若いころの愛用のカメラはペンタックスMEとMEスーパーである。後者は10年近く使い続けた。ゴム会社に入社し結婚するまで使い続けたわけだが、結婚を機会にペンタックスSF-Xに買い替えた。ペンタックス初のボディー内自動焦点カメラだが重かった。
ペンタックスを使い続けた理由は、交換レンズの価格が安かったからである。また、安いだけでなく、写りも立体的でそこそこ性能が高かった。写真は三次元を二次元画像として記録するので、レンズにより立体感が決定される。
最近ボケ描写が注目され、各社からボケを特に美しくしたレンズの新製品が出てきたが、ペンタックスのレンズは昔からボケに特徴があった。今のような美しいボケというよりも階調の細かくなだらかなボケで、ややにじみもあった。これにより画像が立体的に見える。
ニコンのレンズのように、レンズ特性の数値がずば抜けてよいわけではなかったが、銀塩写真の時代には、十分な性能だった。ニコンとペンタックスの一眼レフカメラを使うようになって、このレンズの個性に興味を持つようになった。
ペンタックスの古いレンズには、とんでもないレンズが存在し、このレンズで撮影するとフィルターを付けなくてもなぜか光芒がきれいに映る。ただし、このレンズは絞り開放で用いるとやたらうるさいボケになり、明るいレンズであるにもかかわらず、絞り開放では使い物にならないレンズだ。
しかし3段ほど絞り、接近して撮影されたポートレート写真には、他のレンズでは味わえない独特の味が出てくる。さらに絞ると、あたかもニコンレンズのようなカリカリの描写になる。
どうしてこのようなレンズが開発されたのか知らないが、一応当時の高級レンズの一つスターレンズである。おそらく今のレンズ評価の視点ではできそこないの評価になるのかもしれないが、デジタル一眼レフにも取り付け、時々その画像を楽しんでいる。
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当方の子供の頃はモノクロ写真が中心で、記念写真がカラー写真になったのは、中学生のころからである。いわゆるオリンピックをカラーで見ましょう、とTVのカラー化が進むとともに、銀塩写真もカラーフィルムが普及し始めた。
写真が趣味の父親が当方を被写体に写真をよくとっていたが、カラーフィルムは値段が高いために、カラーが普及しはじめても、小学生の頃の写真はすべてモノクロである。
カラーが中心になったのはコニカ一眼レフカメラが我が家のメインカメラになってからである。当時は、壁掛けテレビが夢のテレビとして語られることがあってもカラーフィルムが使われなくなることなど考えもしなかった。ゴム会社から転職したときもデジタル化が始まった時代であるが、カラーフィルムの情報量をみると、これが使われなくなる時代など退職後と思っていた。
しかし、あっけなくフィルムカメラの時代は終わり、いまやデジタルカメラの時代である。そのデジタルカメラも性能向上が著しく、一眼レフもミラーレスカメラに置き換わりそうな勢いである。コンデジのミッドレンジクラスまではカメラ付き携帯にとって代わられ、カメラ業界は大変な戦国時代となった。
いつかはニコン、と思いつつも、ニコンカメラは高かったので、学生時代に買ったカメラはペンタックスME。以来ずっとペンタックスを愛用してきたが、デジタルカメラの時代になり、最初に購入したデジイチはニコンD2H。ペンタックスのデジイチの完成度が低かったので思い切ってニコンへシステムを入れ替えるつもりだった。
しかし、ニコン独特のカリッとした写りに戸惑った。フィルムカメラのF100も同時に使用してみたが、フィルムもやはりカリッとした描写である。ポートレートはペンタックスレンズの描写を気に入っていたので、結局ペンタックスD10、D20、D7と買い続けることになり、技術革新の波の中で出費が嵩んだ。
今ソニーのミラーレス一眼が注目を集めている。ソニーのカメラ技術の半分は、旧ミノルタの技術陣である。旧ミノルタは自動焦点一眼レフのパイオニアである。また、その昔木陰で水着に着替えるCMがヒットしたように、ポートレート描写には、いわゆるボケ描写には定評のあるレンズの会社である。一眼レフカメラの首位が入れ替わるかもしれない。
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夏の風物詩の一つにお化けがある。未だお岩さんのようなお化けには遭遇したことはないが、信じられないお化けのような現象には多数出くわした経験があり、それに何度も助けられた。
