなずいたが、年をとっても本音で語り合うと気づきはある。初恋のメールとの違いは、気づきにより人生の反省ができることである。
反省はサルでもできる、などという突っ込みもあるが、年寄りの反省は心に刺さったとげのようなものを抜く作用もあり、サルの反省とは次元が異なる。もうエサなどいらないのだ。エサよりも安らぎである。
ワイドショーでは怪しい医者が、コロナウィルスは単なる風邪の一種であり、正しく恐れましょう、などといい加減な発言をしていたが、友人の医者は、甘く見ると死ぬので隠居蟄居が重要だといっていた。
最初はいい加減な発言をする医者が多くいたので、有名なコメディアンなど芸能人の死亡報告がニュースになった。世界的なパンディミックの状況からワイドショーも方針変換し、いい加減な医者ではなく感染学の専門家を登場させるようになり、最近は死亡報告よりも感染者がニュースの中心になった。
おそらく内閣のサポートをしている医学系の専門家は怪しい医者ばかりだったのだろう。GOTOなどのような間違った政策を連発し、最近になってようやくコロナウィルスが単なる風邪ではないことに気がつき始めたようだ。
さて、このようなどうでもよい話を話題にメール交換しあっていたら、一人の友人から、企業でも通用する博士を教育するにはどうしたらよいかと大学の先生に相談されて、それでは今までの博士課程出身者は企業でくずだったのか、と答えた笑い話が飛び出した。
友人は某通信会社の役員まで務めた工学博士であり、立派に企業で通用しているのだ。自らの体験に基づく笑い話だが、もしかしたらこのような悩みは多いのかもしれないと考えた。
そのような相談をされた先生あるいは同様の悩みを抱えられている先生は、弊社にご相談していただければもう少し丁寧な解答をご教示いたします。
弊社には企業向けの技術開発手法プログラムがあり、学生向けにニーズがあればそれを改良して提供できます。内容は、学校教育では教えない「技術」の本質を学ぶプログラムである。
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自動車の電動化とともに伸びているのが高純度SiCのマーケットである。パワー半導体はSiCウェハーが必須となるが、その他のSiウェハーを用いた半導体でもその治工具には高純度SiCが使用される。
特にSiウェハーでは大口径化とともに必要となった、たわみ防止のためのダミーウェハーが高純度SiCを用いて作られるので高純度SiCをホットプレスしただけの安価な円盤が高価格で取引され、製造メーカーは笑いが止まらないかもしれない。
SiCの治工具を製造するときに高純度カーボンで製造する方法や、やや純度の低いSiCで製造する方法、反応焼結体で製造する方法もあるが、いずれも表面にはCVDを用いて高純度SiCで被覆する。
高級品はすべて高純度SiCで製造された治工具であり、表面だけを被覆した治工具よりも耐久性が高い。表面だけ高純度化した製品では、一部欠けただけで使用できなくなるので管理も大変である。
この高純度SiCを製造する方法として、純度の低いSiC粉体を何段階かの洗浄プロセスにより洗浄して高純度化する方法があるが、この方法ではせいぜい99.9%程度までしか高純度化できないと言われている。
さらに高純度化したい場合には、高純度化された原料が必須となるが、セラミックス原料ではその高純度化にコストがかかり現実的ではない。そこに着眼した技術が、有機物を原料として用いる方法である。有機物であれば高純度化にコストはセラミックスほどかからない。
40年以上前にここに気がついた研究者がいたが、すべて有機物の原料を用いる方法が難しく、カーボン源として高純度カーボンを用いて、Si源に有機物を用いる方法と、カーボン源に有機物を用いて、Si源に高純度シリカを用いる技術が開発されていた。
