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2024.05/18 融体

PPSの押出成形で気になっていたことがある。当方以外にも気にしていた人がいたが、こんなものでしょう、という会話で終わっていた。順調に成形技術が完成していたのでラインを触りたくなかった。


あれから20年近く経った。中国でPPSコンパウンドの開発を指導したりして、この時と関係するような現象を見てきた。レオロジーの測定装置を販売している会社にお願いして一日機械を借りて実験した。


楽しかった。想像していた結果となったのだ。それから10年経った。以下は想像の話で、妄想程度にご一読いただければと思う。


まず、PPSの押出成形において金型と押出機の中間ネックの温度安定性が悪かった問題。規則正しい揺らぎならばPID制御の影響だが、最大10℃前後の範囲で変化している温度の揺らぎとヒーターで加熱しているのに設定温度よりも5℃低い状態が続いたり、と気持ちの悪い変化だった。


このような変化があったにもかかわらず、押出成形は安定だった。この時の変化は、PPSの球晶がラメラに崩れ、その崩れたラメラが溶融していた時の変化ではなかったろうか、と想像している。


DSCの計測結果では、Tm付近でブロードに吸熱ピークが現れる。この時のピークトップを樹脂のTmとしているが、実は完全に融解した状態ではない。5月28日大阪で開催される日刊工業新聞社主催のセミナーではデータとともにご説明いたします。


セミナー詳細はこちら

カテゴリー : 一般 高分子

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2024.05/17 トランスサイエンス時代の技術開発

日本でセラミックスフィーバーが吹き荒れた1980年代に、アメリカではトランスサイエンスという言葉が生まれている。ところがバブル期の日本では、これがうまく伝わらず、セレンディピティーという言葉だけ広がった。


セレンディピティーは犬も歩けば棒にあたる的意味だ、と科学的な視点の技術開発で遅れていたセラミックス分野の技術開発を揶揄するような意味で受け取られた。


アメリカで問題とした点は、「科学で問うことができても、科学で解けない問題」が増えてきたことに対する警鐘である。ところが日本ではこの重要な意味がうまく伝わらず、ようやく最近話題になり始めた。


弊社では創業時よりこの問題に取り組んできた。例えば5月28日に開催される日刊工業新聞社主催のセミナー( https://corp.nikkan.co.jp/seminars/view/7148 )では、経験知による対応でどこまで問題解決できるのか、解説している。


単なる高分子材料に関するセミナーではないのだ。トランスサイエンスの問題をどのように解決したらよいのか、という問題解決法の視点でセミナーを構成している。


弊社が提供するセミナーは、皆このような視点で、アカデミアの先生が行う形式知のセミナーと大きく異なるトランスサイエンス時代のセミナーである。

カテゴリー : 一般

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2024.05/16 「虎に翼」に描かれた恋愛観

火曜日に放送された朝ドラ「虎に翼」のデートシーンでは、かっこいい男が描かれていた。彼には理想とする女性像があり、彼女には高い志があった。


彼氏が、その志を認め、彼女の志実現に向けて理解ある結婚生活を実現できる自信があれば、恐らくプロポーズしただろう。そして、振られたかもしれない。


彼女は、もし、プロポーズされて、自分の志まで受け入れられたらどうしよう、という戸惑いがあった。しかし、彼女は男に負担をかけてまでも結婚したいという気持ちは無かった。


およそ結婚がゴールとならない男女のデートは、いかなる形が良いのか。それを描いていたのが火曜日の食事シーンだった。


無機材料の結晶化は、揺らぎの中から始まり、その開始点となる核を観察することはできない。そして、まず結晶化しうる多数の核を生成する段階が律速となり、結晶成長する現象についてアブラミ則で解析可能である。


ただし、無機材料の結晶化反応速度論には、多数の速度式が提案され、アブラミ則はその一つに過ぎない。花岡は、女性の細やかな配慮にも気がつく一握りの男であり、寅子が志を捨ててその胸に飛び込んでも幸せになれたかもしれない。


しかし、「虎に翼」はそのような安っぽい恋愛物語を描かなかった。高分子の結晶化速度式が、アブラミ則一色であることに不満を感じる。


球晶の成長が成形体の寿命に影響を与える、このような話を5月28日に日刊工業新聞主催の対面セミナーで行います。高分子の破壊と寿命について関心のあるかたはお問い合わせください。花岡と寅子の破局は、今週新たな展開になります。

