亡父は、死の間際まで読書をしていた。亡父の読書は、いわゆる読書というよりも勉強だった、と思っている。本を読みながらいつもメモを取っていた。読む本も文学書よりも古典や実用書、芸術分野など知識獲得のための書物ばかりだった。ドラッカー本について恐らく日本で販売された書籍を全部読んでいたに違いない。
亡父は、自分で読む本は自分で買え、が口癖だった。本屋の神様のような読書家だったが、本が高くなった今の時代は大変である。電子書籍が必ず普及すると思って事業を開始したが失敗して不思議に思っている。AIの普及でますます勉強が重要になってきたからだ。
亡父は組織で成功した人生だったが、55歳定年制の時代で、組織から離れた人生と組織で生きた人生の長さがほぼ同じの生き方をしている。当方が中学生の時に定年を迎えたのだが、メモを取りながら本を読んでいる姿を見る時間が多かった。
人は何のために学ぶのか、という問いはナンセンスで生きることは学ぶことだ、というのが亡父の口癖だった。しかし、当方の生きた時代は、不幸にも学ぶ意欲を失わせるような風潮で、勉強だけをやっていては生きてゆけない時代だった。
就職で上京し、ますます勉強時間が短くなった。毎日過重労働で勉強時間などとることができなかった。もっとも過重労働はみずから果した働き方のようなものだったが、指導社員はその働き方に同情されたのかどうかは不明だが、毎朝3時間座学の時間を習慣としていた。
この指導社員との3ケ月を新入社員時代にもてたのは人生の良い思い出である。本当は毎朝ではなかったのだろうが、思い出として毎朝として記憶されている。そしてマンツーマンの座学の時間に関わらず居眠りをしていた思い出が残っている。
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大学4年の時にシクラメンの香りが流行していた。だから、卒研にシクラメンの香りの合成ルート開発をテーマとした。天然物の合成ルート開発をライフワークにとも考えたりした。当時アメリカのコーリー博士がその分野で有名だったので彼の論文をよく読んでいた。
所属していたのが有機合成の講座だったので、論文を読むだけでなくコーリー博士の研究について知識として身に着けていることは常識だった。だから4年に進級してもっとも力を入れて勉強したのはコーリー博士の研究内容である。
化合物の合成経路を考えるにあたり、「逆合成」というコンセプトは有機合成以外の分野でも大変役に立つと感じた。簡単に説明すると、高校生の学習参考書にもあったチャート「結論からお迎え」という考え方である。
コーリー博士はこのコンセプトを用いて有機合成デザインをコンピューター上でシミュレーションできるようにした先駆者だ。1980年代にこの考え方は普及していくが、1970年代は先駆的な先生が大学院の講義で少し触れる程度だった。
コーリー博士の弟子による「有機合成デザイン」という書が出版されているが、それを購入したのは29歳の時で、すでに有機合成の研究をやめてから6年経っていた。無機材質研究所に留学していた時で、筑波大学の生協でその本を見つけた。
この書は期待通りの面白い本で、有機合成デザインだけでなく、その思想は実務にも生かせるような内容だった。すなわち知識の詰まった書であり専門家でなくてもそのコンセプトは参考になるだけでなく、内容を理解すればそのまま知識になる名著だった。
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界面活性剤を実務で活用するときにHLB値は一つの指標である。また、500種近くの界面活性剤を主成分分析しても第一主成分にHLB値が大きな寄与として現れるぐらい重要なファクターだ。
ただし、第一主成分と第二主成分の軸で界面活性剤をマッピングしてみると界面活性剤の複雑な機能がそこに現れてくる。すなわち同一HLB値でも界面活性効果が変わる場合が存在する、という意味だ。
溶媒に分散しミセルを形成するぐらいの話であれば、HLB値を指標にして研究していても間違いは起こりにくいかもしれない。
しかし、電気粘性流体とゴムを組み合わせて、ゴムから有象無象のブリードアウトが生じているようなカオスの状態における現象を扱う時にHLB値だけで議論は困難になる。
それではこのような場合にどうするかは、試行錯誤、すなわちやってみなければわからないのである。この、解決するためにやってみなければわからない、という言葉を頭から否定する人がいるが、そのような人は技術というものが分かっていない。