なぜすべて有機物を原料とした技術が実用化されなかったというと、高分子を少しかじられた方ならピンとくるかもしれないが、フローリー・ハギンズ理論により科学的に証明される相分離が起きて原料として使えなかったからだ。
科学的思考は重要であるが、科学に思考を支配される必要はない。ここで技術的に思考すれば均一に混合する機能と均一に混合された材料の状態を固定化する機能を開発すればよい。
40年以上前にポリウレタンの合成にリアクティブブレンド技術が実用化されていたので、それを用いればできるかもしれないと当方は考えて実験し成功した。
この技術の成功要因は、思考から実験まですべて技術的方法により実行した点にある。科学の無かった時代では、確率が低い方法だったが、科学の進歩した現代ではデータ駆動による開発手法マテリアルインフォマティクスを使用して成功確率を上げることができる。詳細は弊社に問い合わせてください。
カテゴリー : 一般 電気/電子材料
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2016年にノーベル文学賞を受賞した時には驚いた。おそらく日本人でこの時に腰を抜かした人は60歳以上の老人たちではないだろうか。彼が登場したのは、映画「卒業」の描かれた時代でもあり、プラスチックが世の中にあふれだした時代でもある。
アメリカは公民権運動やベトナム戦争でてんやわんやの時代で、日本ではプロテスト・ソングと呼ばれたメッセージ性の強い歌を彼は次々と発表していた。
この影響を受けて、日本では「受験生ブルース」の高石智也や部落問題を扱った「手紙」の岡林信康などが登場している。1964年の東京オリンピック前後の時代に欧米ではカウンターカルチャーが全盛期を迎えていた。
日本ではロックと言えばビートルズだが、ボブ・ディランはアメリカ文学で起きたカウンターカルチャーの流れの中でビートジェネレーションのピークに現れ、欧米においてはビートルズの前にボブディランが音楽業界で有名だった。
すなわち、ボブディランは文学界のカウンターカルチャーの流れを音楽界に持ち込んだ功労者である。その後このカウンターカルチャーは衰えサブカルチャーとして昇華するが、カウンターカルチャーの申し子とボブディランが称されるのと日本で小山田圭吾らがサブカルチャーの旗手として持ち上げられるような価値とは雲泥の差がある。
ボブ・ディランはデビュー時にはカウンター・カルチャーの中心人物だったが、その後音楽性もがらりと変化し、ドラッグ常習者へ変貌しサブ・カルチャーの旗手となってゆく。ジョーン・バエズがコンサートで彼の批判をしたことは有名である。1970年前後に彼は麻薬中毒だった可能性がある。
彼の音楽と同時並行に進んでいたのが、ヒッピー・ムーブメントであり、日本でヒッピーはあまり良い印象を持たれていないが、アメリカでは社会変革を目指したカウンター・カルチャーだった。
故スティーブ・ジョブズがヒッピーだった、というとイメージが混乱する人がいるかもしれないが、カルチャーの流れを理解しておれば納得できる。
メインカルチャーが何か、というのが多様化とデジタル化の中で見えにくくなっており、当然そのカウンターとして位置づけられるサブカルチャーとの境界はわかりにくくなる。特に日本では取ってつけたようなサブカルチャーも存在している。ややこしいのはそれでも偽物と決めつけられないところが「文化」の難しいところだ。
ゆえにメインカルチャーからサブカルチャーを理解しようとするとかなり難しくなるが、サブカルチャーの視点から眺めると、メインカルチャーとして何を目指せばよいのかはぼんやりと見えてくる。
おそらくボブ・ディランのノーベル賞の意味はそのようなところにあったのかもしれないと、小山田圭吾の問題を考えながらボブ・ディランを再評価した。コロナがいつ収束するか、その答えは風の中にある?部屋の中に風を起こし空気の循環をよくして感染防止!
