「日本人の約半数に不眠症の疑いがあり、7割の人が睡眠に不満―。
寝具メーカー東京西川(東京都中央区)が全国の男女を対象とした意識調査でこんな傾向があることが25日、分かった。」
以上は時事通信社WEB版の記事であり、下記の結論が書かれていた。
「睡眠の質では、「満足」が31.8%にとどまり、「少し」や「非常に」などを合わせた「不満」が7割近くに上った。「満足」は40代が最低の23.6%で、30代が次に少ない25.2%だった。同社は「働き盛りや子育て世代で満足な睡眠が得られない実態が明らかになった」としている。」
当方は57歳で早期退職し、現在の会社をスタートしているが、最近ようやく満足な睡眠がとれるようになり、朝4時に目が覚める。
4時に目が覚めるのは、前日21時に寝るからだが、7時間熟睡しているのかというとそうではない。老人になると仕方がないそうだが、深夜かならず用を足すために1度起きる。
当方は一度で済んでいるから大丈夫だが、友人は、数度起きるために熟睡できないという。当方が一度で済んでいる秘策を教えたらさっそく試したところ熟睡できたという。
とにかく満足な睡眠ができるかどうかは、心の持ちようも影響する。サラリーマン時代の睡眠は4時間以下で32年過ごしたので今はその約2倍睡眠をとっていることになる。しかし、サラリーマン時代よりも睡眠不足の様な気がしている。
睡眠不足だから昼間眠くなるのか、というとサラリーマン時代の様な居眠りは無くなった。残り少なくなった人生を考えると、居眠りがもったいないような気がするからだ。サラリーマン時代は会議中によく居眠りをしていたが、今は会議中でも居眠りをしない。
サラリーマン時代に睡眠が4時間以下で済んでいたのは、昼間の居眠りがその不足分を補っていたのかもしれない。ゴム会社に勤務中は実験室の隅っこで寝ていた記憶もある。
堂々と居眠りができたのは、新入社員時代に居眠りの常習者とうわさされたからで、一度それが定着すると怖いものが無くなり、堂々と居眠りができた。
またそれなりに大量のデータと成果を出していた。居眠り常習者が悪いのか、過重労働が悪いのか、そのような議論など誰もしなかった時代である。
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昨日貴乃花親方の退職記者会見が行われた。相撲協会という組織の中で貴乃花が文末に書いたように語らなければいけない気持ちは十分に理解できる。
妥協して相撲協会に残っても今後自己の信念に基づき何もできない可能性が高い。貴乃花親方の性格を考えると協会が追い出したようなものである。大相撲の歴史に残る大変残念な結果である。
これを組織内の単純なコミュニケーションの問題として貴乃花親方の批判をする人がいたならば、それは一連の流れから組織内で貴乃花親方がどのような扱いを受けていたのか想像できない人である。また、個人と組織の関係について現実の問題を考えられない人である。
組織とは、どのような優れた組織であってもその組織を統率するメンバーでその性格や組織内風土が形成される。すなわち、メンバーが不誠実な人ばかりならば、今回のような問題が必ず起きる。だからドラッカーは組織リーダーとして誠実な人を選ぶように主張していたのだ。
おそらく今後相撲協会は建前を繕うような動きを貴乃花親方に対して働きかける可能性がある。例えば、今回提出されたのは退職届ではない、だから再提出しなければ認められない、とすでにおかしなことを広報部長は記者会見で語っていた。
しかし、ここまで至ったならば貴乃花親方との関係修復は現在の体制が変わらない限り難しいだろう。残念なのは、周囲の組織がほとんど機能していない点である。大相撲評議委員会は何をやっていたのだろうか。
このような問題解決では組織の外部から貴乃花親方と組織の両方に働きかけないとうまく収束できない。暴力問題では貴乃花親方の行動にも問題があったが、隠蔽しようとした協会が一番おかしいのである。しかしその時にも評議委員会はうまく機能しなかった。
甘い当たり前の判断を示しただけである。しかし、相撲協会の中はTVで当時映し出された現実だけでも暴力問題について隠蔽体質が改善されていない状態であり、「当たり前」の判断をしてみても改革はできない。
仮に貴乃花親方が大人の対応をとり、今回組織に踏みとどまったとしても、組織から陰湿ないじめにあう。それは個人として精神的に耐えられないものであり、組織は外部から見えないように個人がつぶれるまでそれを繰り返すのだ。
これは経験していない人には理解できない状態である。個人がいくらこらえていても、組織の圧力は次第に大きくなり、最後は物理的な圧力として殺人まで起きる、あるいはそれを想起させる事態にまで発展する。例えばFDをナイフで傷つけたようにである。
