一辺が100個の立方体、すなわち100x100x100個の立方体の任意の一個に導電性粒子を放り込む。順次導電性粒子を乱数に従って立方体の1個に放り込み、その都度導電性粒子の体積分率と抵抗の関係を求めると、パーコレーションの曲線が得られる。
写真会社に転職してうまく動くプログラムが完成した。当時まだMS-DOSの時代であり、会社では一人1台パソコンが割り当てられていなかったので、1時間プログラムを動かしているとコンピューターの管理者に叱られた。
仕方がないのでエプソン互換機を購入し、それでパーコレーションのシミュレーションを行っていた。このアルゴリズムが面白いのは、微粒子がクラスターを生成した状態で、さらにパーコレーションを誘起するプログラムへ容易に発展させられることである。
当時日本化学会でこのプログラムを発表し、比較データとして酸化第二スズゾルのパーコレーション転移の様子を用いている。
その後、2005年に単身赴任し、PPS/6ナイロン/カーボンの配合でパーコレーションが安定化された半導体無端ベルトの材料設計を行う時にもこのシミュレーターは使われた。Wパーコレーションのシミュレーションとなったが、カオス混合による威力が示された実験結果をうまく説明できた。
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パーコレーションという現象は、数式で議論すると難解だが、コンピューターの中に立方体を創り出し、その中で微粒子がランダムに分散する様子をアルゴリズムで創り出すと、パーコレーションの過程を可視化できるので理解しやすい。
新入社員の時に指導社員からパーコレーションについて指導を受けた。当時学会でも複合則で議論されていた時代である。数学界ではパーコレーションという現象について結論が出ていた。
スタウファーのパーコレーションに関する教科書が発表されたのは1985年であり、その難解な教科書は今埃をかぶっている。Lattice Cでパーコレーションのプログラムを作ったのは1987年で、スタウファーの教科書を参考にしている。
もう少し気の利いたアルゴリズムを考えているときに、実際に立方体の中で粒子を分散させて計算する方法を思いついた。SiCセラミックスヒーターを開発した時で、微粒子を導電体にしてそれが分散した立方体の電気特性を測れば、パーコレーションを表現できる。
その後電気粘性流体を担当させられたりして、プログラムが完成したのは、写真会社へ転職してからである。どこに時間がかかったのかというと乱数の生成である。
コンピューターの乱数は疑似乱数であり、規則正しく乱数が出てくる。冗談を書いているのではない。乱数を計算するアルゴリズムに沿って乱数が出てくるのだ。ゆえに乱数の数列はいつも等しい。
ある目的には大変ありがたい特徴だが、ランダムに分散させたい時には、この乱数では困る。そこで乱数の発生の仕方をいろいろ調べたら、コンピューターのタイマーを使用する方法などいろいろあった。やはり、コンピューターにおける乱数の発生には誰もが苦労しているようだ。
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パリオリンピックの選手たちが帰国し、バラエティー番組ではその体験談を取り上げている。そこで共通して出てくるのは、選手村の食事。まずかったそうである。
まず、批判を覚悟で申せば、日本人ならば日本食の最もおいしい料理をおいしいと感じるはずである。帰国子女でもない限り、この味覚は変わらない、という実験番組を学生時代に見た記憶がある。
それぞれの分野で一流のシェフが同じ食材で料理を作って、アンケートにより序列を決める番組だったが、フランス料理は5番目だった。和食、中華、イタリアンまで順序を記憶しているから、フランス料理の5番目は、この時比較された10種の料理で特別旨いとまで評価されていなかったのだろう。
当方は、ゲテモノ料理はさすがに嫌いだが、食事に対して強い好き嫌いは無くても、フランス料理と和食との比較を聞かれたら、和食と答える。それも赤だしみそ汁がついた和食である。
筑波学園都市で1年半住んでいた経験がある。学園都市の中にはラーメン屋と街中華が多かった。フランス料理やイタリアンの高級店も1店舗ずつ存在した。ロシア料理店もあった。