カテゴリー : 一般

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2024.05/15 不均一構造の高分子成形体

セラミックスから高分子材料までありとあらゆる材料の研究経験があると、高分子材料の専門家の問題が気になってくる。


高分子成形体は、未だに形式知で議論していると誤った判断や誤った仮説を設定したりする。大学の先生の中にもそのような間違いをされる方がいるので困る。


分からないことがあれば、弊社に相談していただきたい。間違いで多いのは、高分子成形体の均一性に関する問題である。例えば成形体の力学物性には、それがばらつきとなって現れる。


セラミックス成形体の力学物性もばらつきが大きく、プロセス条件によりそのばらつきの大きさもバラつくので厄介である。


CIPやHIPの効果をワイブル統計で論じた研究が1980年代たくさん発表されている。ゆえにセラミックス成形体の強度ばらつきは、成形プロセスを制御すると改善できることが知られ、主原因が欠陥であることまで科学的に明らかになっている。


しかし、高分子材料の成形体強度についてこのような研究が少ないのだ。最近再生材の強度に関する間違った仮説の論文が発表された。明らかに誤っているのだが、まことしやかな仮説を展開している。


5月28日に日刊工業新聞主催のセミナーが大阪で開催される。そこでこの間違いを解説する。久しぶりの高分子のトラブル対策と寿命に関する対面セミナーであり、日々の質問もその場で回答します。お問い合わせください。

カテゴリー : 一般

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2024.05/14 開発無限ループ(1)

研究開発を進めていると、二律背反問題で無限ループに陥る場合がある。例えば、導電性微粒子を用いて高靭性の高分子導電体もしくは半導体を設計しようとするときである。


高分子に導電性粒子を添加すると抵抗は下がるのだが、目標となる導電性を得るために粒子の添加量を増加すると脆い材料となる。


パーコレーション転移に注意しながら、繊維状の粒子に代えたりとかいろいろ苦労して開発に成功すればよいが、粒子にこだわっていると、いつまでたっても導電性と脆さの設計値を満たす材料にたどり着けない。


すると、無限ループに陥るのだが、担当している本人は、もう少しでたどり着けそうなデータが出たりするので、いずれ成功すると信じている。


PPS/6ナイロン/カーボンの配合で設計された半導体無端ベルトの開発では、6年間開発が進められ、半年後にようやく製品化にたどり着いたから、前任者から交代してほしいと言われた。


おそらく前任者は半年後に製品化は無理だと思って依頼しに来たのだろうが、一流コンパウンドメーカーと6年間開発してきたのでうまくゆく、と気楽に説明していた。


本当にうまくゆくならば自分で最後まで担当すればよいのだが、本音では難しいと思っていたのだろう。話を聞くだけ、と応えていたら、リーダーを交代してほしい、と何度も懇願してきた。


6年間の開発で蓄積されたデータを解析したところ、3パターンで技術的には同じことを繰り返し、無駄な開発を進めていたのだが、一流コンパウンドメーカーも含め誰も気がついていなかった。


このような開発は何度も見てきたので、自分でコンパウンド工場を立ち上げ、半年後にはそこで生産されたコンパウンドで半導体無端ベルトの生産を開始している。その時に用いた技術は、6年間の開発で検討されてこなかった、全く異なる芸術的なコンセプトだった。

(注)科学的に開発を進めると無限ループに陥ることがある。このことにすぐ気がつくかどうかが重要である。なんでも科学で明らかになっている、と盲信すると、無限ループから抜け出せない。高分子材料では科学で不明確なことが多いと悟ることが重要である。経験知の体系を作成してみると理解できる。

カテゴリー : 一般

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2024.05/13 芸術で問題解決する

音楽とか絵画とか芸術分野の知識を小学校から学ぶ。これは大切なことだと改めて思う。暗黙知を具体化する方法を学ぶことだからである。


昔、黒人がギターと出会ったときにブルースが生まれた、と言われている。そしてピアノで軽快なラグタイムを演奏する黒人が現れ、ジャズへと発展したかどうか知らないが、楽器の演奏は暗黙知を具体化しようという努力であったことは容易に理解できる。


