金属やセラミックスと異なり、高分子を理解するためにはある程度の芸術的なセンスが要求されるように思う。技術全般に対してそのような見解を述べる方がおられるが、例えばセラミックスの工業製品であれば、芸術的なセンスをデザイナーに任せて、材料開発を形式知で行う、ということが可能だ。
ところが、高分子材料では、形式知が整備されていない分野が多いので、セラミックスや金属のように形式知中心により技術開発を進めることができない。
これはゴム会社から写真会社に転職して分かった。形式知をもとに開発の無限ループに陥っていた人がいた。そして改めてゴム会社の研究所にいた研究者たちを思い出しても芸術を理解できない人たちは、形式的な否定証明を好んで用いていた(無限ループをする方が技術者として期待できる)。
科学ならば少し勉強すれば誰でも使いこなせるようになるが、芸術的なセンスとなるとやはりそれなりの訓練が必要だ。当方がここで必要と言っているレベルは、天性の芸術性ではなくある程度の訓練で身につく芸術性のレベルである。
例えばフローリーハギンズ理論がある。これを信じ現象をこの理論に沿って眺めていると、PPS/6ナイロン/カーボンという決まった配合のコンパウンドで実用的な半導体無端ベルトを開発することはできない。
それこそ無地のキャンパスに欲望に沿ってオブジェクトを描き上げるぐらいの感覚で材料設計を行わなければ実用化できなかったと思っている。
そこにあったのは論理ではなく、パーコレーションを制御したいという欲望だけであった。その欲望を満たすための高分子高次構造の絵を書きあげた(注)ときに、転写ベルトの実用化を確信した。
コンパウンドの開発に6年を費やしたと前任者に聞いていたが、その材料設計と全く異なる発想で、配合組成は同一のまま、全く異なるコンパウンドを芸術的な視点で設計したのである。
荒唐無稽な自慢話をしているのではない。分かり易く言えば、6が月後に迫った製品の新発売までに前任者の開発した配合を変えずに実用化するために実現されなければいけない高次構造の絵を書いたのである。
そこには、形式知からの論理的必然性は無い。逆にその絵から技術として用意しなければいけない設備を考えていった。そこでカオス混合が出てくるのだが、カオス混合機など世の中に無かった。
これもただ絵を書いただけである。ゴム会社に入社した時にご指導いただいた指導社員から教えていただいたカオス混合を実現するための設備の絵を書いただけである。
おそらくダ・ビンチも飛行機の設計をこのようにしていたはずだ。但しダ・ビンチの飛行機では人類初の飛行機を作ることができなかった。
ダ・ビンチは飛行機を見たことが無かった。しかし、当方は指導社員にロール混練におけるカオス混合の「技」を見せていただいた。その「技」に似せてカオス混合機の絵を書いただけで、ダ・ビンチとの違いは「見た」経験の有無である。観察は重要である。
今はどうか知らないが、工学部建築学科ではヌードのデッサンを授業として行う、というので喜んでいた友人がいた。建築学科だけでなく工学部では必要な学習だと思う。
ヌードでなくても加納典明が説明していたようなキャベツのデッサンでも構わない。当方は学生時代に写真と平行して少し絵を書いていたが、その才能の無さに気がつき、写真だけが趣味となった。カメラを被写体に向けるだけでも観察眼を養うことは可能である。
(注)これは実話である。Pythonで学ぶパーコレーション転移というセミナーでも体験談を話している。科学的に考えると二律背反となるような問題解決には、技術で解決、とはゴム会社のCTOが好んで言われていたことだが、芸術まで含んだ技術である。「芸術的な技術」というものがあるが、科学で考えてアイデアが出ない時には、芸術を考える頭の使い方をすべきである。美というものは調和がとれていなければいけない、と言っていた人がいたが、必ずしも調和は必要ない。パーコレーションは、相互作用の無い前提では、統計の確率に左右され、当方独自のシミュレーションで得られる一つだけのグラフは、必ずしも美しいグラフとならないが、クラスター生成の条件を様々にして得られた複数のグラフが描かれた様子は美しい。その美しさの中に実現すべき技術の条件があった。ただセミナーの時にはこのような説明をしていません。ここでは正直に当時の体験を書きました。