高純度SiCの開発では、無機材質研究所で納入されたばかりの新品の電気炉を使える幸運で必ず成功させようと意気込んだ。ところが研究所の先生にすべて運転条件を設定していただき実験を開始したところ、突然電気炉が暴走し瞬間的に温度が1800℃を超えた。慌てて緊急停止を押し、担当の先生に電話をかけた。
一方でサンプルがもったいないから手動で運転できないか考えた。プログラムコントローラーを見ると1600℃保持に入っていたので慌ててスイッチを入れたところ、うまくプログラム通り動き出した。
翌日サンプルを取り出したら、真っ黄色の高純度SiC微粉ができていて驚いた。電気炉の暴走原因は不明で単なるPIDの問題ではないか、とも言われたが現象を再現できない。一番不思議なのは、その時の温度パターンが微粉を作るためには一番良かったことだ。これは今でも不思議な現象と思っている。
もう一つ、電気粘性流体の開発を手伝っていた時に、傾斜組成の粉体を偶然開発できた話。詳細は省略するが、できたらいいね、と同僚と話していたら一回目の実験でベストの粉体ができた。電子顕微鏡で組織観察しても傾斜組成になっている。なによりも驚いたのは、その粉体を用いたら応答性がよく効果の大きい電気粘性流体ができたことだ。
その後、FDが壊れたのだが、こちらはお化けではなく明らかに人為的な出来事だった。お化けであってほしかった事件である。お化けはこの世に未練があって出てくるものだと教えられたが、人間の物事に対する執着心は、まったくないよりもあったほうが面白い人生になると思っている。ただし執着心を恨みに変えていてはみじめで、執着心を前向きに転化する努力が重要である。
当方は高純度SiC技術に対する執着心ゆえに写真会社で同様の一発を狙ってきた。しかし、その一発は全員から祝福されるような仕事を狙っていたが、これが結構難しい。すなわち組織で仕事を行うときに組織が必ずしもイノベーションを望んでいるとは限らないからだ。
しかし単身赴任して担当したPPS転写ベルトでは、少なくとも豊川周辺の事業所に勤務していた全員がその成功を願っていた。外部からコンパウンドを買って開発を進めていた仕事を商流の形式を維持したまま成功させたのだが、これは組織の都合で内製化できない状況だったからだ。
この仕事では子会社の敷地を借りてコンパウンド工場を立ち上げ、子会社からコンパウンドを購入する商流を作り上げた。おそらくそれまでコンパウンドを納入してきた会社にとって突然現れたお化けのようなライバルに見えたかもしれない。基盤技術があったとしてもコンパウンド工場が立ち上がるまでは一年以上かかる。ちなみに国内の大型の二軸混練機は発注から納入まで一年程度かかる。それが半年以下で工場がたちあがったのだ。
この仕事では、初期にお岩さんより凄いお化けが出た。統合したカメラ会社の倉庫にあった小型二軸混練機でコンパウンドを製造し、押出成形を行ったところ、ぶつぶつがいっぱいできたベルトが出てきた。実はこのお化けのようなベルトが最初に出てきてくれたおかげでコンパウンドが押出成形に与える影響を学ぶことができた。運がよかった。
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二軸混練プロセスでカオス混合を初めて実用化したプラントを開発したときのメンバーは、朝昼晩とマイカーの中でパイプをふかす習慣がありサングラスをかけて仕事をするちょび髭の退職まじかのオヤジと転職したばかりの若者、そして当方の3人である。グループの運営その他を部下のマネージャー二人に任せて、半年間専念し、立ち上げた。
実は開発を始めた時のメンバーは、エリートに見えそうな優秀なメンバー二人だったが、一か月もしないうちにメンバーを入れ替えた。転職したばかりの若者にはかわいそうな仕事だったが、右も左も分かっていなかったので、グループリーダーの当方についてくる以外に道はなく、当方は職位のパワーを十分に発揮できた。
退職まじかのオヤジはグループ内で仕事をよくさぼっていたが、腕は確かだったので運を天に任せるつもりで引き抜いた(?)。このオヤジは案の定最初の一か月近くは、指示しなければ仕事をしないだけでなく、若者に自分の仕事をやらせていた。しかし、その様子を見ていて気がついたのは、さぼっているのではなく指導しているようにも見える。
そこである日このオヤジに若者の指導を任せるからと言って、開発メニューの全貌を説明したところ、「金もなくできるかどうかわからん仕事をよく進めますな」と言った。少しどきりとしたが、「だから土日は東京でK社と生産用混練機本体の開発を進めるが、これは予算を確保するまで秘密だ」と説明したところ、「よし、倉地さんを信じましょ」と言ってくれた。翌日からオヤジのサングラスの下の表情が変わった。
