表題の特許は、ITOが登場した時に小西六工業から出願された酸化スズゾルを写真フィルムの帯電防止層に用いた発明に関する特許である。
面白いのは、この特許1件を出願後小西六工業からは関係する特許が10年以上出願されない状態が続く。その期間に、ライバル会社富士フィルムやイースタマンコダックから金属酸化物系透明導電材料を用いた発明が怒涛の如く出願される。
富士フィルムの特許は、表題の特許は非晶質だから導電性が悪いので結晶性の酸化スズこそフィルムの帯電防止層に適している、という発明がしばらく出願されるが、ある時から一切その言葉だけでなく表題の特許までも先行技術文献として紹介されなくなる。
イースタマンコダックは、酸化スズゾルよりも五酸化バナジウムのほうが繊維状であり導電性もよいので帯電防止剤として優れている、という論調の特許が出されているが、こちらもある時から表題の特許が特許文献から姿を消す。
1992年に透明金属酸化物に関する発明を調査したときには表題の特許はその痕跡すら調査で集めた文献に見つからなかった。
表題の特許を見つけたきっかけは、特許の証拠探しである。酸化スズゾルを用いた帯電防止層を発明したのだが、ライバル特許の山の前で立ち往生したのだ。
実用化するためには、証拠を探し、その技術が他社の特許を侵害しない安全圏にあることを証明しなければならない。古いライバル特許をさかのぼること30年分調査することになった。
その古い特許1件にたまたま表題の特許の紹介がなされていた。虎ノ門まで出向き、見つけたときには、出願人を見てびっくりした。
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昨日コアシェルラテックスとゾルをミセルに用いたラテックス重合技術の話を書いた。前者は科学的に推論を進めて容易に合成できるが、後者はその現象を発見して生まれた技術、あるいは技術者が非科学的に行った実験で繰り返し再現性が確認され技術として実用化された事例である。
世の中の技術がすべて科学の力で生み出された成果と誤解している人が多いが、実は科学誕生以前から人類は後者のような技術を開発してきたのだ。だから世の中の科学技術は、科学の力で生み出された技術と、技術が生み出されてから科学的にその機能が考察された技術の両者が存在する。
後者については、科学で考察されなくても繰り返し再現性があれば十分に実用化できる。ただ技術を品質保証しようとすると、現代は科学的品質保証が推奨されるから科学で考察する必要が出てくる。
せっかく科学で考察を進めても、現場のおやじが鼻くそを丸める様な感覚で数字を丸め一丁上がりとやっている場合もある。測定で得られた数字を丸めている間は良いが、鼻くそとの区別が分からなくなって適当に書き始めるようになると捏造である。
数字を捏造した品質データでも問題が起きないことを経験すると、それが経験知として獲得され捏造が常態化する。もし世の中の技術がすべて科学で成り立っているならば、真理は一つであり、品質規格から外れた半成品を用いた次工程ではエラーが起きるはずである。
ところが、科学技術を創り上げていく過程で、昔ながらのKKD式技術開発手法を意識せず人間は取り込んでゆき、その結果非科学的な適当な経験知が許容される技術ができる。昨年末から今年にかけてメーカーの捏造や適当な品質検査が行われてその会社の社長の謝罪会見が行われたが、後工程において問題が起きたというニュースはその後報じられていない。
科学的にすべての技術が創り上げられているならば、このような場合にどこかでエラーが起きなければいけないが、非科学的な要素のところにおける前工程のエラーの場合には、後工程でそれを適当に回避する経験知を用いることにより問題解決してゆく。
ゆえに謝罪会見直後に後工程のメーカーから捏造データであっても品質に問題ない、という発表ができるのだ。もしこれが科学で厳密に制御された営みにおける事件であったなら、後工程で問題が起きなければいけない。一連の捏造事件は、技術が科学の世界だけで作られていないことを証明した事件でもある。
技術分野における人間のこのような営みの存在を研究者になる人は学んで頂きたい。研究では科学が唯一無二の哲学となる。しかしその科学は人間の営みの中で鼻くそほどの地位しかないのだ。だからと言って人類は科学を軽視しているのではない。ボーっと生きていて、すなわち科学を意識しなくても生活ができる、という意味である。
