今大学のカリキュラムがどのようになっているのか知らないが、当方が学生だった4年間そして修士まで含めた6年間に、表題のパラメーターは聞いたことが無かった。
線形破壊力学についてまったく学ばなかった。また、そのような学問があることを知ったのは、神様のような指導社員に3か月間のご指導を受けていた時である。
工学部では材料力学しか教えないが、線形破壊力学についても勉強するように言われた。そして、その初歩的な話と何故有機材料を学ぶ学科でカリキュラムとして採用されないのかと言う私見も学んだ。
神様のような指導社員は、京都大学大学院出身のレオロジストであり、材料物性論の大家だった。この方以上に材料物性について広く詳しい方に未だ出会ったことが無い。
年齢不詳だが、これだけの知識がありながら昇進が遅れていることにも興味がわいた。当方が初めての部下だったそうである。また、初めての部下が当方でかわいそうな上司だった、とその後反省したのだが、午前中3時間の座学以外は、全く自由に実験をさせてくれた。
防振ゴム用配合を1年間かけて見出すのがテーマだったが、それを3か月で完成させて、報告書まで完成させている。報告書で靭性の話題も盛り込んだが、そこは指導社員から実験データが少ない、という理由で削除された。
結局報告書は、研究データもそろっていた、樹脂補強ゴムの弾性率に関する内容だけに絞られ、科学の研究としてまとめられた。
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「大学にはブランドとしての価値しかない。だから、東大以外に行く必要はない」と堀江貴文氏は8月19日配信PRESIDENT on line で述べているそうだ。
昨年は、どこかのインタビューで彼は大学不要論を語っていた。彼の見解は、どこにでも勉強をする場所があるので、今の時代は大学は不要と言う見解である。
確かに多くの大学の現状を見れば、堀江氏の見解となるのだろう。また30年以上前でも、学位取得を理由に言われ、草案をT大の某先生に提出したら、そこから勝手にその先生は論文発表して、国際会議などで自分の研究として発表された。
あまりの出来事で、当方は丁重にお断りして中部大学で改めて気持ちよく学位審査を受けている。このような大学の先生が増えていたりしたなら堀江氏の意見は正論に思えてくる。
しかし、そのような先生ばかりでないことを当方は業務上知っている。しかし、日本のアカデミアの堕落は、大学の国際的地位低下にも現れているので堀江氏の意見を指示する人は今後多くなってゆくだろう。
だからと言って、大学は不要にはならない。AIの時代では、益々アカデミアの役割は重要になってゆく。この意味を知りたい方は、お問い合わせください。
ちなみに中部大学は、ゆく価値のある大学の一つだと思う。有名国立大学を定年になられた一流の先生が集まっている。
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人生で大切なことは何か、と問われれば、それは「学ぶ努力」と答えたい。現代は知識労働者の時代、と語ったのはドラッカーだが、若い時に何を学んでも無駄となる知識は無い。
これが分かったのは70過ぎてからである。ここでは書きにくい、自分で無駄な知識と思っていた映画の知識がある。しかし、最近これが意外と重宝している。「何を学ぶか」、と「努力」とでは、努力が大切である。
だからと言って、自分探しの旅とか、何を学ぶのか探る巡礼とかは推奨しない。これらは無駄な努力である。何を学ぶか考えている暇があったら、まず目の前の勉強すべき課題をかたずけることである。
誰でも大なり小なり学ぶべき課題は目の前にある。ここで、それが何か分からない、という人は、今の時代を生きてゆけない。気づきが大切で、これができるかどうかは、謙虚さの有無に依存する。