開発は半年しかない短期決戦で、さらに基盤技術も無い混練プラントを格安の価格にするためすべて手作りに近い立ち上げ作業だった。メンバー二人の頼りにしていたのは、当方がゴム会社で12年勤務したキャリアだった。当方はその大半をセラミックス技術開発の仕事をし、高分子の知識は写真会社で独学で身に着けただけだが、それを隠した。一流のゴム会社の看板の凄さを体感した開発だった。仕事は順調に進み、一億円もかけずに無事プラントは立ち上がった。
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高分子材料では教科書を読んでみてもよくわからない現象に頻繁に遭遇する。面白いのは、よくわからない現象なのにわかっているように話す人がいることだ。否定証明についてこの欄で以前紹介しているが、否定証明を得意としている人も同様である。どうして簡単にできないと否定できるのか不思議に思うことがある。
確かに目の前の現象を見ている限り出来そうもないことはよくある。諦めて他の手段に移ったほうがよい時には、当方でも潔く他の手段を検討する。しかし現象は出来そうもないように見えるが、他の現象との比較でできてもよさそうな時には、暇を見つけては再度チャレンジすることが時々ある。
昔熊本大学上出先生とこのようなお話をして意気投合したことがある。上出先生によればTACの良溶媒はアセトンであるが皆この話を信じないという。実際にTACをアセトンで溶解しようとしてもうまく溶けない。しかし圧力をかけてやると簡単に溶ける。そして一度溶解すると安定である。
これを実際に体験すると確かに上出先生の言われていることは正しいと納得できる。しかし、普通にただアセトンに分散し攪拌しただけでは全然溶解しない。
話は変わるが、同じPSでも一般のPSとSPSでは接着性が全く異なる。PSに簡単に接着したラテックス薄膜をSPSにくっつけようとしてもうまくゆかない。これを体験すると結晶化度の高い高分子は接着が難しいという経験知が身につく。
PPSの中間転写ベルトを担当した時に、端部にガイドテープを接着する話題が出た。PIベルトに用いていた接着剤ではうまくくっつかないという。そこでいろいろ試してきたがよいものがみつからないという。しかし、当方が開発したPPSベルトは6ナイロンが相溶したPPSなのでアモルファス相が多いはずで、接着しやすいと思われた。当方が過去に検討された接着剤を塗ってみたところ、うまく接着した。
そこで、当方の開発したPPSでは非晶質相が多いので接着には有利だ、と担当者に説明し再挑戦を促したところ、やはりくっつかない、という。当方が試みた接着剤と同じである。ただ異なるのは接着剤の塗布の方法だ。ここはノウハウになるので詳しく書けないが、当方がやった方法を伝授したところ、やはりうまく接着した。高分子材料ではこのような話がよくある。大抵はノウハウになっているので書きにくい。
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自動車の未来について、二年前のモーターショーでは水素を燃料とする燃料電池車が本命のように展示されていた。しかし昨今の状況を見ていると燃料電池車が必ずしも本命ではなさそうだ。ただ電池というキーワードだけは確実で、すでにEUでは30年後にガソリンエンジン車を禁止すると言い出した国も現れている。
昨日未来を予測するのが難しいようなことを書いたが、電池というキーワードが確定しているので電池を動力のエネルギーとして用いるときに必ず必要な周辺機器に着目すればかなり確度の高い未来予測をすることができる。
自動車の安全運転とAIとの関係においてもやはり未来予測は易しいだろう。さらにレシプロエンジンが無くなれば車のデザインも大きく変わる。また動力がモーターになるので車の設計も変わる。
このように考えていくと、自動車の未来技術の概要を描くことができ、それをもとに今研究開発に力を入れなければいけない分野が見えてくる。そしてドラッカーが言っていたように今起きている変化を整理すれば具体的なテーマが見えてくる。
例えば高分子材料分野では、PPSというエンジニアリングプラスチックの市場が急成長している。例えば東レは韓国工場を稼働させ、中国のローカル企業のリニアタイプPPS合成工場も立ち上がった。