中森明菜が復活するというので話題になっているが、ホームページに公開されているカバー曲を聞くと彼女の歌に対する思いが伝わってくる。やはり才能があるためであろう。


当方が同様のことを試みても思いが伝わらないのは、やはり才能が無いためだろうが、才能が無くても科学と異なる手法の工夫で多くの独自技術を開発してきた。


それが原因でFDを壊されるような嫌がらせを受けたり、某大学の先生に勝手に論文を出されたり、とその成果に対して他人から嫉妬を受けている。そして技術の独自性と先進性に改めて気がついたりした。


また、ささやかな賞を幾つか頂いているので当方の技術開発の手法について、それなりに若い人の参考になるのではないかとここで公開している。


公開している内容で理解が不十分であれば、セミナーのリクエストをしていただければ、WEBセミナーとなりますが破格の価格で対応いたします。


ところで、技術開発においても開発したいオブジェクトを絵に書いてみる作業は重要である。企画の最初にあるいはコンセプトを練り上げる前に具体的に絵に書けない技術では立派な企画書が出来上がっても成功の見込みは無いと経験的に思う。


絵が下手ならば、文章で書いてみる。とにかく技術開発しようとする内容について、まず具体化する作業は大切である。絵も描けない、文章も書けないならば、実際に作ってみることだ。


新入社員として10月に研究所へ配属されてびっくりしたことは、指導社員から樹脂補強ゴムのテーマ説明において、実際に出来上がっている樹脂補強ゴムを見せられたことである。


さらに、ダッシュポットとバネのモデルによるシミュレーショングラフや高次構造の絵まで見せられ、思わず「私の仕事は何でしょうか」という質問となった。


しかし、指導社員(注)に見せられたそれらは、指導社員の芸術的作品であって、技術成果ではなかった。指導社員もそのような説明をしていた。芸術で問題解決するとはどのようなことか、弊社へお問い合わせください。

(注)指導社員にとって当方は初めての部下だった。かなり昇進が遅れていた人だが、ダッシュポットとバネのモデルから導かれた微分方程式を電卓で解きグラフを描くような優れた頭脳の持ち主だった。コミュニケーション能力が無い、と言われていたが、午前中たっぷりと3時間座学で様々な技術をご指導いただき、とてもそのようには見えなかった。確かに難しいことを難しく説明されるので理解するのが大変であったが、分からなければ質問をすれば理解できるまで根気よく説明してくださった。時には下手な絵を書いて説明してくださり、絵が下手なので、と言われたが、正直で誠実な方だった。レオロジーの理論に精通していたが、分子構造には弱いと言われていた。しかし、分子軌道法等量子力学には精通されていた。ロール混練で発生しているカオス混合まで説明してくださったが、人生で出会った中で最も頭の良い、と感じた人だった。形式知から経験知、さらには暗黙知を具体化する方法まで指導してくださった。ゴム会社に入社して最もよかった思い出はこの指導社員との3か月の研究開発である。睡眠時間を忘れて仕事に励んでいた。気がついたら1年の予定のテーマを3か月で終えていたのだが、この指導社員のおかげである。

カテゴリー : 一般

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2024.05/12 科学と技術と芸術と(6)

転職して1年ほどたったときに印刷会社からクレームが来た、というので担当者に連れて行ってもらった。デジタルワークフローが普及し始めた頃で、刷版などに技術革新が起き始めていた。


それと同時に、フィルムの現像処理後の帯電防止性能が重要になってきた。ほんの小さなゴミでも許されなくなったのだ。たまたまクレームで見学した印刷所では、ヘアーヌード写真集を印刷していた。


クレームは、毛の一本にゴミが付着するというものである。おそらくほかのところに付着していたなら気がつかないであろうゴミである。これ以上は書かないが、とにかく印刷物の高精細化とデジタルワークフローが重なり、ほんのわずかなゴミの付着でも問題となる時代になった。


半導体のような無塵室で印刷を行えばよいのだが、印刷所はそれほどクリーンではない。ゆえに現像処理後のフィルムの帯電防止性能が悪いとすぐにゴミが付着する。


写真フィルムでは感光層と同等に帯電防止技術が重要であり、当方は帯電防止について専門家になれるぐらいに勉強を始める動機づけになった。


転職前に電気粘性流体を3年ほど扱っていたので、帯電現象についてある程度の基礎知識を持っていた。しかし、転職して芸術と技術の接点としての帯電防止技術の重要性に気がついたのである。