このような組織の異常なまでの圧力は、組織内で気がついた人がいても同様のな処遇にあうことを恐れ被害者を救うことができない。救うことができるのは組織外のそれなりの立場にある人だけである。このような状況で被害者の能力の問題を批判しても問題解決できないのである。
すなわちここまでこじれると個人として可能な最後の手段は組織から外れる以外にない。今貴乃花はその最後の手段を世間に発表したのである。相撲という日本の文化をそれなりの立場にある人は真摯にこれを受け止め解決しなければいけない。
記者会見では「事実無根ではないと書面で説明したが、それを認めないと廃業せざるを得ないという有形無形の要請を受けた。また理事会で一門に所属しない親方は部屋を持てないと決まった。真実を曲げて認めることが私には出来ません」と、貴ノ岩の暴力問題に対し、告発状を出したことに関する遺恨、協会の重圧が引退の最大の要因だと貴乃花親方は語っていた。
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ポリフェニレンサルファイド(PPS)は、本格的な普及が始まった材料でkg単価1500円という価格も見えてきた。10年前には2000円以上で販売されていたのでこれは驚くべきことである。
PPSにはリニアタイプと架橋タイプがあり、最初に登場したのはシェブロンフィリップスの開発した架橋タイプのPPSである。ただし架橋タイプのPPSは分子量が低いのでガラス繊維などと複合化して射出成形体に用いられた。
安価なガラス繊維と複合化するので、kg単価は希釈効果で700円前後まで下がった射出成型用PPSというものも存在する。
架橋タイプは射出成型用以外に用いることができないので押出成形も可能なリニアタイプと呼ばれる高分子量のPPSも遅れて開発された。2005年に押出成形で中間転写ベルトを開発しているが、この時用いたのはリニアタイプのPPSである。
メーカーの技術者からも架橋タイプでは押出成形や繊維を作ることはできない、と言われたのでそれを信じていたが、驚くべきことに当方が開発した二つの技術を合わせると架橋タイプのPPSでも繊維化ができたのだ。
架橋タイプのPPSは分子量が低いために繊維化が難しいはずだが、どうもコンパウンディングの段階で**になっているようだ。**にご興味のある方は問い合わせていただきたいが、この現象以外に驚くべきことがいくつかこの7年間にPPSという材料で見つかった。
面白いのは国内のあるPPSメーカーで実験したところそれがうまく再現できないのだ。しかし、当方が指導している中国のローカルメーカではそれが生産レベルにあり、あるローカル射出成型メーカーの商品に採用されている。
日本のメーカーでうまくいっていない理由は、当方の指導を受けていないためだが、それだけではない。自分たちの技術を過信している可能性がある。
PPSに限らず他の樹脂でも教科書に書かれていない現象が見つかっており、技術に対する認識の違いが材料の新たな現象発見の力になっているようにも見える。技術の過信は禁物である。
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「経団連の中西宏明会長が2021年春採用から選考指針を廃止する方針を示したことに対し、政府が経団連に同年春の新卒採用については今の就職活動のルールを守るよう要請していることが分かった。経団連は指針をなくして「しきり役」から降り、政府が指針の維持を求める大学側との「仲立ち役」となってルール維持を主導することになる。ただ、形骸化が一層進む可能性もある。」
以上は就活ルールについて書かれた記事からの抜粋である。他の記事では、経団連のこのような方針に対して大学側の反発を取り上げていた。大学側の反発理由は学生が落ち着いて勉強できない、という昔から言われてきた理由である。
当方の時代の就活は第二次オイルショックも影響し、バブル崩壊後の就職氷河期ほどではないが厳しい状況だった。買い手市場であるにもかかわらず10月解禁というルールを守らず、OB訪問と称して4月ころから各社大学へそれぞれの学校の卒業生を送り出し、優秀な学生の一本釣りを各企業は行っていた。ゆえに解禁となった10月1日は、ほとんど採用予定者が決まっている状態で面接に臨むことになっていた。
当方の通っていた大学は地方大学のため、地元志向が強く、関東圏に本社のある大企業は敬遠された。そのため地元企業のOBは学生に引っ張りだことなっていた。また、10月1日の段階で、関東圏に本社のある大企業に誰も応募していないという状況も生まれた。就職難のため、リスクのある大企業は嫌われ、皆地元の中堅企業を目指したのである。
