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2019.04/26 無機高分子の合成

有機合成化学は1970年代にコーリー博士の逆合成という概念が提案され、そのデザイン手法がコンピューターのアルゴリズムで取り扱われるようになった。さらに、有機金属化合物の合成研究が発展した20世紀に、その学問体系がほぼ整備された。

 

有機金属化合物では、低分子化合物だけでなく高分子化合物も開発された。例えばフェロセンポリマーという物質も合成されている。有機ケイ素高分子も多数開発され、東北大故矢島先生により有機ケイ素高分子からSiC繊維を製造する技術も1970年代に開発されている。

 

当方が発明したフェノール樹脂とポリエチルシリケートとのリアクティブブレンドによる高純度SiC合成法は、この矢島先生のご研究から6年後に成功している。矢島先生のご研究はポリジメチルシランを炭素繊維と同様の方法で熱処理する製造法だが、当方の方法は前駆体であるポリマーアロイを製造するリアクティブブレンド技術にその特徴がある。

 

これは、科学的に考えていては開発できない方法で、頭がよければ誰でもできるわけではない技術開発手法で合成された前駆体だから科学者には少し難易度が高い。そもそも混合プロセス段階はフローリーハギンズ理論によりその現象が否定されるような前駆体である。科学と技術とはどこが異なるのか、という命題について知りたいなら、この前駆体の合成プロセスをよく考察していただければわかりやすいと思う。

 

論理のち密さが重要という理由で、科学は頭の良い人でなければそのブレークスルーが難しいが、技術は多少頭が悪くともその開発が可能だ。ちなみに人類による技術開発の活動は4000年以上昔から行われている。中国4000年の歴史が日本に影響を与えたが、それよりもはるか昔から技術開発は人類の日々の生活の営みとして行われてきた。

 

日々の営みを自然とうまく調和する努力のできる人類が技術を開発してきた。この意味では、頭の良し悪しよりも、性格の素直さが技術者には重要だと思っている。

 

技術開発の歴史を眺めたときに、現代の有機合成技術者を高度な研究者集団としてみなすのは、もはや時代遅れである。1980年代からすでに有機合成技術者は知識労働者の一人になっている。なぜなら21世紀にはいってから有機合成分野において新たな概念は生まれていない。無機高分子合成化学に至っては無機高分子研究会設立以降ノーベル賞級の新しい概念は生まれていない。

カテゴリー : 高分子

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2019.04/25 ハイブリッド車の問題(1)

池袋事故について事故原因の解明よりも、未だ逮捕されない運転者の問題に関する記事が多い。この事故の本当の問題は、「本当の事故原因は何か、そして再発をいかに防ぐか」という問題のはずである。恐らく警察は、運転ミス「か」(東スポではないが)、と発表しつつも、運転者の証言にも注目している可能性がある。

 

当方は年に2回ほど信頼性工学のセミナーを行っているが、せっかくセミナー内容について現実の問題を取り入れたり、問題解決法を取り入れたりと役立つように工夫しても参加者が少なく、困っている。

 

小生の信頼性工学については別の日にPRをしたいが、本日はハイブリッド車に試乗したときに、信頼性工学の観点から営業マンへ有益なアドバイスをしていてもいっこうに改善されないハイブリッド車のブレーキの問題について書く。

 

ハイブリッド車のブレーキの問題については電気自動車にも通じるが、これについては、日産自動車が1ペダル方式という一つの答えを提案している。あの技術はもっと注目されてもよく、新時代の自動車安全システムとして第二、第三の新しいブレーキシステムの提案があるべきだ。

 

この欄で展開する話は、一部特許ネタとして公開を躊躇していたが、トヨタがハイブリッド車の特許を公開するというので、当方の考え方も公開したい。

 

ハイブリッド車のブレーキ(正しい運転をしなかった場合の一般のオートマチック車でも該当する)が信頼性工学の視点でまずいのは、「ブレーキをかけようとして、ペダルを踏み間違えたときの対策が考えられていない」、というこの一点に尽きる。

 

難しく表現すると、「ヒューマンエラーが発生した時に、そのエラーが次のエラーを引き起こさないような対策が取られていない」、あるいは簡単に「バカ対策が取られていない」となる。バカと書いては事故を起こされた方には失礼だが、ポカ除け対策ともいう。