カテゴリー : 一般 高分子
pagetop
写真が芸術であるかどうかは、素人写真とプロの写真家の写真とを見較べてみると理解できる。同じ景色を撮影してもプロの写真家の写真は、それとわかる。
ハイアマチュアの写真とプロ写真家の写真では、ハイアマチュアの写真が優れていることもある。プロの写真家とは何か、について、加納典明が昔FM愛知の深夜放送で語っていた。
彼によると、いつでも一定水準以上の写真を提供できるのがプロで、それができないのがハイアマチュアだそうである。それでは一定水準とは何か、についても彼は熱く語っていた。
彼は写真学校の卒業課題として撮影した自分の作品を事例にして語っていた。キャベツをモノクロ撮影したその写真について説明していたのだが、ラジオ放送であるにもかかわらず、目の前にモノクロのキャベツが浮き上がってきた。
思春期の感受性が強い年齢だったこともあるが、彼の説明もすごかった。今は**写真家で知られている加納典明だが、当方は彼のディスクジョッキーから写真術について学んだ。
彼は単なる写真家ではなく高い自己表現技術を持った芸術家である。少なくとも若い時の彼は、論理的に説明できる技術とそれをベースにした表現力を目指していたように思われた。
写真は確かに芸術であり、芸術的な写真を撮影するための技術も存在する、彼はそのような説明をしていた。そして、誰にでも自分の作品を見てもらいたいなら、すべてが写ったヌードを撮れ、と語っていた。
人類の半分は見てくれる、というのがオチだが、きれいなヌードなら性別に関係なくその写真を誰でも見てくれるそうだ。「SANTAFE」は、男性だけでなく女性も購入したと言われている写真集のヒット作である。
ただし加納典明ではなく篠山紀信の作品である。篠山紀信の作品では、山口百恵の写真集が有名だが、彼は少女から女にかわる不安定な年齢の被写体を美しく撮るのが得意だった。
加納典明と篠山紀信のそれぞれの作品を比較すると、ヌードという被写体が写真の練習に選ばれることを理解できる。被写体に依存せず美しく撮ることが難しいからである。
美しい景色をそのまま撮るのであれば、現在のデジカメを用いると誰でも撮影できるが、ヌードでなくてもポートレートは意外と難しい。昔美しい人は美しくそうでない人はそれなりに写る、というCMがあったが、美しい人でも美しく撮れないと悩んだ時に写真の芸術性に気づかされる。
ポートレート写真には、カメラの性能や撮影技術、被写体だけでは完成しない難しさがある。風景や静物写真すべてにこのような難しさがあるのだが、この難しさに気がつくと自然現象を科学ですべて解明できないことを感覚として学ぶことになる。
加納典明は、一時期徹底して下品なヌード写真集(注)を出版して書類送検されている。これは、あたかも科学で否定証明を行うようなものだ。ヌード=下品という倫理観を少なからず誰もが持っている。
(注)出版物として公序良俗に反しない画像だったが、表現として美と対極にある下品さそのものが表現されていた。ヌードで下品さを追求するのは、現象を見て否定証明の仮説を立ててそれを実験することと似ている。例えば、シリコーンオイルに微粒子を分散した電気粘性流体をゴムケースに封入したデバイスでは、ゴムケースから出たブリード物で増粘し機能しなくなる。この現象について「解決できない」という仮説を立てて、電荷二重層の測定や厳密なHLB値の化合物などで徹底してその仮説の正しさを追求する実験を行うようなものである。
カテゴリー : 一般
pagetop
簡易耐火試験に合格する耐火天井材用のフェノール樹脂発泡体のロバストを高めるには、難燃剤の添加が必要だった。
フェノール樹脂の難燃性についてLOIを21以上となるようにロバスト設計するのは簡単だった。しかし、簡易耐火試験は、実火災を想定した試験であり、試験法そのものも他の難燃試験同様に試験中にばらついた。