これらの店に入ってみて、フランス料理店は1度しか食事に利用していない。他は出張者がいるとフランス料理店以外へ連れて行っている。とんかつ「太郎」がダントツに回数が多い。
やはり、安い和食が最高で、この店の赤だしは追いカツオが効き、旨かった。カウンター席しかなかったが、同席者に好評だった。
おそらく食べれないほどまずくは無かったのだろうけれど、フランス料理は下手な中華料理より旨くない、というのが当方の番組で語られる体験談からの想像である。
カレーライスと中華は失敗しても何とか食べられるので、単身赴任中の自炊は中華料理が多かった。時に赤だしみそ汁をつゆにした味噌煮込みうどんも作っている。これは本場赤だしを使って旨かった。もちろん追いカツオ入りである。
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コロナ禍で話題となった8割おじさんのクラスター理論は、浸透理論(パーコレーション転移の理論)の一種であり、1950年頃その原型が生まれている。
当時、サイト問題とボンド問題が議論され、それぞれの解法でパーコレーションの閾値の異なることが問題とされた。カリフォルニアの山火事の議論から生まれたパーコレーションだが、数式で議論すると結構難解である。
難解なだけでなく、その理解ができたところで、材料設計に応用するときにはさらに頭を使うことになる。企業内のプレゼンテーションで説明に使うには不適である。
8割おじさんは一生懸命説明されていたが、国民はその説明に納得したのではなく、コロナウィルスの恐怖の前に信じるより仕方が無かったのである。理論を理解して行動したのではなく、怖いから従っただけである。
しかし、もう死ぬ確率は下がり、老人以外は死なないと理解した若者たちは、8割おじさんの説明を理解しておれば7月8月は恐怖月間だったと気づいたはずなのに、マスクもせずに遊んでいる。
その結果、熱中症なのかコロナなのか分からない状態で病院に運ばれる。年寄りは少しの病気でも怖くて病院に行けなくなる。9月末に開催される再生材に関する国際会議で招待講演者となっているので収まってくれると良いが。
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とりあえず有料の予防接種を打ちに行く予定でいる。10月過ぎれば老人は無料になるが、これだけコロナが流行していると、早めに打っておこうという心理になる。
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生成系AIの登場で、あらゆる問題をコンピューターで解けるようになったのだが、ハルシネーションの問題がある。恐らくこの問題は数年で解決されるだろう。
しかし、コンピューターを上手に使う方法は、もう明らかである。人間よりも圧倒的なその能力が分かってきたからである。
但し、その能力に甘えて人間がやるべき作業まで任せてしまうと人間はコンピューターの支配下に置かれることになる。人類の未来は、やはり人間が自ら切り開かなければいけない。
そのためにはコンピューターをせいぜい友達程度に扱うべきで、人間の未来をコンピューターにゆだねるような使用法は避けるべきである。
数理モデルを使って問題を解くケースは、コンピューターを使うべき分野かもしれない。数式のモデルを立てて、その計算をコンピューターに実行させる方法は、コンピューターが登場した時代から行われてきた、コンピューターの王道の使用法である。
もう一つは、モデルを数式表現にすることなく、モデルのままコンピューターに実行させる方法がある。これは、プログラムのアルゴリズムのアイデアが重要になってくる。
例えば、群論による難解な問題でも、順列組み合わせによるモデルをコンピューターの中で作らせて、コンピューターに対称性を判断させる場合でも様々なアルゴリズムを考えることができる。
SiCのスタッキングで様々な結晶系が生成する可能性は、40年ほど前にBASIC言語で示されたが、アルゴリズムは単なる順列組み合わせで唯一のスタッキングを検討する簡単なアルゴリズムだった。
難解な群論を持ち出すこともなく、50層まで様々な結晶系が得られることが示されたのだが、数学の専門家でなくても、難解な数学が関わる問題をアルゴリズムの工夫で易しい問題となる典型例である。