 

ブレーキを踏み間違えた運転者は、それに気がつくためには、まず、加速し始めた車の状態を「異常だ」と気がつく必要がある。そして、その異常に対する原因を考えたときに初めてアクセルを踏み間違えたことに気がつく。この段階で異常に気がつかなければ、アクセルをブレーキペダルと信じ、踏み続ける。

 

しかし、ここで異常の原因が運転者の動作にある、とすると、「ブレーキの踏み間違い」か、「ブレーキの踏みシロの少なさ」という二つの事象が出てくる。

 

前者であれば、ペダルの踏み間違いへと思いがいたるが、後者の場合には、先に指摘したようにブレーキを踏みこむことになり、結果としてアクセルを踏み込む動作となって、暴走することになる。実際にこれが原因で起きている事故は「プリウスの暴走」としてネットに多く公開されている。

 

「このような事故でプリウスの暴走が注目されるのは販売台数が多いから」、とよく解説されているが、当方はそれだけではない、と思っている。しかし、ここは当方しか気がついていないようだから書かないが、興味のある方は質問していただきたい。プリウスの運転システムにはこの欄で書いた以外にもまだ問題がある。

 

とりあえず、ブレーキシステムの問題に話を戻すが、信頼性工学の一つFTAとFMEAを正しく行っていれば、事象が二つになることに気がつくわけで、当方は営業マンにレクチャーを無料でしている。

 

しかし、感謝されるどころか、営業マンはそれを不満に感じているようだ。顔は笑顔だが、皆当方の話を否定して話題をそらす。おそらく車をけなされたと思って、カチンと来ているのだろう。

 

そして本質的な議論に発展しない。営業マンの仕事の一つにお客様の声を吸い上げ、それを商品のカイゼンにつなげるというのがあるが、トヨタの営業マンは皆プライドが高いのか、お客様の意見を否定してくる。

 

顔は笑顔で、言葉は優しくても、言ってる内容がお客様の意見を真正面から否定しているならば、お客様は不快になるだけだ。初めて乗った車はレビン、その次はセリカとトヨタを乗り継いできたが、このブレーキの問題を言い出してから、トヨタ車を購入していない。新車購入時には必ずトヨタのディーラーものぞくのだが大抵は気分を害して見積もりさえもらわないという状態が30年以上続いている。

カテゴリー : 一般

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2019.04/24 高分子の誘電率

高分子の誘電率や屈折率は、密度の影響を受ける。すなわち以前も書いたが、制御が難しい自由体積の量にも影響をうける。これがどの程度影響を受けるのかは、密度と誘電率とのグラフを作成して確認する以外にない。

 

面白いのが、有効数字三桁程度ではきれいに再現性の良いグラフとなるが、4桁になると難しくなってくる高分子も存在する。おそらく3桁でも制御するのが難しい高分子もあるかもしれないが、当方の経験では3桁程度は何とか制御できた。

 

これがフィラーが入ってくるとさらに難しくなってくる。また困るのは、コンパウンド段階の評価と成形体の評価がずれてくる場合である。それぞれのばらつき具合が同じであればよいが、その偏差そのものがロットごとにばらつくので管理にノウハウが必要になってくる。

 

中間転写ベルト用コンパウンドを子会社で立ち上げたときに、押出成形でできるベルトの抵抗をペレットの誘電率で管理する技術を開発した。この時は、直流で計測されるベルトの表面比抵抗との対応をペレット段階の電気抵抗で管理できるのか、が大きな問題となったのでインピーダンスを持ち出したのだ。

 

ただ、インピーダンスでは少し電気をかじったことがある人が、交流の抵抗と対応をみてもよいのか、といいだした。そこでペレットの誘電率を管理することにした。

 

誘電率とベルトの抵抗がどのような機構で相関するのか、という質問も出たが、実験データでこのような関係にあるから管理可能と説明している。なんでも科学的に説明しないと納得しない人が多いのは困る。

 

科学がいくら進歩しても、人間が自然界を完璧に管理できるわけではない。当方にとって大切なことは、ペレットの製造ばらつきをどのように検出して管理してゆくのか、という問題である。

 