簡易耐火試験法の発想は、JIS難燃2級が科学的に安定な試験法として開発された反省からきている。すなわち、この評価法を研究し、それに合格するためだけの材料設計が容易だったが、その結果実火災に耐えられない天井材を世の中に生み出してしまったからである。
具体的には、LOIが21以下の材料でありながら、防火性が十分にある、と評価してしまう評価法だった。その結果、世の中に空気中で継続燃焼する防火天井材が普及したのだ。新しい評価法では、LOIが21を越えていない材料を絶対に合格させない仕様で考案された。
フェノール樹脂発泡体の製造条件を管理して、難燃剤を添加しなくても新しい評価試験に合格できる技術はできたが、ゴム会社はフェノール樹脂の前駆体を外部から購入し、フェノール樹脂発泡体を製造していた。
この前駆体がばらつくと、フェノール樹脂発泡体の難燃性もばらつくことが問題である。すなわち、高次構造が前駆体の影響を強く受けばらついていた。フェノール樹脂メーカーと打ち合わせを重ねてもロバストを高める方法が見つからなかったので難燃剤の添加を検討している。
ところが、この難燃剤の添加も高次構造に影響を与えたので、どのような難燃剤が良いのかデータサイエンスで解析している。この時、信号因子として難燃剤の添加量を用いてLOIを目的変数とした相関係数をラテン方格の外側に配置した実験計画法で実験している。
タグチメソッドによく似た方法で、この時の経験談を故田口玄一先生にお話ししたところ褒められると同時に、感度重視の好ましくない実験と批判されている。ちなみに、タグチメソッドは、最初から外側に因子を配置した実験計画法ではなかった。
これは、タグチメソッドの教科書に書かれているが、昭和28年に伊奈製陶で行われたタグチメソッドでは、内側の列をうまく活用している。当方は、最初から外側配置に注目したところを褒めていただいた。
カテゴリー : 一般
pagetop
バネとダッシュポットのモデルでゴムを議論して問題となったのは、クリープである。高分子のクリープをうまく数理モデルで記述できなかった。そこで分子一本から論理を積み上げていく方法として、元名古屋大学土井先生のOCTAが注目された。
名古屋大学から東大に移られたがOCTAという名称は名古屋市のマークから生まれているので元名古屋大学とさせていただいた。
OCTAは分子1本の運動からそれらを寄せ集めて、バルクの形態の運動までズーミングしシミュレーション可能である。それにより、クリープや破壊現象のように金属やセラミックスでは科学で成功していたが高分子では難しかった現象をシミュレーションできる。
ただし、このようなことは熟練した高分子技術者であればOCTAに頼らなくても思考実験で行ってきた。そしてOCTAでデータマイニングが不可能な非平衡状態でも思考実験で実現しアイデアをひねり出してきた。
OCTAの凄いところは、当時のコンピューター資源まで考慮して考え出されている点だ。早い話が頭脳のレベルに配慮したアルゴリズムで設計がなされている、といってもよい。
大学のテストもこのような配慮を土井先生がなされていたかどうか不明だが、このような視点はある意味芸術的でもある。芸術は、手段の制約の中で最大限の美を表現しようとして創造物を完成させるからである。
また、実際に芸術家は、小説家でも画家でも皆表現手段の制約の中で美を生み出そうと苦しんで活動している。例えば、芸術大学の学科に写真学科がある。写真も芸術の一分野であり、それについて説明したい。
写真は、芸術の中でも制約の多い芸術である。写真は、シャッターを押した瞬間に芸術を完成させなければいけない「瞬間芸」である。後から修正は許されないのだ。今、デジタル写真の分野ではその修正技法の広がりから様々な表現が生まれているが、これを写真と呼んでよいのか不明である。
表現手段の制約を超える表現の工夫に着眼すると、芸術においてもイノベーションが生まれる下地がある。写真という芸術では、デジタル化によりイノベーションが起きているのだ。