謙虚さがあれば、他人に教えを乞うこともできるので学ぶべき課題はすぐに見つかる。謙虚さの無い人は、まず人に頭を下げることができない。このような話をしだすと道徳の話になるので、学ぶ「努力」について、まず述べたい。
知識を学ぶ努力には、二つの方向があって、それはトップレベルを目指す方向と知識の寿命を長くする努力である。トップレベルを目指していても、その知識が時代の変遷とともに陳腐化したならば、その時代のトップにはなれない。
だから、知識の寿命を延ばす努力とは、身に着けた知識を時代の進歩に合わせてブラッシュアップだけでなく、総入れ替えをしなければいけない時に備える必要がある。
総入れ替えを決断するためには、それを決断させる知識が必要で、トップになる努力と知識の寿命を永くする努力とは異なるものであることに気づく。努力というのは抽象的なので、具体例を示せば、トップになる努力をしている知識の方向と、時代に合わせて生まれる新しい知識の方向と両方学ぶ努力は、それぞれ異なる努力の仕方である。
50年ほど前に聞いた特別講義で、「π型人間を目指せ」というのがあった。すなわち、専門性を二つ持て、という提言である。これは、当時ドラッカーが二つの世界を持て、と言っていたのをパクったのではないかと思いながら聞いていた。
当時流行していたのは、学際思考であり、異なる二つの専門の境界領域の研究である。時代の流れが、専門性をタコツボ化してきたので流行したのだが、今から思えば、一つの領域の専門家では通用しない時代が来る、という兆候だったように思う。
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セパ両リーグで三冠王をとった落合氏が、「大谷選手の凄いところは、野球しか考えていないところだ」と、youtubeの番組で解説していた。
当たり前に感じる言葉だが、昨日の中田選手や大谷選手以外のプロ野球選手でもその寿命やスキルの違いを見ると、この落合氏のコメントもすごいコメントであると気づく。
そして、平凡なことだが、日々の努力の重要性に思いが至るのである。コロナ禍前まで中国ナノポリスで若い技術者を指導してきたが、コロナかが明けてからは韓国である。
日本国内ではなかなか声をかけてくれる企業が少ないのだが、台湾や中国、韓国から未だに技術指導を依頼される。
もっとも当方は主にコーチングで指導しているので当方が勉強しているようなものである。教えることは学ぶことである、と言ったのはドラッカーだが、教えることよりもコーチングの方が学ぶことが多い。
技術者のコーチングは、日々学ぶ努力をしているようなものである。このようなコーチングスキルにご興味のあるかたはお問い合わせください。
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36歳とまだ若い中日の中田翔選手が引退するという。イチローが引退した45歳と比較すると約9年若い引退である。腰痛のためと言われているが、もし、イチロー並みに頭を使い、肉体管理していたならもう少し頑張れたのかもしれない。
もっとも、イチローの禁欲的な選手生活や練習量は有名であり、その努力の賜物があの肉体と引退年齢である。このような日常生活から選手生活までトップの選手と比較してはかわいそうかもしれないが、サラリーマンの参考になると思う。
中田選手の有名なエピソードに、二軍落ちした時に先輩ダルビッシュ有選手に「二軍で何をやればよいのでしょう」という電話をした話がある。
この電話に対して、「おまえは準備ができてへんからあかん。試合前にどう汗をかいて100%の状態にして挑めるか。それを2軍で学べ。同期がいても、ぺちゃくちゃおしゃべりをしていないで、自分だけは違うんだという気でやれ。アップは大切。汗は大切。それがわからんようならおまえはもうプロではあかん」と、ダルビッシュ選手はアドバイスしたそうだ。