時として、その存在が気になったときには無意識にほじりだして捨てることも厭わないのである。これは中小企業の現場だけでなく、日本を代表するような企業においてでもそのような状態、というより営みである。だから声高に科学を称賛してきたのである。
ところで技術者はボーっとしていても技術開発ができるが、研究者が科学の僕となるのを忘れたときに、STAP細胞のような騒動が起きる。研究者は科学の倫理と論理を十分に理解しその枠内で活動することが求められている。科学を追求する研究者という職業は、技術者のような自由な営みが許されない世界なのだ。
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溶媒に溶質が分散している状態をコロイドという。コロイドで流動性をもっているとゾルと呼ばれ、流動性が無くなればゲルと呼ばれている。ただし、これらの用語は、科学的に厳密に定義された言葉ではないことに注意する必要がある。
ところで溶媒が水であるシリカゾルは用途が多い。このシリカゾルのシリカ粒子表面をラテックスで覆った材料がコアシェルラテックスと呼ばれる20世紀末の新素材であった。
水に分散した状態のシリカ表面で重合反応を行い、うまくシリカをラテックスで覆いつくす技術は、初めて見たときにはものすごい技術だと思った。
しかし、このシリカ粒子に一本の高分子を巻き付けてミセルとして用い、ラテックスを重合する技術を開発した時に、こちらの方がもっと素晴らしい、と自画自賛した。
シリカ粒子に一本の高分子をうまく巻き付けるのは大変である。シリカ粒子をピンセットでつまめるわけでもなく、また高分子をひものように扱えるわけでもないのである。
ただ条件さえあえばこの不思議な現象はいとも簡単に起きる。コアシェルラテックスは科学的に考察を進めれば誰でも開発できるが、シリカ粒子に一本の高分子を巻き付ける技術は、それを発見できなければ意図的に狙ってできるものでもない、とある日気が付いた。
コアシェルラテックスを合成するために必要な、シリカ粒子に高分子を吸着させる技術は、1995年頃に日本化学会で発表されている。また、表面界面のシンポジウムでも取り上げられ、そのレオロジー的挙動が議論されている。この講演を聞き、きれいに巻き付ける技術が簡単ではないことに気が付いた。
粒子に高分子がただ吸着した状態と、粒子1個にきれいに高分子が巻き付いた状態では、レオロジー挙動が異なる。また、前者はゲル化する現象も起きたりするが、後者は安定なコロイド溶液となっている。
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末は博士か大臣か、は当方の子供の頃まで大人から聞かされた言葉だが、最近は聞かない。人生はそれぞれの個性や能力に合わせて自己責任で生きたほうが幸せという子育て方針が浸透しているためだろう。
ただし大人が子供に人生の方向を例示することは子供の能力を向上するために重要と自己の体験から言える。当方は社会に貢献できる人の姿のゴールとして博士か大臣だろう、と母親に言われて育ったために博士の学位が一つのゴールとして心の中で持ち続け生きてきた。そして博士の社会的役割や貢献について真面目に考え悩んでいたころもある。
高校が受験校であり、また生徒の親が博士か大臣の人もいたので、博士と大臣の社会的役割の面白さについて博士だろうという結論が自分の中で形成されていったが、大学に入ってオーバードクターの問題や、助手と教授の能力の逆転現象を目の当たりにしてアカデミアの組織に失望感が生まれた。
最もショックだったのは研究成果を助手に頼りっきりの教授の姿であり、情けない噂であった。大学紛争の名残もあった影響か低姿勢の教授や威張っている年配の助手が多かった。教養部の学生を酒に誘い、日ごろのうっ憤を晴らす先生もいたりして、アカデミアに対する失望感が勉強に対する疑問へと変わり麻と雀の研究に精を出すことになる。
ただ子供の頃から言われていた末は博士か大臣か、の言葉は、このような環境で反省の気持ちを醸成し、教養部規定単位数の二倍を取得し進級している。授業をさぼることも多かったのに単位数を多くとろうとしたのは、良い成績を納めることよりも量を稼ぐことが簡単だったからである。また量を目指せば単位数が不足し留年という事態を防止できる。