そもそも形式知だけで問題を解決できるならば、実験など不要である。実験は仮説を確認するために行う、は当方も好きな言葉であるが、当方はこのあと、但し、仮説と異なる結果がでたら、迷わず試行錯誤を行え、と部下を指導してきた。
仮説と異なる結果が出たら解析せよ、という人もいるが、解析も大切だが、技術では仮説の正しさよりも「機能」が重要で、山中先生が常識外れの24個の遺伝子をすべて細胞に組み込もうとした実験のような取り組みの方が技術開発では優先される。ノーベル賞学者でも掟破りの実験を行える勇気があるのだ。
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50年ほど前にオーディオブームは始まり、バブルとともに消えたと思っていたら、最近ささやかなブームがまた起きているらしい。以前オーディオチューナーが壊れたためにそれを探しに出かけたらヤマハ製しかなかった話をこの欄で紹介している。
インターネット端末とチューナーを兼ねた製品が販売されていることを知り、それを購入しようと思ったら、ややサイズが大きく邪魔になるので諦めた。それから2年ほど経ち、壊れていたチューナーをダメもとで修理しようとしたら、いつの間にか治っていた、という話だ。
40年前10万円以上したマイコン制御のシンセサイズドチューナーは、マイコンが暴走していたために動作不能になっただけのようだ。電源コードを外し放置している間にリセットされたらしい。ラジオマンジャックをまた聞きながら料理をしている。
骨董品と呼んでもいいようなチューナーはこうして復活したが、「さすがソニー製」と言いたくなるぐらいに良い音がしている。コンデンサーの大半はセラミック製なので劣化していないのだろう。修理しようとして40年間たまったホコリを掃除して放置しただけで復活した体験は他のデジタル機器で稀にある。
ところで、最近のオーディオ業界は、というと、まず音の出口であるスピーカーは外国勢に席巻された。スピーカーが売り物だったパイオニアはオンキョーへオーディオ部門を売却している。コニカミノルタの有機EL工場を東北パイオニアが購入しているので事業再構築中なのかもしれない。
パイオニアの事業を承継しているオンキョーは、スピーカーを振動板から自社開発しているフォステックスと並ぶスピーカーメーカーだ。最近小型の高級スピーカーを発表しているが、それがセプタープロジェクトによる、とわざわざPRしているので昔のオーディオ世代を狙い撃ちしているのは明確だ。
そのスピーカーの音は小型らしからぬ銘機と呼べるような音だが価格が高い。このスピーカーを買うぐらいならば、ギターの側板をボディーに使っている小型スピーカーのほうがよい。音の傾向は少し異なるが、価格とのバランスが良い。
スピーカーは値段が高ければ本当に良い音が聞こえてくる嗜好製品そのもので気にいらない。100万円以上のスピーカーは、スピーカーの存在がなくなり本物の音を通り越したきれいな音がする。老化した耳でもそれがわかるから不思議だ。使用されている材料や技術の価格を考慮しても本物の音が聞こえているわけではないので100万円は高すぎる。
本物でもないのに美しく聞かせて高い金を取る外国スピーカーの商売は、いくら趣味の世界でもボッタクリバーの感覚に見える(聞こえる)。
面白いのは3万円から10万円前後でそれらしい音のするスピーカーがあることだ。ただこの価格帯のスピーカーの特徴として、少し慣らし運転をしてやらないとよい音に聞こえてこない。
単身赴任したときに、展示品を半額以下まで値切り2万円前後で購入した当時新製品のオンキョースピーカーがこのごろ40万円前後のB&Wのスピーカー並みの音を出しているのに驚いている。コーンを支えているエッジやダンパーが劣化し柔らかくなってきたのかもしれない。
アンプで有名だったサンスイは長らく続けていたアンプの修理サービスを辞めてしまったようだ。デノンはいつの間にか安いスピーカーだけを扱いハイファイスピーカーの販売を辞めてしまった。また、2年前には1台だったレコードプレーヤーの商品を数種類揃えているのには驚いた。
秋葉原を歩いてみると、オーディオブームが復活してきたような雰囲気が漂っている。面白いのはカセットテープレコーダーの中古品を扱っている店があることだ。
昔のオーディオブームを支えた世代は、団塊の世代の尻尾と我々の世代までのおよそ6歳ほどの幅がある世代が中心ですそ野は20年の幅があり一大市場だ。その中心世代が退職し、年金を満額もらえるような年齢になった。