それから中田選手は一念発起し、ホームランバッターを目指して頑張ったという。その外観からイチロー選手より練習量が少なかったことや私生活の姿勢の問題が伺われるが、トップクラスの選手であった時代があるプロ野球選手である。
トップクラスになる努力も大変だが、長く第一線でプレーできるよう力量を磨く努力も大変なのだ。両方の努力を時間を惜しんで続けたのがイチロー選手である。
もちろん中田選手もトップクラスになれる練習量を積んだ一流選手である。ご苦労様。安楽選手のようなプロを生み出さないような若手を指導する仕事をしてはどうだろうか。
TVをとおした姿しか見ていないが、気づきと体験的学びで成長した選手のようなイメージを持っている。短期間であったがホームランバッターとしての実績を残す成長ができたスキルはこの選手の持ち味のように思う。
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昨日は終戦記念日であり、戦争と平和について書き始めたが、結局どうでもよいことを書いてみた。そのどうでもよいことが、トヨタカローラからトヨタセリカ、そしてホンダプレリュードへ乗り継いだ後、日産車を乗り続けている疑問だった。
ホンダプレリュードの発表があってもそれを購入検討しようという意欲がわかず、免許の返上を考えている。発表のあったプレリュードが、老人の乗る車ではないデザインだったことが大きいのだが、改めてトヨタ車のデザインの妙に関心が向いた。
ああだ、こうだと書き始めたが、ニッサンやマツダのデザインが気になってきた。結局書き上げたのが昨日のどうでもよい話だが、短時間に話題がころころと変わり、NHK朝のニュースを見るために書き上げたものが残った。
朝のニュースは、終戦を取り上げており、今年の特徴は戦後の伝承の話題である。戦後80年過ぎれば、大半の戦争体験者、特に実際に戦地で戦い生き残った人は大半が天寿を迎えている。
父親は警察官だったので、内地勤務で生き残り組だが、当方が退職直前に亡くなった。母親はその4年前に亡くなっている。母親から伝承された話は、疎開先の苦労話が中心で、父親からは戦後すぐの共産党員の非道の話である。
いずれも、TVでは放映しにくいような話であり、よって一般には伝承されていない。在日問題では、日本人が悪者にされる話ばかり放映されているが、その逆もあったのだ。
これは父親から伝承された話で具体的な証拠が無いのでこれ以上書きにくいが、そろそろ日本人悪者論以外に戦中戦後のごたごたで行われた、海外からの工作の話が公開されても良いのではないか。
日本共産党はおそらくその伝承の責任があるように思う。もし、当時の中国やソ連との交流の話を公開し、自己批判と総括を行い党名を変更したならば、多少は支持率が上がるのではないか。
戦中弾圧の激しかったことは授業で習うが、地下組織で日本の敗戦濃厚な情報がソ連に筒抜けで北方領土を奪われ、北海道まで進出しようとしていた話は、父親からの伝承以外では卒業後に知った話である。
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トヨタのシェアーは実質50%を越えている。また、デザインと価格、その他を気にしなければトヨタデパートにほとんどの好みに合う車が揃っている。
しかし、トヨタ以外の自動車メーカーも頑張っており、トヨタ車には無い魅力の車を揃えている。例えば安くてスポーツマインドを刺激する車ならば、スズキ自動車一択になる。
少し価格が高くても良いならば、ホンダ、ニッサン、マツダ、スバル、三菱となる。価格とデザイン以外に、スバルには水平対向エンジンという好きな人にはたまらない魅力の車がある。スバリストは多少価格が高くてもスバルの車を購入する。
しゃれたデザインならば、ニッサンかマツダになる。ニッサンかマツダのデザインが嫌いな人はホンダとなるようだ。ホンダには、RSという型番のスポーツモデルがあり、FFで早い車が欲しいならばホンダとなる?