例えば、瞬間的に画像を形成する銀塩写真フィルムと異なり、デジタルカメラでは画像として保存されるまでに様々な処理がなされる。これがカメラごとに異なる。現像処理プロセスがアナログ時代と大きく変わっている。
それだけではない。現像処理の自由度が大幅に上がり、RAWデータさえあれば何度でも現像処理ができるのだ。また、現像処理方法により、画像の印象を大きく変えることもできる。
カテゴリー : 一般
pagetop
多くの燃焼試験における数値データは、ばらつきが大きいが、極限酸素指数(LOI)測定装置は、用いる部品を精密化するとばらつきを小さく設計でき、精度の高い測定ができる高分子物性評価装置となる。
フェノール樹脂は、耐熱性高分子に分類されるが、製造条件等が管理されなければ、空気中で燃えやすい、すなわちLOIが21以下の樹脂となる。
この実験結果が出た時には驚いた。これは耐熱性高分子の研究が行き詰まった理由を納得できる経験となった。高分子は製造条件の少しの違いで高次構造が変化している。
耐熱性や燃焼性がこのわずかな高次構造の違いに影響を受けることを御存じない方は多い。また、その影響の度合いを説明するのが難しい。さらに高分子の種類により、その影響が異なっている。
このような問題において、データサイエンスによる解析は有効な情報を与えてくれる。ところが、データサイエンスを身につけていない研究者が、この現象を取り扱うと、わけのわからないこじつけ仮説の結果を導く。
耐熱性高分子の研究が破綻したのもデータサイエンスの無い時代の研究だったからである。フェノール樹脂について、その高次構造解析が難しいので、研究そのものも難易度が急激に高まる。
しかし、LOIが高次構造と関係していることに気がつけば、データサイエンスを用いて高防火性の耐熱構造設計を行うことができる。
フェノール樹脂の難燃性について、筑波にある建築研究所と少し共同研究を行っている。宅配便の利用が普及していなかった時代で、ヘルメットと安全靴、サンプルを携え、常磐線荒川沖駅で降り、満員バスに揺られた思い出は、肉体的にも精神的にも辛い経験となった。
2日間に渡る実験でも宿泊出張を認めてもらえず、久米川から通っている。帰り道、常磐線で眠ってしまい、上野駅で駅員に起こされた。寝たのが西武線でなくてよかった、という思い出は今でも忘れられない。
独身だったので、私費でもよいから宿泊したいと申し出たが、上司から業務であることを理由に必ず日帰りとするように言われた。部下の疲労よりも経費節約の方が優先された時代である。
もう少し知恵があったなら、上司には日帰りと告げてこっそりと宿泊して仕事をする賢いサラリーマンの考え方(注)をできたのかもしれない。
しかし、グラフにうまく合うデータ処理に知恵が回っても、サラリーマンの生活の知恵はなかなか働かなかったことが問題だったのだろう。
(注)往復の交通費を考慮すると、ホテル代4000円を私費で払っても宿泊したかった。管理職の年収が新入社員の年収の4倍以上あり、部下は消耗品のように扱われ、パワハラ等ハラスメントは日常だった時代である。ドラッカーの著書がベストセラーとなっていてもマネジメントなるものがうまく実践されていなかった。管理職が研修でいない日があったが、研修から1週間ほど不自然に優しく不気味だったが、1カ月もすれば日常に戻っていた。今のように過重労働やハラスメントが社会的な問題とされることが無かった。データサイエンスも情報工学科設立ブームの時に話題となったが、セラミックスフィーバーとなったら社会から消えてしまった。しかし、マイコンの進化は止まらず、16ビットの時代となり、アメリカではC言語がBASICよりも使われるようになった。ライフボート社はLatticeC(本体は20万円)を日本で独占販売し、データサイエンスのライブラリーはじめ各種ライブラリーを3万円前後で輸入販売していた。ソフトウェアー代30万円ほどかければデータサイエンスを手軽にできるMS-DOS環境となった。時間のかかる処理をバックグラウンドで実行できるWindowsライブラリーも販売されていた。