この時の誘電率は空隙法で計測しているが、有効数字は二けたであった。たった有効数字二桁でベルトの抵抗管理ができた。これはパーコレーション転移の閾値近傍における管理だったので、カーボン量が1%もばらつくだけで、誘電率が3割ほど変化してくれたから管理パラメーターとして使用できた。

 

ただこの管理手法は、ペレットが狙ったとおりの高次構造で生産されていることが大前提になる。もし狙った高次構造と異なったら、おそらくペレットの誘電率とベルトの表面比抵抗とは異なる相関、あるいは無関係になるかもしれない心配があった。

 

そこで粘弾性手法を用いて高次構造の管理を行ったのだが、この粘弾性データが、ベルトの表面比抵抗の生産ばらつきと相関するという予期せぬ結果が得られたのはびっくりした。このことは後日またここで書きたい。今日はここまで。

カテゴリー : 電気/電子材料 高分子

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2019.04/23 ハイブリッド車と電気自動車の問題

最近の話題としてアクセルとブレーキの踏み間違いによる悲惨な事故がある。ネットでは事故後の運転者の扱いの差異から上級国民というキーワードが飛び出しており、問題の本質から視点がずれているように思われたので、本日取り上げてみた。自動車会社の技術者にはぜひ読んでいただきたい。

 

一連の事故の本質的問題は、自動車の進化過程で、自動車の基本機能「走る」、「止まる」、「曲がる」の3要素における「止まる」が軽視されてきた点にある。

 

40年以上前、自動車学校で車を止めるときの動作として、「アクセルから足をはなす」→「クラッチに足を乗せる」→「シフトダウンする」→「ブレーキを踏む」→「クラッチを切る」→「ブレーキを力いっぱい踏み車を止める」と習った。止める動作は、基本3要素の中で最も手間のかかる作業、あるいは「走る」や「曲がる」とは明らかに異なる動作になり、止めるときに足はアクセルから離れるように昔の車は設計されてきた(アクセルから足を離さなければ、車を止められなかった、これが重要である。日産リーフのすごいところはこれを実現している点だ)。

 

これは、教習所の第一段階の試験で1回落ちたときの理由だったのでよく覚えている。すなわち、この試験の時にエンジンブレーキをかけずにブレーキだけで停車したことが大きな失点となり落第している(ただし、この時瞬間的にクラッチを切り、エンストを防いでいるのでOKと誤解していた。すなわち、止まればよいとだけ考えていた。教習所の先生に教えられた、止めるときにアクセルから足を離す動作を体に覚えさせる深い意味を考えていなかった。車を止めるときには絶対にアクセルから足を離すこと、そのためのエンジンブレーキと強く言われた。)。

 

この失敗以来、必ずエンジンブレーキをかけて停止するように心がけてきた。このためオートマチック車に乗ってもエンジンブレーキをかける工夫をして気がついたことがある。この30年の車の進化過程でエンジンブレーキの「車を止める人の動作に果たす役割」を自動車メーカーの技術者が忘れかけてきていることである。

 

例えばハイブリッド車や電気自動車では、エンジンブレーキではなくエネルギーの回生システムがその役目を担うようになり、自動でブレーキがかかるようになっている。これは「安全」の視点では「止める」技術が後退(注)していることを意味している、と当方は捉えているが、これを補間する技術開発を日産以外のメーカーは忘れてしまったようだ。

 

日産の電気自動車は、1ペダルであり、車を止めるときにはペダルから足を離せば自動車が安全に車を止めてくれる先進的なシステムだ。これについては、試乗してさすが技術の日産と生まれて初めて感じた。

 

すなわち、「車を加速する」動作と「車を止める」動作を明確に異なる動作に分けている。ただ、このペダルが踏みやすい位置にあるのは問題だ。安全を優先したら踏みにくい位置にすべきである。万が一を考えて、リーフを購買対象から外した理由である。

 

1年ほど前に車を購入するとき、ハイブリッド車に試乗したが、エンジンブレーキを自分で制御できないのでやめた。最近はパドルシフトが流行しているが、これもついていない車だった。営業マンにエンジンブレーキの話をしたら、ピントのずれたエネルギー回生システムの説明をしてくれた。

 