ところがこのPPSという材料は、結晶性樹脂で脆い材料だ。おまけに射出成型をすれば、ウェルドの問題が出やすい。また表面状態が悪い成形体になるなど問題が多い。このPPSの問題を解決でき、PPSの物性を損なわない添加剤は開発テーマになり、いくつかは特許が公開されているが、満足な添加剤が無い。最近弊社では従来にない画期的な添加剤を開発し、特許出願を行った。もしご興味のある方は問い合わせていただきたい。
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東レなど一部の大手メーカーは10年後の未来に向けて基礎研究部門で研究開発を行っている。しかし企業で基礎研究から事業を育てるには相当の体力がないと今の時代は難しいと思う。投資効率を考えると、アカデミアとの産学連携が好ましい。しかしどのようなテーマをアウトソーシングするのかが問題になる。
一方でドラッカーの提唱したオープンイノベーションも活発に行われているが、こちらは長期戦略の視点であまり活用されていない。どちらかと言えば今の技術開発に知恵が必要だから助けてください的な活用のされ方だ。
最近の話題で重要なのはAIの台頭で、20年後には今から想像もつかない仕事に40%の若者が就職している、とも言われるようになった。ドラッカーも誰も見たことが無い未来が始まる、とその遺作の中で述べているが、20年後の社会を予測するのは難しいと言える。
20年後が難しいのなら10年後は易しいのかというとこれまた昨今の変化を見ると20年後同様に難しそうだ。日本の政治の世界では来年さえも不透明になってきている。このような状況で企業の基礎研究部門の運営は相当難しく、かつてのようなマネジメントでは猫の目のように毎年組織改正をしなくてはいけない状態だと思う。
面白いことに、ドラッカーは誰も見たことのない未来が始まると言いながら、その未来を見通す方法をその著作の中で述べている。ドラッカーを高校生の頃から読み始めたが、その未来を見通す眼力には敬服している。40年以上前の著作に書かれていた知識労働者の時代になっているし、書籍のタイトルになっている各世代ごとに断絶の時代でもある。
すでに基礎研究部門の将来シナリオを描けている企業は当方に興味はないが、もし描くのに苦労しているところはぜひご相談ください。どのような未来像を描いたら良いのかご指南いたします。
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1980年代に起きたセラミックスフィーバーは、セラミックスとは無関係の企業も巻き込んだイノベーションとなった。ゴム会社では故服部社長がCIを導入し、社名からタイヤをはずし、非タイヤ部門を会社成長のけん引役とする方針を出し、その3本の柱として、1.電池、2.メカトロニクス、3.ファインセラミックスを育てる、と全社員に宣言した。
そして、世界初のポリマーリチウム二次電池が開発され、日本化学会技術賞を受賞している。メカトロニクスについては電気粘性流体の開発に力が入れられた。またゴムをアクチュエーターとして利用した軟体ロボットはつくばで開催された科学万博で展示された。
しかし電池事業は学会賞受賞後中断され、電気粘性流体もいつの間にか無くなった。ただし、高分子前駆体を用いた高純度SiC粉体合成技術を基盤としたファインセラミックス事業は30年以上たった今でも続いている。
実際にこの事業を企画し中心となって推進した経験から、異業種の事業を育てるときには経営の覚悟が重要だと思っている。経営陣のバックアップさえあれば苦しくても担当者は努力するものである。事業として立ち上がるまで様々な妨害があったが、誠実真摯に対応してきた。
このような新事業を立ち上げるときの苦労は企業の風土によっても変わる。例えばかつてダボハゼと言われた旭化成は住宅事業や半導体事業に進出し成功させた。そして今自動車事業に進出するかのような動きを見せている。
外から見る限り、この会社の事業の育成能力は一つのDNAとして伝承されているかのようである。一方ゴム会社も創業者の時代の成功体験があり、それが高純度SiCの事業成功の要因になっているのだが、残念なことに担当者にそのDNAが伝承されていないようだ。今後SiCのパワー半導体は、電気自動車の普及に牽引され成長産業の一つになるのだが、これの開発を日本化学会技術賞受賞後にやめてしまったのだ。もったいないことである。
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カオス混合によりPPSと6ナイロンを相溶させて中間転写ベルトを実用化することができた。このベルトの凄いところは、靭性の指標であるMIT値が2万を超えたことである。二軸混練機だけで混錬した材料では3000なので大幅な改善である。