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電気粘性流体がゴムからブリードアウトする成分で増粘する現象は、技術者ならば、「この現象を解決できる界面活性剤はどのようなものか」と改めて問題を設定する。
それに対し、科学者は、「増粘現象がどのような機構で起きているのか」という問題を解こうとする。そして「機構が分かれば、対策を考えるだけ」となる。
実際に発生機構が解明できたところで、「界面活性剤では問題解決できないからブリードアウトする添加剤の入っていないゴムを開発」しようなどというばかげたテーマで当方の推進していた重要な住友金属工業とのJVの業務を30年ほど前に中断させようとしている。
もし科学者然とした本部長ではなく、交代前のU本部長ならば「添加剤の入っていないゴムで商品ができると思っているのか、大馬鹿もん」とどなったはずである。それよりも事業化を進めていたテーマを重視したはずである。
事業化テーマと研究テーマとの重要性比較ができないような経営者が日本ではいるようだ。U本部長は定年のため交代されたのだが、U本部長とM研究所長のもとで2億4千万円の先行投資を受けた高純度SiCの事業は、当方が研究開発を開始してから30年以上経過した今でも続いている。
交代された本部長が高純度SiCの事業をやめる判断までしていなかったことは、事業が無事立ち上がり当方が転職の決断をしたときにそれを引き継ぐためにプロジェクトが立ち上げられたことからわかる。
このとき労働工数の半分だけ電気粘性流体の仕事に割いてよかったと思っている。リーダーは優秀と言われていたが、本に書いてある行動しかできない人だった。
おそらく増粘現象の機構が解析できたところで、「すべてのHLB値の領域の界面活性剤を集めて、この発生機構を働かないようにするHLB値の領域が存在するのか調べよ」とリーダーが間違った指示を出したのかもしれない。
いずれにせよ間違った問題に対して設定された仮説に基づく実験が、それぞれの問題を解決するために立案され、多くの優秀な人材が投入され1年間推進されたのだろう。現象を改善できる界面活性剤を見つけるのに一晩の実験で一人の人間が鼻歌交じりに解決できたにもかかわらずである。
ドラッカーの言葉に、「頭の良い人ほど問題が起きたときにそれを解決できない」というのがある。
この言葉の説明として、{間違った問題を正しく解こうとするからだ」「間違った問題の正しい答えに意味があるのか」と説明されている。そして「何が問題か」よく考えることが重要だ、と戒めている。
すなわち、電気粘性流体の増粘という現象について、一年間かかって立派な科学論文が書かれたが、それが役立たなかったのは、発生している現象に対して間違った問題を設定して解いたからだ。
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「中日松坂大輔投手がファン投票先発投手部門で約39万票を集め、1位で選出された。出場すれば、西武時代の06年以来、12年ぶりとなる。2位の巨人菅野に約15万票の差をつけた。」
「記者会見では「1位になって、ビックリしているのが、正直なところです。選手にとっては、すごく光栄なことだと思う」と話した、とのこと。」
以上は、昨日の日刊スポーツデジタル版の情報である。このような現象は初めてではないだろうか。
当方の世代では江川氏が怪物と呼ばれたが、それほどの実績を残さず早々と引退し、芸能界でその才能を開花させている。
松阪投手については、江川氏と同じ道をたどるのか、と思っていたら、そうでもなかった。おそらくファン投票にはそのような気持ちも込められているのではないか。
誰もが認める才能ある人材が、努力を怠って期待通りの結果を残せなかった事例は山ほどある。
一方才能だけに頼って、寿命短く終わる場合や、運悪くケガをして再起できないまま引退という事例もある。
松阪投手も過去の事例の一つになるのでは、と多くの野球ファンは思ったのではないか。当方も彼の復活など信じていなかった。しかし、今期彼は泥だらけになりながらも復活のための努力をしている。
多くのファンは、それが極めて大変なことだと理解し、彼の野球にかける気合に共感したのだろうと思う。それがファン投票の結果に出たのだろう。
イチローの老体に鞭打つ姿にも感動するが、松阪投手にはイチローとは異なる種類の感動があり、今期は開幕より隠れて応援してきた。