ゆえに4月ころから多くの学生は大学へ来校する地元企業のOBに一本釣りされようと活動していた。5月に来校した東京に本社のあるゴム会社のOBに学生がだれも相手をしない、という理由で大学の事務職員から当方の研究室に電話がかかってきた。
ゴム会社のOBがセラミックスの講座の学生を希望しているのかと不思議に思った当方は、興味半分でそのOBと面談したところ、成り行きで10月1日にゴム会社の研究所見学と本社面接を受けることになった。
当時から就活のルールなど有名無実化しており、怪しいOB訪問で学生の学びの場は乱されていたのだが、それで学生が勉強できなかった、という話は聞かない。勉強をやらない学生は昔からいたが、それが就活が原因だとは学生自身本音で思っていなかった。大学の周囲に多数ある雀荘とパチンコ屋の影響の方が大きかった。
逆にOB訪問が早々とあっても勉強熱心な学生はそれにペースを乱されることなく勉強していたのだ。就活ルールが無くなって困るのは就職担当の教員ぐらいで、勉強をするために大学へ通っている学生は、就活のルール撤廃で右往左往することは無い。
今も昔も企業は少しでも優秀な人材を採用したいのであって、まじめに大学で勉強していた学生は、どこの企業でも受験すれば合格した。強みを学生時代に磨けない学生がそもそも問題で、もし大学生で誠実真摯に学業に打ち込んだが就活に自信が無い学生は相談してほしい。
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イノベーションを起こそうとするときに、どのような概念で目の前の事象を整理するのかは重要である。すなわち新しい概念を考案すれば、それにより対峙している事象を変革できる新たなアイデアが自然とにじみ出てくる。
例えば、SiCをセラミックスという概念ではなく、高分子という概念で捉えれば、自然にシリコーンと有機高分子とのコポリマーというアイデアが生まれ、フェノール樹脂とエチルシリケートのリアクティブブレンド技術でイノベーションを起こしたくなる。
この概念を展開した作文をゴム会社で募集された創立50周年記念論文に投稿したところ佳作にも選ばれなかった(注)。面白いのは審査員は当時タレント教授として著名だったW大学の教授だが、この教授に全く受けなかったことになる。
もっともこのタレント教授は、豚と牛を掛け合わせてトンギューなる生物を生み出し、豚の繁殖力と牛肉の旨味を持った肉の生産事業を一席に選ぶような眼力を持った人物だった(この教授の選んだ一席を一席として発表したゴム会社もすごい。)。ベタコピーの学位論文を通過させたり、その修正版を落第させたりする教授もW大学だからW大学とはそのような大学かもしれない。
これは歴史におけるアカデミアの活動結果からアカデミアなるものがどのようなものなのか、という概念が具現化されてきた様子かもしれないが、日本の大学が世界ランク上位からどんどん落ちてきている事象では、日本の大学について概念を変えない限りその歯止めがかからないような気がする。
概念はコンセプトと英訳されたりするが、「生み出す」とか「妊娠」から派生した単語であるとの説明がカッパブックス「英単語の語源」に書かれている。この説明によれば、イノベーションで新たなものを生み出すために概念が重要なのは昔から分かっていたのかもしれない。
(注)佳作にも選ばれなかったが、この時論文に書いたエチルシリケートとフェノール樹脂から合成されたSiCの事業は、現在も続いている。夢は一時認められなくてもあきらめないことである。審査の対象レベルより評価者の能力が低い場合もある、ぐらいに考えて機会を探し再チャレンジすればよい。反省は大切だが、反省により意欲を失わないようにしなければいけない。腐るのは論外である。
カテゴリー : 一般 高分子
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人は遊んでいたほうが楽しいのか、働いていたほうが楽しいのか、という問いの答は難しい。若いころの過重労働の話を以前書いたが、この眠る時間も無かったような過重労働が十分に楽しかった思い出として残っているからだ。
始末書を書かされたり、上司から「趣味で仕事をやるな」と叱られたり、「遅くまで残っているな」と言われたかと思うと、用があって早く帰ろうとしたときに「このデータを明日朝までまとめてくれ」と、どうでもよいデータのまとめを突然帰宅モーションを起こした時に言われたり、その時は、本当はつらかったかもしれないが、今となっては楽しい思い出となっている。
