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2019.12/08 働き方改革(9)

実は電気粘性流体のテーマを担当する1年ほど前に結婚していた。その時に大きく働き方改革を実践していた。

 

独身時代には、独身寮が実験室から徒歩3分の位置にあったので、毎日が仕事と寝る時間だけであった。

 

結婚してその生活が大きく変わった。働き方を家庭中心に変えたのだ。そのため、毎日17時退社が実行された。

 

他の人が業務をしていても、さっさと帰宅していた。しかし、電気粘性流体のテーマ担当を命じられて1週間ほどは、当方の担当業務について企画するために徹夜したり遅くまで仕事をした。

 

その1週間の努力で電気粘性流体の業務に対するサポ-トメンバーが増えたので、住友金属工業とのJV準備の仕事以外に担当させられた電気粘性流体の業務が増えても、1週間後にはその生活スタイルを変えなくてもよかった。

 

降ってわいた電気粘性流体の仕事について、以前から担当していたメンバーの実験を指導する業務だけとなった。

 

電気粘性流体について深い知識があったわけではない。知識については仕事を担当してから勉強し獲得している。

 

知識が無くても、6年間基礎研究ばかり推進し製品化のための技術開発を推進していない問題を十分に理解できた。テーマのマネジメントを指導していたようなものだった。

 

 

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2019.12/07 働き方改革(8)

電気粘性流体の開発では、その方法において科学を用いていない。例えば、電気粘性流体の耐久性問題を解決するのに、論理的ではない、たった一晩の実験で成果を出している。

 

ただし、高偏差値の大学の修士以上の学歴の複数の研究員が1年かかって、その方法ではできないと科学的に完璧な報告書を書いていた。すなわち当方が出した成果は「科学的にできない」と結論されたカテゴリーの技術成果だった。

 

科学的にできないとされた方法で実用化できた理由は、以前この欄で書いているので、ここでは簡単に説明する。

 

これは、哲学者イムレラカトシュが、その著書「方法の擁護」で述べている事例となる。

 

すなわち、科学で完璧な証明ができるのは、否定証明だけである。わかりやすく言えば、科学的にできる、あるいは問題解決可能な方法を科学的に導く方法は、いつでも「できる」という結論に至るとは限らない、ということだ。

 

これが科学の方法で業務を進めるときの非効率性につながる。また、スタップ細胞の騒動は、データを捏造してまでも科学に忠実であらんとした結果起きている。

 

科学の世界で捏造は悪いことだが、技術の世界では、繰り返し再現性があれば、捏造データはそれを再現できる限り必ずしも悪いことではない。この十年に起きた品質管理問題にこの誤解から生じた捏造の問題が多い。

 

捏造が人を欺くために行われたならば、それは悪いことである。しかし、自分一人で完結した実験を行う時に、捏造は新しいアイデアを生み出す場合があることを知っておくと便利である。

 

こんなデータが得られたら良いと考えて(第三者が見たら捏造だ)、実験シナリオを書いてみて実験を行うのである(これは科学の仮説設定とは異なる、誰でもできる易しいことだ)。

 

ここで科学の形式知を採用しようが経験知を採用しようが構わない。ヤマカンは外れる可能性が高いのでとにかく「知」を使うことは実験の成功確率を高めるために重要である。

 

半導体用高純度SiCを世界で初めて高分子前駆体から合成した実験では、原因不明の電気炉の暴走が起きたおかげで大成功している(運が良かったが、それ以外は知の集大成の実験だった)。

 

この時合成された高純度SiCを社長の前のプレゼンテーションで使用しているが、どのように合成されたのか説明していない(さすがに運よくできたとは言えなかった)。

 

モノができているので、嘘でも捏造でもないのだが、なぜか胸を張って説明できなかった。それが謙虚な社員と誤解されたのだから世の中何が幸いするかわからない。

 

たった1回の実験で、2億4千万円の先行投資を引き出せたのだから、極めて効率の高い仕事である。

 

いつでも運や偶然に頼って気楽に仕事ができたなら面白いに違いないが、研究開発において真面目に科学の世界だけで仕事を行うのは見直した方が良いのではないか。

 

技術を検証したり解析したりするときには科学的に行うべきであるが、技術を生み出す仕事を行う時に科学にとらわれる必要はない。

カテゴリー : 一般

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2019.12/06 昨日の補足

社会をよく知らない時には、総理大臣が偉いと思ったり、会社の重役はさぞ立派な人たちだろうと思っていた。

 

しかし、社会が分かってくると、本当に偉い人というのは、例えばスーパーボランティアとして紹介された元魚屋だったり、有名人としては国民栄誉賞を今回も断ったイチローと思えてくる。

 