この、ある意味無茶苦茶な学習方針は、社会人になったときの過重労働に耐えうる体力を養ったように思っている。なぜなら試験週間は寝る時間などなかった。一か月近い試験週間の毎日何か試験が入っていただけでなく、試験時間が重なっている日もあった。
試験時間が重なっていても、無事両方の単位を取得したために恐らく単位数だけは全学生の中でトップだと教務課で言われた。ただし成績は優の数になるから残念でした、と言われ学習意欲は低下した。およそ学習環境として良くない大学あるいは時代だったかもしれない。
ただ取得する必要もない哲学はじめ多くの人文科学系の勉強を単位取得のために頑張ってよかったと思っている。恐らく試験が無ければ真剣に読むことのなかったジンメルの「自殺論」や大学の哲学の先生がまとめられた「知性の歴史」など多くの知の書物に触れることができた。その結果専門に偏ることのない読書習慣が身についた。
この幅広く本を読むという姿勢は、知が関わる職業に就こうとするときには重要な姿勢の一つだと思っている。研究の仕事につけば多くの専門書を読むことになる。ともすれば専門書以外読まなくなる可能性も出てくる。
専門書以外読まなくなるとどうなるかは経験が無いのでよくわからないが、幅広く知を求める習慣は、自然現象に接したときに多方面からその現象を眺めることが可能となる知が得られる。これは経験から、確実に身につくと思っている。またこの意味において一般教養の重要性が叫ばれている最近の風潮を歓迎している。やはり人文科学はいつの時代でも必要だろう。
若い時に知の世界に境界や果てのないことを知ることは重要である。特にAIが確実に知の職業分野で活用される時代には、無限の知の世界を放浪できる特権や具体化された知を再度抽象化して新たな知を生み出す活動は、AIには期待できない、人間にだけ与えられたものだ。
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「ルートイン独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブス(BC栃木)からNPB復帰を目指してきた、前巨人の村田修一内野手(37)が今季限りでの現役引退を決断したことが31日、分かった。これまでNPB球団への移籍を模索したが、移籍期限となる31日までにオファーは届かなかった。
村田は自身を獲得してくれた恩義から、今季いっぱいはBC栃木でプレーする意向。レギュラーシーズン最終戦は9月9日のBC群馬戦(小山)の予定。1日には栃木県内で会見を行い、自身の言葉でファンへの感謝を述べる。」
以上は昨日スポーツ新聞デジタル版で見つけた記事である。打高投低のBCリーグではあるが42試合に出場し、打率3割5分2厘、9本塁打、44打点と全力プレーをみせ、結果を残している。
松坂世代初の名球会入りとなる通算2000安打まで、あと135本なので12球団の何処かが村田獲得に動くと思っていたが、プロの世界は個人の成績など関係ないようだ。
一方で、巨人時代の村田選手の評判は横浜時代同様に良くなかったようだ。特に幹部の評判が悪く、巨人を退団するときに他球団へ村田選手をとらないように働きかけた、というニュースも一部流れていた。
サラリーマンでは上司に睨まれると幾ら能力があってもつぶされたり、左遷されたりと言った話をよく聞く。また当方は上司に恵まれなかったサラリーマン人生だったが、ゴム会社では経営幹部の方に大切にしていただき、高純度SiCの事業を残すことができた。
また写真会社早期退職後、最初に声をかけてくれたのはゴム会社で、講演とちょっとしたコンサルティングを行っている。初仕事を提供していただいて大変うれしかった。サラリーマン社会のほうがNPBより温かいのだろう。
村田選手のプロ野球の実績は平均以上ではあったが、落合選手ほどではなかったのかもしれない。落合選手も一部幹部に評判が悪いといったニュースが流れていたが、40歳過ぎまでプレーするとともに監督も務めている。
それだけ落合選手の能力が高かった、と言えばそれまでだが、村田選手と落合選手と比較したときに負けていると思われる点は、個性の強さだろう。
村田選手はどこか中途半端なところが見え隠れする。例えばファンに見えている姿から幹部の評判についてここまでの悪さは想像できない。チャンスに弱いのは少し気なるが。
一方落合選手のあの「オレ流」は幹部から嫌われたとしても理解できる。ただし、「オレ流」には頼もしさと信頼性も伝わってくる点があるように思われる。