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昔文化を語る時に目の前に広がる世界だけ考えればよかった。しかし、今文化を論じるときに電脳空間という見えない世界まで相手にしなければいけなくなった。文化人だけが語る文化論だけを信じていると時代遅れとなる。
一方で電脳空間を主な仕事場としている人たちの中には、高い教養が必要な文化もへったくれもなく、その香りがしそうなものを「文化」として見えるところに送り出してくる。
高い教養があればそのような文化のもつ胡散臭さに気がつくが、教養が無い場合には、そこに気がつかずやんややんやと持ち上げる。渋谷系と呼ばれた文化の大半はこれに近いものがある。ガンクロは死語となったがちびくろさんぼは今や差別用語となった。
子供の頃読んだ4匹のトラがおいしいバターに変わるおとぎ話がなぜ差別なのか、最初聞いたときにびっくりしたがそれが島国文化に慣れ親しんだ感覚の愚かさと悟るのに時間はかからなかった。白人だったならそのような物語展開とならなかったことに気づくからである。
教養と文化とは一体のものだが、今回の小山田問題は、教養の抜け落ちた文化が日本を席巻している現実を日本人に気がつかせたのではあるまいか。レンタルビデオ屋を街で見かけなくなって久しいが、レンタルビデオ屋でもAVの扱いには慎重で、人目のないところに見えないようにコーナーを設けていたり、良心的なところはそのコーナーさえなかった。
映像文化がメディアで販売される時代は終わり、ネット販売が一般化したとたんにAVの敷居が低くなり、見ようと思わなくてもうっかり奇妙なアイコンをクリックしたりするとそこへ飛び込んだりする。
ネット社会には本来隠されているべき世界とシームレスにつなっがている問題がある。リアルな人間社会には法律や慣習でそのような世界は閉じられているが、ネット社会は未だ無法地帯であり、サブカルチャーの多くはそのような世界で発展しているのである。
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開催中の東京オリンピックではお弁当が大量に廃棄されているという。それに対して組織委員会は無観客開催になったために減ったボランティアの人数調整ができていないことを認めて昨日謝罪した。
そのうえで適切な発注で廃棄物を減らすよう心がけるとしか今の時点で応えようがない、とのこと。環境問題は2015年で大きく様変わりし、SDGsが共通認識となった時代に信じられない回答である。
もっともこの回答は、時代錯誤もはなはだしい無知を露見したものであることは明らかであるが、これまでの記者会見で共通した責任感の無さもセットで存在している。組織委員会会長や事務総長は今回の大量食品ロスの問題放置で即刻辞任すべきだろう。
そのくらいの問題である。国会議員もSDGsを理解されているのだったら、すぐに組織委員会に引導を渡すべきではないか。会長や事務総長はサラリーマンでいえば一流企業の役員クラスの給与が支払われているのである。しかもそのお金は税金からでている。
このお弁当の大量廃棄問題について、地球環境の視点から国民はもっと怒っても良い。記者会見の答弁中に廃棄されたお弁当のゴミをスポークスマンの頭からかけるぐらいの事件が起きても良いような状況だ。
今回の東京オリンピックでは環境問題に配慮していると宣言しているので、各会場でゼロエミッションが守られているべきであるが、おそらく組織委員会の幹部は、ゼロエミッションの意味など理解されていないと思われるから無駄かもしれない。
しかしこれまでの廃棄弁当代だけでも云千万円、と聞いたらどう応えるか?人数なら毎日4千人分と少なく聞こえるが。オリンピック反対を叫び、選手に誹謗中傷をSNSで繰り返されている方は、もっと深刻な状況をよく見てほしい。
廃棄された金額を計算すれば、日本国民全員で弁当代返せ、と叫んでも良いような額である。おそらくこの金額がゴミに見えるほどもっと多額の金額が無駄に使われているのかもしれない。開催前に鉄道で不審死されたJOCの経理担当者の真相は闇の中であるが。
(注)ニュースの値が平均値ならば金額にして昨日まで4000x5x1000=20000000円分廃棄されたことになる。おそらく発注量を減らすことは難しいと思われるが、それを実行すると言っている。組織委員会の会計監査をどなたがやられるのか知らないが、週刊誌は是非スクープしていただきたい。オリンピック開催直前の経理担当の事故死の原因がわかるかもしれない。
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材料に関する多量のデータから知を取りだすためには多変量解析が有効である。シミュレーションと多変量解析とを組み合わせる手法もある。多変量解析とマハラビノスタグチメソッドとどちらを使うのか、については、すなおに多変量解析を用いた方がアイデアを練りやすい。