組織の幹部であっても組織が社会に悪事を働いたならば幹部は悪者とみなされるが、組織が一応社会に貢献していると偉い人とされたりする。

 

しかし、これが間違っていることは組織で働いた経験のある人でなくてもワイドショーに映し出される官僚や先日の池袋で事故を起こした元通産省工業技術院トップをみて理解する。

 

今の若者がかわいそうなのは、人生のロールモデルとなりうる本当に偉い人がいないことだろう。

 

逆に偉そうな顔をして自分一人では仕事もできないのに口先だけで社会を渡り歩いている反面教師となりうる人物が増えているような気がしている。

 

早期退職した会社の元役員と称する人物が事務所に訪ねてきて、カラー複写機の新しいCD技術を調査してくれ、と依頼してきた。成功報酬の仕事を請け負わないことを告げても先輩であることを担保にされ、引き受けることになった。

 

3つほど技術をまとめ、それを実行できるように手配をして準備ができたところで、騙されていたことに気がついた。すなわちその先輩と称する人物がL社顧問に採用されるための手土産づくりをワークさせられていたのだ。

 

元役員の先輩は、顧問として採用されなかったのでこれまでの調査は必要なくなった、と言ってきた。しかし、当方はそのような話ではなかった、と怒ってみても頭を下げている老人にきつく言えない。

 

仕方がないので手配をした会社の謝罪に同行してもらい、すべて幕引きを行ったが、当方の労働対価は0。幕引きが終わったところ、「さすが君は優秀だねえ」と言って去っていったが、謝礼を払わないことに悪びれた様子は無く、最後まで上司の様な偉そうな顔をしていた。

 

カテゴリー : 一般

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2019.12/05 若者の夢

All Nippon NewsNetworkに日本財団の若者の意識に関するアンケートが載っており、「自分で国や社会を変えられる」と考える日本の若者は18.3%で、残り8カ国で最も低い韓国の半数以下となっていたそうである。

 

また、「自分の国の将来についてどう思うか」という質問に至っては「良くなる」と答えた日本の若者は9.6%で、調査した9カ国中最低だったそうだ。また、トップの中国の若者の10分の一という。

 

連日ワイドショーでは「桜を見る会」に関して報じられている。そこには、官僚の幹部が野党から追及され、「ウソではないがあまりにも情けない答弁」をしている姿が映し出されている。

 

官僚が国民を見て働いていない姿、として解説されたりしているが、これを若い人が見たらどう感じるか(どう思うか、ではない)。

 

おそらく家族ならば情けない父親の姿として感じているに違いない。家族でなくても将来の出世の姿として捉えたときに幻滅を感じるだろう。

 

政治家どおしの攻防ならばまだ我慢できるが、政治家ではない官僚のこのような姿を国民にさらけ出す必要があるのだろうか。

 

組織を経験した人であれば、家族を抱え明日の生活を考えたときの発言として彼らの発言は、理解できる。またあの場で正義感を出してまともな答えを胸をはって言ってみても日本は変わらない。発言したその人のその組織における将来が無くなるだけだ。

 

当方はTVに映し出される官僚とは異なるサラリーマン人生を送り、転職や単身赴任、そして早期退職を経験している。

 

しかし、以前この欄にも書いたが、新入社員のころに書いた始末書も含め、組織から課せられた理不尽な仕打ちに対して素直に従い恥ずかしい、と感じたことはない。

 

ちなみに始末書では新技術提案をそこに書き、モノにしている。この時の経験から理不尽な組織に媚びる必要など無い、と自信を持って言える。ただ、それは組織から放り出されても生きていくという覚悟が必要である。

カテゴリー : 一般

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2019.12/04 働き方改革(7)

働き方改革は、「働く時間を短くする」のが目的ではない。本来は、効率よく成果を出すための改革である。

 

昔から日々の改善は日本企業のルーチンだったはずだ。現場ではQCサークル活動として定着したが、ホワイトカラーの業務では定着しなかった。

 

原因の一つに科学を重視しすぎていた点にある。企業はアカデミアではないのだ。研究所さえも、本来はアカデミアと同じ活動を行っているのがおかしい、という感覚にならなければ働き方改革などできない。

 

故田口先生は良いことを言われていたが、この先生も科学から離れることができなかった。せっかくタグチメソッドを考案しながらも科学の世界でそれを定義づけようとした。

 

学者はそれが必要かもしれないが、所詮「メソッド」である。しかし、技術開発を効率化するものすごい「メソッド」なのだ。

 

科学はいつの時代でも大切である。少なくともこの50年くらいは科学に代わる世界共通の言語あるいは宗教、哲学は現れないと思う。

 