少なくとも数字ではそれなりの実績があり、またまだ現役として活躍できそうな選手でもクビになる、というプロ野球の厳しさは理解できた。
ただプレーオフ進出に向けて代打要員としてでもとるべき球団があったにも関わらず、再就職がかなわなかったプロ野球の現実には、少し失望した。
また村田の背番号を引き継いだ筒香選手が横浜で頑張っているように、どの球団も若返りが行われており、村田選手にとって厳しい時期ではある。
そのような時期ではあるが、どこか彼の殿堂入りを助けようとする球団が現れてほしかった。身から出たさびと言ってしまえばそれまでだが、仮に優等生ではなかったとしてもまだ活躍できそうな選手を干すところをファンに見せてほしくなかった。
原元監督はマスコミの前では温かい言葉を村田選手にかけていたようだが、見かけによらず冷たかったようだ。おそらく中村選手同様にNPBから追い出されるのだろう。お疲れ様、村田選手。
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「何が問題か」というのは、ビジネスで発生した問題についてクライアントが相談に来たときにドラッカーの発する常套句だった。すなわち、クライアントが相談で取り上げた問題について、それをそのまま鵜呑みにせず、正しい問題を探すことをクライアントに求めていたのだ。
また、優秀な人が成果をあげられない理由を「間違った問題を正しく解いたこと」が原因としている。とかく問題が発生すると目の前の問題をすぐに解決しようとアクションを起こす人がいるが、問題解決において、まず正しい問題を見つけることが大切である。
そもそも企業で発生した問題の認識は立場や役割により様々に変化する。これがよくわかっていない人がいる。問題を説明するときにドラッカーのような人物に対してはどのように問題を説明しても聞く側が問題の説明者と自分の認識を配慮しながら説明を真摯に聞いてくれるが、多くの場合には問題の説明の仕方などを工夫しないとうまく問題の内容が伝わらない。
とんでもない人の場合には、すべての問題は自分に関係ないと認識する。このような人の決まり文句として、問題を相談したり報告しに来た人に対して、したり顔で、「あなたの役割はその問題を解決することだ」と回答する。
これは問題に対して当事者意識が欠如しているからだが、心当たりのある人は「問題が存在している状態は自分に責任がある」と考える習慣にすると当事者意識を育てることができる(ただし反省できたときであるがーーー)。
正しい問題にせよ間違った問題にせよ、何か問題が存在する「状態」は、全員に責任があるのだ。仮に問題の内容が直接自分に関係ないと思われたときでも、それを放置しておくとやがてその問題が変質し、自分にとって大きな問題になってしまうこともある。
問題を正しく認識する力を養うには日々発生する問題について他人の問題とすることなく、問題の存在することをまず問題として認識し、そこで正しい問題を考えるという習慣を身に着けることだ。
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健全な組織における議論で自分の提案したい内容に注目を集めたいならば、「怖い怖い戦略」が有効である。これは社内で常識となっている見解では問題が解決せず、大きなリスクが発生する、だから新しい見解を受け入れなくてはならないと論理展開する手法である。ところが不健全な組織でこれを行うと排除される。
ドラッカーは異なる見解にこそ注目せよ、と著書の中で大企業の会議で見られる無難な会議進行に警鐘を鳴らしている。「怖い怖い戦略」はそれを狙って「異なる見解をクローズアップ」する戦略であり、健全な組織ではメンバーがドラッカーのごとく思考を展開するのでこれがうまくはまる。
ところが、不健全な組織では、「異なる見解」で取り上げている「問題」について当たり前のロジックを用いて覆い隠してしまい、問題に対する組織メンバーの感覚を麻痺させる弊害以外に、「異なる見解」を述べている賢者を悪と決めつけ、組織から排除するように動く(注)。
ロジックを重視する科学の生みだしたこのような弊害は、誰もが認める「当たり前のこと」と「指摘された問題」とを巧妙にロジックでつなげ、ほとんど内容のない見解を作り上げ、論理的ゆえに正しい「ごもっともな見解」として認めさせてしまう習慣を生み出した。