すなわち、ハイブリッド車はブレーキを踏む以外に車を減速し止める手段が無いばかりか、加速する動作と止める動作が同じ動作になる欠陥車と呼びたくなるような車なのだ(「止める動作と走る動作を明確に異なる動作にしたハイブリッド車」は、特許調査をしたところ出願可能なクレームだ。)。

 

さらにアクセルを緩めれば車は回生ブレーキが働き減速させることができるが、足は常にアクセルペダルに乗っている。これは「車を止める動作」と「加速する動作」に区分けが無く「大変危険だ」と思った(と、同時に特許を出せる技術につながるとも思ったが、自動車の安全を願いやめている)。

 

減速動作と加速動作が同じペダルで行われ、減速動作から停止動作に移る時に、停止動作だけを意識することになる。停止動作に移る前に「アクセルから足をまず離す」という安全につながる動作を車が要求していないのだ。

 

さらに説明を加えれば、ペダルこそ違ってはいるが、加速動作も停止動作もペダルを踏むという同じ動作になっており、ペダルを間違えたなら大事故につながる仕組みが現在のハイブリッド車である。なぜこのような点に開発過程で気がついていないのか不思議だ。Fun to  drive が「不安とドライブ」に聞こえてくる。

 

少なくとも車を減速し止める動作になる時には、アクセルから足をいったん離すことを義務づける動作になるよう車を設計すべきである。トヨタのハイブリッド車は、この視点で当方にとっては欠陥車のように思えたので、営業マンに「これでは走る棺桶だ」と皮肉を伝えている。

 

ジュークに試乗し感動したのは、安い車なのにオートマチック車でありながらマニュアルモードが付いている。実は、これまでオートマチック車に乗りながら、エンジンブレーキをかけるのに不便をしていた。

 

ODスイッチを切って減速してから、オートマチックレバーを一段下げる、という面倒な動作である(だから進化の過程で、技術者が「止まる」機能を軽視しているとみなした。どうしてエンジンブレーキをかけるのに複雑な機構にしたのか不思議だ。)。自動車を止めるのにかなりの手順を踏んでおり、オートマチック車=不便な車という認識だった。しかし、この不便が身についた結果、車の運転時には「止まる」動作を間違えない習慣が身についた。車を止めるときには、絶対に足がアクセルペダルから外れ、ブレーキペダルに足が添えられている習慣だ。

 

ちなみに、ジュークの4駆にはマニュアルモードがついており、しかも7速である。こまめにエンジンブレーキを動作させるのだが、この時足はアクセルから自然にはなれる。ハイブリッド車や電気自動車は、その「止まる」動作について少し研究をする必要があるのではないか。

 

プリウスで暴走事故が多いのは、「止まる」動作について「走る」動作と明確に区別をした日産車のように工夫されていない点にある、と試乗した体験から思っている(素人が感じたのだから欠陥構造と言ってもよいかもしれない)。だから年寄りはハイブリッド車の運転を「絶対に」やめる「べき」である。ハイブリッド車は年寄りにとって「棺桶」ではなく、「走る」動作と「止める」動作を間違える可能性が高い「走る凶器」となりうる。

 

(注)もし、「止まる」動作を自動ですべて行うならば、車が止まらないことによる事故の責任は100%自動車メーカーになる。おそらくこのようなリスクのある車を自動車メーカーは販売しないだろう。リーフでは、「止まる」動作について、アクセルから足を外すことを求めている。「止まる」動作についてハイブリッド車の様な中途半端な自動化は、運転者の「止まる」動作に対して感度を落とす危険性を生み出す。安全な車とは、運転者が動作を間違えることなく車を止められるようにした車だ。少なくとも昔のマニュアル車はそのように設計されていた。すなわち、一般路の走行では、いきなりブレーキを踏むとエンストを起こし、必ず車は止まった。今車を設計するならば、ブレーキは足の操作で行い、加減速は手で行うメカニズムの車が理想ではないか。30年前のプレリュードXXには、ハンドルにアクセルスイッチが付いており、これで加速できた。加減速を足で行う必要はあるのか?左足ブレーキというアイデアもあるが、踏み込む動作が共通なので危険である。ブレーキを足で踏みこむ動作にしたならば、アクセルはそれと異なる動作にすることは、今の電子化された車で容易ではないか。電気自動車で1ペダルを実現できたのでハイブリッド車でも1ペダルは可能だと思う。同じ動作でペダルだけが異なる現在のハイブリッド車の仕組みは、認知機能の衰えた老人でなくても踏み間違える危険性がある。アクセルから足を外す動作を人間に要求するような機構にカイゼンすべきである。