技術さえも他の人とその成果を共有化しようとしたり、次の世代に伝えようとするときに科学の力を借りなければいけない。しかし、それはコミュニケーションの手段としての科学である。

 

技術はいつでも人が中心であり、人の生活を豊かにするための営みである。科学の中心に来るのは論理学であり、結果がどうであれ、論理に忠実でなければならない。だから人類は科学を管理しなければいけないのだ。

カテゴリー : 一般

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2019.12/04 レオロジーという学問(2)

(昨日からの続き)そして、高分子材料というものをいろいろな角度から眺め、計算をしてきた実績がある。

 

形式知として問題があるかもしれないが、優れた研究者達による豊富な考察を経験知として借用したくなる魅力がそこにある。

 

現在の形式知で歯が立たない混練分野では、このような経験知でも構わないから少しでも「知識」を身に着けていたほうが、目の前で起きる現象に対して理解しやすい。

ラテン方格を使用した実験を行う時にも、制御因子の取り上げ方に、このような経験知の有無が影響を受ける。

 

すなわち、高分子の科学的研究には役立たないかもしれないが、ダッシュポットとバネのモデルによる現象の捉え方は、その限界を知ったうえで活用すると、実務では便利なツールとなる。

 

もう一つ高分子の理解を難しくしている原因をあげるとしたならば、レオロジーの教科書に書かれた説明である。

 

高分子を粘弾性体として捉える考え方は、弾性変形について固体力学の形式知を、粘性については流体力学という形式知を利用している。

 

この両者の形式知を動員して高分子の変形を考えようとしたのが、過去のレオロジーである。

 

しかし、困ったことに高分子には塑性という変形様式が存在する。金属やセラミックスにも塑性は存在し変形を考えるときの形式知が完成しているが、高分子ではこの塑性が分子1本1本の絡み合いや運動で引き起こされ、大変複雑な現象となって現れる。

 

それを解明しようとソフトマターの物理学が新たに提案されている。おそらく10年後にはこの形式知が反映された今よりもわかりやすいレオロジーの教科書が出てくるかもしれない。

 

今月下旬に発売予定の書では、このようなレオロジーの現状を考慮したうえで、混練を考えやすいよう高分子の運動に力点を置き、その考え方を説明したい。

カテゴリー : 高分子

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2019.12/03 レオロジーという学問

高分子へ導電性微粒子を添加した時に生じる体積固有抵抗の急激な変化について混合則を用いて考察を進めていた時代があった。

 

その後、浸透理論による考察すなわちパーコレーション転移の閾値を評価してその現象を理解しようとした変化以上に、高分子のレオロジーに関する研究の内容は20世紀末に大きく変わった。

 

そもそもレオロジーとは、物質の変形及び流動一般に関する学問で、その現象論的目的は、応力(力/面積)と歪(変形量/元の寸法)と時間(周波数=1/振動数)の関係を調べることにある。

 

ところが、高分子の融体は、原子が共有結合でつながった紐状の分子、それも長い分子や短い分子、さらには枝分かれした分子など様々な構造の分子を含んでおり、それぞれの構造の制約を受けながらその場のエネルギー状態に応じてそれらが運動している複雑な物質である。

 

すなわち、一組成の高分子であっても分子一個一個に着目すれば多成分系であり、さらに、その運動を考慮すると分子量や分子の形態に基づく分散を考慮しなくてはいけない多分散系である。

 

そのような複雑な状態の物質が引き起こす現象をダッシュポットとバネのモデルを組み合わせて解析していたのだから、説明できない現象が出てきたとしても当然であるが、形式知としてこのような事態は許されない。

 

まず、高分子のレオロジーについては、今新たな研究が展開されている状況である、という認識を持つ必要がある。

 

すなわち、レオロジーの教科書を読むと粘弾性体についていろいろと難しい理論や計算式が並んでいるが、それらを無理に理解する必要はなく、とりあえず教科書全体を流し読みすればよい。

 

ダッシュポットとバネのモデルは、形式知として時代遅れのモデルであり忘れてしまってもかまわない。

 

ただし、かつて多くの研究者がこのモデルを使って高分子材料を理解しようとした知の遺産と認識し、経験知としてうまく生かして使おうという努力は無駄ではない。

 

このような表現をすると叱られるかもしれないが、そもそも、以前のレオロジー研究者は、ダッシュポットとバネのモデルをいろいろ組み合わせて現象を再現しようと試行錯誤していた。

 