努力の甲斐があり、印刷学会や日本化学工業協会から賞を頂けるレベルまで成果を出すことができた。帯電防止技術でお困りの方はお問い合わせください。

カテゴリー : 一般

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2024.05/11 データサイエンスと私(16)

外側に相関係数を用いて実験計画法を行うアイデアは、フェノール樹脂天井材の開発前に完成していたが、このアイデアに至った背景を書いてみたい。


ゴム会社は、新入社員研修の一環として日本科学技術連盟(日科技連)のBASICコースを1年間受講する仕組みがあった。一人50万円かかるこの研修を修了できなかった場合には、給与から研修費用を天引きする制度だった。


ゆえに皆必死で勉強するのだが、最後の修了証をもらうためには、職場で課題を見つけ、実験計画法で実験し、それをレポートとして提出しなければいけなかった。


タイヤ開発部門では実験計画法による開発が定着していたが、研究所ではBASICコースを業務に活かすことさえ軽蔑されていた。すなわち、その学習成果を業務に用いると馬鹿にされたのだ。


また、実験計画法にも問題があった。実験計画法で求めた最適条件がたびたび外れるのだ。当方もこの洗礼に泣かされた。しかし、外れても実験計画法を使い続けてみた。そして外れる原因が、外側に実験結果を直接用いていることに気がついた。


すなわち、ラテン方格の内側因子と外側因子の誤差との交互効果の現れ方に、内側因子の配置が考慮されていないと、内側因子の交互効果が原因で、最適条件が外れるのである。

それで、外側に信号因子を取り出し、相関係数を割り付けることで、その影響を小さくでき、最適条件の当たる確率が高くなる。タグチメソッドと同じ理由である。


この手法で、高純度SiCの開発や、カーボンを助剤にしてホットプレスの最適条件はじめ半導体治工具事業で使用された基本技術が無機材質研究所で実験されて開発された。


故田口玄一先生がアメリカでタグチメソッドの普及をされているときに、タグチメソッドに類似した手法を編み出すことができたのは、技術開発の自信につながる人生の思い出の一つである。


研究所では、科学の手法ではないと否定された(注)が、統計手法そのものは科学的統計などという言葉を使われる研究者もいるように、科学の実験データの整理に使うことはおかしいことではない。


むしろ、「科学」をことさら押し付ける考え方の方がおかしいのである。科学は哲学の一つであり、科学以外にも問題解決に有効な哲学が存在する。


マテリアルズ・インフォマティクスは、科学の方法として捉えると、イムレラカトシュが指摘している理由により、科学の方法とならない。


しかし、数理モデルで問題を解く手法、広義ではデータサイエンスを活用する方法を用いると、科学で解けない問題を解くことが可能だ。


また、ガリレオやダ・ビンチの芸術的な成果は、無理に科学の方法として結び付ける必要などなく、彼らの思索方法を素直に拝借して、そこに科学の方法をフュージョンさせる現代的な問題解決法を生み出すことも可能だ。


当方が、ゴム会社の研究所で「科学の方法ではない」と馬鹿にされながら「問題解決法」を研究していた時に、音楽の世界では、クロスオーバーとかフュージョンとか呼ばれる音楽が流行していた。


また、企業方針として日科技連の手法を定着しようとしていたゴム会社の当時の人事部は、偏執狂のごとく科学で凝り固まった研究所の体質を変えようと努力していた。


「人事部の犬」などと周囲に馬鹿にされながら、実験計画法はじめ日科技連の研修の学習成果を業務に根気よく使い続けた理由は、それがデータサイエンスの一手法だったからである。