 

カテゴリー : 一般

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2019.04/22 「オーディオ」という趣味

「家を建てるなら」と題して、工務店社長が気を利かせて造ってくれたオーディオルームのおかげで当時流行していた「オーディオ」という趣味にハマった体験を連載で書いている。

 

当時、家電業界だけでなくオーディオの専業メーカーが雨後の竹の子のごとくオーディオ界に参入していた。家電業界は普及価格帯の製品に力を入れ、専業メーカーは金に糸目をつけず先端技術を取り入れた製品を市場に投入していた。学食でカレーライスが100円の時代に100万円台のスピーカーやアンプが登場している。

 

家電業界のオーディオへの取り組みの面白さは、そのブランドの名前にみることができる。例えば東芝電機は音の神様をイメージした「オーレックス」、これに三洋電機は、大阪のノリで音をそのままブランド名にした「オットー」、技術こそ命と家電開発をしていた日立は、低歪という性能から「ローディー」というブランド名をつけていた。松下電器は「パナソニック」、ソニーはそのままでテープデッキのデンスケは大ヒットした。

 

オーディオ専業メーカーは、今は無き、「サンスイ」、「アカイ」、「トリオ」、「ナカミチ」はじめ大小多数のメーカーが日本に誕生し、「ローテル」は早々とヨーロッパへ活動の拠点を移し、今やグローバル企業になって社長は外人である。

 

とにかく店頭でその音を聴く限り、価格に相関した良い音がしていた。当時カローラが100万円以下で購入できた時代に、1セットが車より高いオーディオセットについては感覚的に高すぎると誰もが思っただろう。

 

視聴しても高級品の半額程度の我が家のオーディオセットとの違いが判らなかった。当時の技術において音場感は重要なファクターであり、部屋の設計をどのように工夫したらよいのかというノウハウが重要と言われていた。すなわち、高級オーディオでも設計の悪い部屋ではその実力を十分に発揮しないことが知られていた。

 

そのため装置の使いこなしに関するオーディオ評論も盛んで、多数のオーディオ雑誌が誕生している。今は「stereo」はじめ3種類程度しかないが、当時書店の雑誌コーナーには多数の新刊が登場していた。

 

高度経済成長の波に乗り、オーディオと言う趣味も普及してゆくのだが、面白いのは音楽を聴くためだけでなく、良い音を再生できる機器をそろえることだけが目標の趣味人も登場したことである。

 

当方はレコード代の出費が膨らむとともにオーディオバブルに疲れて機器への興味が薄れていったが、最高の機器を目標とする人たちの中には、スピーカーやアンプを自作する人たちが現れた。

 

長岡鉄夫はその代表的スターで、死後教祖のように扱われている。その門徒は今も健在で音工房Zは自作が趣味の人たち向けにスピーカーのキット販売を行っている。先日土曜日は、そのミサの日のようでもあった。

カテゴリー : 一般

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2019.04/21 スピーカー

昨日スピーカーキット及びその完成品を販売している音工房Zの新作視聴会に参加した。まずお決まりのハイエンドオーディオスピーカーとこの会社のローエンドスピーカーとの比較試聴テストで始まった。

 

これが楽しみで参加しているのだが、昨日は音工房Zの3万円もしないスピーカーと300万円以上もするJBLハイエンドスピーカーK2S9800との聴き比べである(やや過激な企画である。結果次第では高いスピーカーなど誰も買わなくなる。)。

 

価格はおよそ100倍の開きがあり、これまでの比較試聴では最大の価格差だと思う。しかし、これだけの価格差があっても10問中3問間違えた。

 

比較試聴ではブラインドテストでどちらのスピーカーが鳴っているのかわからない状態で好きな音を選ぶアンケートだが、いつも好きな音ではなく高い方のスピーカーを選ぶ努力をしている。

 

驚いたのは安いスピーカーのボーカルの美しさである。JBLはオバQのような口になるのだが、安いスピーカーでは、きっちり人間の口の大きさで聞こえるのだ。

 