理由は材料に対する経験知を用いることができることと、データの癖に振り回されないためだ。ここでデータの癖とは、サンプル集団が何らかの理由である偏りをもっているサンプリングがなされた場合に隠れてしまう情報がある、と言う意味である。
例えば既存の公開されたデータを使う場合には、その時間における形式知と経験知で集められたデータを用いることになる。高分子科学に限って言えば、複雑で未だ解明されていない現象が存在するので完璧なランダム状態のサンプリングが難しい。
例えば混練プロセスであれば、溶融温度近辺で混練している場合がほとんどであり、剪断混練やカオス混合が行われた樹脂データはほとんど無い。すなわち二軸混練機による剪断混練やカオス混合で改良される物性データが存在しないか極めて少ない条件のサンプリングしか公開データからではできない。
ましてや配合設計に関して全く新しいコンセプトで行われたデータなど存在しないのでどうしてもデータ群にそれら新技術の入っていない癖が残ることになる。
このような問題を理解すると、何らかの新しいコンセプトにより材料を創り出そうと考えたときにマテリアルインフォマティクスでは、いちばちということになる。もう少し気の利いた方法はないのか、と思われた方は弊社にご相談ください。
なお、弊社のホームページに多変量解析でもよく使用する主成分分析と重回帰分析の解析ソフトウェアーを公開している。現在使用料は無料であるが使用した結果については弊社は責任を負わないし、使用した履歴も何も残らないように配慮している。弊社では使用した結果発生した問題点の問い合わせを期待している。
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家電量販店に行くと入り口にインクジェットの容器回収ボックスがある。正規品ではない詰め替えインクを販売しているメーカーが設置している。面白い事業である。なぜ大手のインクジェットメーカーが行わないのか自明である。
インクジェットプリンターに限らず事務用複写機もビジネスモデルが消耗品で儲ける仕組みになっているからだ。同様の論理でニコンがカメラ市場でシェアーを落としている理由も明快である。サードパーティーの交換レンズの存在を認めていないのだ。
カメラ本体の価格を下げて販売すれば一気にシェアが伸びるはずだ。ただ、レンズは消耗品ではないのでこのような戦略が難しい。すなわち、プリンターや事務用複写機では、利益はともかくハードウェアー本体を安売りしてシェアーをたくさんとれば消耗品の売り上げが増えるのでそこで利益を回収するシステムができる。
その結果、純正品の消耗品では本体の利益もそこに入れる必要があり、どうしても消耗品が高くなる。すなわち、現在のビジネスモデルを成立させるためには、消耗品を高くする必要があるのだ。そこにサードパーティーの参入する機会を作ってしまった。
サードパーティーはインク容器を製造する必要もないので価格をさらに抑えることができる。サードパーティーのインク技術も高度になってきたのでアマゾンには純正品の半額で高品質のインクが売られている。
昔トナーも詰め替え用が売られていたが、静電気の制御で情報を紙に転写する技術は神業に近く、トナーの静電気特性も本体に合わせる必要があり、カラー複写機が普及すると消滅した。
カラー複写機では、トナーの設計がインクジェットのインクよりも難しい。インクジェットのインクでは、本体の目詰まりを起こすようなインクでもとりあえずカラー出力ができるが、カラー複写機では画像品質が著しく落ちる。
年賀状しか印刷しないユーザーはこれに気がつかないから、本体の壊れた原因がインクではなく経年寿命と勘違いする。写真画質インクジェットプリンターも出始めは高価だった。
これを純正インクで10年使用できたが、10年目に買い替えたときに安くなっていた。さらにサードパーティーのインクも販売されていたので買い替えたが、2年で目詰まりによりダメになった。
プリンター開発も経験していたので今では純正インク以外使わないが、プリンターの仕組みを知らなければプリンターメーカーの責任を疑うのかもしれない。しかし、これはサードパーティーのインクを使用したユーザーの責任である。
純正インクを使用し、本体を長持ちするように使うのも環境問題解決に貢献する。プリンターの環境問題の一部はサードパーティーのインクを使う消費者にあることに意外と気がついていない。自由競争経済の仕組みにも手を入れなければいけない問題かもしれない。