実は日々の平穏な議論の中で「異なる見解」なり「発生したささやかな問題」を提案したり、発言したりするのが難しい時代になってきており、その結果政治で流行語となった忖度があらたなスキルとして重視されるようになった。
すなわち、会議の結論はあらかじめ予想され、その結論に合わせ忖度し論理的に発言することが有能な人材として評価される時代になってきたのだ。これは企業の意思決定において重大なリスクである。
例えば、現場の品質評価でスペックに外れた計測値が一つ出たが、それは過去の特採では合格値だったとする。熟練者であれば、捏造せず、計測値の横に参考値と書くか、過去の特採実績値と記載し、それを平均値をとるときに外して平均し、品質データとして仕様書に記載する方法を選択する。
この書類を見た係長は、外れた計測値の存在を品質会議で報告し、そのロットを出荷する判断を下したことを上司へ報告する。これが定常的になり、現場の担当者が世代交代したときに、データねつ造が発生しやすい。担当者のデータねつ造を知った係長がこれを問題として報告するのか、ローカルで処理し、上司には忖度で切り抜けるかは、組織風土による。
小さな異論でも丁重に扱う風土であれば、係長は前者を選択するが、組織の葛藤を見下し無難を良しとする風土では、上司に忖度し捏造の実態を耳障りの良いロジックで組み立てて報告するだろう。
異なる見解や問題は日々の活動で出てくるのは当たり前、とせず、忖度やロジックによる気持ちの良い報告だけを歓迎する風土では、データねつ造のようなリスクは高まることになる。ドラッカーが異なる見解にこそ耳を傾けよ、といったのは至言である。
(注)A社とB社が契約し、B社はC社に一部その仕事を委託している場合に、C社の意思決定がA社に影響を与える場合がある。それをB社はA社に相談したときに、「B社の責任でA-B間の業務がうまくゆくようにするのが当たり前の業務の進め方だ」と一方的に決めつけB社の相談を退ける発言は、例えロジックで正しくても正しい問題解決法ではない。契約内容如何にかかわらず、まず相談内容を吟味し、その問題がどのような影響を生み出すのか、A社はそれなりの手順で判断しなければいけない。A社のリスク管理の視点では、契約対象になっていないC社の状況について相談したB社の見解を退けるのではなく感謝するのが正しい。これは社内の部門間の問題でも同様で、議論の結果業務の進め方について結論を出すのが正しく、相談内容について議論を行わず形式的に結果を出すのはリスクを高めることになる。A社とB社が契約状態にあるときに発生した問題については、例えそれがどちらかの内部事情であったとしても両者共有し問題解決に当たることが重要である。問題が解決されたことを関係者で確認するきめ細かな運営ができておれば、データねつ造問題や非検査員による車両検査の問題を防げたはずである。問題が発生しているときに「責任が無いから自分たちは関係ない」とする姿勢は、例えロジックが正しくともリスクを抱えることになる時代である。「問題の存在」は責任の有無とは無関係で「存在」が全員の問題であることが理解できない管理者は失格である。「問題のない状態を維持する」責任は、事業に関わる全員が担っている認識が正しい。
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経営に関わる日々の会議では、形式通りの議論で当たり前の発言がなされ、それでおしまいとなる。また、技術開発の現場において、部門間の調整会議でも同様の光景が見られる。計画通り業務が進んでいる場合には、これで良し、と考えておられる方が多いためだろう。
逆に、少しでも異論を唱える様な人物が現れたときには、異論がおかしいことを指摘し、当たり前の見解をロジックでつなげ、異論の真意を考えることなくそれを封じ込めたことで悦に入る管理職もいる。
しかし変化の激しい今日において、当たり前の発言だけで会議が終わっている状態はリスクが高まってゆくと警戒しなくてはいけない。ロジックの正しさよりも、その報告内容によく耳を傾けなくてはならない。
例えば、昨年暮れから品質データの改ざんや無資格検査員による車両検査の問題が相次いだ。事件の内容から考察すると、現場担当者が自分だけの判断で実施したとは考えられない。必ず係長クラス以上まで問題が提案されるなり、少なくとも上位職者との相談がなされていたはずである。