才能は、その人個人のものであるが、それを社会で生かす努力ができるかどうかは、人間力による。
松阪投手は自分のために努力しているのかもしれないが、一生暮らすのに十分なお金があってもプライドを捨てファンの前で投げたいという真摯な意気込みは、その職業の性質として貢献の類である。
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電気粘性流体がゴムからブリードアウトする成分で増粘する現象について、界面活性剤により解決できないという間違った科学的真理が導き出されたが、イムレラカトシュの指摘している否定証明により完璧な論理展開がなされていた。
さすがに優秀な研究員が担当した仕事だとわかる、模範的な技術報告書が書かれていた。転職する直前に記念に読ませていただいたが、科学論文として素晴らしかった。
しかし、実際にはたった一晩の実験により見いだされた界面活性剤で問題を解決できたのである。論文に書かれた証明の論理に誤りは無かった。間違っていたのは、界面活性剤についてHLB値でその特性を表現できる、としたことである(注)。
これは界面科学の教科書にも書かれている形式知であり、間違いではない。しかし、界面活性剤のHLB値は、十分条件ではないのだ。同じHLB値でも界面における機能が異なる界面活性剤は多く存在する。
ただ、ゼータ電位を計測してもその差異が現れなかったりする。現物のマクロ現象だけに、その特性が現れる。すなわち、形式知ですべてが解明されているように教科書に書かれていても、現場では教科書と異なる現象が観察されることは技術の世界でよくある。
当方は好んでそのような現象を研究対象に選んできた。困難なテーマをなぜ好んで取り扱ったのかといえば、誠実真摯に現象に対応すれば簡単に問題を解けるからである。
というとかっこいいが、早い話が手間暇かけて実験さえ手抜きをせずに素直に行えば解決策が見つかるからだ。試行錯誤も一つの手段だ。ただし試行錯誤の場合には、形式知で否定されるような実験も含めすべて行うようにしている。
科学的方法が20世紀には推奨された。しかしAIが普及し始めた今日、当方が行ってきた技術的方法が重要だと思っている。山中博士は、技術的方法の一つであるあみだくじ手法でノーベル賞を受賞している。参考にすべきである。
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組織社会では組織で働ける年齢に制限を設ける必要がある。そうしないと組織の新陳代謝ができないからだ。すなわち、定年は組織社会において宿命である。ゆえに今社会全体で考えなければいけないのは、人間の寿命がこの定年の年齢よりもはるかに長くなったことである。
そこで、定年者を有効活用する企業がTVで話題になったりしているが、有効活用できる定年者が少ない、あるいは本来そのポテンシャルがあるのに有効活用されていないといった問題がある。もしこの問題に関心があるならば弊社に問い合わせていただきたいが、定年を迎えるサラリーマン個人が今すぐ取り組むべきことがある。
それは、サラリーマン人生の棚卸である。運よく出世できた人も出世できなかった人もこの棚卸を行い、自分の価値を自分でまず評価することである。そのとき組織における自分のポジションから評価してはいけない。自分の価値をいつから意識し、それを高める努力をどれだけしたかについて評価してほしい。
定年まで一つの会社で無事働ける立場にあったなら、それだけで必ずその人には何か価値があったはずである。自分の価値を勝手に決めて組織の仕事をまったくやらず会社に来て本だけを読んでいた人物を偶然部下(このような人物でも日本ではクビにできない。会社の上司を自由に選べないが、転職では部下を自由に選べないので注意する必要がある)に持った経験から言えるのは、日本の多くの組織は個人が希望し努力すれば自己実現を実践しやすい社会である、ということだ。だから自己実現努力を正しく自己評価できれば自分の価値を判断できる。
何も自己実現努力をしてこなかった、というサラリーマンは日本の社会では少ないはずだ。ただしその努力の仕方や量には個人差があるかもしれないが、ささやかなことでも良いから自分はこの点については少し努力してきた、という点について自己採点することが大切だ。
この自己採点で定年後の人生をどうしたらよいのか見えてくる。自己採点結果が全くダメでも、そのダメなところに気がつくことが残りの人生に生きてくると思っている。人生は生きている限り、死ぬまでやり直しができる。