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コンピューターを使って問題を解くためには、数理モデルを数式にして計算で解く方法と、数理モデルをそのままコンピューターでプログラムとして実行させる方法が知られていた。
生成系AIの登場で言語のまま、あるいは画像を使ったりして問題が解けるようになった。今のAIはSWOT分析も連関図も作ることができる。しかし、これらは自分で行うことをお勧めする。
理由は、SWOT分析にしろ連関図にしろ、あるいはそのほかFMEAなど各種手法は、その結果が重要ではなく、それらを作る過程を通してアイデアを整理するのが目的だからである。
コンピューターを使って問題を解くときに勘違いしてはいけないのは、何のためにコンピューターを使うのかという視点である。FMEAにしろ連関図にしろ人間が作ることにより、その目的と価値が生まれる。
コンピューターはそれを作るための補助的に用いるか、あるいはまったく無用かもしれないので、よく考えて問題解決していただきたい。アイデアを出したり、考えを整理したりするツール類は人間が主体となってそれを実行するときに価値を発揮する。
QCツールを正しく理解していない人が多い。ゴム会社の12年間で3人の研究開発本部長のご指導を受けたが、QCツールに対する考え方が異なっていた。
最初の本部長は、鼻であしらい現場の道具だと語られていた。二番目の本部長は研究者にも有効だと語られていた。3番目はFMEAを作ったところで品質問題は起きる、と軽蔑していた。
FMEAのようなツールは、作っておしまいではないのである。作る過程とそれを改定する努力が重要となるツールである。ゆえに作る過程でAIと相談しながら、という使い方は問題ないが、作成そのものを丸投げするのは意味がないのである。
現場の道具とか、作成しても意味がない、という評価は論外であり、QCツールの目的を理解していない。科学が生まれたのも真理を知るツールが必要だったからである。AIが常識となっても科学的活動は残る。
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ニホンオオカミの剝製を発見した論文の筆頭に小学生の名前が、という記事を読んで、小学生をサポートされた国立科学博物館主幹川田氏と山科鳥類研究所研究員小林氏に頭が下がる。
また、この二人のサポートを受けながら論文にまとめた小学生の知力もすごいと思う。ただ、当方が最も凄いと思うのは、主幹川田氏が筆頭とならず、小学生を当然のように筆頭としている点である。
それは、以下の経験からありえないことと思っていたからである。ゴム会社で30年事業として行われ2018年に(株)MARUWAへ譲渡され今も承継されている高純度SiCの合成技術がある。
この製造方法に関わる反応速度論の研究は、前駆体の品質管理(注)のため当方単独で企画から研究の完成まで行われ日本化学会で発表された。それがきっかけで某国立大学で学位授与の話を当方は頂いた。それは、電気粘性流体の開発でゴタゴタの始まった頃である。
高純度SiCの合成技術研究は1985年に終え、焼結体の研究も終えた頃で、炭素だけでホットプレスできることやヒーターの開発なども完了し、住友金属工業とのJVをスタートもしていた。
新たに就任した研究開発本部長は、JVも立ち上がり、研究開発がひと段落したのだから電気粘性流体の研究を事業として立ち上げるように命じてきた。
そこで、否定証明されて解決できないとされた耐久性問題を一晩で解決するとともに科学的にはその機構が不明だが、電気粘性流体を実用化させた傾斜機能粉体はじめ3種のメタマテリアルを開発している。
その結果、当方含め3人の研究員が転職するような事件が起きたのだが、そのようなときにありがたい話と喜んだのが甘かった。命じられるまま提出したデータを用いて、その大学の助教授が筆頭となった反応速度論の論文を当方の承諾なく出されている。
その助教授は、それまで高純度SiCの開発に全く無関係だった。その研究が完了した時でもゴム会社との接点は無かった。当方が学会発表してから、生まれた接点である。
学位を授与するためには大学との研究履歴が必要だから出した、と事後に説明を受けたが、この研究に関しその後の国際会議等の招待講演をこの助教授は当然のように当方に承諾なく受けている。