無資格検査員に至っては、人材配置の問題も関わるので、部長クラスまでその問題を把握していた可能性が高い。部長クラスまで関わっておれば会社ぐるみと指摘されても申し開きができない状態であり、そこで社長の謝罪会見に至ったのだろうと思う。品質データの改ざんも同様で一回や二回ではなく常態化していた体制があったのだろう。
大会社で働いた、あるいは少し大きな組織で働いた経験があれば、このような問題が起きる原因を容易に推測できるだろう。しかし、それ以外の方には、どちらかといえば信じられない事件かもしれない。
大きな組織になると業務がルーチン化されているケースが多い。ISOなど取得しておればそれに準じて業務が行われていることが原則になり、少し小さな異常が発生したぐらいでは是正措置が面倒になる。その結果、阿吽の呼吸を生みだす土壌ができる。
あるいは、異常を異常と報告しない忖度ができることを有能と評価するようになる。阿吽の呼吸はマニュアルに書かれていないから、熟練者が大量に退職したときにその呼吸に乱れが生じる。また、忖度は記録として残らないから伝承もされない。
団塊の世代が大量に退職した、まさにその時一連の謝罪会見が行われているのだが、原因をそれだけで捉えていたならば、今後も同様の謝罪会見をしなければいけない可能性が高い。阿吽の呼吸が生まれる土壌そのものを改革しなければ根本的な問題改善にはつながらない。
1980年以降ロジカルシンキングやビジネスロジックなどの研修がもてはやされ、会議も含めた会話はロジックで行う習慣ができ、ロジックに間違いが無ければそれでよし、という冷静に考えればお粗末な習慣で日々の経営なり運営がなされている。
ところが、このような習慣が阿吽の呼吸と同じリスクを抱えていると捉えなければいけない時代になった。換言すれば、ロジックが普及した結果、ロジックから外れた提案なり問題をリスクとして捉える感覚が鈍感になってきたのだ(続く)。
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高純度SiCを初めて合成した時に経験した還元炉の暴走原因は結局不明のままだった。暴走現象を再現することもできなかった。しかし、当時パワー半導体用ウェハーの原料にも使用可能な高純度SiCが簡単に得られた実験結果は、セラミックスフィーバーという時代背景を考慮すると無機材質研究所においてSTAP細胞と同様の衝撃だったはずである。ただ無機材質研究所長はじめ研究所の方々は冷静に対応され、機密扱いとされた。
またSTAP細胞の発見と異なるのは、還元炉の暴走で偶然得られた温度パターンは、温調器にプログラミング可能で、簡単に温度パターンを再現でき、その温度パターンでポリエチルシリケートとフェノール樹脂で合成された前駆体を処理すれば容易に高純度SiCを合成できた点である。これは十分に実用性のある経済性の高いプロセスだった。
ゴム会社ではこのプロセスを実用化するためにファインセラミックス研究棟の建設を始めている。そして11月に当方は社長に呼ばれプレゼンテーションを行っている。その場で2億4千万円の先行投資を受け、学位論文にもなった速度論解析実験に使用するための超高温熱天秤(SiC前駆体の品質管理に使用した)を開発したり、10kg/日で高純度SiCを製造可能なパイロットプラントも建設することができた。
怪奇現象と言ってもよいような条件で得られた数十ミリグラムの高純度SiCを合成できたおかげで、研究棟の建設や先行投資が得られたことは、この現象以上に驚くような展開だった。ゴム会社入社以来の夢が半分実現した。
実は、無機材研留学のきっかけとなったのは、ゴム会社創立50周年記念論文で応募したことである。この時、ゾルゲル法で高純度SiCを合成し、Siに代わる耐熱半導体を発明するなどの夢を描いているが、論文は佳作にもならずボツとなっている。ただこの論文のおかげで海外留学の機会が得られ無機材質研究所へ留学している。
この論文をさらにブラッシュアップし昇進試験(あなたが推進したい新規事業シナリオをのべよ、というのが問題だった)の答案として書いて0点を頂き、昇進試験に落ちるのだが、落ちたおかげで、高純度SiCの技術について実験する機会ができた。
この実験では還元炉の暴走で最適温度パターンが偶然得られるとともに高純度SiCもたった一回の実験で得られている。さらにこのたった一回の実験で得られた粉末のおかげで、事業化の決断がゴム会社でなされ、35年以上も続く事業が生まれた。
