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2019.02/06 役割の使命

小学4年生女児が父親から暴力を受けて亡くなった事件で、野田市教育委員会・学校教育部次長兼指導課長の「対応」が厳しい批判にさらされている。

 

ご存知のようにこの担当課長は、小学校で実施された「いじめアンケート」の回答を父親に渡している。昨今のいじめの問題において実施されるアンケートについて親であっても公開しないのは常識のようだ。

 

ようだ、と書いたのは教育現場におけるこのようなアンケートの扱いについて知識が無いからだ。ただし、アンケートに書かれた内容を読むと父親からの暴力の相談が書かれているので、その記載内容から直接アンケートを父親に見せるのは問題あり、という判断が教育現場の知識とは関係なく常識として働く。

 

しかし、問題の課長はこのような判断が働かなかったばかりか、父親に渡した理由の説明までしている。これは世間には言い訳にしか聞こえない。父親に渡した責任を感じるのであれば、理由など述べる必要はないのだ。間違った判断をした謝罪以外に言葉は無いはずだ。

 

この事件で不思議に思うのは組織の仕事として担当課長の使命がその態度から見えてこないところだ。行政は縦割り組織で、担当課長は自分の部署だけでただ問題解決しようとしていた、という解釈もできるが、父親にアンケートを渡した行為はその場しのぎであり問題解決となる行為ではない。

 

また、父親が恫喝した、とその理由を述べているが、恫喝に対しては、役割と無関係に警察を呼ぶ対応しかない。警察を呼んでおれば、何事も起きなかった可能性がある。ただし、警察を呼んだ担当課長は、警察沙汰にしたことで組織内外で批判された(注)のかもしれない。

 

しかし仮に組織内外で批判されたとしても、その組織の使命は児童を守ることにあったはずなので、甘んじて批判を受ける覚悟なり、辞職するするぐらいの覚悟をして職務に当たるべきだろう。そもそもそのような批判は正しくない。

 

仕事を担当すると必ず役割から発生する使命が生まれる。その使命を全うするように仕事を行う、その姿勢を正しく評価できる組織や社会でなければいけない。

 

このような問題は、視点が変われば見解が異なる可能性がある。しかし、役割からくる使命を真摯に考えず誠実な対応をできなかった大人たちの行動の結果、尊い命が失われたのだ。あまり重視されない風潮であるが、職務の使命の問題を改めて問いたい。

 

(注)組織の風土や文化によっては、問題が正しくとらえられない場合がある。30年ほど前、当方のデータ用FDを壊された時などは、犯罪と言うとらえ方ができない人が多かった。高純度ŞiC事業が立ち上がり始めた時期であり、当方は問題の幕引きを図るため、0から事業を立ち上げ最後まで担当したかった仕事ではあったが、その時の使命感から当方は退職している。その結果、30年以上事業は続き、昨年10月に他社(本業がセラミックス事業の会社)へ事業譲渡されさらに発展しようとしている。正しい問題のとらえ方と問題解決にあたり、役割からくる使命について誠実真摯に考えなければ、後悔する結果になっていたように思う。ゴム会社の異色の新事業である高純度SiCについては、他の日に書いているのでここでは説明を省略する。

カテゴリー : 一般

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