今の会社を始めたときに中国企業から詰め替え用のトナー製造のビジネスについて相談されたが、インクジェットのインク詰め替え事業の方が無難だ、と指導している。20年世話になった会社に気を遣ったわけではないが、事業の容易さからである。
この時、インクジェットメーカーには申し訳ないと感じた。しかし、今なら環境問題に対する考え方が当方も少し変化し、そのような事業はSDGsの観点から先行きが危ないからやめとけ、と指導するだろう。
この発想は環境問題とプラスチックを考えるときに重要である。今日本の産業は、素材産業から組み立て産業まで分業体制となっている。家電リサイクル法の成功により同様の法律が将来拡大して立法化される可能性がある。
その時、製品回収を事業としてどのように取り組むのか。回収された製品を資源と捉えるのか、ごみと捉えるのかにより、従来の分業体制に少なからず影響を与える。すなわち、組み立てメーカーが素材産業に進出する機会がこの時生まれるからだ。さて素材産業はどうするのか。
これから仁義なき戦いが環境問題解決のために勃発する。業界を越えた戦いが活発化すればするほど環境問題は解決する方向に向かうのではないか。環境問題の脱プラスチックというシナリオは、ダスティンホフマン主演ではなく菅原文太主演に書き換える必要がある。
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日本におけるサブカルの問題を昨日指摘したが、技術と芸術に対する認識も科学と技術の認識以上に日本人は曖昧である。芸術家でもあるレオナルド・ダビンチは、マッハによれば科学が生まれる前の人物であり科学者ではない。
昔は職人と技術者との境界同様に技術者と芸術家の境界は曖昧だった。これは、技術が人間の営みの一部なので芸術家がその創造力を活用して技術を生み出すことがあったため、と理解できる。
芸術家が貨幣価値を生みだす工夫として技術が生まれたととらえることもできる。芸術家が人間の営みの中で力を発揮する場合に、葛飾北斎はその創造力を活かして数々の春画を残している。ダビンチは異なる分野でその創造力を活かし、医療機器はじめ様々な技術に業績を残したのかもしれない。
愛知県出身の写真家加納典明氏は、「人に見られたい写真を撮りたいならばヌードを撮ればよい」という名言を残している。彼に限らず大衆に有名な写真家が、ヌード以外の作品を撮影していることが意外に知られていない。また、ある写真家はカメラのレンズ開発にも協力している。
現代でも芸術家による技術分野への進出があるように、技術者が芸術分野へ進出しても良い。すなわち、技術と芸術はその境界を柔軟に捉えるべきだろう。
今回の東京オリンピックでは様々な問題が噴出したが、あまり騒がれていない問題として「KIMONOプロジェクト」がある。これは、呉服屋が風前の灯となりつつある着物事業を活性化し一儲けしようと考え出された企画のようだ。金銭問題でとん挫し、集金をしただけで終わっている。
そのうち週刊誌が取り上げるかもしれないが、この欄で取り上げた理由は、着物という商品に隠れた技術を後世に残すために国は金を出すべきだ、という誤った発想である。着物事業の経営者がもし本当にそのような技術を残したいと考えるならば、財政的余裕のある時に純粋芸術に技術を無償提供すべきだった。
すなわち芸術の一手法として残された技術は、それが難易度の高い技術で永遠の美を生み出す手法ならば必ず後世に必ず残ってゆく。芸術として後世まで残された技術が、また新たな商品に必要となり発展することもあるのだ。例えば半導体分野の技術には、セラミックス芸術に受け継がれてきた技術が活かされている。
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今回の小山田圭吾氏の一件でサブカルチャーへの関心が高まっているが、まず日本におけるサブカルチャーを正しく理解されていない方が多い。
当方は文化論者ではないが、1960年代に入学するや否や校長室封鎖事件が勃発するようなとんでもない高校へ入学し、カルチャーに目覚めた、というよりもカルチャーショックを受けた。さらに友人と見に行った映画「卒業」ではR指定ではないにもかかわらず鼻血まで出そうな内容だった(50年前の日本の風俗水準はそうだった)。
その後、この映画の主人公の気持ちを理解するために再演された時に5回ほど見に行っている。名古屋では「ジェレミー」という初恋物語との二本立てだったが、それがさらに「卒業」に描かれた恋愛の複雑さを際立たせた。
アメリカではこの映画の製作された時代にカウンターカルチャーと呼ばれる文化が教養人の文化に対抗して生まれている。このカウンターカルチャーの衰退とともに欧米ではサブカルチャーが商業主義と結びついてゆくのだが、日本では、バブルがはじける前後に一部の人種がサブカルチャーを名乗って活動し始めた。