カテゴリー : 一般
pagetop
科学は、論理学とともに誕生した、と定義づけられているので、その起源を議論するのは易しい。そのうえで、科学の一分野とされるマテリアルズインフォマティクスとは何か、と問われた時に第三次AIブームで生まれた言葉に過ぎない、と当方は答えたい。
数理モデルで現象や物質を捉えることは、非科学的方法でニュートンでもやっていたのである。コンピューターで物質を扱う、という点では1970年代の第一次AIブームで行われていた。
それでは、コンピューターではなくAIで、としたらどうか、という議論について、AIというものをどのように定義づけるかにより議論は複雑に変化する。
AIの概念をコンピューターまで広げれば、第一次AIブームの時代からマテリアルズインフォマティクスは行われてきたことになる。実際にセラミックスフィーバーの時代には、JANAFのデータベースで物質を設計することが行われている。
また、無機材料のデータベース構築もこのころから本格的に始まっている。ゆえにマテリアルズインフォマティクスを新しい潮流のように騒ぐのは言葉で遊んでいるようなものだと思う。
マテリアルズインフォマティクスで注目すべきことは、数学が不得意の化学者が数理モデルを積極的に使い始めたことだろう。化学者と数理モデルとの関係では、つい最近ダッシュポットとバネのモデルによるレオロジーを使い物にならないと否定した不幸な歴史がある。
カテゴリー : 一般
pagetop
技術に限って言えば、データマイニグをいつから始めたのか不明確である。テルマエロマエという映画では、現代のウオシュレット付き水洗トイレをローマの時代に再現している。
映画で見たときに最初大笑いしたが、あり得る話に思えたので、なるほどとそのあと感心している。機能を再現するのが技術であれば、映画の世界は技術の歴史を描き出している。
モノを作る時には寸法を測っただろうから、データを取得する行為はエジプトのピラミッド建設の時代にさかのぼる。日時計がどのような発想から生まれたのか不明だが、それで時を刻める発想に至るまでデータを集めて考えたであろうことを想像するのは楽しい。
科学はせいぜいこの300年程度の歴史しかないが、技術ははるか昔から、それこそ人間とサルの違いが技術を生み出せるかどうかだったかもしれない。しかし、サルでも高い木の上のバナナを取るのに棒を使う工夫をすると言われると、技術を生み出すことが人間だけの特技ではなくなってくる。
クルミの殻を割るのに自動車を使うカラスの映像を見せられた時には、「カラスよお前もか」とぼうぜんとした。技術はカラスでさえ生み出すことができるのだ。
それでは、芸術をカラスが鑑賞できるのかどうか知らないが、科学や技術と異なり、芸術を生み出すためには美という抽象的なオブジェクトに対して知が反応しなければ成立しない分野である。
当方は謝罪するサルを見たことはあるが、まだ芸術を生み出すサルの話を聞いたことが無い。恐らく芸術は人間だけのスキルかもしれない。それで、アルタミラの壁画とか古代人の芸術の発見が話題となったりする。
技術と芸術、それに科学の起源をいろいろ考えてみると、技術を創造する活動というものが動物の本能の一つのように思えてくるのは当方だけだろうか。
カテゴリー : 一般
pagetop
マテリアルズインフォマティクスを新帰納法と呼ぶ人がいるが、それは科学の概念を拡張している。科学とは何か。例えば、マッハ力学史には科学の定義およびそれが誕生した時代について書かれている。
イムレラカトシュは、「方法の擁護」の中で、科学の方法で完璧と呼べるのは否定証明だけ、と明確に述べている。この説に従えば、技術開発を完璧な科学の方法で行うとモノができない、となる。
ゴム会社に入社した時に、よくこのフレーズを耳にした。しかし、研究所に配属されたら、そこは異次元の科学一色の世界だった。否定証明が日常的に行われていたのだ。その結果、経営に貢献する成果が長年出ていないことが問題とされていた。