当方が転職後、この大学の他の先生から転職先からも奨学寄付金を持ってくるように言われたので、泣く泣くこの大学で学位を取得することをあきらめている。
その後、中部大学から温かい支援が得られ、学位審査料だけで学位を取得できたのだが、この経験は企業研究者の学位について問題を提起したものだと今でも思っている。
このような経験があったので、このニホンオオカミの論文の話は、大変清く素晴らしい記事として心に残った。このような若い人を育てようとする研究者が多ければバブル崩壊後の日本は早く立ち直っていたのではないか。
(注)高純度SiCの製造方法は、無機材質研究所留学中に4日間で完成している。生産もほぼこの時の研究で見出された合成条件で行われている。この時、前駆体の均一性をどのように証明するのか、課題として残った。当方は、均一素反応で反応が進行することを示すために、留学修了後、2000万円かけて、2000℃まで1分で昇温可能なレーザー加熱の熱天秤を開発し、これで速度論の研究を行い、会社から発表許可を頂いて日本化学会で発表している。ゆえにこの研究がいつどこで行われ、誰が関わっていたのかを示す証拠がすべてそろっている。時間ができたときに、当方の12年間のゴム会社における研究開発の体験を書く予定にしているが、研究の成果はどのように評価されるべきなのかについては、その体験談で詳しく書く予定にしている。
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オリンピックが終わった。理解できなかったのが、新種目「ブレイキン」。女子は、日本人が金メダルをとったが、男子は、どうみても金メダルに思われる演技だったのに4位に終わったSHIGEKIXである。
少なくとも、繰り出す技の難易度は人間業に見えないレベルで、とても当方には真似できない。それも音楽に合わせて、あたかもデジタル画像が動いているようで、不思議な世界が広がっていた。
決勝でも3位決定戦でも、相手の技よりも素人目に高度や難易度の高いものだった。体操床運動ならばウルトラX級もあった。内村航平でも音楽に合わせては、やれないだろうと感じた(と同時に、どこかTV局で内村航平との対戦を企画してみてはどうか。ブレイキンと床運動の違いが明確になる。題名の無い音楽会で取り上げても面白い。)。
おそらく、技の難易度ではなく、動きの面白さからの採点の影響が大きかったのかもしれない。決勝も3位決定戦も動きの滑稽さでは、ライバルの方が勝っていた。おそらく、ブレイキンを今後もオリンピック競技とするならば、採点基準を誰でもわかるようにすべきだろう。
フィギュアスケートも八木沼純子選手(注)の採点が低く、不満だった記憶がある。その後、この競技では採点方法の見直しがなされ、スポーツとして理解しやすい形になってきた。
ブレイキンもスポーツとして今後採点基準の見直しが行われて欲しい。オリンピックでやるからには、やはりルールが分かり易くなっていることが重要だ。
それにしても、青春時代(1970年代)ビージーズのサタディー・ナイトフィーバーが流行り、様々なストリートダンスが生まれ、やがて日本では竹の子族やお台場のダンスブームなど話題となっているが、自ら踊ることは無かった。
趣味が違ったといえばそれまでだが、音楽に合わせて踊る機会が盆踊りだけではもったいないと反省している。若い人にはその時代のダンスを踊ってみることをお勧めする。ブレイキンなど年を取ったらできない経験である。
(注)ブレークダンスが基になったブレイキンを今後オリンピック種目とするならば、スポーツの要素を明確にした採点に改めるべきだろう。フィギュアスケートもその歴史において、演目内容と採点基準の見直しがあった。日本では渡部絵美選手の国際的活躍でマスコミがフィギュアスケートを取り上げるようになり、トリプルアクセルの伊藤みどり選手の活躍で一気に火がついた。さらに華麗な八木沼選手の登場で国民的スポーツとなったが、当時採点基準が不明で、SHIGEKIX同様に会場を沸かせても八木沼選手はなかなかトップになれない。その後採点基準の見直しやその方法の公開などがあり、スポーツ観戦として楽しめるようになったが、ブレイキンも技術点などの基準を公開する必要があるだろう。メダルは取れなかったが、SHIGEKIXは八木沼選手同様に記憶に残る選手になるのだろう。