それ以前に高田渡や岡林信康といったカウンターカルチャーと呼べそうなムーブメントを創り出したアーティストもいたが、彼らはそれを名乗っていないし、彼らの活動は必ずしも反体制の歌ばかりではなかった。日本では松任谷由実とか井上陽水などを生み出す流れの一つだととらえている。
すなわち、日本のサブカルチャーの流れは、漫画も含め1980年代からそれを名乗るアーティストたちにより形作られた文化であり、その中身は玉石混交どころかAVのように危ない世界も多い。当然見えないところでは、今回話題となったいじめやドラッグ、麻薬の温床にもなっている。
本来文化とは高い教養に裏付けられて発展してゆくものだが、そうでないものをすなわち教養も分別もいらない文化を日本ではサブカルチャーとしているところがある。
少し乱暴な表現だが、このようなサブカルも含め日本の文化は表に見える部分は健全そうであるが、一歩闇に足を踏み込むとここでは書きにくい世界が広がっている。
漫画の世界だけをサブカルチャーと誤解していると、今回のオリンピックのような問題が起きる。その他の例として、その方面の先進国アメリカから今や世界の先進国は日本だと言われている映像文化がある。
文化に関しては、今や日本はアメリカを抜き世界一自由な国になったのかもしれない。文化を楽しむためには、やはり教養を身につけなければいけない。
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冗談ではなく緊急事態宣言下でオリンピックは昨夜開会式が行われた。オリンピックとは何か、といった議論はさておき、様々な問題を抱えたオリンピックは、昨年に中止宣言をすべきだったところを延期とした決定で、すべてのドラマが始まったように思う。
「いだてん」は低視聴率におわったが、東京オリンピック2020は、開催について国を2分するほどの議論となり、大多数の国民が反対する中で東京オリンピックは開催された。国民の関心を集めたことだけは確実である。
興味深いのは開催直前の国内の動き。天皇陛下は感染拡大の心配をされたにもかかわらず、政府は宮内庁の私見として軽く扱った。それに対して与野党ともに憲法違反の心配をしている。天皇陛下は開催の是非には言及したわけではなく、国民の象徴として国民の心配の声を述べられたわけである。
象徴天皇と政府との関係の変節をここに見ただけでなく、政権担当者の傲慢とも思われる姿勢に驚いた国民もいるかもしれない。当方は少なからず驚いた。その天皇陛下は、開会式にお一人でご出席されるとともに定型文の開会式宣言で「お祝い」の部分を「記念」とされ、国民の意見を最大限反映される、まさに象徴天皇としてのお仕事をされた。
残念ながら当方はすでに夢の中にいて今朝のニュースで知ったのだが、日本の天皇制が重要なシステムであることを気づかされた出来事である。
また、トヨタ自動車はじめトップスポンサーや経済界の重鎮は、事前に開会式への出席辞退を表明していた。スポンサーや経済界はステークホールダーである国民の声を天皇陛下同様に尊重したのである。
インターネットの普及は、名もなき人の声を社会に届ける機能を果たしている。そしてコロナ禍となって気がついたのは、日本では「オレコロナ事件」にみられるように、感染者の暴走を法律で取り締まることができない現実である。また東京オリンピックのドタバタ劇は、多額の血税が投入された国家の行事さえも適当に運営されている有様である。
コロナ禍の東京オリンピックで日本人は現在の日本が抱える正しい問題を見出したのではないか。ポストコロナ禍では、コロナ禍で影が薄くなった環境問題やエネルギー問題はじめ様々な国家で取り組まなければいけない問題が2年前と異なる姿で登場する。
すでに原子力が電気料金最安値のエネルギーではなくなった、との真実の声が出始めている。国体なるものを意識したことは無かったが、言われ続けた「戦後レジュームの終焉」が本当に「終わる」のかもしれない。日本人一人一人が意思決定し、その行動の責任まで負わなければならない国に変わるのだろう。
また、30年ほど前にオリンピックや万博、テーマパークなどのイベント事業で儲けるビジネスが日本の経済の主役になる、と言われ、観光立国日本まで事業展開されたが、これも大きく見直さなければいけないだろう。冷静に考えてみても、第一次産業と第二次産業が無くなった国家の姿を考える事はできない。
また、カーボンニュートラルの観点では第二次産業と第一次産業のバランスを取ることでも実現可能であり、今後第二次産業の各企業で第一次産業の見直しが始まるのかもしれない。
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