モラールダウンするような上司の言動については、自分がマネジメントをする立場になったときに役立つ反面教師として眺めていたので、今でも「上司としてやってはいけない言動集」として鮮明に覚えている。
今騒がれているパワハラは日常的だった。パワハラどころか業務時間中に上司を自宅に車で送迎するのも部下の役目、という公私混同の慣習もあった。しかし、会社とはそういうものだと思っていたのでパワハラという記憶は少ない。ドラッカーが「働くとは、貢献と自己実現」と書物に書いていたので、黙々とそれを実践していて気がつかなかった。
ところで友人から誘われた土日のテニスツアーは、バブル時代の典型的なシーンであり、その時は楽しかったのかもしれないが、一緒に旅行に行った仲間の大半が結婚しても当方含め友人の数人はそのツアーでテニスに没頭し何もアウトプットを出せなかった。
ただ、この習慣で磨かれたスキルのおかげで留学先のテニス大会で優勝できたが、忖度すべきだったという反省とともにテニスツアーで努力すべき方向を間違えたのではないかと反省をしている。それに比べると、働くことから得られた喜び、貢献による多数の成果と自己実現目標が達成された喜びは異次元のものだ。
今働き方改革が議論されている。残念に思うのは働く喜びの視点の意見が議論の中で見えない。仕事が大量にあったとしても、自分のペースで働けたのなら遊びに近い、あるいは遊び以上の楽しさを味わうことができる、とその経験からいえる。
仕事から自己の成長を確認できるとき、過重労働であってもやり遂げた達成感が生まれる(過重労働はよくないことであるけれど)。一番問題としなければいけないのは、その仕事から働いた人が手当も含め何も得られない場合だ(注)。二番目は、働く人がつらいと思いながらやる仕事だ。
三番目は賃金が出ても明らかに無駄な仕事だ。帰宅モーションで明らかに無駄な仕事を命じられた思い出があってもそれを三番目にしているのは、「残業代を申請します」と宣言して仕事をしていたからだ。上司からは嫌味な部下に見えたに違いないが、手当てが入ったので三番目としている。
(注)サービス残業であっても働いた人の知識に役立つ仕事ならば、知識労働者による将来への投資とみなすことができる。職業にもよるが、仕事から知識という対価が得られていることを知識労働者は忘れてはいけないし、また、それを獲得できるように仕事を自らデザインしなければいけない。若いときに上司から「趣味で仕事をやるな」と奇妙な叱られ方を時々されたが、この上司から無駄な仕事をよく命じられていたので、無駄な仕事を膨らませてそれを研究としてやっていた。「趣味でーー」とは、この時に発せられた叱責であり、命じた上司自身が無駄であることに気づいたのではないかと内心思ったりした。無駄な仕事とわかっても誠実真摯に真剣に取り組めば周囲を啓蒙できる。無駄な仕事と腐ってはいけない。
ところで、これは40年近く前の話だが、上司が少し風邪気味で早引きすることになり朝通勤で乗ってきたその上司の車で当方が自宅まで送ることになった。業務時間中であり、さらに当方はその日多数の仕事を抱えていたので、作業着のまま上司を自宅まで送っていった。おそらく交通の便の悪いところに住んでいるのではないかと想像し、自宅に着いたらタクシーを用意してくれると期待していたら、甘かった。そこにバス停があるからバスに乗って会社に戻れという。交通の便の良いところに住みながらマイカー通勤、さらには翌朝の通勤にも困らない状態という点にも呆れたが、作業着の当方にバス代も出さずバスで帰れと言われたところは少し腹が立った(ありがとうというお礼も無かったが、昔は管理職が偉くいばっていた時代である。平社員を自分の使用人程度に思っていただろうと感じたこともある)。業務中だったので、職場に戻ったときに指導社員に一部始終を丁寧に報告した。若かったこともあり、ドラッカーの視点から見れば公私混同だと思う、という余分な感想まで述べている。数日後上司から頓珍漢な指導を受けた。このような上司がいた時代でも働く喜びを感じていた。
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サラリーマンで50歳を過ぎれば組織の中でどのような人生を終えるのかが見えてくる。これが見えていない人は、組織における働き方、というものを一度考えた方が良い。
現在の日本では、60歳で一区切りして再雇用というパターンが多い。65歳までシームレスという会社もあるかもしれないが、50歳になれば、65歳の自分の姿が見えてくる。
当方はゴム会社から写真会社へ転職し製品開発を担当してきたが、商品の半成品あるいは半完成品、もしくは部材担当であり、技術成果のよいところは商品開発部門に持っていかれるような立場だった。