普段このような比較試聴をしないので気がつかなかったが、スピーカーの性能の一つ、音の定位感の重要性を再認識した。

 

楽器の数が多い演奏では、低域の効果もあり、高価なスピーカーを容易に選ぶことが可能だが、中高域主体の音源では、安価なスピーカーと高価なスピーカーの差はほとんどわからない。むしろ定位感において安価なスピーカーに軍配が上がる。

 

この比較試聴で毎度感じるのは、いかなる音源でも完璧に再生できるスピーカーなどこの世にない、ということだ。これは50年近く音楽を聴いてきた経験から自信を持って言えるし、各種ブラインドテストの結果を見ても数値としてそれが現れている。

 

弊社の事務所では、昨年評判になった音楽之友社付録マークオーディのスピーカーを音工房Z設計のキット(バーチベニヤ版)の箱に入れて使っている。その音はB&Wの30万円前後のスピーカーに十分勝っている、と感じている。

 

当初B&Wのスピーカーを事務所に置くつもりだったが、節約のため単身赴任中に使っていたオルトフォンのスピーカーをROTELのアンプで鳴らしていた。しかし、音工房Zの視聴会でマークオーディオスピーカーの音を聴き、事務所のオルトフォンスピーカーよりもはるかに安くて良い音に聞こえたので、すぐに購入した。

 

このスピーカーの箱についてはアマゾンで9000円程度でMDF製の同社のキットが販売されている。今回マークオーディオの付録スピーカーが単品販売されるということでこのMDF版のキットも昨日産地直売で購入してきた。

 

実はバーチベニヤ版は前回の視聴会でMDF版より良い音に聞こえたので購入したのだが、箱の材質がどの程度音に影響するのかもう少し細かく聞き比べてみたいと思い、ゴールデンウィークに組み立ててバーチベニヤとの比較をする予定でいる。

 

なお、このスピーカーボックスは吸音材を入れない設計になっているが、バーチベニヤ版では少し吸音材を入れたほうが音が明瞭になった。そのためMDF版よりも良い音に聞こえたのはこの響きが原因ではないかとの疑いを持つにいたった。

 

バーチベニヤ版は吸音材が無くても十分にきらびやかで実用的な音だが、聴きなれたクロスオーバーでは響きすぎてややうるさく感じる。

 

これを改善するために100円ショップのポリウレタンたわしを箱の中に貼り付けたところすっきりした音になった。ゆえにMDF版よりバーチベニヤ版が良いと感じたのは錯覚で、本当はMDF版が良かったのではないかと疑いだしたのだ。

 

昨日新商品である16cmスピーカーのPRが行われ、旧製品である10cmスピーカーよりもスケール感のある音で欲しくなったのだが、この疑問があったために思いとどまることができた。

カテゴリー : 一般

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2019.04/20 知識労働者

知識労働者の出現がドラッカーの著書の共通したテーマである。もし初めてドラッカーを読まれる方がいたなら、その読む姿勢として、知識労働者の在り方を考えながら読んでいただきたい。

 

今、日本中で働き方改革が叫ばれている。一方AIの出現でホワイトカラーの職が無くなる、などという書き物が多い。そしてロボットの導入に反対する労働者の様子なども報じられている。

 

ドラッカーの書にはこのような話ではなく20世紀末に新しく出現した知識労働者について、脱資本主義の視点で議論が展開されている。

 

マネジメント論は、マネジメントのやり方というよりも知識労働者の働くモチベーションの様な意味合いが強い。これをマネジメントの指南書として読むと難解な意味になってしまうかもしれないが、知識労働者の働き方のコツの様なイメージで読むとわかりやすい。

 

知識労働者の成果とは、他の知識労働者がそれを活用しなければ成果とはならない、と明確に働くときのコツを述べている。仕事があるから労働が必要ではないのである。

 

知識労働者が働くことにより、仕事が社会に生み出されてゆくのである。ドラッカーはこのことを膨大な著書の中で述べている。AIやロボットの出現により仕事が奪われるという発想は前時代的であり、AIやロボットを活用しなければ仕事を生み出せない時代になったのだ。

 