そのような部署で新入社員の研修で学んだ統計手法を用いて研究を進めていたら非科学的と言われたのである。これは、当然と言えば当然であるが、データ処理を科学的に行うためには統計手法となるのに、である。
すなわち、科学では仮説の真偽が重要であり、データのばらつきなどどうでもよいのである。部長の納得できるデータを出さないと今日は帰れない、と嘆いていた同僚がいた。
その部長は学会である理論を発表していた。そのためその理論に合うグラフを描けるデータが要求されていたのだ。ゴム物性は必ずばらつく。同僚のデータを見せていただいて、90%の信頼区間を書いたら十分にグラフの線上にそれが入っている。
しかし、それではダメだという。ズバリ線上に載った値が必要だと嘆いていた。そこで、物性測定にN数を3倍に増やし、当方に持ってきてほしい、と言って同僚の実験につきあった。
そして、各平均値がグラフの線上に載るように測定データを3点選びデータ処理を行った。同僚は無事終電車前に帰宅できて喜んでいた。
「統計でウソをつく方法」という本が出ているが、今回は嘘をついたわけではない。仮説に合うように実測データを選んだだけである。うまく仮説に合うデータが出ない時には、N数を増やすとよい。
偶然はN数が大きくなることにより、出会う可能性が高くなる。下手な鉄砲数打ちゃ当たる、という名言を活用すれば、セラミックスやゴムの物性では仮説に従うグラフを簡単に描ける。本日の内容を気持ち悪く感じた方は問い合わせていただきたい。
カテゴリー : 一般
pagetop
マテリアルズインフォマティクスは、第三次AIブームの中で生まれた、とするのは、日本の研究者達であるが、データマイニングにより新しい知を求めようという活動は、古くから行われていた。
どのくらい前から、という時に、データマイニグをAIでやり始めた、とするならば、第三次AIブームとしてもよいかもしれないが、コンピューターで、とした場合には、第一次AIブームの1970年代となる。
情報処理を機械でやりはじめて起きた第一次AIブームでは、推論モデルが議論されたので、アルゴリズムが議論の中心だった。
ところが、多変量解析が社会学分野で使われ始めたのもこの時代なので、情報処理で物質の科学を議論しようという物好きがどこかにいたかもしれない。
当方は1979年にゴム会社に入社してデータマイニングの手法を学んで、マテリアルズインフォマティクスし、タイヤの軽量化因子を明らかにするととともに、高分子で165-SRー13というサイズのタイヤを作った時の最軽量値を求めている。
コンピュータではなく頭の中で数値をいじりながら新しい知を求めた事例は、ニュートンの思考実験が知られている。思考実験で万有引力の法則を求めている。
しかし、マッハはこの手法を非科学的、と「マッハ力学史」の中で述べているので、科学の時代に限って言えば、データマイニングは、物理学者により科学とともに生まれた、と言っても良いだろう。
マテリアルズインフォマティクスは何も新しい科学の潮流ではなく、数理モデルに弱い化学者たちが喜んで飛びついた学問の方法と捉えることができる。
物質の現象をデータで捉え、そこから新しい知を求めるのにAIを用いる、と言ってみたところで、現在のAIは、映画「マトリックス」で描かれたAIほどのレベルではない。オブジェクト指向の成果でアルゴリズムの工夫から生まれたものだ。
マテリアルズインフォマティクスの本質を考えてゆくと、化学者が物理学者のような考え方になりはじめた、あるいは物理と化学がフュージョンした、と捉えることができる。
フュージョンと聞くと音楽の世界で1970年代に起きた一つのムーブメントでクロスオーバーとも呼ばれた。
マイルス・デイビスがジャズだかロックだか分からない音楽を始めたのが最初、という説があるが、黒人によるブルースが西洋音楽とのクロスオーバーと捉えると黒人がアメリカ大陸に連れてこられたころとなり、もっと古くなる。
カテゴリー : 一般
pagetop
1970年代に耐熱性高分子の研究から、高分子の難燃化研究へと流れが変わった。当時耐熱性高分子の総説が発表されている。そこには、燃えない高分子を作り出すのは不可能と書かれていない。