それでも部下の評価の時には、最後まで頑張って、成果に相当する評価がもらえるよう努力した。部門リーダーの集まった評価会議で当方のグループの評価がなかなか決まらず、最後はセンター長と当方で決める、というようなこともよくあった。
だから関係部署のリーダーにはあまり評判が良くなかったので、50歳を過ぎたときには、それまで倉庫に使っていた部屋を一つあてがわれてそこで過ごす処遇となった。
ゆえに65歳の当方の姿は大変描きやすかった。そのようなときに写真業界の再編があり、カメラメーカーとの統合が行われたので、躊躇せず豊川への単身赴任を選んでいる。
選んでいる、というよりも当方でなければできない仕事、とわかったから最後の貢献のつもりで豊川へ自ら不利な左遷となるような道を選んだ、というのが正しいかもしれない。
もうその時には55歳で早期退職、起業という決意ができていた。ゆえに技術者として最後の貢献のつもりで土日も返上して業務に打ち込んだ。その結果は大成功に終わるのだが、もちろん報われることは無かった。
お人よしが災いして、もう一年仕事をして環境対応樹脂を開発してほしいと言われ、2011年3月11日を最終日に設定し仕事をしたのだが、とんでもない目にあった。
ゴム会社から写真会社へ転職したり、最後は大震災と大変不幸なサラリーマン人生に見えるが、今から思えば不幸よりも幸福(注)な時間や出来事が多かった。もし50歳を過ぎて悩まれているサラリーマンがいたらご相談に乗ります。
(注)何が不幸で何が幸福か人生最後になってみなければわからないと思う。ゴム会社に勤めていた時に不幸に思っていたことが、写真会社に勤めてみたら、大変幸福に見えた。写真会社で業績に値する十分な評価を頂けなかったことが不幸かといえば、もし評価されていたならば早期退職など考えなかっただろうと思う。起業して出だしは大震災の影響で苦労したが、最近は結構面白い生活である。人生塞翁が馬、ということわざがあるが、まさにそのようなものだと思う。FDを壊されていなかったら、写真会社への転職は無かっただろうし、その結果カオス混合装置の発明をする機会などなかった。また、突然かつての部下から置き土産の仕事が社長賞を取ったからと記念品を贈ってきた思い出などは他人から見れば些細ことだがこれが大変幸福に思えてくるから人生とは不思議である。
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小学生のころ教師という職業は尊敬される職業であると道徳でそのように指導された。それが高校生になり、学生運動の影響を受けて、教師は単なる労働者と位置づけられた。生徒と教師の関係は対等かのような錯覚も社会の流れとして出てきた。
当方の高校では教師によるパワハラよりも生徒による教師のつるし上げが起きたから大変である。このような事件が起きても教育的見地から警察を呼ばず、一週間授業を中止して全校集会を許可した先生方には今から思えばものすごい教育者だったとある種の尊敬の念が湧いてくる。
ただし、生徒の発達度合いや価値観がさまざまであるということを忘れられては困る、というのは当時の偽らざる感想である。当方などは、全校集会にある種の違和感と憤りを当時感じ、それが悩みになっていた。
また一週間続いた全校集会終了後、構内風景が180度変わり、以前同様に受験体制一色の従順な生徒像に戻った光景にはかなりショックを受けた。すでに友は大人として出来上がっており、妙な感傷に浸り非日常から日常への切り替えがうまくできない自分が恥ずかしかった。
さらには反体制を唱えていた人物たちが社会で成功し、いつの間にか体制べったりの生き方をしている様子には呆れるしかなかった。すなわち今という時代はどのように生きようと自由であり、その自由さが多少社会の一部の人に悪影響を与えようとも何人もその人生に干渉してはいけない時代なのだ。
さらに男が男らしく生きる制約もなくなり、自分の生きたい性すら選択できる時代になりつつある。もしかしたらAIが社会の価値を創り出すようになり、人は働くことすら選択できる時代を人類は期待しているのではないか。
やがて、そのような時代が来るのかもしれない。すなわち、人が生きる上でその人生に全く障害や差別、制約などが無くなり、社会の法律だけを守っておれば好きなように生きることができるという時代である。
今多くの人はこのような時代を理想に描いているのかもしれない。各種ハラスメントにおける議論を聞いていると、この理想とする時代に向けて微妙なイメージの違いが見解の違いを形成しているように思える。ただしこの多くの人が理想と夢見ている時代があるべき姿かどうかの議論も必要である。