組織とは知識労働者が効率よく成果を出すためのシステムであり、もし、AIやロボットの普及が労働者の意欲を沈滞させるとしたならば、それは組織が悪いのだ。むしろ知識労働者の根源的なモチベーションがそれにより上がってゆくのが正しい現代の組織の在り方だ。

 

 

カテゴリー : 一般

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2019.04/19 シリコン樹脂(レジン)

シリコーン類は、金属ケイ素を原料にしてジメチルシラン類を合成し、それらを原料にして様々な化合物が合成されている。SiC繊維の原料となるシランポリマーの主鎖はSiだがシリコーンポリマーの主鎖はらせん構造をとる柔軟なSiO結合だ。

 

だから、線状シリコーンポリマーはゴム弾性を示す。ややこしいのは架橋密度が上がり、ゴム弾性を示さない物質はシリコーンレジン(樹脂)と呼ばれていることだ。

 

C-C結合を主鎖に持つ一般の有機ポリマーの樹脂とはTgが室温より高い物質が樹脂と呼ばれているから、これはシリコーンゴムの架橋密度の高い物質と呼んだ方が分かりやすい。

 

しかし、エラストマーとしても用いられるポリエチレンが樹脂と呼ばれたりしているから、これらの物質を眺めると、樹脂とかレジンと言う呼称が室温において弾性を示すかどうかという視点がわかりやすいことに気づく。

 

ところが、熱可塑性エラストマー、TPEという物質が存在したりするので、この議論をますます難しくする。そもそも、レジンとエラストマーを同じ土俵で定義されていないのではないかと思えてくる。

 

技術者の間でもこの感覚が異なるから、高分子と言うものが難しく見えてくる。エラストマーと感じた物質をレジンと言われたりすると、当方は未だに不気味になる。

 

これは地下鉄の電車をどこから入れた、という三球照代の漫才ネタと同じではない。学会が整備しなければいけない言葉の問題だ。

 

さて、言葉の問題は漫才同様に結論が出にくいが、シリコーンレジンについて有機置換基の量が少なくなると可撓性が低くなり、硬度も高くなることが経験的にわかっている。すなわち、硬いシリコーンレジンを製造したいなら有機置換基を少なくすればよい。

 

また、有機置換基の芳香環の割合が増えると、可撓性が高くなり、柔らかいシリコーンレジンになる。すなわち置換基の量と芳香環の割合を制御しながら様々なシリコーンレジンが合成されている。

 

合成法は、有機ポリマーよりも簡単で分かりやすいが、ここに物性コントロールをするときの落とし穴がある。すなわち、可撓性が高く柔らかいシリコーンレジンを設計したつもりだが割れやすかったりする。

 

この問題の答えはここで書かない。ご興味のある方は弊社に相談して欲しい。本日の内容だけでも勘の良い人ならばすぐに理解できる。無機高分子研究会というのがあるが本来こうした問題をもっと多く議論してくれたなら面白いのだが。

カテゴリー : 電気/電子材料 高分子

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2019.04/18 シリコーン

昨年台湾ITRIから講演依頼を受けてから、すでに3回シリコーンに関して講演を行った。ケイ素化合物の反応を初めて扱ったのは大学4年の時で、トリメチルシリルメチルグリニア試薬を合成し、ジケテンを開環する反応である。

 

グリニヤ試薬は極めて反応性が高いので-20℃以下に冷却してエーテル溶媒中で行う。少し危険な実験で、設備が整った実験室でなければ行えない反応である。大学院に進学後は、ケイ素ではなく3塩化リンを相手に合成実験を行ったが、こちらはやや反応がマイルドで室温で行えた。

 

さて、シリコーンを事業としている会社の大手は、何らかのケイ素源を持っている。例えばこの分野で日本最大の信越化学は、シリコーンウェハーもその事業の一つとしており、低コストでシリコーン類を製造可能なはずだが、シリコーン類は、他の高分子に比較し、高価である。

 

昔からシリコーンポリマーが高価格だったことは問題となっており、水ガラスから新たなシリコーンポリマーを合成する試みは古くからおこなわれてきた。40年ほど前、大阪工業試験場椎原先生は水ガラスからシリコーンポリマーの様なエラストマーを合成し、新聞発表され関係者を驚かせた。

 