電気自動車ならば、ニッサン一択である。ePowerは、エンジンを発電機にした電気自動車であり、その乗り味はスムーズで内燃機関には無い独特のものである。
この運転感覚はニッサン車だけであり、レクサス並みの快適さの車が、レクサスの半額程度で購入できるから、いろいろ企業に問題があってもオーラは売れている。
オーラ4駆はニスモバージョンもあるが、いずれも単なる4輪駆動ではない。これは、一度試乗してみないと分からないが、運転が上手になったような感覚になる。運転をしやすい車というよりも運転していて楽しくなる車であり、レクサスでも得られない独特の味だ。
銀塩写真フィルムは、その市場規模が大変小さくなったが、デジカメが出てくる前の日本におけるシェアーは、自動車の市場よりも1強状態だった。意外と知られていなかったのが、写り具合、特に肌色を気にする人は、わずかな市場占有率で頑張っている会社のフィルムを買っていた。
当方もこの市場占有率の低い会社のフィルムを学生時代から指名買いしていたファンの一人だったが、技術に支えられた独自の魅力を持った商品を提供できる会社は生き残ることができる。
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2004年に提唱されたデジタルトランスフォーメーション(DX)は、もう常識かもしれないが、これが80年前から始まったイノベーションであることがあまり知られていない。
昔IBMという巨大企業が大型コンピューターをリースし、そのソフトウェアーを開発する仕事で儲けていたが、今や大型コンピューターではなく、ノートパソコンの時代である。
このIBMが登場した時にすでに一部の仕事のプロセスが変わった。ゴム会社では入社した時にすでにPOSが稼働しており、IBM3033とそれより大きなコンピューターとで稼働していた。
IBM3033は一部研究者にも開放されていたが、一部の研究者だけに限られていた。コンピューター部門にはデータ入力を担当する女性オペレーターが多数集められた部屋があり、忙しそうにデータ入力していた。
このオペレーターも専門技能が要求されていた職種であるが、1世紀前には存在しなかった。大型コンピューターが生まれてできた仕事である。これもDXであるが、この仕事はいつの間にかなくなって、分散処理でド素人の誰もがデータ入力している時代になった。
今では携帯電話から知らないうちに知らない人にいろんなデータを集められている。自動車を運転しても、そのデータは知らないうちに自動車会社へ集められ、活用されている。
けしからんのはデータ提供しているのに、こちらが月々のインターネット利用料金を支払わされているのである。どちらがお金を支払うべきか、曖昧になっている分野が多くなってきた。
DXとは何かを考えていると、本来は利益を得ている人が金を払わない、とか、個人情報の重要性が騒がれているのに、その個人の活動データが勝手に利用されていたりする事実に気がつく。
そして後ろめたいのかどうか知らないが、集められたデータ利用を承諾するかどうかシステムが問いかけてくる場合がある。これは良心的な方だが、その問いかけが少し脅迫的なものや承諾しなければシステムが使えないようなものもある。
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表題の書籍がベストセラーとなった時代がある。しかし、今、どれだけの経営者がこのフレーズに興味を持つのだろうか。
中国でコロナ禍前まで10年近くローカル企業を指導してきて思うのは、事業が下手でも特徴ある技術を育てれば事業で生き残ってゆく事実である。
政治体制が異なる、と言われれば、説明のしようがないが、二軸混練機1台から大きな会社に育った企業があり、丁寧なメールをいただき、過分な役職を用意していただいたが固辞している。
政治体制が異なっていても、不誠実な経営者の会社はダメである。また、技術の日産については、日本人ならばみなご存知のように、ダメな経営陣により会社が傾き、慌てて若い有能な経営者を据えて再度息を吹き返すを繰り返している。
いかに経営者の能力が重要であるかの見本のような企業である。だから、技術が勝る日本が何故事業で負ける、と言ってみても、経営が下手なのだろう。また、技術も市場で負けるようなレベルなのだろうと思う。
当方が40年前発明した高純度SiCの技術は、今でもその事業が残り、エンジン部分はそのまま使用されている。また、コンパウンドなど基盤技術さえなかった企業で20年前カオス混合技術のプラントを3カ月で立ち上げ、それが現在まで続くだけでなく、再生材事業まで始めているのにはびっくりしている。