但し、耐熱性の評価尺度をどのように決めるのか難しい点に触れられている。理由は熱天秤の評価がばらつくからだ。
高分子の難燃性についてもその評価ばらつきの問題があるが、極限酸素指数法は、再現性の高い評価法として今では認められている。
1980年代にISOが制定されているが、1970年代にスガ試験機から全自動酸素指数測定装置という怪しい評価装置が販売されて、ゴム会社の研究所に設置されていた。
多くの燃焼試験法では、試料への着火方法が問題となる。燃焼試験の経験のある方ならご存知と思うが、着火する炎の大きさやその燃料まで細かく規定されている。
この全自動極限酸素指数測定装置は、そこまでの自動化はなされていなかったが、試料への着火後の制御にはそれなりの工夫がなされていた。
ただ、この装置の欠点は、燃焼速度が速い試料の測定ができないのだ。発泡体の燃焼速度は速いので測定できずゴム会社の研究所でホコリをかぶっていた(注)のだが、それを発泡体の測定が可能なように改造した。
この装置の優れていたところは0.05%まで酸素濃度の微調整ができたことだ。ここまでの精度の装置は現在市販されていない。ガスクロマトグラフィーで酸素濃度の変動を測定し驚いた。
ところが酸素濃度の微調整ができても、極限酸素指数測定データの分散を0.1以下にすることができなかった。それでも学生時代に某女子大で使わせていただいた試験機より精度が高いと思われた。
学生時代には、0.5程度の誤差は出る、と教えられた。しかし、ゴム会社にあった自動極限酸素指数測定装置についていた流量計は、学生時代に借りた装置よりも細かいメモリがついていた。マニュアルにも0.01%の精度と書かれていた。
極限酸素指数測定について、精度の高い実験装置があったのは幸運だった。また、自動化するための各種センサーがついていたので測定環境のばらつきを小さくすることもできる。データサイエンスで解析しようと思っていたので喜んだ思い出がある。
(注)ゴム会社の研究所では残業代の申請上限は20時間まで、となっていた。しかし、その20時間の申請さえも難しい雰囲気だったので、12年間ほとんど残業申請をせず、サービス残業で時々徹夜の過重労働をしている。しかし、研究設備への投資を惜しまない体質だったようで、研究所では購入しても使われないまま廃棄される設備があった。全自動極限酸素指数測定装置も汚れは全くなく新品で2年以上放置されていた。3年間高分子の難燃化研究を担当しているが、この測定装置は研究装置の中でも一番よく使った装置である。熱天秤も使用頻度が高ったが、毎日のように使用していない。使用されていなかった装置を喜んで使っていたら、「君のために買ったのではない」と上司に叱られている。新入社員研修では、成果主義のような説明を受けていたが、成果を出したら始末書を書かせられたり、それ以外にもいろいろと注意を受けている。某建築メーカーへ供給するフェノール樹脂天井材の開発では、開発計画が1年前倒しになり、サービス残業の毎日で成果が出ても良い査定を頂けなかった。給与明細書を見れば、査定評価が分かるのである。「学会発表は君だけ優先している」と上司に言われたが、当方からお願いしたわけではない。学会発表に耐えうるデータを出していたのが当方だけだったのと上司が学会の研究会で運営委員をしていたからだろう。「科学的に実験をやれ」とよく言われたが、「どのような実験を行うのか」具体的に言われたためしはない。統計的にデータ処理したり、N数を増やしたりしていた実験をよく非科学的と言われたが、統計手法は科学的にデータ処理するときに必要である。統計手法が科学的と思われていなかった時代がある。タグチメソッドが日本で普及が始まってから30年以上経過したので品質工学を非科学的という人はいないだろうと思うが、科学とは何か、ということを充分に理解しないで技術者を指導すると喜劇が生まれる。まだこの欄で紹介していない喜劇は多い。
カテゴリー : 未分類
pagetop