しかし、その時の水ガラスエラストマーは、水を含んでいることで弾性体となっていたので、耐久性のないエラストマーだった。すなわち乾燥雰囲気化に長時間放置するとゲル化し、弾性を示さなくなった。しかしこの実験で多くの人が水ガラスの中のシロキサンがポリマーであることを十分理解することができた。

 

ゴム会社に入社後、この椎原先生の実験が気になって、水ガラスからケイ酸ポリマーを抽出する実験を行っている。THF-ジオキサン混合溶媒でケイ酸ポリマーを抽出したのだが、すばやく処理を行わないとゲルが沈殿し、扱いにくかった。

 

そこで、フェノール樹脂との複合化を行ったところ、電顕でシリカ粒子が観察されない有機無機ハイブリッドを製造することができた。ただ、Na不純物などが残っており、水ガラスを使用していては高純度化が難しい、と判断した。

 

そこでこの発明はTEOSとフェノール樹脂との反応に展開されてゆくのだが、今度はフェノール樹脂とTEOSとを均一に混合できない問題が生じた。ここから先はすでにこの欄で書いているので省略するが、いずれの話も特許出願されているが、現在の特許庁のデータベースでは、このころの特許を収録していないので調べることができない。

カテゴリー : 高分子

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2019.04/17 家を建てるなら(5)

オーディオという趣味はお金がかかる趣味である。また、自然の音を電気で再現することの難しさを考えると、ゴールのない趣味である。

 

そもそも趣味にゴールを考えるのはナンセンスであるが、自分ですべてをコントロールできず、金さえあれば欲求が満たされてゆくような趣味は、麻薬のようなものだ。

 

卒業研究に取り組み、趣味であった化学実験を思う存分できる環境ができたときにそれに気がついた。卒業研究は一生懸命取り組むと指導担当の先生(助手)から褒められて、次々と新しい論文を読むように勧められた。

 

当時天然物の合成がブームであり、またTVでは小椋佳作詞作曲で布施明の歌がヒットしていたので、シクラメンの香りの合成を目標にしていたのだが、発表されたばかりの新反応を取り込み半年もかからず清々しい香りが実験室に充満するようになった。

 

指導されるがままの、アルバイトの回数も減らし夜遅くまで実験をしていたので、今でいうブラック企業のような環境だったかもしれないが、無料で腹いっぱい実験ができる楽しさはオーディオよりも最高の趣味に思えた。

 

出版されたばかりの雑誌に発表された新反応を自分で開発した化合物に応用しながらシクラメンの香りを目標に反応条件を検討する楽しみは、初めて有機合成を担当した学生には最適なテーマだった。

 

自然科学という学問の良いところは、対象が自然現象である点である。ところがオーディオという趣味は、ハイファイ再生装置を開発している人は楽しいかもしれないが、その成果を金で楽しんでいる立場では、どこか満たされない部分が残る。

 

この満たされない部分を考えてゆくと、「ブラックボックスをお金で購入している」という行為をどのように考えたらよいのか、という問題にゆきつく。そもそもブラックボックスを解明したいという欲求が強かったので子供のころから科学にあこがれたのである。

 

工務店社長が気を利かせてくれたおかげでオーディオという趣味に足を踏み入れたが、当方の性分には合っていない趣味であると気がついた。すなわちアルバイトで稼いだお金の大半を投じたにもかかわらず飽きたのである。

 

初めてのアンプは、OTTOのマルチアンプ。帯域ごとに独立したアンプでスピーカーを駆動するので良い音がした。しかし、ONKYOインテグラの迫力あるステレオ再生を聴き、マルチアンプでなくてもよいことに気がついた。

 

アンプを換えたらスピーカーが物足りなくなった。25cmウーファーよりも30cmのほうが低域再生に優れている、ということでパイオニアの30cm3wayスピーカーへ買い替えた。ツイターにはマルチセルのホーンがついていた。

 

音量を上げたら家が揺れたような気がした。30Hz以下まで出るとスピーカーの仕様書には書かれていたが、映画「大地震」のサントラ盤を聴いたときに映画館以上の迫力にびっくりした。

 

これは、お金の成果である、と低周波が聞こえたときに、ややむなしさを感じた。お金をかければかけただけの成果がでるのがオーディオの世界であり、その果ては無く、ブラックホールの様な趣味なのかもしれない。

 

カテゴリー : 一般

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