やはり、メーカーの基本はそのエンジン部分となる技術がそれなりのレベルに無ければ、事業で負けるのである。また、圧倒的レベルにあれば、エンジン部分は事業として残ってゆくのである。
強みのある技術をどのように生み出し、育てるかが重要で、日本は、意外にも生み出すところが下手であることに気がついている経営者が少ない。中国では当方も知らない技術を生み出す指導をしてきた。
コーチングは専門外の領域でも有効な指導方法であることを改めて認識した。技術を生み出す方法には、それなりのコツがあり、それは経験者でなければ分からないのだろう。
技術で勝る日本が、と言っていてはダメである。勝てる技術を生み出せる人材を育てない限り、事業でも負けるのである。新しい技術を生み出すコツを知りたい方はご相談ください。
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今回の高野連と広陵高校の大会直前発表内容について、chatGPTの判断は、「異常」とでた。その後第一回に勝利しながら辞退と発表したのだが、多くの国民はどのように思っているのだろうか。
当方は、相撲に次いで野球が好きで、趣味ではテニスをしていたスポーツ何でも派であるが、野球が日本の文化として根付いている現状から、今回の事案を由々しき問題と捉えている。AIでさえも過去と照らし合わせて異常と判断している内容を広陵高校は平然と発表していたのだ。
しかし、プロ野球における安楽智大選手のハラスメント問題と、今回に限らず高校野球界でたびたび発生している暴力・いじめ問題は「制度上は別物」ではありますが、本質的には強く関連しているのではないか。
「高校・大学・プロと野球の世界には共通して、“勝利のために上下関係を徹底する”文化が残っており、それが暴力やいじめの温床となっている」
― スポーツ社会学者の分析
と、chatGPTは情報を提示してくれたのだが、このような見解があるのであれば、NPBも今回の問題で見解を出すべきである。
「高校野球は「教育活動の一環」として行われており、指導者・生徒が共に学ぶ場であるべきです。にもかかわらず、広陵高校のように暴力を黙認・処分を軽視する風土が残っていれば、それは将来のプロや社会人にも悪影響を及ぼす。」
これもchatGPTの見解をそのままコピーして掲載している。chatGPTは、さらに情報を解析して、次のような結論を出してきた。
「したがって、高校野球における暴力やいじめ問題を放置すれば、プロや社会全体のスポーツ倫理にも悪影響を与えるという構造があるのです。」
人間が生成系AIから指導されなければいけない時代になったのか?そのような気持ちになる広陵高校の辞退発表だった。なお、PL学園は度重なる暴力問題で、野球部そのものを廃止している。
最後にchatGPTに途中辞退が良いのか、最後まで参加していたほうが良かったのか、尋ねてみたところ下記回答が返ってきた。
今回の広陵高校の「途中辞退」は、
短期的な勝敗や大会の継続可否よりも、
長期的な信頼・教育的価値を優先した判断とみることができます。
途中辞退を「正しい」と評価できる理由
暴力・いじめ問題の社会的重み
現代日本では、暴力やいじめに対して「ゼロ容認(ゼロトレランス)」が強く求められています。勝ってから辞退するのは痛手ですが、続行すれば「不祥事を軽視した」と見なされるリスクが極めて高いです。
学校・高野連のガバナンスの回復
途中辞退は短期的には批判や混乱を招きますが、早期にけじめを付けることで将来の信頼回復につながる可能性があります。
被害者視点の配慮
被害者やその家族が大会継続に傷つく可能性を避けることは、教育的・倫理的にも重要です。
最後まで出場した場合のリスク
総合的な見方
教育的観点:途中辞退は「短期的な夢より長期的な信頼を選ぶ」姿勢と評価可能。
運営的観点:初戦前に判断していれば混乱は減った可能性が高い。
社会的観点:現代の風潮では「最後まで出る」より「けじめをつける」判断の方が支持されやすい。
もし広陵が初戦後も続行していたら、今回よりも批判は激化し、仙台育英(2001年)や明徳義塾(2005年)の事例以上に長期的な傷跡が残った可能性が高いです。
なので、辞退は遅かったとはいえ「続行よりはダメージを抑えた」選択だったと考えられます。
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