ゴム会社の入社面接では、あっと驚くような技術を開発し新事業を起業することが夢と語っている。そして入社後はその夢に向けて活動をしている。FD事件のため住友金属工業とのJV立ち上げまでしか推進できなかったが、夢を描き努力することでそれが実現することを体験できた。
人生とは不思議なもので、高純度SiCの事業をスタートできるまでは腐ってもよいような出来事ばかりだった。ただ逆境において常に会社への貢献と自己実現を軸に判断し、前向きに努力したところ、成功しても報われることのない夢を実現できた。FD事件では、被害者の立場であったが早期終息をするために退職を決断している。
この時セラミックス関係の会社へ転職する道が輝いていたが、あえてそれまでのスキルやキャリアを捨てて高分子開発を業務とする会社へ転職する道を選んだ。その結果、新入社員テーマで指導社員と約束したカオス混合の実用化を定年間際に成功できる幸運に恵まれたが、このカオス混合の成功でも定年で退職したためサラリーマンとして何も報われていない。ただし、科学で説明できないような現象と遭遇し、どちらかといえば楽しかった会社人生である。
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お化けは夏の風物詩である。お化けの話でもして気分だけでも涼しくなりたいが、今日ここに書く話は35年以上前に実際に起きた現象であり、当方一人だけでなく当時の無機材質研究所でも少し話題になったできごとである。
無機材質研究所へ留学して半年ほど過ぎた10月1日に人事部から当方へ電話がかかってきた。8月に実施された昇進試験に落ちた、という連絡だった。昇進試験には高純度SiCの事業シナリオを解答として書いていたがそれが0点だったという。横で電話を聞かれていたI総合研究官は、当方のモチベーションが低下しないように、一週間だけ自由に研究できる環境を用意されて、当方に挽回のチャンスを作ってくださった。
一日目に、ゴム会社の研究所へ出向き、フェノール樹脂とポリエチルシリケートを用いて10種類ほど高純度SiC前駆体を合成した。2日目はこれを無機材質研究所の還元炉で炭化した。3日目はこれらを分析し、前駆体中のシリカとカーボンの比を大きく4水準変化させた条件となる4種類の炭化物を選んだ。
そして、4日目に4種類の炭化物を無機材質研究所に納入されたばかりの新品の還元炉にセットし、SiC化の反応を行っている。還元炉の制御はすべて無機材質研究所T主任研究員が設定してくださった温調器のプログラムで行われた。1500℃まで順調にプログラムは動いていた。当方は実験がうまくいくように、還元炉の前でただ必死でお祈りをしていただけだった。
突然1600℃30分保持する条件に達したところで電気炉は暴走し始めた。慌ててT主任研究員に電話をしたところ非常停止をするように指示を受けた。非常停止ボタンを押したときに温調器の指示は1800℃になっていた。しかし非常停止された電気炉は、無事温度が下がり始めた。
T主任研究員が実験室に到着されたときに電気炉の温度は1600℃近くまで下がってきた。T主任研究員は、電気炉のスイッチをONにして異常を調べ始めたところ、温調器に異常は起きておらず、1600℃保持の動作に入った。その後、2時間ほどT主任研究員と電気炉を観察していたが何も異常は起きず、プログラムは終了し還元炉は冷却状態となった。
5日目の朝、電気炉をあけてびっくりした。ちょうど化学量論比となる炭化物前駆体の入っていたカーボンるつぼに真黄色の高純度SiCができていたのだ。I総合研究官もT主任研究員もびっくりして「一発で高純度SiCが得られたのは世界で初めてだ」、と言われた。
ここで3人がびっくりしたのは高純度SiCが得られたことだけでなく、それが偶然温調器が暴走して得られた事実である。すぐに還元炉メーカーの技術者に依頼し、還元炉の調査をしていただいたが、何も異常が無く、その後同様のプログラムを3回動作させても安定に制御されて動いた。
なぜ、還元炉が暴走したのか、安全委員会でも問題となった。また、その後の実験でこの暴走したために非常停止をかけ、テストのために再度電源を入れたりして偶然得られた条件が高純度SiCの合成条件として、もっともよいことがわかって、その不思議さが話題となった。
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