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コンピューターを用いるシミュレーションでは、科学的と思われる方法と非科学的方法とに分かれる。仮説を用いているから科学的か、というと、シミュレーションから大きく外れたり、あるいはシミュレーションできなかったりするケースが見つかる場合もある。
これは、イムレラカトシュが指摘した科学的に完璧となる否定証明の説明を読めば理解できる。否定証明以外は、皆科学的不完全性を抱えている。新帰納法などとごまかすと形式知の中に不純な真理を抱え込むことになり、形式知の体系がおかしくなる。
正しく導かれた真理ならば、それを用いて新たな真理を導き出すことが可能となるが、非科学的真理からはやはり怪しい真理しか導けないはずである。
データサイエンスは、コンピューターサイエンスとして改めて科学としての方法論の研究が始まった。科学の手法としてコンピューターを用いるときの問題が明らかにされ、その体系ができるのはいつであろうか。
生成系AIについて、その振る舞いをプログラマーさえも理解していないことをご存知だろうか。第一次AIブームと第二次AIブームで作り出されたエキスパートシステムは、特定領域のみで活躍できたAIであり、その振る舞いについて、アルゴリズムから理解されていた。
しかし、第三次AIブームで登場した生成系AIは、ベイズ統計なども用いられ、データ駆動で動作している。すなわち、その振る舞いはデータによる学習と統計によるふるまいとなっている。この結果生じる問題が意外と世間に知られていないし、声高に言う人もいない。
非科学的技術から始まった産業革命は、科学により加速され、それが登場した時に大衆には用途不明な道具、パソコンを生み出した。やがてソフトウェアーが多数組み込まれ、便利な道具となっている。
そして、コンピューターが意識されない道具も登場している。AIについて、3回に渡るブームがあり、生成系AIが登場し、産業革命の総仕上げと言われるようになった。
現在のAIは今後進化し、その能力は人類を超えると言われている。AIが人類の道具として使われず、未来を描いたSFに登場するような人類を支配する時代となるのだろうか。
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目の前の現象をシミュレーションしたい時に二通りの方法がある。一つは仮説を立てて、仮説に沿った数学モデルを組み立て、そのモデルが現象とうまく一致するかどうか証明してから用いる方法と、仮説を立てずに現象のふるまいをそのままコンピューターの中で実現するアルゴリズムを考える方法である。
両方ともコンピューターを用いるが、仮説の有無で科学と非科学に分かれる。前者は科学の方法と呼べる場合もあるが、後者は仮説が無いという理由で非科学的な方法となる。
前者の事例として、レオロジーにおけるダッシュポットとバネのモデルがある。材料の構造を仮説に用いて、ダッシュポットとバネのモデルを組み立て、その微分方程式を解きながら、数学モデルを導き出す方法は、仮説がありながらも、高分子分野では非科学的方法と呼ばれている。緩和現象をこのモデルで説明できなかったからである。
今では後者の方法の一つと見なされている。コロナ禍では8割おじさんと呼ばれた科学者が前者の方法で計算し、クラスターの予測などしていた。ただし、このときの説明を聞いていて、科学と呼ぶには大変怪しい方法であると感じていたが、誹謗中傷と誤解されるといけないのでこれ以上書かない。
すなわち、前者の方法で科学的と信じていても、マッハに従えば非科学的になってしまう場合があるのだ。AIを用いる方法も含め、新帰納法と表現されている人もいるが、無理に科学的方法としないで非科学的であると注意しながらそれぞれの方法を用いる方が悪影響が少ない。
人類が自然現象から機能を取り出すときに、その機能が科学的に完璧である必要はない。ロバストの高いことが重要なのだ。iPS細胞を創り出す方法は非科学的に考案されたが、科学の場で実績が積み上げられている。
ヤマナカファクターを見出すための最初の24個の遺伝子は、コンピューターサイエンスで見出され、そこから4本を選び出すときには、科学の禁じ手「あみだくじ方式」を採用している。あっぱれ!
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