ただやり直しの努力において加齢により生じる苦労は若い時の想像を越えるが、苦労を味わう術は若い時よりも長けているはずなので、その気になりさえあればどのようなことでもチャレンジできる。
問題は苦労を人生の中で楽しみとして捉えられるかどうかである。ただしこれはサドマゾの世界ではない。いつまでも苦労を越えたところにある夢を見ることができるかどうか、という点である。
例えば、定年後の再就職を給与の額面で決めてはいけない。このような棚卸で見えてきた自己の強みで再就職先を決めるのである。
再就職先では若い人材以上に厳しい評価をして採用しているはずで、担当する仕事や役割は明確である。そこで改めて自分の目標を設定し働くのである。
亡父は晩年体が動く限り、郵便局で働いていた。元警察官だったので十分な年金があったはずだが、交通費程度しかもらえないあて名書きの仕事をしていた。
たまに名古屋へ行ったときに郵便局の屋上から垂れ下がる垂れ幕の達筆な字をみつけると亡父によるものだったが、それで手当てをもらっていない、と笑っていた。「字を書くこと」ただそれだけに働く意味を見出したのだろう。未だにくぎの折れ曲がったような字で満足している当方にはおよそ勤まらない仕事である。交通費と給与が支払われる仕事につまらない仕事は無い。
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大学4年に進級し選択した講座は、有機金属化学(パラジウム錯体化学)で世界的な研究成果をあげていた石井研である。ただ、その翌年に石井先生が退官されるということで大学院への進学がどうなるかという心配があった。しかし有機合成化学への強い憧れから石井研を選択した。
結局大学院進学が決まってからその講座は閉鎖されることになり、その時の研究テーマを継続することができなくて、それならば、とつまらない意地からセラミックスの講座で大学院の研究生活を送ることになった。
本当は有機合成化学を勉強したかったが、大学の都合で講座が閉鎖されるとの事態になったのでへそを曲げたのである。学生が一人抵抗しても体制が変わるような時代ではなかったが、同じ講座の友人もいっそのこと興味のなかった勉強をするのも面白いかもしれない、と同じように無機の講座へ進学を決めたので、曲げたへその方向へ躊躇なく流された。
この友人はデンソーでセラミックス技術者として生きてゆくのだが、そのおおらかでゆるい人生観に共鳴はできなっかったがうらやましく感じていた。良く言えばしなやかな人生観で、打たれ強く強靭さが垣間見えて、見習いたいと思った。
大学院でセラミックスを勉強することになったのもこの人物の影響が少しある。人生において憤りを覚える事態に遭遇しても、このような人物が身近にいると悲観的な方向だけでなく楽観的な方向に少し目を向ける気持ちが出てくる。
今、日大の組織運営が問題になっているが、名古屋大学も同様で、大学院に進学する学生がいてもその希望を無視して容赦なく講座をつぶすような大学だった。この時つぶす方向で中心になって動いていた複数の先生とその講座の先生との人間関係が学生の間で噂になっていた。
また、この様なうわさは文春砲と同じで面白い話として尾ひれがついてゆく。しかし尾ひれをうわさ話から取り外しても週刊誌よりも低次元な理由である。石井研の先生方がおかしな先生ではなく誠実で教育熱心な方々ばかりであることを学生も知っていたので、噂は日大と同じようなつぶそうと画策されている先生方の人格がおかしいという内容になってゆく。
つぶそうとしている先生方の講座に所属している学生もうちの先生なら少しおかしいから学術的に高い研究成果を出している石井研をつぶしたいのだろう、と面白おかしく言うので、進学できなくて悩んでいる当方などは現実と噂の中で大学院進学そのものを悩むことになる。ゆるい性格の友人がいなければ大学院進学をやめていたかもしれない。
アカデミアの世界にこの時失望し、技術者として生きる決意をしたのだが、社会に出て学んだのは、日大の組織から見えてきたような人事というものがリーダーの好みで決まってしまう懸念である。人事を担当したならば、まず誠実真摯にその平等と公平性に務めなければ組織がおかしくなる。
有機合成化学分野をあきらめ、受験時に書いていなかった進学希望先としてセラミックスの講座を選択したのは、大学の組織運営にへそを曲げたつもりだったが、それがゴム会社で高純度SiCの企画をする下地になっていったので長い目で見れば悪くはない選択だった。