脆いPPSが6ナイロンを相溶したことで、しなやかな材料に変わったのだ。さらに、その高次構造はカーボンの凝集体が均一に分散した構造になっており、これがベルトの面内の抵抗を均一にできた理由である。
6ナイロンをPPSに相溶しやすいMXD6というナイロンに変更して同様のベルトを製造したところ、カーボンの凝集体の大きさは小さくなり、その凝集体の個数が増加した。高次構造が少し変化したのだ。
すなわちマトリックスのΧによりカーボンの凝集体の大きさが変化している可能性がある。ベルトの開発が完了してから、ナイロンの種類を増やして同様のデータを取り、一か月間この周辺の研究を行ってみたところ、スピノーダル分解速度により凝集体の大きさが変化していることが分かってきた。
またマトリックスのΧにより凝集体の数が影響を受け、一個の凝集体に含まれるカーボンの個数が少なくなるという現象も凝集体の大きさに影響を与える可能性があるが、その寄与は小さいことも分かった。これは面白い現象である。高次構造を観察したところ6ナイロンのドメインは見つからないが、わずかなスピノーダル分解が起きており、カーボンの凝集構造を制御している。
このあたりの研究は深く進めると面白いがその結果得られる科学の真理が新しい技術を考えるときに重要かどうか問われると難しい問題である。現象をモルフォロジーで捉え公知の情報で推測された内容だけで技術開発のためには十分である。真理として確定していない情報でも技術開発で用いることができ特許出願が可能である。とりあえず特許を出願し退職した。
新しい科学の真理を前にしてそれを確定する仕事を進めるかどうかは経営資源との相談となる。最低でも人材育成効果を期待できるが、人材側から拒否される問題も存在する。企業で自然科学の研究を進めにくい時代になってきた。
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開発テーマが暗礁に乗り上げ、それが自然現象に関わる問題の時、何故か科学的思考を働かせようと前向きの推論を展開する人が多い。この前向きの推論のどこが問題なのか。問題はいろいろあるが、一番大きな問題は、思考が発散する問題である。仮に結論を明確にして前向きに推論を展開したとしても多くの推論の可能性を考えることになる。
これが逆向きの推論になると結論に直結する推論だけを考えることになる。仮に結論に直結する現象がいくつかあったとしても、結論に直結する現象について、それぞれを結論として捉え、それに直結する現象を考えたりして展開してゆくと、どこかで最も良い道筋一つが見えてくる。
前向きの推論と逆向きの推論の最も大きな違いは、この最も良い一つの道筋を素早く見つけられるかどうかである。日々の自分の思考がもし前向きの推論で行われてきたとしたら、その過去に事例について逆向きに考えてみるとよい。一筋の道を面白いほど見通せることに気がつくはずだ。
この逆向きの推論を行うときに問題となるのは目の前の現象について結論となる部分の表現方法である。すなわち「答え」を考えなければいけいない。都合がよいことに目標管理で決められた目標はその答えになる。面白いのは目標管理で明示したゴールから目の前の現象を眺めたときに、科学的には重要に見えていた現象が、取るに足らない現象に見えたりすることである。
そのような現象では今真剣に悩む必要はなく開発が終わってからゆっくり悩めばよい。そうすると不思議なことにアイデアが湧いてくる。なぜなら商品開発の過程で気になっている現象を注意深く見るようになるからである。理解はできていないが商品がうまく完成したときに改めて難解な現象を眺めると、不思議と解がわかりそうに思えてくる。この「わかりそうに」という部分が大切で、そのように感じたとき新たなアイデアが浮かぶ。開発を終えてから研究を行うとよい理由である。
答えが見えない問題ほど難しい問題はない。しかし、難解な現象に始めて遭遇したときにアイデアが無くて解決できなくても商品の中でその現象を眺めているとそこはかとなくうっすらと見えてくるものがある。そこで改めて答えを考えてみると不思議なことにうまく答えを設定できる。
科学では、答えを推論で求めなければいけないが、技術では機能がロバストの高い状態で動作していることなので、答えをあらかじめ決めることができる。答えを決めて問題を解くというと違和感を感じるかもしれないが、答えが分かった問題は必ず解があるという安心感を持てる。この安心感はアイデアを出すために重要である。
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