個人の欲望が他人に影響を及ぼさないように、法律の体系を作り上げることなど不可能に思われるからだ。例えば今問題になっている塚原夫婦は反省すらしていないようである。しかしこの夫婦の行状は社会の大半が問題としてみている。また、夫婦に近い第三者委員会が問題なしという結論を仮に出したとしても、ツイッターなどに投稿されている事実が問題として残るのだ。
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高分子の分類について学生時代にはその重合様式で分類する方法が授業で採用されていた。すなわち高分子には合成高分子と天然高分子があり、合成高分子はこのような反応でできる結合で分類される、という説明がなされていた。
大学院に進学し、ホライデー著「Ionic Polymer」を読んで衝撃を受けた。高分子は有機高分子と合成無機高分子、無機網目化合物に分かれるとしたその分類方法は大雑把であるが、主鎖を構成する原子の特徴に着目した分類であり、高分子の特徴をよく表している。
この分類を発展させれば、球晶を形成する高分子と形成しない高分子がその下位のカテゴリーになるのかもしれないが、残念ながら1970年代は、まだそこまで高分子結晶について学問が進んでいなかった。
同様の時期に、「工業化学」という雑誌にガラス転移点(Tg)に着目した高分子の分類が載っていた。すなわち、室温以下のTgを示すものがゴムであり、室温以上のTgを示す高分子は樹脂である、という分類である。
この分類に従うとポリエチレンはゴムに分類されるが、シリコーンレジンの大半もゴムとなる。分類上はゴムなのに樹脂と呼ばれるのは何故だ、という突っ込みたくなる分類であるが、実務上はわかりやすい分類である。
ちなみにこの分類で、TPEはゴムと樹脂のコポリマーと説明され、両者を含む形で中間を占めていた。ご存知のようにTPEは当時すでに樹脂補強ゴムやPUが登場しており、ゴムと樹脂のコポリマーだけではなかった。
だから、ここまで説明されると、この分類もボロが出てくる。ホライデーがざっくりと3分類でやめた事情とはいささか異なり、この分類を考えた人は高分子を理解しているのか、という疑問を持ちたくなる。
2000年ごろ、高分子精密制御プロジェクトという国研が推進されたときに、スケールから整理した高分子の分類が示されていた。やや複雑であったが、高分子をうまく分類整理できていた。
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セラミックスについて1980年代の代表的な教科書はキンガリーの著書だった。ただしその内容は金属材料の世界から借りてきたような説明であり、例えばSiCのような共有結合性の高い化合物について研究を進めるときに、この教科書は参考にならなかった。
1980年代のセラミックスフィーバーでは、このキンガリーの教科書に書かれていた金属科学の借り物で展開された焼結理論が炎上した。自由エネルギーを基にした新たな考え方が登場したのだ。
写真会社へ転職し、高分子材料の研究に注力したのでこの議論がその後どうなったのかフォローしていないが、書店で教科書を眺めてみると旧態依然なので、フォロワー数が少なく立ち消えになったのかもしれない。
ポリマーアロイに関するフローリー・ハギンズ理論は自由エネルギーを用いた杜撰な説明でありながらΧというパラメーターを導入し、高分子の研究者に支持されるに至った経緯とは、セラミック材料科学は異なる展開となった。
ところで、面白いのは高分子の教科書で、今でもその内容の一部には、無機材料科学の成果から借りてきたような記述がなされていることだ。20世紀の終わりごろ、「高分子の緩和現象」という名著が出て、レオロジーのダッシュポットとバネのモデルに別れを告げたが、結晶の速度論については未だに旧態依然としたアブラミ一本やりである。
当方のお腹の周りについたアブラミもなかなか取れないが、高分子の結晶についてその速度論的扱いも見直した方がよいのではと思っている。例えば当方の学位論文からの引用で恐縮するが、SiCの結晶成長についてアブラミ式で整理をすれば80%以上成長が進んだ結晶についてもよく成立しているが、高分子ではとてもそこまで一致したデータを見たことが無い。
高分子の種類によりアブラミ式がうまく当てはまるわりあいが異なるが、恐らくアブラミ式がうまく合うのは、核生成からある大きさのラメラまでの間だろう。そこから先は不明である。これは技術者であれば心眼で眺めることにより問題解決に応用できるが、科学者は真理を見つけなければいけない問題だ。高分子の種類によりラメラ晶の大きさが異なる。また、添加剤の影響もうける。
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