ただ当方の興味として有機合成に対する憧れがそれなりに強かったので、あの時有機合成化学に拘っていたならどのような人生だったのか後悔することもある。このような視点に立つとセラミックスの講座を選んだのはくだらない意地に見えてくる。
くだらない意地だったが、それからの40年間の技術者生活では良くも悪くも小説よりも刺激的な人生で、今こうしてこの年齢でも技術者として仕事をしているのが不思議である。ドラッカーが言うところの誠実真摯に強みを意識してどのように覚えられたいかを意識して生きる大切さを実感している。
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高分子材料の開発過程で観察される現象について金属やセラミックスと比較すると、科学的に説明できる範囲が限られているような気がしている。
金属やセラミックスでも経験知や暗黙知に頼らなくてはいけない部分も多いが、昨年末から今年にかけて問題となったようなデータの捏造が科学の進歩で安心してできるレベルになってきた(皮肉ではない。恐らく担当者の気持ちもこのような感覚を持っていたのだろう)。
ところが今でも高分子材料では、同様の捏造には高いリスクが伴う。まだ科学でうまく説明できない現象が多いからだ。高分子材料科学は、この40年間にアカデミアの努力もあり大きく進歩した。しかしセラミックス材料をかつて研究した経験から高分子材料を眺めたときに、果てのない世界に見えてくる時が今でもある。
高分子材料を真剣に研究した経験がないので、勝手な印象しか表現できないが、セラミックス材料よりも研究者の数が多いにもかかわらず、高分子材料科学の進歩が遅いのは、研究者の問題というよりも非晶質の理解が難しいことによると「感じている」。
高分子材料の非晶質部分は、すべてガラスであるが、密度の高いところと低いところがある。密度の低いところでは室温で高分子の枝が分子運動をしている。すなわち、動いている。この部分は部分自由体積と呼ばれているが、この量がばらつくと高分子の密度もばらつくことになる。
密度がばらつけば、密度の関数である弾性率や屈折率、誘電率がばらつく。弾性率がばらつけば引張強度もばらつく、といった具合に成形体で要求される高分子物性ばらつきの原因はこの部分自由体積と呼ばれるところにある。
また、高分子材料は、目標とする性能を新たなブレンドで実現しようとしたときに、やってみなければわからない点が多い。そのとき、混練のプロセシングでさえ科学で満足な説明ができない状態で、どのように材料開発を進めたらよいかは経験を頼りに工夫も必要になってくる時がある。
例えばPPSと6ナイロンを混練で相溶できる、などと教科書には書かれていない。書かれていないだけでなく、そのような現象を否定する説明が書かれている。相溶しないとされるブレンドなので、やがてはスピノーダル分解をして相分離するが、一度相溶してから相分離した材料と一度も相溶しなかった材料では同一組成でも脆さの指標である靭性が異なっている。
ゆえに混練プロセスを工夫し、相溶した材料や一度相溶させてから冷却速度を遅くし相分離させた材料、急冷しても相分離している材料をプロセシングで創り出すことが可能である。この3種の材料は、力学物性だけでなく電気特性も異なる全く別の材料となっているが、化学的組成分析では同じものである。
このような現象を一度でも体験すると高分子の材料設計では、目標とするブレンド組成について、一度組成を大きく変動させたサンプルを作ってみて自分が必要としている組成の位置づけを見てから開発を進めるといった、泥臭い方法が重要になってくる。
当たり前の結果しか出ないかもしれないが、当たり前であることも確認してから進めないと足元をすくわれる可能性があるのが高分子材料の世界である。もしこの実験で当たり前で無い結果が出たならフィーバーするかびっくりして腰を抜かすかすればよい。落胆してはいけない。
その後は、ゆっくりと落ち着いて知識の整理を行い、それから研究開発を進める姿勢が大切で、当たり前で無い結果を理解できない結果として捨て去ってはいけない。20年近く前に日本写真学会から賞を頂いた高靭性ゼラチンは捨てられていた実験結果を拾い上げた成果である。
カテゴリー : 一般 高分子
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