(注)ゴム会社で12年間務めたが、当方の研究開発手法に対する批判は、日ごとに陰湿になっていった。セラミックスフィーバーのさなか高純度SiCの半導体治工具事業について、昇進試験の問題「あなたが開発したい新規事業について述べよ」の解答に書いたところ0点がつけられ、それが人事部長から無機材研に電話で知らされた。これがきっかけとなり現在も続く事業が存在するのだが、この実話はフロッピーディスク事件以外に様々な事件がその後起きるほどのイノベーションだった。バブル崩壊後GDPが30年停滞している現象を当方の人生経験から眺めると、イノベーションなどやめてサラリーマンが健全な精神になろうと努力してきたように見えてしまう。当方はイノベーションを起こすことにより、問題解決法すなわちアイデア創出法を創り出すことができた。実際には、科学的に考えることにより、当たり前のアイデアしか出せない問題の改善提案に過ぎないが、その程度の手法の一つが、現在マテリアルズ・インフォマティクスとしてもてはやされているので、セミナーとして用意している。弊社の問題解決法のセミナーはデータサイエンスを一手法として採用しているが、それはあくまでも一手法としてである。むしろ、科学的に考えて解けない問題を解く方法という広義の内容である。

カテゴリー : 一般

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2024.05/10 高分子と芸術

金属やセラミックスと異なり、高分子を理解するためにはある程度の芸術的なセンスが要求されるように思う。技術全般に対してそのような見解を述べる方がおられるが、例えばセラミックスの工業製品であれば、芸術的なセンスをデザイナーに任せて、材料開発を形式知で行う、ということが可能だ。


ところが、高分子材料では、形式知が整備されていない分野が多いので、セラミックスや金属のように形式知中心により技術開発を進めることができない。


これはゴム会社から写真会社に転職して分かった。形式知をもとに開発の無限ループに陥っていた人がいた。そして改めてゴム会社の研究所にいた研究者たちを思い出しても芸術を理解できない人たちは、形式的な否定証明を好んで用いていた(無限ループをする方が技術者として期待できる)。


科学ならば少し勉強すれば誰でも使いこなせるようになるが、芸術的なセンスとなるとやはりそれなりの訓練が必要だ。当方がここで必要と言っているレベルは、天性の芸術性ではなくある程度の訓練で身につく芸術性のレベルである。


例えばフローリーハギンズ理論がある。これを信じ現象をこの理論に沿って眺めていると、PPS/6ナイロン/カーボンという決まった配合のコンパウンドで実用的な半導体無端ベルトを開発することはできない。


それこそ無地のキャンパスに欲望に沿ってオブジェクトを描き上げるぐらいの感覚で材料設計を行わなければ実用化できなかったと思っている。


そこにあったのは論理ではなく、パーコレーションを制御したいという欲望だけであった。その欲望を満たすための高分子高次構造の絵を書きあげた(注)ときに、転写ベルトの実用化を確信した。


コンパウンドの開発に6年を費やしたと前任者に聞いていたが、その材料設計と全く異なる発想で、配合組成は同一のまま、全く異なるコンパウンドを芸術的な視点で設計したのである。


荒唐無稽な自慢話をしているのではない。分かり易く言えば、6が月後に迫った製品の新発売までに前任者の開発した配合を変えずに実用化するために実現されなければいけない高次構造の絵を書いたのである。


そこには、形式知からの論理的必然性は無い。逆にその絵から技術として用意しなければいけない設備を考えていった。そこでカオス混合が出てくるのだが、カオス混合機など世の中に無かった。


これもただ絵を書いただけである。ゴム会社に入社した時にご指導いただいた指導社員から教えていただいたカオス混合を実現するための設備の絵を書いただけである。


おそらくダ・ビンチも飛行機の設計をこのようにしていたはずだ。但しダ・ビンチの飛行機では人類初の飛行機を作ることができなかった。


ダ・ビンチは飛行機を見たことが無かった。しかし、当方は指導社員にロール混練におけるカオス混合の「技」を見せていただいた。その「技」に似せてカオス混合機の絵を書いただけで、ダ・ビンチとの違いは「見た」経験の有無である。観察は重要である。


今はどうか知らないが、工学部建築学科ではヌードのデッサンを授業として行う、というので喜んでいた友人がいた。建築学科だけでなく工学部では必要な学習だと思う。


ヌードでなくても加納典明が説明していたようなキャベツのデッサンでも構わない。当方は学生時代に写真と平行して少し絵を書いていたが、その才能の無さに気がつき、写真だけが趣味となった。カメラを被写体に向けるだけでも観察眼を養うことは可能である。