すなわち、それは、あたかも手探りでモデルを探していたような「おさわり感覚」の学問である。

カテゴリー : 高分子

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2019.12/02 パーコレーションの制御例

15年ほど前に開発した中間転写ベルトでは、1Ωcm前後の体積固有抵抗を示すカーボンブラック(1次粒子径2nm、比重2)を使用していた。


それを特殊な分散状態(凝集粒子径400nmから800nm)に制御して109ΩcmのPPS製無端ベルトの押出成形を実現している。


出願した特許に書かれているように、凝集粒子径が50nm前後と小さい場合には、押出成形時にパーコレーション転移が安定せず、表面比抵抗の偏差は100倍までばらつく。


この問題解決については、抵抗の低いカーボンをソフトな凝集粒子として分散させて、パーコレーション転移を制御した。


すなわち、凝集状態のパーコレーションと分散状態のパーコレーションの両者を制御する技術を混練で実現しようと設計した。


設計どおりにペレット段階で安定に凝集粒子内でパーコレーション転移を起こした凝集体がパーコレーション転移をしており、その高次構造は押出成形しても変わらなかった。


凝集粒子の体積固有抵抗は、104Ωcmであり、ペレットの体積固有抵抗は109Ωcmとなっていた。この体積固有抵抗の関係は、押出成形されたベルトでも同様だった。


パーコレーション転移を考えるときには、重量分率(w.r.)よりも体積分率(V)で考える。凝集粒子の分散を考えるときに問題となるのは、凝集状態により凝集粒子の比重が変化する。


そこで、カーボンの見かけ比重(カーボン凝集体の比重)と体積分率、重量分率の関係を求めた。

この関係からカーボンを疎な凝集状態で分散させると、同じ重量分率でも体積分率を稼げることがわかる。


また、カーボンの凝集密度を下げれば、すなわち疎にすれば、見かけの凝集体の体積固有抵抗は下がるので、パーコレーション転移が起きたときの大きな抵抗変動を緩和することができる。


すなわち、高い導電性の粒子で引き起こされるパーコレーション転移は、その変動が大きくなるが、低い導電性であれば、パーコレーション転移による変動を小さくできる。


以前開発したシミュレーションプログラムのアルゴリズムを変更し、導電性凝集粒子の凝集状態が変化しながらパーコレーション転移を起こした時のシミュレーション(Wパーコレーション転移シミュレーション)を行った。


このシミュレーション結果から、凝集体の比重が0.5前後で分散し、全体の重量分率が0.1-0.2前後であれば、安定に108-1010Ωcmの体積固有抵抗を示すペレットを製造可能であることが理解できる。


現在パーコレーション転移シミュレーションプログラムを作りながら学ぶPython入門PRセミナーの受講者を募集中です。

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2019.12/01 情報通信5Gのセミナー

アルビントフラーの第三の波はあっというまに過去の著作となり、バブル崩壊から30年近くたった。そのような状況で5Gが注目を集めている。

この変化の時代に新材料の技術が求められており、来年にかけて招待講演を依頼されましたセミナーでその内容を公開してゆく。すでに取り組んでいるメーカーも注目していただきたい内容である。

各セミナーではテーマを明確に設定し解説するので、全部参加していただければ、今起きている材料技術のイノベーションを学べる。

まず、下記セミナーでは、情報通信の切り口で解説する。希望者は弊社へ問い合わせていただきたい。

開催日時:2019年12月6日(水)10:30~16:30
会  場:[東京・東陽町]江東区文化センター3階 第1、2研修室


*弊社へ申し込まれますと割引価格になります。

受 講 料:47,300円   ※ 資料・昼食付

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2019.11/30 昨日の朝ドラ

昨日の喜美子と父親常治の対立には胸を打たれた。きっかけは喜美子の妹百合子の進学であるが、働く意味についての激論だった。

 

喜美子は、絵付師深野が新しいことに挑戦するために会社を去る、すなわち、ドラッカーが言うところの働く意味における自己実現について語っているのだが、それに対する常治のセリフには胸を打たれた。

 

常治は、生きるために働かなければいけない、だから一生懸命働いている、それがわからなければ出ていけ、といって喜美子の前から去るのだが、働く意味を貢献と自己実現と語れるのは幸せな時代と身に染みて感じた。

 

豊かな時代の今、常治の「働く」論理の時代があったことを忘れていた。多くの常治により今の豊かさがもたらされたことを思い出させてくれた15分だった。

 

そもそも社会の安定があり、皆が仕事にありつけて食べていける状態になって初めて自己実現が問題となるのだ。

 

バブルがはじけて30年経ち、社会が二分化されてきた問題が指摘されている。また、仕事があってもその賃金で食べていけない状態がテレビで特集として組まれたりしている。

 

中国の状況を見ている当方からは、ただ富の分配がうまくいっていない、というステレオタイプ的な解釈では説明がつかないと感じる今の日本である。

カテゴリー : 一般

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