(注)これは実話である。Pythonで学ぶパーコレーション転移というセミナーでも体験談を話している。科学的に考えると二律背反となるような問題解決には、技術で解決、とはゴム会社のCTOが好んで言われていたことだが、芸術まで含んだ技術である。「芸術的な技術」というものがあるが、科学で考えてアイデアが出ない時には、芸術を考える頭の使い方をすべきである。美というものは調和がとれていなければいけない、と言っていた人がいたが、必ずしも調和は必要ない。パーコレーションは、相互作用の無い前提では、統計の確率に左右され、当方独自のシミュレーションで得られる一つだけのグラフは、必ずしも美しいグラフとならないが、クラスター生成の条件を様々にして得られた複数のグラフが描かれた様子は美しい。その美しさの中に実現すべき技術の条件があった。ただセミナーの時にはこのような説明をしていません。ここでは正直に当時の体験を書きました。

カテゴリー : 一般 高分子

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2024.05/09 科学と技術と芸術と(5)

写真が芸術であるかどうかは、素人写真とプロの写真家の写真とを見較べてみると理解できる。同じ景色を撮影してもプロの写真家の写真は、それとわかる。


ハイアマチュアの写真とプロ写真家の写真では、ハイアマチュアの写真が優れていることもある。プロの写真家とは何か、について、加納典明が昔FM愛知の深夜放送で語っていた。


彼によると、いつでも一定水準以上の写真を提供できるのがプロで、それができないのがハイアマチュアだそうである。それでは一定水準とは何か、についても彼は熱く語っていた。


彼は写真学校の卒業課題として撮影した自分の作品を事例にして語っていた。キャベツをモノクロ撮影したその写真について説明していたのだが、ラジオ放送であるにもかかわらず、目の前にモノクロのキャベツが浮き上がってきた。


思春期の感受性が強い年齢だったこともあるが、彼の説明もすごかった。今は**写真家で知られている加納典明だが、当方は彼のディスクジョッキーから写真術について学んだ。


彼は単なる写真家ではなく高い自己表現技術を持った芸術家である。少なくとも若い時の彼は、論理的に説明できる技術とそれをベースにした表現力を目指していたように思われた。


写真は確かに芸術であり、芸術的な写真を撮影するための技術も存在する、彼はそのような説明をしていた。そして、誰にでも自分の作品を見てもらいたいなら、すべてが写ったヌードを撮れ、と語っていた。


人類の半分は見てくれる、というのがオチだが、きれいなヌードなら性別に関係なくその写真を誰でも見てくれるそうだ。「SANTAFE」は、男性だけでなく女性も購入したと言われている写真集のヒット作である。


ただし加納典明ではなく篠山紀信の作品である。篠山紀信の作品では、山口百恵の写真集が有名だが、彼は少女から女にかわる不安定な年齢の被写体を美しく撮るのが得意だった。


加納典明と篠山紀信のそれぞれの作品を比較すると、ヌードという被写体が写真の練習に選ばれることを理解できる。被写体に依存せず美しく撮ることが難しいからである。


美しい景色をそのまま撮るのであれば、現在のデジカメを用いると誰でも撮影できるが、ヌードでなくてもポートレートは意外と難しい。昔美しい人は美しくそうでない人はそれなりに写る、というCMがあったが、美しい人でも美しく撮れないと悩んだ時に写真の芸術性に気づかされる。


ポートレート写真には、カメラの性能や撮影技術、被写体だけでは完成しない難しさがある。風景や静物写真すべてにこのような難しさがあるのだが、この難しさに気がつくと自然現象を科学ですべて解明できないことを感覚として学ぶことになる。


加納典明は、一時期徹底して下品なヌード写真集(注)を出版して書類送検されている。これは、あたかも科学で否定証明を行うようなものだ。ヌード=下品という倫理観を少なからず誰もが持っている。


(注)出版物として公序良俗に反しない画像だったが、表現として美と対極にある下品さそのものが表現されていた。ヌードで下品さを追求するのは、現象を見て否定証明の仮説を立ててそれを実験することと似ている。例えば、シリコーンオイルに微粒子を分散した電気粘性流体をゴムケースに封入したデバイスでは、ゴムケースから出たブリード物で増粘し機能しなくなる。この現象について「解決できない」という仮説を立てて、電荷二重層の測定や厳密なHLB値の化合物などで徹底してその仮説の正しさを追求する実験を行うようなものである。

カテゴリー : 一般

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